第12話 勇者の職業と固有能力

 呆気に取られてゴルド大臣を見つめている一同。

 そんな彼らを不思議そうに見回しながら、ゴルド大臣は取り出したハンカチで額の汗を拭いつつ僕の方へと近付いてきた。


「いや、相変わらず此処は熱気に満ちていますな。汗かき体質な私にはまるで蒸し風呂ですよ。ははは」


 数歩歩いたところで、ようやくムツキの傍に佇んでいるイフリートの存在に気付いたのだろう。唐突に驚きの声を上げると、彼は抱えていた布包みをお手玉した。


「なっ……何ですかこの巨大な化け物は!?」

「あれは勇者殿が召喚した神獣です。魔物ではありませんので御安心下さい。……と言うより、ゴルド大臣、何ともないんですか? 先程、あんなに強力な炎をまともに浴びていたのに」


 ゴルド大臣の元に駆け寄る僕を、彼はきょとんとした顔をして見つめた。


「炎? いや、私の方には何も来ませんでしたぞ。ああ、扉を開けた時に何だか眩しくて思わず目を瞑ってしまいましたが……それだけですな。熱いとか、痛いとか、そういう感覚は一切ありませんでしたよ」

「……熱く、ない……?」


 ゴルド大臣からの信じ難い言葉に、僕は眉を顰めた。

 確かに……彼はこの通り無傷だし、嘘を言っているようにも見えない。

 と、目の前にすっと布包みが差し出される。


「では、確かにお届けしましたぞ。私は仕事が残っておりますので、これで」

「あ、ああ……ありがとうございます」


 僕が布包みを受け取ると、ゴルド大臣は暑い暑いと言いながら訓練場から出ていった。

 ゴルド大臣が平然としている様子に、周囲の兵士たちも徐々に平静を取り戻しつつあった。


「大臣様……何気に頑丈なんだな。あんな炎を食らっても何ともなってないなんて」

「そうだよなぁ……さっきあの炎が当たった時、絶対死んだって思ったもんな。それを熱くもなかったなんて平気で言えるなんて、びっくりしたよ」

「はぁ、何か夢でも見てる気分だよ。人生、何が経験できるか分からないもんだな……」


「……夢……」


 兵士たちが呟く何気ないその一言で──僕は、ある疑問を胸に抱いた。

 先程あれだけ大きな炎が空気を焼いたのなら、一瞬でも周囲の温度は上昇するはず。それなのに、それを体感している人間が此処には一人もいない。

 直接炎を浴びたゴルド大臣でさえ、光が眩しいとは言ったが、熱いとは一言も言っていなかった。

 そして……神獣イフリート。こんな巨体が間近に存在しているのにも拘らず、小さな物音すらひとつも立たないのは、何故?

 ──ひょっとして、僕が今目にしているものの正体は──

 あるひとつの可能性が浮かぶ。

 それを確認するために、僕はムツキの傍に佇んだまま彼の命令を待っているイフリートへと近付いていった。

 イフリートは僕の方には見向きもしない。まっすぐに前を見つめているだけだ。

 その雄々しく逞しい足に、ゆっくりと、触れる。

 ──掌が空を切る。

 確かにそこに存在しているはずの神の獣は、僕が直に触れることを一切許さなかった。

 神獣は、召喚魔法によって異世界から召喚された『獣』である。異世界の存在ではあるが、確かにそれは、実体を持つ生き物なのだ。触れられないなんてことは、ありえない。

 イフリートの体の中に何の感触もなく埋没した自分の掌を見つめて、僕は抱いた考えを可能性から確信へと変えた。


「……勇者さん、失礼します」


 僕はムツキの目の前に立ち、彼が手にしている木刀を掴んだ。

 未だに激しい炎に包まれている、全く焦げていない木の得物は──直に触れても固い木の感触がそこに存在しているだけで、炎の熱さは全く感じなかった。


「レ、レン。一体何をしているのだ? 直に火の中に手を入れるなんて、火傷でもしたら──」

「大丈夫ですよ、アグリス騎士団長。これは魔法剣ではありません」


 平然と燃える木刀を掴んでいる僕を見て、アグリス騎士団長が目を丸くしている。

 その彼に、僕はきっぱりと告げた。


「熱くないはずですよ。この魔法剣も、そこにいる神獣も……全て幻なのですから」



 ムツキとアグリス騎士団長との対決を中断させた僕は、ゴルド大臣から受け取ったジョブチェッカーを布包みから取り出した。

 ジョブチェッカーは、見た目は大人の手首ほどの太さがある金属製の筒のような形をしている。先端には平たく加工された水晶が填められており、側面には開閉できる小さな小窓のような穴がある。この穴に指を入れて中に備えられている針で肌に穴を空け、血を中に垂らして、そこからその人間に秘められた能力を調べる仕組みになっているのだ。

