災厄の魔女の話

@yu__ss

魔女の左片

「アス、検査だよ」

 夏の強い日差しが降り注ぐ中、木陰のベンチにかけているアスに声をかけると、彼女は気怠げに首だけをこちらに向けた。愁い、というよりは無気力で怠そうな彼女らしい表情をしている。

「怠い」

 そう言って彼女は読んでいた文庫本に再び目を落とした。

「かわりに受けて」

 なんとも彼女らしい言い方に苦笑してしまう。

「私はもう受けてきたの」

 そんなことをいうと、ふわりとさわやかな風が吹いた。はたはたと彼女のスカートが揺れる。そこで、彼女がいつもと違う格好をしているのが気になった。

「スカート、珍しいね。似合ってる」

 普段は面倒だからとジーンズにTシャツの彼女だか、今日は淡い青のフレアスカートに白いブラウスを着ている。夏の木漏れ日に、とてもよく似合っていた。

「暑いから」

 どうでも良さそうに答えると、彼女は読んでいた文庫本を閉じた。たしかに、いくら高地で、しかも山奥と言えども、この季節はとても暑い。

「三十一度だって」

 今日の最高気温を伝えると、彼女は嫌そうな顔をする。

 ベンチから立ち上がった彼女は私の顔を見つめると、怪訝そうな顔をした。たぶん、さっき変えたばかりの私の髪型が気になっているのだろう。

「これ?」

 くるんと丸まった毛先をいじりながら彼女に問えば、こくんとこうべを垂れる。そのアスの仕草が可愛くて、つい笑顔になってしまう。

「さっき佐藤さんにしてもらったの」

 佐藤さんは私たちの検査を担当してくれている、この研究所の若い女性職員さん。美容師の資格を持っているという変わった人で、私もアスも髪型を整えてもらったりしている。

「どう、かわいい?」

 彼女は答えずに、一歩私に近づいた。

「っと」

 近づいた彼女に対して、私は一歩遠のいた。彼女との距離は大体二メートル半ほど。これ以上近づくと、ある事情でちょっと面倒な事になる。

「どしたの?」

 面倒な事になるのは、彼女もわかってるはずで、だから尋ねてみたのだけど。

「近づかないと、可愛いかわからないわ」

 アスは眉を顰めるが、彼女の言い分が可笑しくて、私は笑ってしまった。

 笑ってしまった私を見て、アスは益々不機嫌そうに唇を尖らせる。普段はあまり表情を変えない彼女が、機嫌が悪い時だけはわかりやすくて面白い。

「大丈夫、この距離でもアスの可愛さはよくわかるよ」

 からかい半分で私がそう言うと、彼女は遂に黙ってしまった。機嫌が悪くなると、普段より輪をかけて喋らなくなるのが彼女の特徴だ。

 ついと彼女は顔を逸らすと、先程まで私がいた研究棟の方へ歩き出す。検査を受けに行く気になったのだろうか。

 歩き出した彼女のあと、三メートルほど距離を取りながら私も後に続く。

「ついてくるの?」

 アスが振り返って尋ねる。

「検査のあと、検証だって」

 私の言葉を聞いて、アスは深くため息をついた。

「いつまで、こんなに意味の無いことばかりするのかしら。あの日以来、一度も起きてないのに」

「意味の無いことがわかることに、意味があるの」

 笑いながら、嗜める。

 検査も検証も、アスにとっては憂鬱な時間みたいだが、私にとってはとても大切な時間だ。

「それに、もしかしたら私達にとって、とても大切な発見があるかもしれないでしょう?」

 私の言葉に、アスはもう一度ため息をついた。

「だといいけど」

 そうぼやきながら、アスは研究棟へ向かう。

 三メートルの距離を縮めないように気を付けながら、私は彼女を追った。

『アスちゃん、検査だよー』

 佐藤さんの声が聞こえて、自分の左手首に嵌められている白いブレスレットを見つめる。プラスチック製で継ぎ目があり、スピーカーの機能があるため、小さな穴が密集して開いているのがわかる。

 さっきの声は、ここから聞こえてきたのだろう。前を歩くアスの左手首にも、同じようにブレスレットが付いている。私のブレスレットと同じように、彼女のものからも佐藤さんの声が聞こえたはずだ。

 アスは自分の手首のブレスレットを睨むように見下ろし、嫌そうにため息をついた。

 このブレスレットは、今のように私たちの連絡用に使われているのだが、これは副次的な機能だ。本来の期待されている機能はまた別にある。

 そしてそれは、私とアスの間にある見えない壁となっていた。




 二十一世紀初頭に確認されたその現象には、未だに正式な名前が付いていない。つまりそれは、それまでの常識から大きくかけ離れたその現象を、誰もが上手く定義できずにいるということの証左だろう。

