同居人 三


 声が辺りに響く。

 その途端、玉麗の周囲を取り囲んでいた野盗達の表情が変わった。

 目は泳ぎ、焦るような表情から、ハッと自分に出来ることは何かと考える顔付きへ。その眼差しは真っ直ぐ玉麗を見据えていた。


 声の主は最初に顔を見せた青年だ。よく見れば、帯刀しているのも彼だけである。

 つまるところ、刀を持ったあの青年が野盗の頭目なのだろう。


「やああぁっ!」

「! いや……後ろっ!」


 覚悟を決めたのか、鍬を持った男が声を上げながら玉麗へと走り出した。

 これを迎え撃とうと玉麗は構えるが、背後から棍棒を持つ男が、その手の物を振り下ろしてくる。玉麗はそれを前のめりに倒れながら回避し、裏拳の要領で男の手を殴りつけ、棍棒をその手から弾き飛ばす。

 そして、そのまま背中から倒れた玉麗は、振り下ろされた鍬を、刀を収めたままの鞘で鍔迫り合うように受け止めた。


「っ、いくらお前さんでも、女の力じゃ抜け出せんだろう! そのまま大人しく捕まってくれ!」

「……それはどうかな?」


 そう言って玉麗は口角を少し上げた。


 やや男の方に形勢が傾きつつも拮抗していた競り合いだったが、玉麗がその細腕に少し力を込めると、鍔迫り合っていた刀と鍬はみるみると持ち上がっていく。

 玉麗の腕が真っ直ぐに伸びるほど持ち上げられたソレは、一瞬だけ抜かれた力によって崩れ、直後、間欠泉のように突き上げられる事により跳ね上げられるのだった。


「そんな馬鹿な!?」


 男がたたらを踏んでいる間に起き上がった玉麗は、すぐさま体勢を立て直す。


獣人けものびとと力比べをするのは初めてか? 私たち獣人は、人間よりも身体能力が高い。その引き換えなのか七、八歳まで体が非常に弱いのだが……先程見せた膂力に加え、他にも――」


 玉麗がそこまで話していたところで邪魔が入った。

 青年が玉麗へと差し迫り、刀を振るったのだ。

 当然、これに対応すべく玉麗は刀を抜き放ち、彼の刀を迎え撃つ。

 ギリリ、と耳障りな音が鳴り響く。今度は先程のような紛い物でなく、正真正銘、本当の意味での鍔迫り合いだ。


「――人の話は最後まで聞けと教わらなかったか?」

「御託はいいっ! 要はアンタが冗談抜きで強いって話だろう!」


 青年が吠え、押し込みが強くなる。

 その力の源は怒りだろうか。それとも焦りなのだろうか。


「俺達はっ、他人を犠牲にしてでも取り戻すんだっ! ――ッ、あああッ!」

「――っ!」


 鍔迫り合いの勝敗は、上に跳ね上げられた玉麗の腕が物語っていた。


 先程口にしていた、人と獣人の身体能力の差をあっという間に覆された玉麗は、驚きに目を丸める。

 これが火事場の馬鹿力というモノなのだろうか。


 とかく、このままでは斬られてしまう。

捕らえると彼は言っていたのだから、もしかすると峰打ちを選択するのかもしれない。そうだとしても、いくら獣人の身が丈夫であっても骨をいくつかやられてしまうだろう。

 峰打ちなら大丈夫、など幻想・物語だけの話なのだから。

 であれば――


「フッ!」

「!? ――っか、ハ……ァっ」


 玉麗は、注意が疎かだった青年の腹に、蹴りを入れた。

 不意の一撃が効いたのだろう、青年は肺の空気を全部吐き出したのか、苦しそうに喘ぐ。

 その隙に玉麗は体制を立て直した。


「よくも勇作をッ!」


 すると、青年――勇作の敵討ちのつもりか、男が二人飛び掛かってくる。

 一人は長い棒を、もう一人は徒手空拳だ。近接格闘に持ち込むつもりだろうか。


 ――この二人相手にどう立ち回る?


