そして、夜の調べ


「名前?」

「そう。もうそうやって出てくるの三回目なんだし、いつまでも『なあ』とか『お前』って呼ぶのもなって思ったんだけどさ」

「うーん、そうは言っても、型番とかバーコードナンバーくらいしか」

 黒い長袖のパーカーを捲り上げると、たしかに型番らしき番号が記されていた。

「そうか」

 そうだよな、人間じゃないんだもんな。

 妖精や妖怪なら名前がありそうなものだが、彼女はそういうたぐいでもないらしい。

「じゃあさ、大和が付けてよ。わたしの名前」

「えぇ、俺?」

「うんうん。わたしは大和の物だし、大和が名付けるのが自然でしょ?」

 女子なら、ぬいぐるみやおもちゃに名付けたりするだろうか。

 大和は物に名前を付けて遊んだことがないため、名前を付けるセンスが自分に存在するように到底思えず、この話を切り上げた。

 隣の家のちびっこ達が、けっこうな音量でゲームを始めた。

 対戦ゲームなのか、ゲームの外でも激しく罵り合っている。

 ――さて、勉強勉強。

 彼女の長いポニーテールの先に光る金具を、スマホのジャックに差し込む。

「今日はなにを聞く?」

 耳に優しく宛がわれる手。密閉型のタイプなので、外部の音が遠くなる。

 以前は少し寂しくも感じたけれど、今はそれもない。

 深く深く、集中していける、

「そうだな……」

 大和は、勉強中専らクラシックを聴いている。

 元々クラシックが好き、という訳ではなく、これも母親のおすすめによるものだ。

 けれど、実際クラシックを聴きながら勉強するのは、歌詞のあるものよりも相性がよかったため、大和のスマホには有名な作曲家の曲が何曲か入っている。

「バッハ……ベートーベン……」

「ショパン」

「なに、ショパンがいいの?」

「うん」

 フィギュアスケートでもよく使われる曲が流れてくる。

 ――なんだっけ、この曲。

 スマホを覗き込んで、タイトルを確認する。

「わたし、この曲好き」

「そっか。じゃあ、お前の名前、これでいいんじゃない?」

「名前?」

「そう。――夜想曲ノクターン


 金曜日の夜にだけ、大和のことを想って現れては、甲斐甲斐しく世話をしてくれるヘッドホン。


「ありがとう、大和」

 もう彼は勉強に集中していて、恐らく聞こえていないだろう。

 ノクターンは大和の耳に宛がう手の上に、優しくキスを落とす。

 大和の誕生日にプレゼントとして届けられてから、一所懸命に勉強している大和を誰よりも近くで見てきた。

 彼がどんなに頑張り屋さんなのかを、一番知っている。


 どうか、彼の努力が実りますように。

 彼の背に小さく呟いた。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夜の調べと金曜日 美澄 そら @sora_msm

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る