 スラングや一部のメディアなどでは『魔法』と呼ばれるその現象に、これまで数千人が犠牲になっている。

 初めてその『魔法』が確認されたのは、ある国のオフィス街。人のごった返す場所で、突然火柱が上がった。まるで人体がそのまま発火したかのように、その場に居た数人が焼死した。

 その後に行われた調査では何もわからず、進展がないまま、同じ現象が何度か繰り返されることになる。だがその後、とある申告により、調査は進展を見せる。その男女の申告内容は、一笑に付されるべき内容だった。

 曰く、『私たちの体が触れた時に、人体発火が起こってしまう』

 本来なら、誰も相手にしない筈の申告は、しかし実際に眼前で繰り返されれば、信じないわけにはいかなかった。

 その二人に対してあらゆる研究が行われたが、結局原因の究明はされず、いまだに研究は繰り返されている。

 その後、十数年の間に似たような現象は繰り返され、世界中で百例ほど報告がなされている。

 性別、血縁、その他の身体的特徴など、全く共通点はない。ただある日、二人の人間が触れただけで、周囲の人間や物体になんらかの害が及ぶ。

 それが『魔法』と呼ばれる現象だ。

 私とアスは、国内では3番目の例となる。

 私たちは元々は幼馴染で、同じ女子校に通っていた。

 ある日、私とアスが触れた瞬間、近くにいた人間の頭部が膨れ上がり、四散。

 被害は多人数、広範囲に及び、私たちがいた場所を中心に、周囲五〇〇キロメートルほどの範囲で死者が出た。

 累計死者は五七二人。

 報道などでは私たちの個人情報は完全に秘匿されたが、最も被害の大きかった場所が女子校だったため、災厄をもたらした魔法使いはその女子校の生徒なのではないかという噂がまことしやかに囁かれている。

 まあ、これに関しては紛れもなく真実なのだけれど。

 災厄をもたらした、魔法使いの女子高生。故に、一部では私たちは『災厄の魔女』と呼ばれている。

 その後、『災厄の魔女』は山間部にある研究施設に隔離され、日々研究対象として検査や検証に追われている。

 私たちが触れ合えば何が起こるかわからない。

 手首に嵌められた白いブレスレットは戒めで、二人の距離が二メートル以下になると施設中に大音量のアラートが発報される仕組みとなっている。

 アラートが発報されると、私たちのもとに職員や警備員がわらわらと集まり、場合によっては私たちの安全は保証されないらしい。つまりこのブレスレットには、私たちを守る意味もある。

 逆にそんな緩い縛りで大丈夫かとも思うのだけど、人権保障の観点からすると、これでもかなり踏み込んだ制限らしい。

 まあいくら私たちが危険な存在だとは言え、私たちは一応は民間人の一般市民なので、これ以上の規制は煩く言う人もいるのだろう。

 私とアスは、常に二メートル以上の距離を保ちながら生活している。普通に生活するだけならば、全く何一つも障害はないのだけれど。

 ただ、この二メートルは、私にとってはとてもとても遠く感じられた。




「はるかちゃん」

 アスの後を追い研究棟に入った私に声をかけたのは、職員の佐藤さん。さっき私の髪を整えてくれた人だ。

 佐藤さんは職員の中では若手のほうで、とても可愛らしい女性だった。私もアスも、この人に髪を切って貰っている。私から見ると、この施設ではアスの次に年齢が近いので、親近感を持っているし、佐藤さんもわりと私たちを気に入ってくれているみたいだった。

 佐藤さんは手を振りながら私に近づいてくるので、私も手を振り返した。

「アスは?」

 先に研究棟に入ったアスの姿が見えなかったので、佐藤さんに尋ねると彼女はにっこりと笑った。

「採血中、はるかちゃんはこっち」

 そういうと、彼女は近くのエレベーターの下りボタンを押した。ここは一階なので地下に行くらしい。

 私たちが地下に行くのは、大抵なんらかの検証の時だ。

「今日はなに?」

 検証の内容を彼女に問うが「まあ、行けばわかるよ」と言って笑っている。

 ポーンという柔らかい音ともに到着したエレベーターに二人で乗り込み、佐藤さんは地下三階のボタンと閉のボタンを続けて押した。

 髪型の話をしながら連れていかれたのは、地下三階の物々しい扉の前だった。その鋼鉄の扉の横についていた、よくわからない機械に佐藤さんが手をかざす。がじゃんという音とともに重そうな扉がゆっくりと開いた。

