サリー・コリンズの場合

一日目

 川瀬が劇場のロビーで殺害された翌日。

昨晩の事件で正面玄関からロビーは封鎖され、表道路に面しているせいで野次馬や記者がこれでもかと集まった。

 こんな日でも劇団員らは通常通り劇場に集まるよう告げられていたが、当然ながら応じることができない者も出てくる。小野みこもその一人だ。

 凄惨な殺人現場を見てしまった小野は精神的苦痛を受け、しばらくは療養を取ることにした。

しかし、回復したとしてもあの劇場に足を踏み入れれば、あの夕暮れに見た川瀬の遺体を思い出してしまうだろう。

気の弱い小野は恐ろしいトラウマを植え付けられてしまったのだ。役者として復帰することすら危ぶまれる。

 彼女以外にもこの一件をきっかけとして、劇場を去る者が出てきた。

立て続けに誰かが亡くなったり失踪したりするのを気味悪がる者、次は自分かもしれないと恐れる者などだ。

 そうして人数がぐんと減り、今日集まったのは役者三名と裏方五名に劇場関係者三名のみだった。

その全員が第二劇場の舞台前に集められ、新しく参入する役者を紹介されることになっている。

彼らの前には蒲笈と異国の女性が並び立っていた。

 集まった者たちを見て、蒲笈が口を開く。

「えぇーっと。今日はこれだけか、少ないねぇ。みんな気が小さいんだから」

そう言って軽薄な笑いを浮かべる。

蒲笈の人間性の低さは集まった彼らにはわかりきったことだが、彼の隣に立つ女性は怪訝そうな顔をしていた。

 周囲の反応などはお構いなしに、蒲笈は話し続ける。

「それじゃあ紹介するよ。こちらはサリー・コリンズさん、日本語を勉強してから来たそうだから言葉は通じるらしいよ。えっと、どこから来たんだっけ」

「イギリスから来たです。みなさん、よろしくお願いしますです」

そう言ってコリンズは集まった者たちに向け、はにかんだように微笑んだ。

一方で笑う余裕などない面々は軽く会釈だけ返すのだった。

 コリンズの紹介を終え、蒲笈が改まったように話を切り出す。

「というわけで、サリーさんに合わせて台本を少し変更することにしたから。斉木、修正した台本配って」

「はい」

と、短い返事の後、斉木が足元に置いていた段ボール箱から数冊の台本を取り出し

、その場にいる役者全員に手渡される。

 修正点は以下の通りだ。

物語の大まかな流れに変更はないが、男女関係と配役に変更が入った。

異国から来た女性に男性二人が一目惚れ、その内一人は婚約者がいるという設定に書き換えられている。

 それに伴い、主役を小野からコリンズに変更し、社長の婚約者役に佐々木が再び抜擢された。

主役を令嬢から一般女性に変えたことで、侍女役の存在を削除。実質、公演までに復帰の見込みがない小野を役から降ろした形になる。

 残り一週間を切っているというのに、今になって台本修正が入った上に配役変更。

この期に及んでまだ公演するつもりでいる蒲笈に対し、役者たちの不満は限界に達してしまう。

 彼らの不満を感じ取ろうともせず、蒲笈は語る。

「庶民の外国人女性が異国の令息や社長と恋に落ちる。現実的ではないけど、夢があって良いよね。女性を賭ける決闘の末に共倒れする男たちと、女性を恨み殺そうとした社長の婚約者が獄中で服毒自殺するのはそのままにしたよ。こんな感じで変えたからドラマチックな良い物語になったと思うんだよね」

