第4話 オーバークロックイベント当日/エピローグ

 そんなこんなで時間は過ぎて、イベント当日がやってきた。


 会場は大手PCショップのイベントスペースだ。すでに観客席は埋まっていて、うちの大学の教授もきていた。


 まったくもう、知り合いがいると緊張するじゃないか。


 私は緊張を紛らわせるために出場者リストを眺めて――誤算に気づいた。


 プロのオーバークロッカーが参戦していた。世界中のイベントで名前を売っているプロ中のプロだ。古いCPUのオーバークロックから、最新型のCPUのオーバークロックまで、なんだってこなせる凄い人である。そもそも私が参考にしたオーバークロックのやり方は、彼の模倣だった。


「まずいな。相手はプロだから、私よりも圧倒的に経験値が多い」


 私はごくりとツバを飲み込んだ。完全に勝つつもりだったのに、競争相手がプロであると知って、軽く怖気づいてしまう。


 だがアムドが、小さくガッツポーズ。


「由紀子さんは、たくさん試行錯誤を繰り返しましたから、きっとプロにだって勝てますよ」


 そうだ。アムドの言うとおりだ。CPUの選別だって納得するまでやったし、BIOSによるオーバークロック設定だって突き詰めた。


 あとは本番にぶつけるだけじゃないか。


 私は弱気な心を捨て去ると、戦いの舞台に一歩踏み出した。


 ここからは私ひとりで戦うことになる。アムドは見守るだけだ。


 やってやろうじゃないか。ただの女子大生がプロに勝てることを証明してやる。


 司会役である店員さんが、マイクのパワーをオンにした。


「これよりオーバークロックイベントを開催します。もし優勝できれば、台湾で開催されるコンピューテックスに招待となりますので、みなさんがんばってくださいね」


 イベントで使う機材だが、持ち込みもありだし、お店が貸し出すパーツを使ってもいい。


 当然貸し出しパーツを使えば選別は行えないので、こだわりのある出場者ほど自前で用意したものを使っていた。


 私は財布の事情により選別をやれたのはCPUだけだ。


 マザーボードやメモリなどの他のパーツは、お店が用意したオーバークロック向きの製品を使うことになる。いわゆる玄人なら誰もが知っている鉄板の製品だ。


 さて液体窒素を使うにも下準備が必要だ。マザーボードのスロットやコネクタ類に養生を施してから、絶縁効果のあるスプレーで全体をコーティング。次に液体窒素を注ぐためのポットを設置していく。もちろんポットの周りも養生して、液体窒素でマザーボードがショートしないように守った。