「入って」と促され、入室する。五メートル四方くらいの小さな部屋で、特に何か目立つものはない。

 あたりを見回そうとすると、後ろからがじゃん、という音が聞こえ、扉が閉まった。

『アスちゃん来るまでちょっと待ってて』という佐藤さんの声が、手首のスピーカーから聞こえてきた。聞こえているかはわからないが、一応「はい」返事をした。

 私は今度こそ周囲を見まわす。入った時には気づかなかったが、中央当たりに厚い透明な、ガラスかプラスチックのような壁で仕切られているようだった。その向こうには、私がさっき入ってきたのと同じような扉が設えている。

 なるほど、たぶん向こうからアスが入ってくるのだろう。

 などとと思っていたら、予想が的中し、よく見知った無気力そうな美少女が入ってきた。音が聞こえなかったから、たぶん音もシャットアウトしているのだろう。私が手を振ると、彼女も手を振っている。

 口を開けて何か言っているが、全く聞こえない。その様子がおかしくてつい吹き出してしまった。

『じゃあそのまま、そのガラス越しに手を合わせてみて、アラートは切っておくから』

 佐藤さんの声が聞こえる。なるほど、今日はこういった検証なのか。

 彼女を見つめる、距離は二メートルを割りそうだが、アラートは切ってあるらしい。

 ガラスの厚みはたぶん二十五センチから三十センチくらい。通常この距離では現象は再現しないことは、すでに過去の検証によって証明されている。

 私はガラスに歩み寄り、ぺたりと手を当てた。アスがゆっくりと近づいてくる。

 ふと、あの事故の日を思い出した。

 あの日も、こんな風に彼女が歩み寄ってくるのを待っていたんだっけ。

 そんな風に考えていると、アスが目の前に立っている。こんなに近くでアスの顔を見るのは久々かも知れない。

 アスも手を差し出し、ガラス越しに手を重ねる。

 直接アスに触れたわけでもないのに、すこしだけドキドキした。

 そんな私の胸の高鳴り、スピーカーからの声でかき消された。

『ひぎ』とか『あが』とか、声というよりは喉から発されているただの音。その音は、佐藤さんの声に近かった。

 私はガラスから手を離すと、しばらくしてから、『ぼごん』という音が聞こえて、それ以降は静まり返った。

『ちょっと、そのまま待っていて』

 スピーカーから聞こえた声は佐藤さんのものではなかった。

 そこで私は確信した。

 アスを見ると、つまらなそうに自分の手を眺めていた。




 日が落ちかけて、夕暮れ。生活棟の自室に戻ってきた私は、ベッドの上で仰向けになりながら、今日の出来事を振り返った。

 佐藤さんは、こういう危険があることを承知の上でこの職に就いていた。結局被害者は佐藤さんだけで、あの日よりもずっと少ない。さらに言えば、検証中の事故によるもので、私たちには責任は無い。

 とまあ、並べ立てたところで、何の意味もないことはわかっている。

 私たちは危険な存在だと、そう、改めて認識させられることになった。

 アスと一緒に居るべきではないのかもしれないと、いまさらそんな考えが浮かぶ。私たちが近しい場所で生活している理由は、国や研究所から要請されたもので、望めば離れて暮らすこともできるだろう。

 もしかしたら、その方がいいのかもしれないと思う。思うのだが、それはできなかった。

 というか、いやだ。彼女と離れるのが、本当にいやだ。

 私はアスが好きだから。私が彼女に恋をしているから。

 単純に好きな人と一緒に居たいと思っている。

 気だるげで無気力、どこか世界を斜に捉えながらフラフラとしている。所有することや手放すことにこだわらず、身軽で自然な人。幼いころから一緒に居た彼女は、私にとっては憧れの人だった。

 アスが好きだとはっきりと自覚したのは、初めてアスの泣き顔を見た日だった。長いこと一緒にいるのだが、泣いた姿を見たのは結局その一日だけだ。

 小学生の頃、家庭科の調理実習でお味噌汁を作っていたときのこと。油揚げの油抜きの手順で、私は熱湯を持ったままバランスを崩してしまい、アスの左手に熱湯をかけてしまった。