うんうん、と誇らしげに頷くがそれに賛同する者はいない。寧ろその逆の状況なのだ。

 するとそこで役者側から挙手がある。高柳だ。

「高柳か。何か質問でもある?」

「あります。この舞台、公演日の延期はされないんですか?」

誰もが考えていたことを問い掛けた。

束の間の静寂が流れていくも、蒲笈は答えられない。

 蒲笈が返す言葉を無くしているところへ、高柳が追い打ちを掛ける。

「だっておかしいですよね、浅山さんが亡くなってからすぐ新しい公演を組むなんて。普通の劇団なら喪に服したり、彼女のファンに向けた別れの席を設ける筈ですよ」

淡々とした声で核心を突く。

 彼の話を聞き、数名が首を縦に振った。胸のどこかしらにつかえていた違和感を、高柳が言語化してくれているのだ。

 高柳はさらに勢いをつけて語る。

「それに昨日だって川瀬さんが何者かに殺された。立て続けに二度も人が亡くなった劇場で、一体誰が観劇するっていうんですか?」

彼の語る正論が刺さったのか、蒲笈は怒りに震えながら怒鳴り散らす。

「黙れ!お前に何が分かるっていうんだ!」

感情的な蒲笈とは真逆に、高柳は饒舌に語る。

「分かりません、特に蒲笈さんの考えることは理解すらできません。なので分かるように話してください。あと僕の質問にも答えてくださいよ」

「うるさいうるさい!いいからお前たちは黙って演じてれば良いんだ!所詮は使い捨ての駒なんだから!!」

そう言葉を吐き捨てて、蒲笈は足を踏み鳴らしながら第二劇場を出て行った。

立ち去る間際、暴言を喚き散らしていたようだが、感情的になるあまり上手く呂律が回っていない。

 蒲笈が立ち去り、残された者たちは互いに顔を見合わせた。

これからどうするべきか、誰が先導するべきか、視線で伝え合っているのだ。

 そんな中、一番扱いが難しいと思われているのがコリンズだろうか。

先ほど簡単に紹介された中で言葉は通じると聞いてはいるが、見た目が丸っきり自分らと異なる。どことなく受け入れ難さを感じているのだ。

その上、蒲笈の怒りを間近で見ておきながら、平然と立っていることに言い知れぬ異常さを感じていた。

 彼らが近寄り難く思っているとはつゆ知らず、コリンズは改まった口調で語り掛ける。

「みなさん、今日までとても大変だった聞きましたです。でもそれは神様がみなさんなら大丈夫だと思っていますから与えた試練です。だから心配しない、大丈夫です」

と、その場の全員を宥めるかのように微笑んだ。

 たどたどしい日本語ではあるが、彼女が伝えたいことはしっかりと全員に伝わった。

それと同時に、突然神の試練だ何だと語り出すコリンズに異質さを覚える。キリスト教の文化があまり根付いていないせいだ。

この場にいるほとんどがコリンズを異なる者、と無意識に差別していた。

 いつまでもここにいても意味がないと、佐々木が全員の前に出て指示を出す。

「とりあえずやるべきことをやりましょう。それぞれ持ち場に着いてちょうだい」

そして裏方や劇場側の従業員らは、それぞれの持ち場に向かって移動を始めた。

 舞台前には役者たちが残った。佐々木、高柳、名瀬、コリンズだ。

役者が全員揃い、それぞれがコリンズに自己紹介をする。

 各々の自己紹介を済ませたところで、佐々木が愚痴を吐き出す。

「それにしても、また配役変更する上に台本の修正って正気の沙汰じゃないわ。私たち役者を何だと思ってるのかしら」

「駒だと先ほど言ってましたね。まぁ、彼のような人にとってはその程度でしかないんでしょう」

と、名瀬が溜め息交じりに呟く。

 名瀬の呟きに対し、コリンズが疑問を投げ掛ける。

「こま、ってなにです?」

「駒というのはポーンのことですよ。コリンズさん」

 高柳の回答を聞き、コリンズは納得の表情を浮かべた。

「Pawn!わかりましたです、蒲笈さんは私たちに期待していますです」

「期待?何か勘違いしていませんか?」

コリンズの耳を疑う発言に、高柳が聞き返す。

 しかしコリンズは変わらず朗らかな表情をしている。

「PawnはPromotionできますです!私たちも同じです、できますです!」

要するにコリンズは、ポーンという駒の昇格というルールを仕事に例え、蒲笈が自分らに役者としての成長を期待していると勘違いをしたのだ。

 コリンズの勘違いを正す気にもなれず、戸惑いの表情を浮かべる面々。