 針は細くて小さいので、指を突いてもちょっとちくっとする程度だから、子供でも安心して使うことができる。初期型はナイフとかで自分で肌を切って血を流し込むタイプだったらしいから、それを考えたら現在のこれはかなり改良を加えられた末に作り出されたものと言えるだろう。

 僕はムツキにジョブチェッカーを差し出して、穴の中に人差し指を入れるように指示をした。

 言われるままに穴に指先を入れたムツキが、びくっとして慌てて穴から指を引っこ抜く。

 玉状に血が滲んだ指先を見て、言った。


「ああ、びっくりした……ジョブを調べるのにHPを消費するって、どんな罠ですか」

「そんなの怪我のうちにも入らないでしょう勇者さん。血が出るのが気になるのでしたら傷薬でも塗っておいて下さい」

「回復アイテムはある程度HPが減ってから使わないとオーバーヒールになって勿体無いじゃないですか。この程度でしたら自然回復しますし、大丈夫です」

「一度の怪我で傷薬を全部使い切るって、それは塗りすぎだと思います」


 ムツキの血を流し込まれたジョブチェッカーが、血に含まれている情報を解析していく。

 読み取った情報は、先端にある水晶から宙に投影されるようになっている。SF映画なんかに出てくる立体ホログラム……ああいう感じのものだ。

 やがて、水晶が白く光を帯び、金色の文字を僕たちの目の前に放ち始めた。文字は緩やかに宙を滑るように浮かび上がりながら、連なってひとつの文章を形成していく。

 文字はこの世界の言語なのでムツキには読めないだろうが、三年かけてこの世界の言葉を勉強した僕にとっては読むことは容易い。

 ムツキの身体能力に関する解析結果が大きく出ているが、その部分は今はどうでもいい。僕が確認したいのは、ムツキの持つ固有能力。そして彼の冒険者としての職業だ。

 固有能力を示す欄には、次のようにあった。


『固有能力【究極幻想パラノイド】 己の空想を投影する能力。イメージ力が強く設定が綿密に作られているほど、投影された偶像のリアリティは増す。幻惑魔法とは異なり能力者を中心に展開する能力であるため、魔法抵抗力の影響を一切受けることはなく、視覚を持つ存在全てに対して無条件に効果を発揮する。』


 つまり、要約すると……目が見える全ての存在に無理矢理自分の妄想を見せつける能力であるということだ。

 あの魔法剣も、召喚魔法も、全てムツキのゲーム脳から知識を引っ張り出されて誕生しただけの幻影だったのである。

 幻なのだから、触れることができないのは当たり前。木刀が燃えなかったのも、ゴルド大臣が無傷だったのも、そもそも幻に物理的な干渉力などないのだから当然の結果だと言える。

 ──僕は、先程までの自分が情けなく思えた。

 一瞬でも、ムツキの妄想を本当の勇者の力だと信じてしまったなんて。彼は歴代最強の勇者なんだと勘違いしてしまったなんて。

 超ピーマン男は、やはりただの超ピーマン男だった。

 この男は、存在自体が既に究極幻想パラノイドなのだ。そう思わずにはいられなかった。


「レンさん、一体どうしたんですか、頭でも痛いんですか?」


 眉間に指を当てて目を瞑る僕を見て、ムツキが問いかけてくる。

 ああ、確かに頭が痛いよ。あんたが無差別に妄想をお披露目するだけの厨二病患者だって現実を叩きつけられて。

 これじゃ僕が持つ固有能力の方がよっぽどまともな能力じゃないか、とさえ思えた。


「一体何て書いてあるんですか? 俺のジョブって何だったんですか?」


 ……そうだ。これだけでショックを受けている場合ではない。もうひとつ、確認しておかなければならないことが残っているのだから。

 僕は顔を上げて、宙に映し出された文章を順番に目で追っていった。

 職業──解析結果には、こう書かれている。


『職業【旅芸人】 漫才や曲芸で人を楽しませることに命を捧げて世界中を放浪する旅の芸人。人の感情を察する能力に長け、如何なることにも動揺することのない精神力を持つ。身体能力は一般人と同程度だが、精神力が高いため精神支配系の魔法に対しては優れた抵抗力を発揮する。』


「…………」


 僕は無言でジョブチェッカーの動力を停止させた。

 目の前に浮かんでいた金色の文字が跡形もなく消滅する。それを見つめながら深い溜め息をひとつ。

 そして、周囲の兵士たちやアグリス騎士団長が唖然とするのを気に留めることもなく、絶叫したのだった。


「……妄想しかできない芸人が英雄になんてなれるか! 馬鹿ぁ──ッ!!」

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