 あとはパーツをくっつけて準備完了。肝心のオーバークロックに使うベースクロックと倍率と電圧の設定は事前に用意してある。


 あとは本番で自分の組み合わせが最適だったか競うのみだ。


 しかし隣の人が、液体窒素を注いだ瞬間、マザーボードをショートさせて失格となった。


 他人事ではない。もし私の養生とコーティングが甘かったら、隣の人と同じ末路をたどることになる。競争となれば、手先の器用さも勝負の分かれ目になるわけだ。


「よし、注ぐぞ」


 私は深呼吸してから、ポットに液体窒素を注いでいく。今のところショートの気配はない。手先の器用さでは合格点だったようだ。


 さて極冷オーバークロックについて詳しく触れていこう。


 普通のオーバークロックは空冷用のCPUファンで冷やす。だが空冷では、ほんの少々しか周波数は上昇しない。


 そこで液体窒素を使う。通常ではありえないほどベースクロックと倍率を上げて、そのせいで発生した膨大な高熱を化学の力で冷却――常識を越えた周波数を目指す。


 自作PCに興味のない人からしたら、無駄な行為にしか見えないだろう。


 だが私たちみたいな変わり者にとっては、この上なく興味深い行為なのだ。


 ふと気づけば、三人がマシントラブルで脱落していた。


 他にも、液体窒素を注いでも、そこそこしか周波数が上昇しない人もいた。設定が最適ではなかったのである。彼らは失格ではないが、現在の順位から上がることはない。


 いつのまにか、私とプロの一騎打ちになっていた。


 プロのCPUは、まだまだ周波数が伸びていた。


 だが私のCPUはプロほどの伸びがない。


 私とプロの違い――プロはメモリまで選別してきた。


 さきほども触れたが、私はメモリの選別をやれるほどのお金がない。だから日雇いアルバイトで悔しい思いをしたわけだ。


 あぁたとえプロが相手だろうと負けたくない。


 この大会で勝利してコンピューテックスにいきたい。


 こうなったら、アムドが具現化したCPUの驚異的な耐久性に賭けるしかない。


 ベースクロックと倍率を、さらに上昇させた。


 壊れるか否か。もし壊れなければプロに勝利できるだろう。


 アムドが観客席の最前列で手を合わせて祈った。


「お願いします神様。由紀子さんを勝たせてあげてください」


 他の観客も私を応援していた。女の子がオーバークロックをするのが珍しいからだろう。これじゃあ見世物パンダである。ああもうどうでもいい。そんなことよりコンピューテックスに行きたい。私はASUSかMSIに入社したい。ぶっちゃけコネがほしい。いまどきの大学生なんだからしょうがないだろう。


 だがしかし、私のCPUに異変あり。周波数の数字が乱れ始めた。


「まずい。さすがに負荷をかけすぎた」


 このまま持久戦をやるか?


 でもアムドの泣きそうな顔で思いとどまった。


 彼女はかつて言った。オーバークロックをやってもいいが、使い捨てにするような真似はやめてくれと。


 壊れることを前提でオーバークロックをしてしまえば、アムドを裏切ることになる。


 私はベースクロックと倍率を以前の設定に戻した。


 その瞬間、司会者である店員が告げた。


「最高記録はプロの方でした。次点で女子大生さんでした。みなさま、お疲れ様でした」






 私は機材を片付けると、ぐっと伸びをした。


 二位入賞。景品こそもらえたが、コンピューテックスの権利は手に入らなかった。


「凄いですよ由紀子さん。二位はとても凄いことです」


 アムドが大きな拍手をした。


「来年……来年こそ、勝ちたいな」


「というか今から旅費をためて、来年は直接台湾に飛べばいいんですよ」


「そうだね。それがいい。ありがとう、アムド」


 私がお礼をいったら、アムドの体が光りだした。


「どうやらわたしは由紀子さんと友達になれたようですね。神様のいったとおり、元の姿に戻れるみたいです」


 だが私は困惑した。いまさらアムドのいない生活なんて考えられなかった。


 出会いのきっかけは偶然だったのかもしれない。


 だが短い間に積み上げた友情は、本物の黄金よりも輝いていた。


「もう少しだけ、もう少しだけでいいから、アムドと友達でいたい」


 私はアムドを抱きしめた。今まではアムドが私にしがみついていたのに、今は私がしがみついていた。


 もしかしたら私がアムドになにかを与えているつもりで、実はアムドが私になにかを与えていたのかもしれない。


「由紀子さん。実はわたしも、もう少し擬人化していたいです」


 すると、どこからともなく声が聞こえた。


『亡くなった娘の願い事は今かなえた。ならばそれを手伝ってくれたアムドに褒章を与えてもいい。もうしばらく擬人化していたいというのならば、いくばくかの猶予を与えよう』


 神様も融通が利くようだ。そんなに悪いやつじゃないのかもしれない。


「でも、ずっと擬人化していてはいけないんですね」


 アムドが虚空を見つめながら言った。


『お前はCPUであって人間ではない。だから由紀子が大学を卒業するまで、擬人化を許す。ではさらばだ』


 神様の気配は消えた。


 大学卒業までというなら、まだまだ友達を続けられる時間に余裕はある。


 私はアムドと肩を組んだ。


「来年は、二人でコンピューテックスにいこう」


「ぜひともっ!」


 さてオーバークロックイベントが終われば、大学もまとまった休みに入った。


 私はアムドを地元である田舎に連れていくことにした。


「地元についたら、私の貴重な友達を紹介するよ。他人と距離感を詰めるのが苦手な子でね、でも悪い子じゃないんだよ」


「とても楽しみです。由紀子さんのお友達ですから、きっと不器用でも優しい人です」


 今の私には大切な友達が二人もいる。


 映画サークルを辞めたばかりの子と、アムドだ。


 しかも二人とも地元で引き合わせれば、すぐに仲良くなれた。


 もしかしたら私は、人生で最高の瞬間を味わっているのかもしれない。

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AMDのアムドさん 秋山機竜 @akiryu

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