 玉麗は考えていた。


 棒持ちを相手していれば、もう一人が掴みかかってくるだろう。

両手が自由であれば変わっていたかもしれないが、生憎と玉麗は刀を片手で振り回せるほど習熟していない。それに、下手な扱いをして、取り返しのつかない事態に陥るのは下策も下策。殺しはしないと決めたのだ。

 ならば刀を棄て、こちらも無手で相手取るか? だが、玉麗は格闘術に精通している訳ではない。あの男がどれほどの使い手か判別がつかない今、相手の土俵に上がるのは危険だろう。


 しかし、長々と考える時間など与えられる筈もない。


「せやッ!」

「――ッ」


 疾く、真直ぐに棒が突き出される。

 これを玉麗は片腕で受け流すように弾き、いなした。

ゴリゴリと、棒の擦れる感覚と音が籠手から伝わってくる。


 ――そうだ、これを使えば……。


 玉麗は思いつくや否や、刀を逆手に持ち直し、鞘へと納めた。

 手ぶらになった玉麗は伸ばされた棒を掴み取り、そして――


「フッ――」


 一瞬息を吐き、力を込めた玉麗は男ごと棒を力任せに振るった。


「うおおッ!?」


 棒を持っていた男は、突然のことに驚き手を放し、そのまま飛んでいく。まるで喜劇だ。

 そんな彼を後目に、素手の男が駆けてくる。


 折角手に入れた長い武器、相手を近づけさせない為に使わずして如何する。

 一度、二度、三度と玉麗は連続して突きを放つ。

 しかし、これを悉く回避され、男と玉麗の距離はどんどん詰まっていく。

 だが、繰り返した突きはただの餌だ。


 玉麗は添えていただけの左手を軸に棒を回転させ、水の溜まった鹿威しの如く、切っ先を男の頭目掛けて振り落す。


 確かに感じる殴った感触。玉麗は『獲った』と思った。

 だが、男は腕を交差し頭への直撃を防いでいた。


「……ッぐ」


 それでも痛覚の存在を無視することは出来ないのだろう。男は腕に走る激痛を必死に堪えているのか、苦しそうに呻いている。

 もう一撃与えれば、この男を無力化出来る。

 そう思い、構え直す玉麗だったが、左から先程力比べをした鍬持ちの男が、もう一戦と言わんばかりに飛び込んでくる。

 構えられた鍬をよく見れば、刃は三叉に分かれていた。

 であれば……今、長い棒を持っている玉麗にとってこれ程、御しやすい相手はそうそういるまい。


 振り下ろされる鍬の刃へ、真正面から打ち合うように玉麗は棒を突き出した。

 すると、棒は寸分の狂いも無く、すぽりと刃の叉へと差し込まれる。

 刃の間に引っ掛かればそれでよい、そう思っていた玉麗もコレには驚いた。綺麗に噛み合うとは、何と気分の良いことか。


「え――オゲェッ!?」


 そして、弧を描くように鍬と棒を地面へ叩き落とした玉麗は、それを支えに相手の顔へ飛び蹴りを叩き込んだ。男は顔を酷く歪ませながら、蹴鞠のように飛んでいく。

 上手くいったと、したり顔で着地する玉麗だったが、その隙を狙うように痛みから回復した徒手空拳の男が背後から飛び掛かる。

このままだと掴まれるやもしれない。玉麗でも流石に羽交い絞めなどされれば、簡単に抜け出すことは出来ないだろう。


 玉麗は鍬に嵌まっていた棒の先を、踵を使って蹴り出すように外す。そして、そのままの勢いで彼の顎を打ち抜いた。その衝撃で脳震盪でも起こしたのだろう、男は千鳥足で数歩後退し、転げるように倒れる。


