ほんとの夢小説
保登悠
後退的前進症
俺は、地元の駅から電車で一本で行ける、全国的に見ても結構大きい部類に入る街に出掛けていた。
自分の気分を高めるように、周囲に溶け込むようにおしゃれをして、街を練り歩く。目的は、この文章を書いている今となってはもう覚えていない。
とにかく、俺は街を歩いていたんだ。それだけ伝わればいい。
そうしていると、不意に。聞き慣れた、そしてとても不快な、俺を呼ぶ声が聞こえた。
「おい、――――」
俺は目を伏せて、その場を離れるように歩く。だが、そいつが手に持っていた何かが俺の目の前を横切り、壁にぶつかって弾ける。
「シカトかよ」
不快そうに言って、俺に近付いてくる。観念して、俺はそいつに向き直り、何か用?と口を開く。
そいつは俺の脇腹を小突くと、にたにたと笑ってこう言った。
「用ってほどじゃないけどさ。ちょっと遊ぼうぜ、――――」
下卑た笑みだが、しかし害意は感じられないそれに、少し緊張を緩める。
そうだ、こいつが俺を目の敵にしていた時からもう十年ぐらい経ってるんだぜ。
もう時効だ、時効。俺もこいつも、水に流す時が来たんだよ。
そう思った直後、俺の腹部に衝撃が走る。
視線を下ろすと、そいつの膝が俺の腹に沈んでいるのが見える。
息が止まった不快感と、強烈な痛みに膝から崩れる。眼前に、当時の俺にとって恐怖の象徴だったそいつの顔が広がる。
「昔はよくこうやって遊んでたよな、――――」
蹲る俺の腹部に、立て続けにそいつの拳が飛ぶ。
「お前がちょっとばかし根性出して俺に歯向かってきてよ。あのときは大変だったんだぜ?」
そう言って、そいつは拳を浴びせるのを一旦止める。その間に、俺はげほげほと咳き込み、呼吸を整える。
あぁ、あの時と何も変わらない。
相手の気まぐれに合わせて必死に自分の体調を整え、嵐が過ぎ去るのを待つだけだ。
そいつは、再び俺に話しかける。
「お前が俺に歯向かってきたせいで、周りの奴らは俺を舐めてかかるようになった。お前のせいでよ」
そう言って、立ち上がったそいつの脚が俺の背中にぶつけられる。
息が詰まる。
少しずつ、呼吸ができなくなっていく。
周囲が闇に溶け、息が詰まる、詰まる、詰まる。
突如、大気が俺に味方したように肺に流れ込んできて、ようやく意識が自由になる。
目が覚めると、実家の自室に居た。
実家に住んでいた頃、自室は二人の兄と共用だった。兄の大学進学や社会進出に伴う一人暮らしなどでしばしば生活様式は変わっていたが、その時は俺の一人部屋のようになっていた。
壊れているはずの玄関のチャイムが鳴り響く。俺は外付き合いも愛想も悪い子供だったので、昔から訪問者の最初の応対は母か祖母が行っていた。
しかし、母も祖母も一向に訪問者の元に向かう様子はない。出掛けているのだろうと考え、仕方なく俺が出向かう。
「――――さん、お届け物です」
黒い猫のロゴでお馴染みの宅配便の制服を着た、黒いもやもやとしたものが俺にダンボールを突きつける。
「サインは入りませんので」
突きつけられた、両腕を回さないと抱えられないほどの、しかし異常なほどに軽いダンボールを受け取ると、宅配便はそう言って去っていく。
ドアを閉め、ダンボールを自室に運んで開封する。あの宅配便が言うには、これは俺への届け物らしい。
尤も、ダンボールには送り状などは一切貼られておらず、しかも無地だったので、どこから誰に送られてきたのか、そもそも本当に郵便物なのかも確かめようはない。
意を決して、開く。
中身は、その巨大な外装とは裏腹に、ダンボールの底面の中央に、ビニールで貼り付けられるようにして一本のペンが包装されているだけだった。
そして、俺はそれに見覚えがあった。
以前、SNSで交流があった人がブラック企業に務めていたので、無責任にもそのペンの存在を教えたのだ。
小型マイク付きボールペン。
そして、これがあれば、あいつが俺にしてきたことを償わせることもできるだろう。
俺はペンを手に取り、再び出掛けた。
――――――――――――――――――
電車に乗っていた。時間を潰すために、本をぱらぱらと捲っている。
周囲には、女子高生、サラリーマン、お年寄り…様々な年代の、様々な生活様式の人間が乗っている。
不意に、電車のアナウンスが響く。
「まもなく、――に止まります。折口は右側です。開くドアと、足元に…」
聞き慣れた、次駅への到着を告げるアナウンス。だが、そこは俺の目的地ではなかった。本を捲り続ける。
しかし、その後に続くアナウンスは、聞き覚えのない、そして意味のよくわからないものだった。
「――では、◯分ほど停車します。お客様は――に停車次第、電車から下りて、電車の影に隠れてください」
