二日目
コリンズが劇団に加わった翌日。
昨日の出来事のせいか、コリンズは落ち着きのない様子で控え室に入ってきた。
控え室には既に佐々木と衣装担当者がおり、中央のテーブルに紙を広げて話し合っている。
どうやら、公演まで日数が少ないから台本合わせより衣装の準備を優先させるらしい。
入って来たコリンズに気づき、佐々木らが先に挨拶した。
「おはようございます」
しかし、コリンズは挨拶を返さない。
彼女らに静かにするようハンドサインを送りつつ、強く警戒している様子で控え室を隅々まで歩き回っているのだ。
室内が安全だと確認できたのか、安心したように息を吐いてから二人に向き直り挨拶を投げ掛ける。
「おはようございます」
「朝から何をしているんですか?」
一連の行動を見ていた佐々木は疑問を口にした。
不審な表情を浮かべる佐々木とは反して、コリンズはさも当然といった態度で答える。
「昨日ここで爆発が起きましたです、今日も起きるかもしれませんです。今は安全、私確認しましたです」
「ば、爆発!?」
と、驚愕の声を上げたのは衣装担当者。
そこへすかさず佐々木が訂正を入れる。
「それはあなたの勘違いだったでしょう。ありもしない騒ぎを広めないでください」
「勘違い!違いますです、女の人が私の前で爆発しましたです!」
強く反論するコリンズを煩わしく思ったのか、佐々木は議論を放棄した。
「まぁいいわ。あなたの衣装についても話し合わなきゃいけませんし」
そう言って佐々木は手元の資料をコリンズに手渡す。
資料には現在使用可能な舞台衣装がまとめられており、どういった場面での着用を想定されているか等まで書き記されている。
かつて浅山が着用していた舞台衣装からワンピースやドレスを見繕い、コリンズの体型に合わせて再利用するのだろう。彼女の採寸結果を記録する欄まであった。
コリンズが一通り目を通したところで、衣装担当者が弱々しく説明を始める。
「こ、公演日まであまり時間がなくてですね、できればその丸付けされている衣装の中から選んでもらえると……」
彼女が言うように、資料の写真には右端に丸付けされているものがいくつかあった。
それらをまじまじと見つめるコリンズに、衣装担当者が説明を続ける。
「右端に丸が付いているものは、裾の調整ができたり縫い代を大きく残している衣装で……」
「よくわかりません、あなたが楽な衣装を選びますです。私の好き、ここにはありませんです」
彼女の説明を受け、コリンズははっきりと答えた。
あまりにも遠慮のない発言に萎縮し、謝罪を口にする。
「す、すみません。お好みのものが分からず……修繕するついでに装飾を足しましょうか……?」
「必要ないです。もし、袋を被って舞台に立ったとしても私は美しいです、わかってますです」
「は、はぁ……」
堂々と言い切ったコリンズを否定できる者はいなかった。
確かに万人より幾分か整った容姿をしているのは確かだが、それを自信たっぷりに言うのは異様に見えたのだろう。
コリンズの言動が彼女らの価値観から大きく外れているのが原因だ。
自分の発言で沈黙が流れているのに気づかず、コリンズは二人を急かすように呼び掛ける。
「時間がないです、早く次を決めますです」
「は、はい!」
そうして、コリンズが着用する衣装や使用する小道具等がとんとん拍子で決まった。
やや雑にも見える即断即決の数々だったが、彼女が演じる役柄や劇の雰囲気から逸れていない。無理矢理な内容改変で壊れかけだった劇の雰囲気が整った感覚すらある。
初めは彼女の仕切りが不服だった佐々木だったが、的確に即決していく姿を見て協力的になった。
コリンズ程ではないが彼女にも同じように、この公演を失敗させたくないのだ。
佐々木は広げていた資料をまとめながら、代わる代わるに二人を見て声を掛ける。
「これで急ぎのものは全部かしら。二人ともお疲れ様」
衣装担当者は小さく頷く一方でコリンズは誇らしげにこう語る。
「早く終わりましたは私たち頑張りましただけではありませんです、神様の思し召しです!」
「はいはい、思し召しですね」
呆れたように適当な返事を呟く佐々木に構わず、コリンズは控え室を見渡しながら訊ねた。
「飲みますもの欲しいです。何かありますです?」
「そこの冠水瓶から自由に飲んでください。使い方はわかりますね?」
佐々木に促されコリンズは、扉横にあるサイドボードに置かれているガラス製の冠水瓶を目にする。
「これ使ったことありますです、綺麗な形をしていますです」