 棒一つでこうも上手くいくとは。まるで気分は斉天大聖だ。狐だが。


 そんな時だった。

 玉麗の耳にグ――と張り詰めた音が入る。

 直後、緊張が弾ける音と風を裂くような音が聞こえた。


 玉麗は、すぐさま棒を回転させながら、音の聞こえた方角に振り向く。

 すると、回転させた棒に何かが弾かれた。矢だ。


「そんな馬鹿なッ!」


 ありえないという表情を浮かべながら、勇作が叫ぶ。

 恐らく彼の指示なのだろう。


「……先程の話の続きとなるが、私たち獣人の身体能力の高さは何も膂力だけではない。聴力や視力も、人間と違って高い。故に、私には弓が絞られた音も、矢が風を切る音も聞こえたから対応出来た。もちろん、ここから矢を放った者の姿も――」


 言葉の続きを玉麗は紡ぐことが出来なかった。

 飛来した矢の先、放った人物を見たからだ。

 そこには――


「そうか、点が結ばれてきたぞ……」


 麓の村で団子を売っていた店主が、弓を携えていたのだ。


 玉麗が違和感を覚えた店主の言葉、その正体も今ならば分かる。

『三日前、男が野盗に札のようなモノを売っていた』そう店主は言っていたが、そもそも姿と口にしていたではないか。

 では何故、男の相手が野盗だと店主は断言出来たのか? 答えは簡単だ。

 店主がその場にいたからだ――野盗として。


 だが、姿を見られていないからと言って、野盗が村で居を構え、のうのうと団子を売れるものだろうか? きっと逆なのだろう。野盗が村人になったのではなく、村人が野盗になったのだ。おそらく勇作達も同じと思える。

