穏やかな青い風

 デスクの背面にある窓から座ったまま空を見つめる。遠くない場所で感情むき出しの曇天が低く垂れ下がっていた。デスクの整理を終えた僕はいよいよやることも無くなり、自然とあのマンションのことを考えていた。結衣は必ず今日救う。だがその上で自分の過去も変えることなんて出来るのだろうか?確かに二人とも生きられる未来に繋がればハッピーエンドではあるが、それだとあまりにも簡単に人の生死を操ってはいないだろうか?あのマンションには何百人もの人間が住んでいるのだ、全員が3回ずつ過去を変えられるとしたら、皆自分の運命と戦っているのだろうか。頭が痛くなってきた。そもそも宮本は、一体何者なんだ??やっぱり死神か??


「ゴホン、ゴホン。あのう...優太くん...?お暇なら少し手伝って頂けませんか?」トントン、と坂本が渋い顔をしながらボールペンで机を叩いている。

「............なあ、坂本。」

「うん?俺はお前と違って暇じゃあないぞ?」

「もしも坂本が余命一ヶ月だとしたら、どうやって過ごす?」

僕は何を聞いているんだろうか。

「はあ?.............あぁはいはい。オーケー。ちょっと待って本気で考えてやろう。」

坂本は腕を組んで目を閉じ、低い唸り声をあげ始めた。

坂本はこういう男だから嫌いになれないのだ。どんな馬鹿らしいことも一旦真面目に考え、自分の思っていることをちゃんと言う。簡単そうに見えて意外と難しい事だ。

坂本が考えている間、僕は再び外に目を移した。中学生らしき学生数人が石垣に座り込み楽しそうに話している。そう、僕もあの頃は毎日が楽しかった。学校へ行けば友達がいて、家に帰れば当然のように温かいご飯が待っている。学校や社会、そして家族が必ず守ってくれた。それ故将来に不安や心配などは無く、あの頃の僕は自分には必ず特別な才能がある、と信じて疑わなかった。そうやって若さだけを根拠に、「いつか何かが起きるだろう」とのうのうと歳を取ってゆき、当たり前のように就職活動を始めた頃のある時、僕は落雷のように悟ってしまった。あぁそうか、僕は結局なんの才能もない凡夫だったんだ。結局は、使われる側の人間、その他多勢にしかなれないんだな、と。目の前に無限に広がっていたはずの広大な海はいつしかただの水溜りへと変わっていた。結局僕は特にやりたい事も無く、ただ名前がそこそこ有名だから、一番最初に内定を貰ったから、という理由だけでこの会社に入社したのである。この会社に愛着なんて一ミリも無かった。それが今、僕の大切なものは結局全てこの会社の中にある。運命だと言うのなら、あまりにも単純だ。


「決めた。」と、坂本はニンマリと笑いながらこちらを向き直した。

「まずは好きな子に告白します。」「ふふっ」

「で、その子と死ぬまでイチャイチャする。」その答え、あながち予想どうりではあったが僕は好きだ。

「付き合える前提かよ。」僕はちらりと斜め向かい側のデスクにいる岡田に目をやった。重要な資料をせっせとファイリングしている。目が合うと、岡田はニコリと笑い、控えめに手を振った。

「あ...でも俺死んだ時にその子すっごく悲しんじゃうかもな。んーどうしよ。どうしよ。」

「..............。」

「ん、でもまあ一人ぼっちは嫌だわ!追悼パーティでも開くか!どうせならさ!」

坂本はヘラヘラっと笑いながら伸びをする。

「なんだそりゃ。」僕も流石に苦笑いした。

「んで、そんな事聞いてどうすんだ?え?もしかして死ぬ予定でもあんのか?」

「......................。」あるよ。5月25日。病気でね。

「僕の遺骨は海に撒いてくれ。」

「ふんっ..........縁起でもないこと言うなよ。」坂本が珍しく真剣な表情をした。隣の椅子にゆっくりと腰を掛け、僕の顔を見ながら続ける。

「優太....お前会社辞めて本当にどうするんだ?あんまりちゃんとは決まってないんだろ?全く、優太らしくねえよ。本当に........。」

「お?お?どうしたどうした、僕が居なくなるのがそんなに寂しいのか?」

「........当たり前だろ。入社してから今までずっと、一緒だったんだ。優太が居なくなると、やっぱつまんねぇよ.....。」坂本は僕じゃないどこか遠い景色を見ていた。

「ありがとな。」思いも寄らず僕の心には淋しい風がひゅう、と吹く。

「で、どーすんの?結衣ちゃんとは結婚する気あるんだろ?お前がニートじゃ親御さんは許してくれないぜ。」

結婚か、もちろん出来ることなら結衣としたい。しかしそれは生死を賭けたいくつもの関門をくぐり抜けた後の話であり、まだまだ先は長いだろう。

「ま、その辺の話はまた今度するよ。どうせ会うだろ?」

「んん...まぁな。」

時刻は17時を回っていた。結衣はそろそろ来るだろうか。


「優太...お前まさか本当に死んだりなんてしねぇよな?」

「…………………まさか。」

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夢見が丘ワンダーランドB St @tamabi-s

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