確かに彼女は日本語が通じる。しかし、複雑な言葉の言い回しや日常会話に使われない単語には理解が足りないらしい。

 佐々木が溜め息を吐いたところで、大荷物を抱えた者たちが続々と第二劇場へやって来た。

彼らを誘導する作業着の男が役者らに向けて遠くから呼び掛ける。

「おーい!役者さんら、良ければ大道具の配置と照明の調節で、舞台に上がってくれないかー!」

作業着の男の呼び掛けを聞き、コリンズ以外の三人は互いに顔を見合わせて頷いた。

 男の呼び掛けに対し、高柳が代表して答える。

「わかりましたー!今からでもしましょうか!」

「そうしてくれると助かるー!」

と言って、大声と共に大きい身振りで手を振った。

 佐々木がコリンズに向き直り、丁寧な指示を出す。

「それじゃあ、私たちは先に裏方と打合せしてます。コリンズさんは控え室で台本読むこと。それが終わったらすぐにここへ来て、いいかしら?」

「はい、わかりましたです」

頷き答える。

 コリンズの不安になる言葉遣いも相まって、名瀬が訝し気に声を掛けた。

「控え室の場所はわかりますか?」

「わかりますです!この劇場に着きました後、斉木さんに案内されましたです」

「案内されているんですね。それなら大丈夫……ですかね」

そう言いながら他の二人に視線を送る。

「コリンズさんも子供じゃないし、一人で行けるでしょう」

と、高柳が尤もらしく語った。

「それじゃあ、また後で」

「はい!」

と元気の良い返事をし、第二劇場を出る。

 そのままの足取りでコリンズは控え室に向かって歩く。

彼女の顔や弾んだ足取りからは、任された役に対する熱意が強く感じられた。

他の劇団員たちが絶望的な状況だと捉えている中、彼女だけが成し遂げる気概でいるのだ。

 控え室に入り、誰もいない室内を興味深そうに眺めて回る。

横長に連なる化粧台も、立ち並ぶロッカーや衣装掛け。そのどれもが初めて見るものばかりらしく、部屋の端から端まで見るつもりのようだ。

 一通り見て回って満足したのか、達成感のある顔で控え室を見渡す。

そこでコリンズは自分がここに来た理由を思い出した。

「そうです、台本を読みに来ましたです!」

手にずっと台本を握っていたにも掛からわず、ここでようやく本来の目的に取り掛かった。

 コリンズは控え室の中央にある四人掛けのテーブルに着き、台本を開く。

彼女の台本には全ての漢字に振り仮名が記されており、彼女が演じる主役の台詞は以前とは全く別物に変えられている。

 どのように変更されたか知らないコリンズは、台本を書いてある通りに読み進めていく。と言っても、読む速度はあまり早くはない。

意味がわからない単語には持ち歩いているペンで印をつけ、後で他の役者らに聞くつもりのようだ。

 そうして台本を半分ほど読み終えた頃。

ふと、視線を感じてかコリンズは鏡を見た。

 そこには自分の背後に浅葱色のワンピースを着た女性が立っており、こちらを見つめていることに気づく。

見つめている、とは言っても白い女優帽を目深に被っているせいで、コリンズを見ていると断定はできない。

 それでもコリンズは視線の主の方を振り向きながら、にこやかに声を掛ける。

「こんにちは。あなたは誰です?」

コリンズが訊ねるも、目の前の人物は言葉を返さない。

相手の顔が見えないこともあり、コリンズ自身とても気まずそうにしている。

 無言のままでいる女性に意思疎通を試みようと、コリンズは椅子から立ち上がり彼女と向き合った。

 咳払いを一つしたあと、コリンズは自己紹介をする。

「私の名前はサリー・コリンズです。今日からこの劇団で役者始めましたです。あなたは?」

まるで直訳された言葉のような言い回しだが、彼女の顔は真剣そのものだ。

 しかしそれでも、目の前の女性は反応を示さない。

名乗りも返答もしなければ、帽子を取ろうともしなかった。

 次第にコリンズは目の前の女性の不躾な態度に対し、ふつふつと怒りを沸かせているようだ。

眉間に皺を寄せて規則的に足を踏み鳴らし、目の前の女性に圧を掛けている。

 すると、女性がようやく動きを見せた。

おもむろにポケットからマッチ箱を取り出したのだ。

 コリンズは母国で使っていた物と似た形だったのか、それがマッチ箱だとすぐに理解できた。

だが、何故彼女が無言のままマッチを取り出したのか、この状況も含めて全く理解できずにいる。

