月下美人

四葉美亜

月下美人

 今夜月下美人が咲くよ。朝、祖母が言った。一輪だけではなく三輪も、同時に。今晩ばかりは鉢植えを玄関から上がり框に入れて、その一夜限りの花を楽しむことにした。

 私が高校から帰って来た時には、まだそれは蕾は膨らんでいるだけだった。ちょうど、紡錘形の白いランプのようなかたちをしていた。これが咲くのだろうか、と疑問を抱くくらいにそれは未熟に見えた。けれど、祖母が言うのだから、今夜咲くので間違いないんだろう。

 果たして、月下美人は咲いた。三輪同時に。

 お風呂から上がった私が玄関のほうを見やった時には、もうその花がめいいっぱいに開ききっていたのだった。シャンプーの匂いなんかに負けるわけにはいかないと、甘酸っぱい香りを力いっぱいに放っていた。幾重もの花弁は真白。細いガクが花の周りを縁取っていて、高貴で清らかな艶やかさを際立たせていた。虫も何も、それによりついてはいけないみたいに、月下美人はその花を咲かせていた。玄関の照明が、今夜だけはスポットライトだった。

 何ものも拒んだ美が、ひたすらそこにあった。

 月下美人が一度に三輪も咲かせるなんて珍しい気がして、私はそれをスマートフォンのカメラに収めた。祖母は既に台所の隣の居間で寝床についていた。凄い匂いがするなあ、と気怠げに呟いていた。

 香りは二階の私の部屋にまで届いていた。その夜はその幸せな香りの中で、とてもリラックスして眠りにつくことができた。たった一夜で消えてしまうのが惜しくて、香りをどこかに保っておきたかった。せめて、私は深くその空気を吸い込んだ。

 朝起きて玄関に向かうと、残り香がほんの少しだけ漂っていた。花はどこにもなかった。ただ地味なだけで、よれよれとした緑色がそこにあるだけである。昨晩のそれと同じ鉢植えなのに、植わっているものだけが違うみたいに見えるのだった。あの花を見過ごしていたなら、きっと今朝この鉢植えに気が付くこともなかった。

 咲かせたことを忘れてしまったみたいな月下美人だった。

 朝食をとっていると白い錠剤が、一錠余分に置かれていることに気が付いた。昨夜寝る前に飲んでおくはずだったエチゾラムだった。化学物質がなくても夢を見ずに済んだらしくて、肩の重さもすっかり消えていた。

 エチゾラムを呑んでゴミ箱を覗くと、萎れたあの大きくて白い花が、朝ごはんの味噌汁に使っていたのだろう、味噌粕の上にあった。

 花の行方が虚しかった。飲んだ後の錠剤の殻を捨てるのが嫌になって、私はそれを食卓の上に置きっぱなしにしておいた。萎れたならそのままにしておけば良いのに、それは捨てられていた。

祖母はほんのひと目くらい見ただけで、摘むときだって一瞬のできごとにしているはずなのだった。月下美人は、年に一度、一夜のためだけに花開くというのに。私はそう、胡乱な頭で想像した。きっとその通りだと思った。

 せっかくだから、月下美人の写真はスマートフォンのホーム画像にしよう。その一夜をてのひらに留めよう。少しだけ、スマートフォンを操作することが楽しみになった。

 祖母は、月下美人を三輪も咲かせるからなのだろうか。惜し気もないみたいに、今度は黄色くて大きな花を食卓に飾っていた。何の花なのか聞いてみると、オクラ花だと言う。畑に咲いていたのを摘んできたらしかった。大ぶりだけれど、薄くて上品で、造花みたいな花だった。

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