つかつかとサイドボードへ歩み寄り、冠水瓶の蓋になっていたガラスの器を取って水を注ぐ。
コリンズが水を飲もうとガラスの器を口に近づけた瞬間、悲鳴のような声色で母国語が飛び出る。注がれた水に羽虫が数匹浮いていたのだ。
「Oh no!Why!!?」
そのままコリンズは水が入った器を床に叩き落とし、甲高い声を上げる。器は割れ、床に水が広がった。
コリンズは床を指差し、青ざめた表情で叫ぶ。
「ば、虫!虫が水に!!」
大袈裟に叫ぶコリンズに対し、佐々木が冷めた目で言葉を吐く。
「少し虫が入ってたくらいで騒がないでください。それともあなたの国では皆そうだったのかしら」
そう言って溜め息を吐かれ、顔を赤くして抗議の声を上げる。
「飲みます水に虫がいましたです!この水を置きましたは誰です!」
「知りませんよ、私と彼女が来た時には既に準備されてましたから。いくら虫が苦手だからって劇場の備品を壊さないでほしいわ」
「でも虫いましたです!ほら、あなたも見えていますです!」
コリンズは衣装担当者に同意を求めるも、彼女の独特な言葉遣いと気迫に圧されていた。
「えっと、わ、私は……」
「無理に話さなくていいわ。コリンズさんは騒ぎたいだけなのよ」
と、佐々木が庇う。
今にも喧嘩が起きそうな雰囲気の中、居心地の悪さから衣装担当者が勢いよく椅子から立ち上がる。
そして、おどおどしながらも意見を言う。
「あ、あの!私、人を呼んできますね……!」
そう言って彼女らの返事を待つこともなく、そそくさと出て行った。
扉が静かに閉められた後、佐々木が溜め息を吐きながら語る。
「まともな人だと、少しでも思ったのが間違いだったようですね。本当に人騒がせな人」
「なんです?佐々木さん、私悪いことしていませんです」
「どうでしょうね。私から見れば、好き勝手騒いで劇場の備品を壊したようにしか見えませんが」
そう言ってまとめた資料を手に立ち上がる。
コリンズは眉間に皺を寄せ、拙い言葉遣いながらも文句を言う。
「でも虫が入っていましたです!もう少しで私の体に虫が入りましたです―――」
「それでも、備品を壊していい理由にはなりませんよ」
コリンズの言葉を遮るように正論を被せた。
何も言い返せなくなっている彼女に対し、佐々木は目を見てゆっくりと告げる。
「きちんと片づけてくださいね。コリンズさん」
と、冷たい言葉だけを吐き置いて、控え室を出て行った。
静かに閉まる扉を、コリンズは下唇を噛みながら睨んだ。
一方その頃。劇場の裏口では浅山洸治が石階段に腰掛け、煙草を吸っていた。
遠い目で建物の隙間に見える空を眺めながら、白い煙が上へと伸びている。
再び煙草を口に咥えようとしたところで、不意に声を掛けられた。
「サボっているところ悪いね、隣いいかい?」
「あぁ……おっと!」
声を掛けてきた人物を見て、彼の顔に笑顔が浮かび上がる。
「桝谷か!これは痛いところを見られたなぁ!」
そう言って膝を叩いて笑う。
桝谷は彼の大袈裟な反応に笑みを綻ばせながら、陽の当らない石階段へ腰掛けた。
顔だけ向けながら桝谷が口を開く。
「君がここにいたことは劇場の人には言わないでおこう。感謝したまえよ」
「はは、ありがてぇや」
そう言って煙草を咥える。
煙を細く吐き、桝谷に顔を向けて呟く。
「こうして並んでいると昔を思い出すなぁ、そうだろう?」
「あぁ。下校中によくこうして寄り道したものだよ」
「懐かしいなぁ、そしたら桝谷の妹に見つかって注意されたんだよな!」
「そんなこともあったかな」
と、小さく笑う桝谷。
そんな旧友を見つめ、改まったような口調で話を切り出す。
「……なぁ、桝谷。お前さんは昔から理由なしに人と話さない、俺に話があるんだろう?」
「推察通りだとも。単刀直入に聞くが、私の事務所にはがきを入れたのは君だね?」
桝谷の問いに対し、深く頷きながら重々しい雰囲気で答える。
「俺だ。二回ともここへ来る前に書いて入れておいた」
「あのはがきには送り主に関する直接的な情報が全くなかった。理由を聞かせてくれるね?」
「俺が情報を流したと気づかれるのを避けたかったんだ。この会話も誰が聞いているかわかりゃしないが……今は保身に走る時じゃあないな」
と、言いながらも鋭い目で周囲を警戒した。
そうして数分前の雰囲気を掻き消すように眉間に皺を寄せ、煙草をもう一服する。
溜め息を吐くように煙草の煙を吐き出した後、ゆっくりと口を開く。