静寂に包まれた控え室でマッチを擦る音だけが主張していた。

 マッチに火がついた瞬間、爆発が起こる。

女性は爆発により身体の前面が吹き飛び、その肉体はぐしゃりと床に崩れ落ちた。

爆風で帽子が飛ばされ顔を露わにしたが、骨まで見えている顔面ではもはや誰かも分からない。

 コリンズは爆発の影響を受けなかったものの、放心状態から次第に状況を把握していく。

自分の手や服に何がついたのか。

その目で、感触で知ってしまってからは、顔が蒼白に絶望するまで早いものだ。

 飛び散る肉塊と血液を全身に浴び、コリンズは堪らず絶叫した。

震える手で頬に飛び散ったに触れ、その赤さにまた叫び声を上げる。

揺らぐ眼で自分の服などについた赤を落とそうとするも、全く落ちる気配がない。寧ろその色が広がっているようだ。

 化粧台の鏡に映る血みどろの自分を見て、両手で顔を覆いながら床に倒れ込む。

丸まった背中越しからくぐもった声で呟き続けるも、早口の支離滅裂な英語を聞く者はいない。

 けたたましい叫び声に駆けつけたのか、役者の三人が揃って押し掛けて来た。

「コリンズさん!大丈夫ですか!?」

しかし、控え室には特に異変はなく、コリンズが床にうずくまり顔を覆っているだけだ。

 迅速な対処が必要な危機的状況ではないと判断した名瀬は、蹲ったままのコリンズにゆっくりと声を掛けた。

「何があったんですか?」

「あ、あぁ、ひと!からだ!あああぁ……!!」

勢いよく起き上がり、近くに立っていた名瀬の腕を掴みながら叫ぶ。

叫びながら英語を捲し立てるも、その場の誰も聞き取れないでいた。

本人としては助けを求めているのだろうが、その姿がかえって狂気を感じさせているのだ。

 半狂乱になっているコリンズに引きながらも、名瀬は再び呼び掛ける。

「落ち着いてください。ゆっくり深呼吸して……」

その言葉に従い、コリンズは深呼吸を数回繰り返した。

程なくして、手の震えが治まったのを確認してから名瀬が冷静に訊ねる。

「もう一度聞きます、何があったんですか?」

彼の質問に対し、コリンズは震える声で語り出す。

「控え室にいました私、女の人見たです。その女の人はワンピースを着て、帽子を被って、顔を見せませんです」

要領を得ない状況説明は更に続く。

「私名前言いましたです、あの女の人は黙りましたです。黙りましたまま……マッチで火を……それから女の人はボンなりましたです。たくさんの血が私につきましたです」

そう言って怯えたように身体を縮こまらせた。

 彼女の状況説明を聞き、佐々木が呟く。

「ボンって、何のことかしら」

「もしかして……爆発のことでは?」

と、名瀬が閃いたように言う。

「でもこの部屋には血液一つ飛び散ってないですよ。コリンズさんに怪我はないみたいだし」

高柳が口を挟む。

 彼の言葉に反応してか、コリンズが大声を出す。

「いいえ、違いますです!私は血を浴びましたです!」

そう言って必死に何一つ汚れていない顔や服を強く擦ろうとした。

コリンズが見たあの爆発は現実には起こっていないのだが、彼女はそれを理解していない。

 現に、彼女の目の前に現れて爆発したとされる女性の肉体も、その欠片も、この部屋には何一つ残されていないのだ。

部屋におかしな点がない以上、三人からすれば半狂乱になっているコリンズだけが異常に見えている。

 佐々木は呆れたように溜め息を吐きながら言う。

「どうせ台本を読みながら居眠りして、変な夢でも見たんでしょう?」

「違いますです!私本当に―――!」

「はいはい。時間ないんだから早く来てくださいね、人騒がせさん」

コリンズの話を聞こうともせず、佐々木は吐き捨てるように言って控え室を出て行った。

 彼女の背を見送りつつ、高柳が声を掛ける。

「あそこまでは思ってないけど、落ち着いたら第二劇場に来てくださいね。時間がないのは本当なので」

それじゃあ、と高柳は控え室を出て行き、彼のすぐ後に名瀬が無言のまま続いた。

扉はゆっくりと締められ、刺さるような静寂に戻る。

 再び控え室に一人残されたコリンズは、床に手を着きながら呟く。

「見ましたです、本当です……女の人が」

彼女の必死な訴えは誰にも届かず、数粒の涙が床に落ちた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る