一体何の話だ。周囲の様子に耳を傾けると、やばい。なにこれ。映画みたい。そんな能天気で無責任な言葉ばかりが並ぶ。
誰も時間を取られることに文句を言わなかったし、俺も急ぎの用事ではなかったので、特に問題はないかと思う。
やがて次駅に到着して、俺はアナウンスに従って席を立ち、ドアを開ける。なぜかドアは手動に切り替わっていた。
俺に続いて数人の乗客が電車を降りるが、大半は電車内に残ったままだった。
さて、俺はというと、電車の影に隠れることはせず、電車から降りたときのルーチンワークのように、改札へと続く階段を登っていった。
階段を登りきるところで、俺は高校の時のクラスメイトで、今でも交流がある友人のIと出会う。
Iは俺に会釈をして、こんなところでなにやってんだ?と聞いてくる。
それはこっちの台詞だ、と返して、俺は今の状況を説明する。
「あぁ、車両の点検してるんだろ」
とIが言うので、俺は納得して、これからどうする?と尋ねる。
「せっかくだから、少しホームを見て回ろうぜ」
まるで遠方に遊びに行った時に街を見て回るように、あるいは花火が目当てで行った夏祭りで出店を回ることを提案するかのように、Iはそう言った。
Iは面白いやつで、こいつといるとつまらない用事でも不思議と退屈はしなかった。もちろん、俺はその提案を了承した。
他愛もない話をしながら歩いていると、不意にIの名前を呼ぶ声が聞こえる。
電車の窓から、二人組の野球のユニフォームを着た、いわゆる高校球児がIの名前を呼んでいた。それも、何度も。
あまり好意的とは言えないその名前の呼び方に、Iは不快そうに、そして足早に、その場を立ち去る。俺もそれに習う。
深く追求しないほうが良さそうだな、と思って、違う話を振る。Iもその話に乗ってきて、高校球児のことは忘れた。
再びホームを歩いていると、目線の先で見知った顔の三人組が立ち話をしている。
高校時代のクラスメイトのNとM、そして俺がSNSで知り合ったKだ。
NとMは当然クラスメイトだったわけだが、Kは彼らとは初対面のはずだ。
しかし、Kはまるで旧知の仲であるかのように彼らと話している。
三人と合流して、俺含めて五人でホームを歩く。
Mが控えめながらも話を振って、誰かが反応を返す。
なんとなく、当時に戻った気分だった。
初対面のはずのKも、会話に溶け込んでいて、楽しそうにしていた。
そんな風に楽しく話しながらホームを歩くと、やがてアイドルの女の子たちが写真撮影をしている現場に出くわす。
俺はアイドルに詳しくないので、それがコスプレなのか本物なのか見分けがつかなかったが、写真を撮られているアイドルも楽しそうにポージングしているし、写真を撮る側も楽しそうにしていたので、どちらでもいいと思った。
ふと、アイドルの中に見知った格好の女の子が居ることに気付いて、Kにそれを伝える。
紫色の髪の、Kが好きな架空のアイドルがそこにいた。
一緒に写真を撮ってもらったらどうだ、と俺は提案したが、Kは恥ずかしそうにして、やんわりとそれを拒否する。
俺も無理強いはせず、Kが好きなアイドルを横目に眺めながら、俺達はその場を去った。
駅のホームの端に来た。
「終点だな」
Iがそう言う。
「いや、まだ終わりじゃないぜ」
Nがそれに対応するように口を開く。
あの時と全く変わらないようで、一度もやったことのないやり取り。それが懐かしくて、嬉しかったように思う。
俺とIとNの三人は、当時よくつるんでいた三人組で、クラスでも三人セットで扱われることが度々あった。
「実は今、筋力を抑える装置を腕に付けてるんだ」
そう言いながら、オレンジ色のハンドグリップを取り出すN。
三人の中で一番体が強いのがNで、逆に一番弱いのが俺だった。
「俺がそれを解き放つと、こいつはさらに握り込まれる」
そう言って、Nハンドグリップをにぎにぎさせる。
Iがそれに突っ込みを入れて、俺が笑う。
周囲の景色はいつのまにか教室に変わっていて、俺達のやり取りを聞いて笑うクラスメイトや、全く違う話で盛り上がる別グループや、ひとり本に夢中になるやつなど、いろんなやつが居た。
あの時と変わらないようで、しかし教室には俺の兄が居たり、SNS上の友人であるはずのKがいたり、様々な人物が居た。
不意に、肩を叩かれて振り返る。
あの黒いもやもやが、今度は制服を着て立っていた。
「あなた、これからどうします」
黒いもやもやが俺に聞く。
周りを見渡して、答えを決める。
過去に囚われて復讐するのなんてやめにしようと思った。
ほんとの夢小説 保登悠 @yuhachi0220
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