【試し読み】玉響にふる夢 ~春の陽ざしに解き放て~

芝迅みずき

1ー1

 四月六日の夜、小島こじまひとみは明日の準備をしながら、ぼんやりと夕方の出来事を思い出していた。

 中学校の入学式を翌日に控えた今日、瞳は近所の神社をもうでた。

ふじうら神社」と言うその神社は、瞳の家から歩いて十分あるかないかの場所にある。住宅街のど真ん中にぽつんとある、小高い丘の頂上に建っていた。丘は、鎮守ちんじゅもりよろしく木々におおわれて、規模は大きくはないが、昔から地域に根付いている神社だった。

 その神社で、明日から迎える新生活への無事を祈った瞳は、拝殿はいでんに背を向けた。帰路にはつかず、神社の奥まったほうへと足を向ける。普段から人が訪れることが少ないと思われる場所に来て、瞳は立ち止まった。敷地内の開けた場所だ。瞳は一つ大きく息を吸い込むと、上空を見上げる。

 若草色の瑞々しい葉が芽吹き始めた大木――この神社の御神木だった。人一人では抱えられない太い幹には、注連縄しめなわが掛っている。樹齢は二百年を優に越えるはずだ。

 瞳はそっとその幹に触れる。ざらざらとした皮を撫でながら、また頭上を振り仰いだ。春の強い風が、木々の葉を揺らしていく。その音は、まるで大雨が降ったようだった。

 瞳は風が止むまでの間、思わず息を詰めていた。風が止み、あたりの音が静まると、息を吐き出す。昔から、なぜか強い雨音、またはそれに似た音が苦手だった。

 すると、また不意にあたりがざわめき始める。ぴりぴりと空気が緊張で震えているようだった。

 不審に思った矢先、瞳に向かって突風が吹き付けた。まるで御神木の中から吹いてくるようである。手が触れる幹の下から大きく膨れ上がり、そのまま瞳の中を通り過ぎ、き乱すように駆け抜けていった。急に一人、暴風雨の中に放り出されたようだ。

 瞳は風に煽られまいと、必死で足を踏ん張っていたが、突然頭に鋭い痛みが走った。思わず身体を強張らせる。痛みはほんの一瞬で引いていった。しかし、その一瞬の隙をつかれて、風に押される。後ずさったかかとが木の根に引っ掛かり、バランスを崩した。

「あっ!」

 瞳は次に来る衝撃に身構えて、思わずまぶたを固くつぶった。後ろに倒れていくのを風が助長する。

 行き場を失い、空を切るしかない瞳の手を、不意に誰かが掴んだ。重力に任せるしかなかった体が止まり、一度ためがあると、強い力で上に引き上げられた。

 瞳は、前につんのめるようにたたらを踏みながらも立ち直った。危なく相手に頭突きをしそうになるのを、なんとか堪える。手を掴まれていた感覚が消える。そろそろと目を開けた。見知らぬ誰かの運動靴が見えた。男物だ。サイズが大きい。

 そのまま上へと辿るように視線を滑らせていく。黒に白のラインの入ったトレーニングパンツだ。

 さらに見上げていけば、臙脂えんじ色に灰色の重ね着風の長袖Tシャツを着ていて、瞳が真正面を向いた時、視線は丁度相手の鎖骨当たりだった。

 また見上げていく。相手の顔を見た時、瞳は瞬きをした。予想される身長や体格から成人男性を想像していた。実際、身長は瞳より頭一つ分は高いだろう。しかし、視線の先にあった顔付きは、瞳とたいして変わらない年頃に見えた。

 真っ黒な絹糸のように綺麗な髪だった。同い年の男子と比べ、全体的に少し長めだ。多少くせがあるのか、所々外はねをしている。前髪の間からのぞく目は吊り気味で、仏頂面も相まって少しきつめな印象を受ける。黒曜石のような黒い目は吸い込まれそうな、不思議な雰囲気があった。睫毛も長く、全体的に整った顔立ちだ。

「……なんだ」

 まじまじと見詰められて気分を害したのか、少年は眉間にしわを寄せた。発された声は抑揚よくようが乏しく、声変わりを終えた低い声だった。

「えっ!? えっと、あの……っ」

 思わずじっくりと、少年を見ていたことに気付く。見惚みとれていたなどとは言えず、しどろもどろになりながら、ようやく言うべきことを思い出す。

「あっ! え、えっと! あ、ありがとうございましたっ!!」

 あたふたと慌てて頭を下げると、少年は虚を突かれたように目をみはった。息をむ音がする。あからさまに困惑しているようだった。瞳は頭を上げ、そんな少年の反応に首を傾げる。

「どうか、しましたか?」

「……いや、……別に……」

 少年は相変わらず抑揚に欠けた声音で、詰まるように喋った。視線が泳いでいる。

 その時、またふいにざざっと木の葉が風に揺れてざわめく。

 瞳はおもむろに御神木を仰ぎ見る。今はすっかり消えた頭痛を思い出し、こめかみを押さえながらぽつりと呟いた。

「……なんだったんだろう、さっきの突風……」

「突風……?」

「え?」

 怪訝けげんそうな声が返ってきたので、瞳は思わず声の主を見上げた。少年の顔は、険しそうに御神木を睨んでいる。

「あの……」

 瞳は恐る恐る声を掛ける。すると少年は急にきっと瞳をにらんできた。

「ここは足場が悪い。足元には気を付けろ」

「あ、すみません……」

 思わず殊勝しゅしょうに謝る瞳の声に被せるように、少年は「それに」と続けた。

「ここはふもとより暗くなるのが早い。あんたは引き寄せやすそうだ。さっさと帰れ」

「なっ、帰れって……っ!」

 少年の言い方が気に入らず、瞳は思わず言い返そうとした。

 その時、ざっと音を立てるように急に周囲が暗くなった。それに意もせずぞっとする。単純に太陽が雲に隠れただけなのかもしれないが。

「……わかりました」

 薄ら寒い感覚を味わってしまったので、瞳は大人しく少年の言葉に従うことにする。もう一度少年に頭を下げて、瞳は御神木を後にした。

「うーん…」

 準備を終えた瞳は、腕を組んで考え込む。

 同じ年頃に見えたが、学校では見たことがなかった。あれだけの高身長だと目立つはずだ。と言うことは、隣の学校の生徒だろうか。中学校は隣の小学校の生徒と一緒になる。だとしたら、明日会えることが出来るだろうか。

 なんとなく、彼のことが気になってしまっていた。

「……そう言えば」

 瞳はふと、帰り際に言われた言葉を思い出した。

 ――あんたは引き寄せやすそうだ。

 あの会話の流れで、不自然に入り込んできたあの台詞。あの時は、少年の言い方に気が行ってしまい流してしまったが、話の脈絡としてはおかしい。

「引き寄せやすいって……何を?」

 明日会うことが出来たら訊いてみようと、瞳は決めた。

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