由梨花ちゃんの枕元に、一輪の花が活けられていた。紗代ちゃんが、湖のほとりで摘んだものである。紫がかった暗い赤は、夜の暗闇にほとんど溶けている。ぼんやり見える花びらがしっとりと萎びている。

「嫌やなあ、病院」

 由梨花ちゃんは、こちらに身体を向けて横になったまま、まじわりの余韻にぼうっとしている声で、呟いた。

「夜、怖くてちゃんと寝られへんねんもん」

「いつからだっけ」

 僕は、枕に広がっている彼女の髪を弄びながら、聞いた。

「ええっとなあ、来週の月曜やったんちゃうかなあ」

「もう一週間もないな」

 そう言うと、由梨花ちゃんはふっと静かになった。

 裸の胸から腹にかけての、白波のような美しさが、不意に目についた。僕がその肌に指を這わせていると、由梨花ちゃんはぽつりともらした。

「病室、一人の部屋やねん。だから、いっつもおってな」

 ささやくようだが、純真な力で瑞々しい言葉だった。彼女の眼が、陰翳のなかで清らかにこちらを見つめていた。長い睫毛の影が微かにあった。身をあずけきってすがりつくような、美しいほどあわれな眼だった。

 僕は、その澄み切った瞳と、なめらかな首筋のあたりを眺めた。

「うん、行くよ。べたに、果物なんか持ってね」

 由梨花ちゃんの面持ちに、沈鬱な色が浮かんだ。彼女は一瞬だけ目を伏せて、すぐにまたこちらを見つめた。

「ほんまに? ほんまにやで」

 僕の心を疑っているらしい様子に、僕は女の鋭い本能を感じて、少女も一人の女なのだとつくづく思った。

 いくらか呵責を感じた。嘘をつくこと、ひいては、愛から逃れようとすることへの嫌悪が、胸を流れた。

 それでも、僕は微笑みさえ湛えて答えた。

「ああ、本当だよ。僕が由梨花ちゃんの願いを聞かないはずがないだろ」

 その瞬間、由梨花ちゃんが、胸を撫でる僕の手を、鋭く払いのけた。

「いやや。心にもないこと言わんとってよ」

 はじめて見る表情だった。

 憎悪と怒りが露わだった。それでいて、いままででもっとも、激しい恋の色だった。無理に皮を剥いだ林檎のような、危ういほどの純潔だった。

 恍惚に沈む僕を、彼女はきっと睨みつける。

「そんな目で見んとって。ばかにせんとって」

「ばかになんて」

「ばかにしてるやんか」

 由梨花ちゃんは、息を病の苦しみに荒げながら、それでも、激しさのあまり震える声で言った。

「うちのことなんか、好きちゃうんや。なあ、そうやったらそう言うてや」 

 由梨花ちゃんは、せつないほどかなしみに澄んでいた。どこまでも音速で落下する、細い銀の光だった。

 あるいは、真空に浮かぶ青い炎だった。物質のない、燃焼だけの燃焼だった。煙も灰もなく、静かに燃え上がるのだった。

 彼女は、払った僕の手をつかんで抱きしめ、僕の胸に顔を寄り添わせた。

「こんなんやったら」

 声は苦しそうにかすれていた。

「こんなんやったら、兄ちゃんなんか好きになりたくなかった」

 由梨花ちゃんは、そう静かに叫んで、血を吐いた。

 血は、僕の胸に流れ、布団をあざやかに染めた。

 彼女の顔にも、僕の胸から跳ね返って、血の飛沫が散った。

 青白い肌が、恋を知ったように、色づいた。




                               完

 

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しょうじょ しゃくさんしん @tanibayashi

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