 慌てて流水で冷やし、保健室の先生を呼び、結局救急車も呼びと、てんてこ舞いだった。私は終始半泣きだったが、アスはけろりとしていた。

 アスが病院に連れていかれた後も、残された私はいろんなことを考えた。もしかしたら腕を切断しなきゃいけないのかなとか考えていていたのは、小学生らしい想像力だったと思う。昨日までの彼女を失ってしまうんじゃないかと、本気で心配した。

 学校が終わった後、いてもたってもいられずに病院へ向かった。小学生の足ではかなり遠かったはずだが、あまり記憶に残っていない。たぶんそれだけ必死だったのだろう。

 病院に付くと、ちょうどアスが母親と一緒に出てくるところだった。

「何でここにいるの?」みたいな顔できょとんとしていたアスに、私が大泣きで彼女に腕の具合を尋ねた。

 彼女は頭に疑問符をつけながら私に腕を見せると、「平気」といった。

 彼女が無事なことを確認した私は、彼女にに抱き着き泣きながら「ごめんね」と「よかった」を繰り返した。

 すると、ケロリとしていたはずの彼女は、徐々に顔を歪めて、ついには泣いてしまった。

 なぜ、あの時彼女が泣いたのかは私にはわからなかったけど、病院の出入り口付近で二人で大泣きしたのははっきりと記憶している。

 私はそのとき、アスが好きだと自覚した。

 彼女がいなくなってしまうのではないかと考えたことで、結果的に私は自分の気持ちと向き合うことになった。

 でもその気持ちは、許されなかった。

 想いを伝えられないまま中学を卒業し、アスと同じ高校に入った、夏休み直前の日。今から考えると、ちょうど一年ほど前。

 夕暮れの図書室の隅、本棚と本棚の間で、私はアスに自分の気持ちを伝えた。

『私は、貴女が好きです』『恋人になってください』と。

 私が伸ばした手をアスがとってくれたその時、校内のいたるところから悲鳴が上がり、あっという間に阿鼻叫喚の地獄絵図が始まった。

 私たちはその日「災厄の魔女」となった。

 結局、告白の返答は聞きそびれたまま、私は今でも、彼女のことを思い続けている。

 アスはそんなこととっくに忘れてしまっただろうか。だとしたらそれは、もしかしたら良いことなのかもしれないと、そう思ってしまった。

 彼女を好きでいることは、辛いだけ。

 その考えは、長い間、頭の片隅にあって考えないようにしていたことで。

 つまり彼女への想いは、消えてしまった方がいい。




 気付くと日は完全に落ちていた。時計を見れば二十時を回っている。

 室内が蒸し暑く、夜風に当たりなくなる。ベッドから起き上がり、鏡も見ずに自室を出た。

 生活棟の廊下はまっくらでとても静かだった。窓から漏れる月明りと、私が歩く足音だけがこの空間に漂っている。と、思っていた。

「はるか」

 正面の暗闇から投げかけられた声と、静かに浮かび上がるよく見知ったシルエット。

「アス」

 彼女の名前を呼ぶと、ゆっくりと音もなく近づいてくる。いつもの無気力そうな表情に、どこか愁いを含ませている。

「どう?」

 三メートルの距離を隔て、彼女に問いかけられた。彼女らしい、つかみどころのない問いかけだ。

「どうって、何が?」

「体調」

 アスは私のことを心配していてくれたらしい。今日の検証は、確かに少し疲れた。

「平気だよ。心配してくれてありがとね」

 そういうと、彼女は無表情でふるふると首を横に振った。

 こういう仕草が、いちいち可愛らしい。思わず彼女を抱きしめたくなるが、もちろんそんなことはできない。そんなことをしてしまったら、次は何人死ぬかわからない。

 もう二度と、彼女に触れることはできない。

 そう考えた瞬間、思わず泣いてしまいそうになった。

 どんなにこの目の前の人が好きでも、私にはもう触れることは叶わない。

 彼女に触れたいというこの気持ちは、もう二度と持ってはならない。

 それは、ただ私が苦しむだけだ。

 だからちゃんと、彼女にも伝えよう。

「ねえ、アス」

 こてん、と彼女は首をかしげる。その仕草もとてもかわいくて、決意は揺らぎそうになる。

「私が告白したとこを、忘れて欲しいの」

 それでもなんとか、自分の想いを伝えた。

 アスのことだ、きっと無表情で頷いて何もなかった様に部屋に戻って行くに違いない。そしたら、自室のベッドの上で泣けばいい。

 そう思っていたけれど、返ってきたのは意外な反応だった。

 みるみる彼女の無表情は崩れていき、見たことがないほどに苦しそうな顔をしていた。

