人も人なれ

 夏の終わり、高い日に目が焼かれる。晴安は、隣に連れた銃夜をその日差しから守るように、その身に寄せた。

 ギシリ、と縁側の板を踏む。


「安倍家当主、安倍晴安。参上いたしました」


 真夏向けに張り替えられたばかりの障子の前で、晴安は静かにそう言った。女中の一人が、目の前の障子をずらし、室内の涼し気な空気を浴びせる。


「少しお早いご到着でしたね。お入りなさい。外気は暑くてかないません」


 部屋の奥で、風鈴のような透き通った声が響いた。畳の上で、似た雰囲気の少年を傍に座らせ、一人の女が銃夜を見ていた。

 青く光る、鋭い目。その清涼な雰囲気と、整った顔立ちは、美しいながらも愛らしさを含んでいるように見えた。

 隣にいる少年は、その女とは血縁なのか、あまりにも似ていた。涼し気な白い長髪、青みがかった紫の瞳。しかし、その輪郭の一部に、ある二人を重ねる。

 少年は、一夜と一夕に、少なからず似ていた。齢も同程度に予想される。


「銃夜」


 銃夜がボーっとしていると、晴安が一歩、畳に入り込んだ。銃夜はそれに倣って畳を踏む。スッと体温が下がるのが分かった。引きつく布地を引っ張りながら、銃夜は、晴から習った正座をして見せる。


「ひかり、璃子」

「「はい、百子様」」


 パンパンと女が手を叩いた。障子の裏に控えていた女中の二人が、足音も無く晴安と銃夜の背後を取る。


「お二人にお飲み物を……子供が二人もいるので、甘い茶菓子も忘れずに」


 女は女中に指示すると、隣の少年に目配せした。少年はいつの間にやら正座していた足を崩しており、その目線はトロンと銃夜を見つめている。


「……細好ささらえ、きちんとしなさい。此処で一番偉いのは貴方なのですよ」


 少年は、びくりと肩を震わせると、急いで足を元に戻す。少しだけ乱れた着物を、女が細かく直していく。その様子は、正に母子のそれであった。


「初めまして、でしょうかね」


 銃夜から目を離したまま、女が言った。少年の身体を正すと、女は共に目線を移動させた。その伏目に長く白い睫毛が輝く。その様子はまるで、こちらを睨む雌獅子だった。


「私は千宮百子。千宮家を統括する千宮本家の当主たる千宮細好の母であり……幼いこの子に替わって、千宮を治める当主代行です」


 凛と気品のある百子の口から、言葉が溢れる。細好、という言葉と共に、少年がぺこりと頭を下げる。部屋にいる誰よりも胸を張っている彼女は、誰にも口を開く機会を与えずに、続けた。


「この度のミシャクジサマの化身との邂逅、見事なものだったと聞いています。何も知らぬまま、あの危険性が高い神から逃げ仰せた上、その力の一部を取り込んでいるとは。その大宮分家、鋸身屋の名と血に恥じぬというもの」


 その名と血の意味を、銃夜は千翅から理解していた。確かに、素晴らしい事なのだろう。だが、もう一つの記憶が、この百子の言葉を濁らせる。


 もとはと言えば、貴女が、生贄に、するなどと少しでも考えたから。


 そうだったろう、と、口が滑りかけて、下唇を噛んだ。


「そして、貴方は大変優良な希少血症と聞いています。きっと、鋸身屋を継ぐのは貴方なのでしょうね」


 彼女はそう言って、一つ、息を吐いた。障子が開く音がして、女中が戻る。うち一人の持つ盆には氷の浮かんだ香り高い玉露が二つと、瓶に入ったオレンジジュース、そして二つの氷の敷き詰められたコップが乗っていた。もう一人の方には、生クリームだけをふんだんに包んだロールケーキが人数分用意されていた。