「……あれは忘れもしない、十日前の一件が起きる前夜のことだ―――」
そう言って、浅山洸治は控えめな声量で語り出した。
俺の妹、浅山千幸が公演中に死亡する前日。
あれは夕方頃だったか、千幸は自分の控え室に俺を一人で呼び出したんだ。
彼女の控え室にノックをして入ると、化粧台の前に座ったまま俯く姿が目に飛び込んできた。
滅多に落ち込んだ姿を見せないが、完璧主義な妹のことだ。明日に控えている劇に関することだろうと高を括っていた。
あまり大事ではないだろうと、落ち込んだ様子の千幸に声を掛ける。
「おう、どうした?何か不備でもあったか」
「兄さん……」
そう呟きながら千幸は俺の方をゆっくりと見た。
いつもは綺麗な顔が目元は赤く腫れ、頬には泣いた痕があった。
俺は自分の顔が熱くなるのを感じながら、すぐさま千幸に駆け寄って訊ねたんだ。
「誰がお前を泣かせた?聞かせてくれ、怒鳴り込んでやるから」
だが、千幸は首を横に振った。
「いいの、もう。私が選んだことだから」
「千幸……」
そしてこう続けたんだ。
「明日、私は大怪我するか死んでしまうかもしれないの……」
「死ぬって、一大事じゃないか!どこぞの大馬鹿野郎が何かしでかすってんなら、今から止めに行ってやるよ!」
俺がそう言って飛び出そうとしたところで、千幸は腕を掴んで引き留める。
「待って、兄さんまで酷い目に合うわ!そんなの嫌よ!」
「だからって千幸が怪我するなんて、死ぬかもしれないなんて……俺は、俺は……!」
「でも仕方のないことなの。私が知った時にはもう遅すぎた……だからこそ今、兄さんにお願いしたいことがあるの」
そう言いながら、俺の腕を掴む手を強める千幸。
ここで何か言うべきだったのかもしれないが、不甲斐ないことに全く言葉が出なかった。
俺の動揺が伝わったのか、千幸は宥めるようにゆっくりと話し出したんだ。
「もし、私の死がただの事故として処理されようとしたら。その時は、警察と兄さんが信用する人に『蒲笈さんが仕組んだ事件』だと思わせてほしいの」
「なんだってそんな回りくどいことを……」
そう呟いて歯を食いしばる俺を見てか、千幸は沈んだ声で語り出す。
「もう私にはどうすることも出来ないの。相手が相手だから逃げることも許されないでしょうね。きっと私一人の死だけでは済まない、だからこそ私たちの死が事故ではないと知らせなくてはいけないの」
一呼吸置いて、千幸は声を絞り出した。
「……これが私の最期のお願いになるかもしれない。いえ、そうなるでしょうね」
「滅多なこと言うもんじゃあないよ」
すぐさま否定したが、彼女もまた首を振る。
昔から一度決めたことを曲げない性格だったが、こういう時でも変わらなかった。
千幸は俺の腕からゆっくりと手を離し、哀しげに微笑んだ。
「だからお願い。きっと守ってね、きっとよ」
その時の祈るように呟く千幸の姿を今でも鮮明に覚えている。
忘れられない。というよりも、忘れたくないんだろうな。
そんな会話をした翌日、千幸は……亡くなった。
俺は千幸との約束通り、桝谷と田立にはがきを出したんだ。
白紙のはがきに手書きし、誰の目にもつかないよう早朝に投函した。
書いた内容は知っている通りの一文だ。
『アサヤマ チユキ ノ シ ニハ ガマオイシ ガ カカワッテイル』
これが千幸の死、その後に起こった二人の死の真相に繋がっている。
だけど、俺にはどうもあの蒲笈が三人も殺せるとは思えない。
それも立て続けに、犯行時に目撃者を出すこともなく。
少なくとも俺の知る蒲笈円玄には無理な芸当だと思う。
だがそれでも、千幸が伝えてほしいと言ったんだ。
兄として、妹が命を賭して願ったことは必ず叶えてやりたい。
それが千幸にしてやれる唯一のことだから。
全てを話し終え、ぐっと皺を寄せた眉間に手を添える。
込み上げてくる感情を抑えながら、桝谷に言う。
「これが千幸が残した言葉、そして俺の考えだ。推理に役立ててくれ」
浅山洸治の証言を聞き、桝谷はしばらく考える仕草をした。
そして確かめるようにゆっくりと訊ねる。
「つまり、浅山千幸は自分が死ぬことを知っていた。そしてそれを受け入れたということだね?」
「あぁ……なぜそんな道を選ばなきゃいけなかったのか。俺にはさっぱりだ」
そう言って片手で頭を抱えた。
「恐らくだが、選んだというより選ばざるを得なかったという点が重要なのだろう。知るには遅すぎた、ということも合わせてね」
「ふぅん、なるほど」
小さく呟き、煙草に口を付ける。
