花も花なれ
朝日が顔に当たる。誰かが、襖を開けたようだった。
「銃夜、ほら起きて」
顔をツンツンと突くのは、晴である。ぱちりと目を開けて、微笑む彼女の顔を見た。昨晩のことで多少、彼女にも疲れが見えている。重くも無ければ軽くもない体を持ち上げて、銃夜は、おはよう、とだけ呟いた。
「おはようさん。もう朝ご飯出来てるよ。皆も起きてるから、早う着替えてね」
朝餉の香りが、全身を震わせる。晴の言葉を飲み込んで、銃夜は先日買ってもらったワイシャツに腕を通した。試着を経て購入したそれは銃夜にぴったりで、思わず姿見で自分の姿を見てしまう。
切りそろえた黒髪は、変わらず艶めいていて、少しだけ前髪が伸び始めている。その隙間から見える瞳は、あの一夜という少年に似て、赤い鬼灯のような瞳をしていた。影の中にいる千翅の瞳は、金に煌めいて、銃夜をにこやかに見守っている。
「お前も起きたか。お前が眠いと俺も眠いんだ。しゃっきりしてくれよ」
クスクスと銃夜は笑う。千翅もより一層、明るく翅の音を立てた。ちらりと襖の隙間から、晴安の式神である斑が顔を覗かせる。早くしろと言っているのだろう。彼はカリカリと畳を掻いて、銃夜を呼んだ。
斑に着いて行く形で、少し騒がしい食卓へ向かう。いつもの家族だけでなく、もう二人ほど、人の声が増えている。
「晴嵐、龍ノ介、来てたのか」
朝の挨拶も無しに、銃夜はそう言って、食卓に顔を覗かせた。座っている皆が、銃夜を見る。
「銃夜」
少し窘めるような強い口調で、晴朝が銃夜を呼びつける。座れ、と後に言葉が続くのだろう。銃夜は少しだけしゅんと背を縮こませながら、晴安の隣を陣取った。
「おはよう銃夜。よう眠れたか」
「うん、それなりには。千翅はまだ眠いみたいだ。昨日結構ずっと飛び回ってたし」
実のところ、銃夜達は眠ってなどいない。千翅達が飛び回るには、銃夜の意識が接続されていることが必須であり、銃夜は自分の一部を一晩中操り続けていたと言っても過言ではなかった。だがそれでも、二人の意識はハッキリと覚醒していた。
「式神が動いていると、あまり疲れが取れないだろう。千翅、主人の為にも少し勝手な動きを控えろ」
銃夜に接するのと同じように、晴朝は言った。暫く彼と過ごしていて感じてはいたが、どうやら彼は式神やその他の異形達も、人と変わらずに言葉をかけるらしい。おそらくは晴安のそれと同じなのだろう。
「群体で動く式神と、一個体の式神じゃ、少し機構がちゃうらしいからなあ」
わしわしと銃夜の頭を撫でる晴安の手は、少し大きく感じられた。凡そ、この晴安にはバレているような気がする。ずっと、全てをわかっていて黙っているような気さえした。どうもこの糸目の奥にある、大宮家本来の赤い瞳が、誰よりも遠くを見定めているように見える。
聞いた話では、安倍晴安というこの一人の大宮支族の男は、毒花たる君影家の血を引いているらしかった。君影家というのは、樒家などと並ぶ宮家の仕え人を輩出する一門で、千里眼という特殊な能力を持つことがあるらしい。それは不確定な未来を複数見ることが出来たり、過去を見たり、果ては全ての真実を見定める者もいるという。晴安がどの辺りに位置する千里眼を持っているのかは聞いたことが無かったが、銃夜と千翅の繋がりについて、何も言わずとも良いと言ったことから、過去やその人間の言いたいこと程度はわかるのかもしれない。
銃夜はそれに甘んじるように、薄っすらと笑みを浮かべて、目の前にある箸を掴んだ。その手は何年も躾けられたように綺麗な形の手だった。
朝ご飯を食べ終わってから、すぐに外に出る用意をする。大人達はいそいそと妙に豪勢な箱を包んだり、銃夜達の姿を整えていた。
「同じ宮家の子供に会いに行くだけで何でこんなに準備しないといけないんだろうな」
銃夜が疑問を呈すると、晴嵐が隣で襟を正しつつ言った。