 それぞれが、それぞれの前に置かれていく。銃夜の前には氷の入ったコップとロールケーキが置かれた。女中の一人が、コップにジュースを注いでいく。


「……私の甘味は出さなくて良いと言っているのに……溶ける前にお食べなさい。毒も何も入ってはいないのですから」


 勿体ない、と、一つ呟いて、眉間に皺を寄せた百子はケーキの欠片を口に運んだ。


「それで、百子様」


 以外にも大きく頬張る百子に対し、全く手を付けない晴安が、いつもとは異なる、どうも違和感のある笑みで行った。


「別に、そないな世間話するためだけに呼んだのちゃうやろう。本題、教えてくれまへんか」


 その言葉を聞いた百子は、手を止めて、再び背を正した。


「えぇ、そうですね。そろそろ貴方も足がきつくなって来た頃でしょうし、お話を進めましょう」


 百子は冷たい表情のまま、喉を鳴らす。冷えた玉露を一口喉に通すと、再び口を開いた。


「大宮銃夜、貴方には確実に鋸身屋の当主となって頂きます。その為に私達千宮家が中心となり、宮家の大半――――そして、裸女と樒をはじめとした毒花がお助けいたしましょう」


 袖で口を押えて、彼女は笑う。だがその眼は狡猾に銃夜を見ていた。本心から助けてやろうなどとは思っていない。千翅がざわつく。恐怖と、心苦しさが、共鳴する。

 銃夜が手を震わせていると、そっと、その手を晴安が握った。


「……お言葉どすけど、百子様。そら、つまり」


 静かに、晴安は息を整える。彼の手もまた、震えていた。


「そら、銃夜に兄達を殺せちゅうこっとすか」


 死、殺意、そういった単語が頭に浮かんだ。自分の鏡面、自分を虐げた者。それらの死。それが、当主になるということらしい。


「……我々の方で生贄に供するということも出来ないことはありませんが。だけれど、それでは正統性が示せないでしょう。科夜の方は私の方で処理しても良いのですが……勿論、双子の方については何が何でも銃夜に殺していただきます」


 百子はさも当たり前のように、つらつらと言葉を並べた。


「だって、そうでなければ、支族に示しがつきませんからね」


 彼女はそう言って、最後の欠片を口に放りこんだ。ケーキはもう無い。隣では、話しを聞いていたのか聞いていないのか、きょとんとした顔で、少年が口にべったりとクリームをつけていた。


「……あの、俺が……俺が、当主にならないで、その、兄さん達を当主にして、俺が皆で支えるって言うのは、出来ないんですか」


 ぎゅっと喉を絞って、銃夜は声を上げた。何も喉を通らない。甘く芳醇な香りを漂わせるオレンジジュースも、氷で薄まっている。


「それは出来ません。貴方は宮家なのですから」


 躊躇もなく、淡々と、百子は言った。その冷徹な口を動かしながら、胸元から取り出した紙で、細好の口を拭く。仲睦まじい母子の様子を見て、銃夜は口を閉じた。


「私とこの子のように、貴方は『宮』の字を持つ宮家。私達と貴方とでは、本家と分家の大きな差はあるとはいえ、貴方が身を寄せている安倍家などとは格が全く異なります」


 安倍、と呼ばれた晴安が、ぎゅっと銃夜の手を握る。それを、銃夜も握り返した。千翅からの記憶で、感じてはいた。その違い、その重さ。それらは、今半分くらいの実感を伴って、銃夜を襲っていた。


「特に、貴方の属する鋸身屋は、贄を排出するために、その血の質を維持することも役目。希少で高等な血を持つ貴方が生き残らないなど、言語道断です。本来であれば、今すぐにでも亥島に戻り、兄達を殺すべきでしょう」


 百子は続ける。その心の無い言葉を、銃夜に向かって、晴安など目に無いように、ただ垂れ流し続けた。


「それとも、自分や宮家とは全く関係の無い『一般市民』を殺し、贄として提供し続けでも、するのですか」


 百子のその語調に、力が籠る。妙な言葉選びだった。まるで、怒りや情を含むような、言葉。苦虫を潰した様な顔だった。先程の涼し気な顔が、消え失せている。

 もしかして、と銃夜は口を開いた。彼女は、もしかしたら、本当は。


「……生贄を、出さない方法を、探してはいけないんですか。俺も、兄達も、誰も、死なせない方法を、俺達で探して、それで、皆、一緒に、生きてはいけませんか」


 これは私情だ。神に奪われた二人銃夜と扇羽の意志が、共鳴した。


「神を皆殺しにしては、いけないんですか」


 二人の口から溢れたのは、獣のような、本能だった。

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覚える夢の篝火を持て 神取直樹 @twinsonhutago

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