彼が話を理解しているか探るように、桝谷は言葉を選びながら話す。
「まだ断言は出来ないが、浅山千幸が抗うことができない相手が犯人である可能性が高い。ここまで理解しているね?」
「た、たぶん」
怪しい返事が吐かれ、桝谷は苦笑する。
一方で浅山洸治は眉間に皺を寄せ、懸命に指折り考えだした。
この指の動きに何の意味があるかは不明だが、やがて納得したように一人で頷く。
桝谷が彼の言動を見て、推理を全て語るのは無理だと判断したのは言うまでもない。
しばらく沈黙が流れた後、桝谷が話を切り出した。
「ところで、晴雄からこんな話を聞いたんだがね。なんでも、ここ数日の間に参入して亡くなった女優たちは皆、浅山千幸らしき女性を見たと証言しているらしいじゃないか」
桝谷の話にじっと耳を傾け、煙草を口から離す。
「そう言ってたらしいな。満島さんも、川瀬さんも」
呟いてすぐ、低い声色で桝谷の問いに答える。
「千幸の姿を見た、それは理解できる。だけどなぁ、あの人らは誤解しているんだ」
「ほぅ、誤解かね」
「千幸は他人様を傷つけるような真似は絶対しない。死んじまった今でもな」
行き場のない怒りすら感じられる言葉を聞き、桝谷は深く納得した。
「兄である君がそう言うなら確かなんだろう。もし私が同じ立場なら、きっと同じことを言っていただろうからね」
浅山洸治は短くなった煙草を見つめながら、無言のまま頷く。
否定されないのを見て、桝谷は続けて発言する。
「彼女らが見た浅山千幸らしき女性は忠告をしているのではないか、というのが私の仮定だ。死してなお、ね」
「……そうかもしれないな。千幸ならやりそうだ」
と呟き、煙草を靴で踏みつけて消す。
それから新しい煙草に火を点け、もんわりと一息吐く。
彼らの頭上に白い煙が広がった頃、桝谷が語り出す。
「ということはやはり、先日の川瀬百合子の事件で事情聴取を受けた面々が疑われるのだが……」
そう言いつつ傍らの男に視線を送る。
不意に疑いの視線を向けられ、慌てた様子で反論の声を上げた。
「ち、違う!俺じゃない、出来っこないの知ってるだろ?」
「冗談さ。当然だが私でもない。だから他の二人である可能性を考慮しなければならないだろう」
桝谷の意見に首を傾げながら言う。
「けど、残りの二人って小野さんと斉木さんだろ。この二人に限ってあり得ないんじゃないか?」
顎を擦りながら桝谷は否定する。
「どうかな。存外、仕事仲間には明かしていない素顔があるかもしれないよ」
「うーん。難しいな、俺は常に自然体だから」
と言って肩を竦めた。
「君みたいな人も一定数はいるさ。しかし彼らも同じとは限らない、気を付けたまえよ」
桝谷の忠告を聞いてもなお、あまり納得していない様子。
「小野さんは虫も殺せないような人で、斉木さんは仕事のことしか頭にない人だ。三人も殺せるなんて思えないな」
そう言って深く煙草を吸う。白い煙が悠々と空へ伸びる。
一通り話し終えた頃、桝谷が懐中時計を取り出し呟く。
「さて、私はそろそろ帰るとするかな」
「そうかい。何か予定でも?」
煙草の煙を足で消しながら訊ね、立ち上がった桝谷を見上げた。
「晴雄の子供らが事務所で待っていてね。あまり長時間は出掛けられないのさ」
「最近の名探偵ってのは子守りもするのかい?」
茶化すような口振りに、桝谷は首を横に振る。
「とんでもない、私の優秀な助手たちさ。犯人捜しより宝探しの方が上手な」
そう言う口元は微かに笑っていた。
「へぇ、宝探し!探偵稼業も手広いなぁ!」
「勘違いしているようだが……まぁいいか。それではまた、何かあれば事務所に来ると良い」
その背を見送るように煙草を咥えたまま、陽気な声と共に手を振る。
「あぁ、生きてたらな!」
「縁起でもないことを……しかしまぁ、君はまだ死にそうにないがね」
と、呆れたように笑い振り向く桝谷。
彼の一言を聞き、目を輝かせて言う。
「おっと、お決まりのアレか?昔から変わらないなぁ!」
「そういうことさ。だから君とはまた今度、だ」
「私の考えが確かであれば、だが」
桝谷が呟くのに合わせ、浅山洸治も声を被せた。
束の間の静寂の後、笑いが起きる。
そうして悪戯っぽく笑い合う様に、彼らの少年時代が目に浮かぶ。
薄暗い路地裏に陽気な空気が流れ、二人はその場で別れて各々の時間に戻っていった。
不条理劇の探偵 柊 撫子 @nadsiko
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