「馬鹿言え。同じ宮家だからだよ。宮家は絶対的な縦社会だし、チビで母親の言いなりとは言え、各家の本家の当主は宮家の頂点の一人だ」
成程、と銃夜は零す。ふと、また千翅と共に一つの言葉が出た。
「そういえば、昨日来た二人も大宮家の本家の子供だって言ってたな。白露神社に泊ってるって」
「……それ、本当か? 名前は?」
「えっと、大宮一夜と大宮一夕。二人とも凄く強そうだった」
銃夜があっけらかんとそう言っていると、青ざめた晴嵐がパクパクと口を動かす。晴嵐は銃夜の少し乱れた襟袖を無理やり直すと、顔を両の手で挟み、目を合わせる。
「そいつらは次期大宮本家の当主だ! 父親は史上最高と謳われる樒の最高位、母親は神獣のいとし子! 姉に至っては既に幾つもの禁呪を単独成功させてる噂があるんだぞ! そんなのに顔を合わせる可能性があるならもっとしゃっきりしろ! 千翅も本能で動くなよ! 少しでも機嫌を損ねたらどうなるか!」
そう言われてもと、銃夜は晴嵐の手を降ろさせた。黙っている千翅を見て、何となく晴嵐の言っていることは本当であり、注意しなければいけないのだということはわかった。近くの塀で佇んでいる葛木が、ハア、と溜息を吐いた。
「それよりも一番怖いのは千宮の百子様じゃないの?」
人らしからぬ口元を隠す様につけたマスクで、声がくぐもっているが、葛木はそう言って二人に近寄った。
「若当主として一人息子の細好様がいて、銃夜は今日はそっちと謁見ってことにはなってるけど、実質的な権限は全部母親の百子様の方にあるんでしょ。樒家の方で話を聞いたところだと、鋸身屋の現当主代理が百子様に擦り寄って、銃夜を京都に寄越したって話だし、今日気を付けるべきはそっちじゃない? また何か儀式の生贄にしようって言うかもよ」
葛木のその言葉に、銃夜は身震いをした。正確には、千翅が羽を幾つも震わせたのだ。もしも今日、千宮本家に呼び出された理由が、新たな生贄になれという話であったなら、支族に預けられている自分はどうなるのかが、わからなかった。
意識がはっきりしてから、銃夜は自分の立場が何となくだが理解できるようにはなっている。大宮銃夜という齢十一の少年は、大宮家という破壊の能力を持つ血族の一人で、特に本家の次に血が濃いという分家から生まれた一人であるらしい。大宮家には分家が三つあり、一つは歴史を記す金糸屋、一つは血の分配を取り決める羽賀屋、そしてその極上の体を以って神を鎮め厄災から守る鋸身屋である。銃夜は鋸身屋の末の双子の弟の方で、特に強い力と体、希少な血を持っているという。そのため、生まれてすぐに、鋸身屋の当主となるだろうとすら思われていたらしい。
だが、鋸身屋で当主になれないということは、自らが生贄になるということである。そのため、上の兄二人は自分達が生き残るためだけに、銃夜を殺さんと画策したのだった。
宮家内の見聞と自らの弱さのために、一番上の兄は結局は銃夜を直接は殺せず、餓死するように仕向けることしか出来なかったらしい。その結果が、何も分からず、何も出来ず弱ったあの銃夜の姿だった。だが、その長男が死んだ後、今度こそ、二番目の兄である科夜は、銃夜を他の宮家の手で殺そうとしているようだった。故に、銃夜は荒ぶる神のいるという京都へ送られたのだ。
自分の立場は理解していた。このままぬくぬくと平和に安倍家で過ごすことなど出来ないということくらいは、元より覚悟はしている。
「もしも生贄になれと言われたら、そしたら、俺は」
銃夜は息を吸った。五臓六腑に酸素が行き渡る。
「俺は、その神様を殺すよ。全部殺して、誰も死ななくて良いようにするんだ」
淡々と、零す様に言った。ふとある男の歪んだ顔が浮かんだ。それはあの時、座敷牢から自分を引き摺り出して、笑いながら全身の骨を蹴り折った、科夜の顔だった。
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