始まりと終わり3


「僕、瑠美さんのコンソメスープが好きなんです」

「え。ナポリタンじゃなくて?」

「ははっ。ナポリタンも好きだけどね」



 笑うとくしゃっと皺が刻まれる。瑠美はそんな彼の笑顔が好きだ。



「すごく美味しくて、優しくて」

「他のメニューも美味しいのよ」

「だって……」



 彼は言葉に詰まる。

 急に顔を赤くして、耳まで真っ赤になる彼。沈黙が瑠美を緊張させた。



「毎日、同じメニュー注文したら。僕のこと、覚えてくれるんじゃないかって思って」



 確かにそうだと瑠美は思った。

 いつもナポリタンを大盛りで、夏でも冬でもアイスミルクティー。



「確かに、それで覚えたのかも」

「……よかった」



 自分の作戦が成功したと知り、彼はまた笑う。



「僕は瑠美さんの料理が好き」

「ありがとうございます」

「でも……」



 彼は勢いよく立ち上がった。そのせいで、椅子がバタンと大きな音をたてて倒れる。



「もっと好きなのは! 瑠美さんだから!!」



 六時。閉店時間になった。


 彼の後ろにある壁掛け時計が瑠美に教える。秒針が進むにつれて、瑠美は理解し始めた。



 ――――告……白?



 BGMが急に消えてしまったような感覚。

 お互いの心臓の音が聞こえそうで、呼吸の方法も忘れてしまったようだった。



「あ……わたし……」

「その。駄目、ですか?」



 古いフィルムを再生するかのように、いろんな彼の姿が思い出される。


 初めて店に来た日。

 汗だくになりながら店に来た夏の日。

 コートを着て、雪を被った彼。

 成績が悪くて上司に怒られたと言う彼。

 初めて部下が出来たと喜んだ彼。

 好きなカウンター席を取られて困っていた彼。

 そして、真っ赤な顔をして告白した彼。



 ――――そっか。わたし、気づかなかった。



 瑠美は蓋をしていた。

 自分の想いに蓋をして、閉じ込めて、二度と出られないように抑えつけていた。



『僕は瑠美さんの料理が好き』



 その言葉で蓋が緩んだ。緩んだと思ったら、いとも簡単に彼は蓋を取り外しにかかる。


 強引にこじ開けようとした過去の男とは違う。


 その優しい手つきに、言葉に、瑠美は認めるしかなくなった。



 ――――彼に恋をしていたんだ。ずっと好きだったんだ。



 恋することから遠ざかり、人と関わることを諦めた。


 全ては初恋の思い出のせい。恋は恐怖でしかなかった。恋をすると傷つくと思っていたからだ。



「付き合ってください!」



 瑠美は思う。

 自分の作った料理を愛し、相原瑠美を好きだと言ってくれる男性。彼をもう一度、信じてみてもいいのではないか、と。



「お願いします!」



 再び言われて、石のように固まっていた蓋が割れ、恋心がやっと動き出す。

 重い女と傷つけられた心が癒されていく感覚。


 終わりに訪れた始まり。

 料理が繋いだ恋心。


 重いと言われたコンソメスープは、彼には美味しくて温かいものだった。彼女は手料理で笑顔になる彼の顔を見るのが好きだった。


 嘘ではない。優しい彼の真っ直ぐな気持ち。


 何よりもコンソメスープが好きだと言ってくれたことが嬉しい。溶け出した心があっという間に動き出す。



「でも、あなたのことはよく知りません。カウンター越しに話すあなたしか、わたしはわからない」

「じゃあ……」



 彼は俯いてしまった。


 カフェ・ルミエールは終わる。でも、彼にはもっと料理を楽しんでほしいと瑠美は思う。



「でも、あなたに料理を作りたい。好きな人のために、作りたい」

「え?」

「あなたをもっと好きになりたいから」



 たくさんの人に喜んでもらえる料理から、たった一人の彼のために作る料理へ。


 店員と常連客の関係を終えて、カフェ・ルミエールの灯りは今日、消える。


 この先、恋人となれるように。

 料理の力を借りて、彼を知っていきたいと瑠美は思った。



「教えてください。あなたのこと」

「僕も知りたいです。瑠美さんのこと」



 手料理は彼のために、幸せな時間は彼と一緒に――――。



END


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コンソメスープが重たくて 和瀬きの @kino-kinoko

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