 アスは、泣き出してしまった。

「なんで」

 そう尋ねたのは、私だ。彼女の反応に驚いて、思わずそう訊いてしまった。

 私の問いに、アスは嗚咽交じりに答えた。

「だって、はるかは」

 溢れる涙を手で拭いながら彼女は言う。

「私の、こと、好きだって」

 そう言われ、心の中のをぐちゃぐちゃにかき回して、溜まった澱を無理矢理浮かび上がらせた様な気分になる。

 私は、確かにアスが好きだ。

 でも、目の前で大泣きするアスを抱きしめることもできない。だから、もうこの気持ちを消してしまいたかった。

 どんなに好きでも、アスと共にあることは、多分、不幸なことだ。

「ごめん、もう忘れて」

 私は、もう貴女を好きでいることは出来ない。

 だから、私も泣きそうになりながら、精一杯そう伝えた。

 でも。

「いやだ」

 珍しく、アスが声を荒げる。

「私、はるかが好き」

 アスは、そう言った。

 届かないと思っていたから諦める決意が出来たのに。

 想いが届くと知ってしまった。

「私も貴女の恋人になりたいの」

 それは、あの時の返事だったのかもしれない。

 それでも私は。

「もし、私がアスのことを好きだってこと、ここの人が知ったら」

 私は必死で涙をこらえる。

「私がいつも、貴女に触れてしまいたいと思っている事が、バレてしまったら」

 この世界の人間のことなど、どうでもいいと思ってしまったら。

「私たちは、今度こそ二度と会えなくなってしまうかもしれない」

 私はもう涙を隠せなくなり、その場から逃げ出した。




 私が逃げ出した先は、中庭。昼は暖かな木漏れ日が溢れるここは、夜は月光と夜露で神秘的な雰囲気を帯びている。

 逃げ出した私は、ベンチにかけてだらしなく背もたれに背中を預けていた。

 ついに、アスの返答を聞いてしまった。

 アスも、私が好き。

 噛み締めると、やっぱり嬉しかった。好きな人と同じ気持ちだった事は、それだけで満たされた気持ちになる。

 ただ、やはり考えてしまう。私たちが魔女でさえなければ、と。

 魔女であることで、自分が不幸であると思いたくなかった。魔女に殺された人間のほうが、遥かに不幸だ。だから、自分が不幸だと嘆く権利は私には無いと思う。

 ただこれ以上の被害者を出さないために、淡々と研究に貢献することが、唯一私に出来る事だと思っている。

 もちろん、恋など出来るはずが無い。

 そう頭では理解していても、心はそうではない。

 今はただただ、泣く事しか出来なかった。

 この気持ちに慣れるまで、泣いていようと決めた。

「はるか」

 気がつくと、彼女は目の前に立っている。

 距離は多分、一メートルも無いほどだ。

「……アス?」

 アラートは鳴っていない。もしかしたら昼間のゴタゴタで切ったままになってしまっているのかもしれない。

「好きな人が泣いているのなら、抱きしめてあげたい」

 彼女がいつもには無い力強い語調で言う。好きな人、という言葉に嬉しくなり、そして苦しくなった。

「…だめ、離れて」

 拒否する言葉には、力はこもっていない。私の本心から大きく離れた言葉だから、仕方ない。

「泣いている貴女を抱きしめられないような世界は、いらない」

 私だって、この目の前の好きな人に抱きしめてもらいたい。

 アスがもう一歩近づく。

「だめ…」

 私はもう、それ以上拒否できなかった。

 アスが更に近づいたかと思うと、屈みながら両手でベンチの背もたれをつかんだ。彼女は自分の両膝を私の腿を挟むようにベンチに乗せた。ちょうど、彼女に馬乗りにされているような格好となる。

 眼前、十センチメートルほどの距離にアスの胸があり、見上げればアスの両眼が輝いている。

 布越しに触れているか触れていないかという微妙なところ。

 アスはゆっくりと腰を下ろす。

 私の背中に腕を回し、強く、はっきりと、私を抱きしめた。

 あんなに求めていて、もう絶対に手に入らないと諦めていた感触が、確かにあった。

「はるか、好き」

 ずっと求めていた、彼女の言葉。

「私も、大好き」

 私も、彼女の背中に手を回す。

 アスは強く抱きしめていた両腕を緩めたかと思うと、私の目の前に顔を持ってきた。

 私の初めてのキスの相手は、初恋の人だと、今確定した。

 これからどうなるんだろうと、ぼんやりそんなことを考えながら。

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