 だが何故、彼らは村の生活を捨て野盗になったのか。その手掛かりは勇作が言っていた『他人を犠牲にしてでも取り戻したいモノ』にあるのだろう。

 確信があるわけではないが、それはきっと――


「――っ!」


 飛来する矢を咄嗟に回避した玉麗は、またやってしまったと言わんばかりに苦笑し頬を掻く。


「この考え込んでしまう癖をどうにかしなければな……」


 周りの野盗、そして弓を構える店主に玉麗が注意を向けた時だった。


「おい! たかだか女一人になに手こずってやがる! そんなだからテメェらはクズなんだよ!」


 粗野な怒声が勇作の後ろ、横穴の奥から響いてくる。


「丞善さん――ガッ!?」

「丞善様だろうが! 口の利き方に気ィ付けろクソガキが!」

「すみま、せん……丞善様……」

「――チッ」


 勇作を足蹴にし、荒々しく足音を鳴らしながら現れたのは、まさに悪人といった風貌の男。今の流れで、勇作よりも立場が上なのは一目瞭然だ。彼が本当の頭目なのだろう。

 ……だが、彼の纏う衣服に問題があった。

 左前面に二重線の走る黒い長袖の軍服、その上から通した青い羽織大袖、腰の赤い帯革には軍刀が提げられている。

 酷く汚れ、あちこちが解れているがこの格好は紛れもなく……。


「丞善、と言ったな。何故、貴方が検非違使の……それも警察形の制服を着ている?」

「あ?」


 だらしなく口を開けたまま反応を返す丞善。

こんな男が、市井の人々を守る高潔な検非違使だと信じたくない。


「そりゃあ、俺が検非違使だからに決まってンだろ。見て分かんねぇのかよ、あ?」

「そう、か……」


 玉麗の願い空しく、丞善は自身が正義だと言わんばかりに憚る。


「……いや、ンなこたァどうでもいいんだよ。テメェら、女一人も満足に捕まえらんねぇのか?」

「か、彼女はとんでもなく強いんですよ……! とても俺達じゃ――」

「それは、テメェらが手段を選んでるからだろうが。俺が何のためにアレを買ったか分からねぇのか? なァ――」

「それは……」


 丞善が勇作の肩に手を置き、何かを囁いている。

 きっと、それは彼らが必死に取り戻そうとしているモノに関わる事だろう。

 やがて、話し終えたのだろう丞善が勇作から離れると、勇作の瞳には暗い覚悟の色が浮かんでいた。


 厄介なことになりそうだ……。

 玉麗にはそんな予感があった。


「……蔵之助さん、頼みます!」


 勇作がそう言った直後、ヒュ、という音が耳に入る。矢が真直ぐに飛ぶ音だ。

 玉麗はこれを横へ飛ぶように回避する。

 だが、着地した瞬間を狙うように、刀を構えた勇作が駆けてきた。

 玉麗は不安定な体勢のまま、コレを迎え撃たねばならない。


「くっ――」


 それでも、玉麗には優れた身体能力がある。

 地に突き立てた棒を支えに、玉麗は側転。迫る勇作へと叩き落とすように棒を繰り出した。

 しかし――


「邪魔だッ!」


 勇作は物怖じせず、棒を殴りつけるように斬り落とす。

 だが、そんな事は予想していた。

玉麗は短くなった棒を捨て、勇作へ接近する。

しかし、先程の気迫と打って変わって勇作はその場から飛び退いた。

 それが意味するのは……。


 勇作の更に後方の草薮、その陰からチラと光が見えた。

 瞬間、ソレは放たれる。


 ――射線へと誘われたかっ!


 玉麗は咄嗟に身を捩じらせる。

 真直ぐに伸びた鏃は、玉麗の腹を掠め飛んでいった。

 間一髪といったところだが、これで終わりではないだろう。

 まさか、……。


 直後、玉麗の後方からパンッと弦が弾ける音が鳴る。

 だが、来るのが分かっていれば恐れるモノでもない。


「――ッ!」


 玉麗は刀に手を掛け、居合術の要領で振り向きざまに抜刀。

 見事、玉麗は迫りくる矢を斬り飛ばすのだった。

 しかし、それはあちら側も読んでいたのだろう、勇作が突撃してくる。


 鍔迫り合い、直後にその場を離れ、どちらからともなく攻撃を繰り出す。

 だが、攻めているのは勇作だけだ。玉麗はそれに合わせるように刀を振るうだけ。

 何故なのか? 考えるまでもない。

彼らは、ただ事情によって止む無く野盗にさせられた、無辜の民なのだ。簡単に傷つけてよい存在ではない。


 だが、どうすればこの状況を打開できるのか、玉麗はそう考えるが一向に答えは見つからない。

 結果、舞踏のように相手に合わせるしか出来ないのだ。


 飛んでくる矢を回避し、勇作の刀と打ち合う。

 いい加減、疲れて来ようものを、勇作は気迫を持って誤魔化し迫ってくる。

 まるで修羅道の住民だ。


 もう幾度目か忘れてしまった程に打ち合う――その瞬間だった。


 ――アアゥ……ンンアァ……


 玉麗の耳に声が届いた。

 この声は……。


「……稚児ややこ?」


 この場に似つかわしくない存在に、玉麗は思わず手を止めてしまう。


「っ、今だッ!」

「しまっ――」


 勇作に隙を見せてしまった。

 玉麗の虚を衝いた勇作の手には、禍々しい気配を纏う札がある。

 検めずとも理解わかる、それは『あの男』の手による物だと――!


 抵抗は――間に合わない!

 札が、玉麗に張り付けられてしまった。

 刹那――


「グッ、が――アアアアアアアアァァァッッッ!?」


 身を引き裂かれたと感じるほどの激痛。

 それだけではない。心を、魂を潰し砕かされたような惨痛が、苦艱が玉麗の精神そのものを蝕んでいく。


 恐怖を、悲嘆を、憎悪を、絶望を――

 歩んできた生で抱いてきた悪感情、その全てが想起されては刃となって玉麗を斬り付けていった。


「あ……カ、ぁ……」


 それほどのものに人間が、玉麗が耐えられる筈がなく……。

 薄れゆく意識の中、玉麗は、赤黒に塗れた闇の奥底で怨嗟を撒く少年の姿を垣間見たような気がしたのだった。


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ことほぎの呪詛 平月るな @HiratukiRuna

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