「秋のホラー短編祭り」参加作品 (企画主:安佐ゆう様)

真夏の雪が見せた陽炎

 蒸し暑い夏の真夜中だった。

 耳元で、ぷぅーん……と、耳障りな音がした瞬間。

 ばちん、と菜摘なつみは耳を手で叩いていた。

 これで安眠を妨害する輩は撃退できただろう。そう思い、再び枕を抱きしめながらごろりと寝返りを打つ。

 しかし、しばらくして聞こえてきたのは、ぷぅーん、というあの蚊の飛ぶ音。即座に、耳を叩いて応戦。再び忌まわしい音。迎撃するべく耳を手の平で引っ叩く菜摘。

 そんなことを、何回か繰り返した後。


「うぅ……」


 菜摘はむくりと蒸し暑さがまとわりつく身体を起こした。

 ああもう鬱陶しい。

 この世界で一番鬱陶しい音があるとしたら、黒板を爪で引っかく音と蚊の飛ぶ音だろう。

 起き上がった先に垂れさがっていた電気のひもを引っ張る。

 蛍光灯が何度か明滅した後、ぱっと、あたりが明るくなった。

 菜摘は、安眠を妨害する敵を退治しようと、じぃと目を凝らして六畳間を探してみる。だが肝心の蚊はどこにいるかわからない。

 しょうがない。そう思って、蚊取り線香でもたこうと立ち上がる。

 菜摘は廊下を通ってテレビのある部屋へ移動した。

 リビングとは呼ばない。そんなオシャレなものではないからだ。

 テーブルの上にあったチャッカマンで、ぐるぐる渦巻のような蚊取り線香に火をつける。

 薬を焼いたような、名の通りお線香の匂いが漂う。

 蚊取り線香の匂いは好きじゃないが、蚊を撃退するためには我慢だ。そう思って、菜摘は煙がくゆる蚊取り線香を銀色の蓋に乗せて部屋に持って行った。

 これで大丈夫だろう。

 そう思って、再び菜摘は電気を消すと横になって目を閉じた。





 早朝、身震いするような寒さで菜摘は目が覚めた。

 鳥肌が立った肌をさすりながら、被っているタオルケットを手繰り寄せる。

 彼女は薄っすら目を開くと、枕もとのスマホをタップし、時刻を確認した。まだ五時にもなっていない。

 押し入れから一枚かけるものを。そう思ったところで、背後のカーテンの隙間から差し込む光が、妙に白いことに気づく。菜摘は思わずカーテンを開いていた。

 広がっていたのは、頭を疑うような光景。


「……え?」


 窓ガラスの先に広がる狭い庭には、深々と雪が降り積もっていた。

 青々と葉が多い茂る椿の木に積もっていた雪が落ち、枝が揺れる。

 まるで季節が狂ったような景色に、菜摘は呆然と声を上げながら思わずサッシを開いていた。刺すような冷気が流れてくる。


「うそ……なんで? 今…夏だよ……?」


 そこへ、ぷぅーん、という、昨夜、散々聞きなれた音が聞こえてきた。

 はっと思わず横を見れば、弱弱しい動きで空を飛ぶ一匹の蚊の姿があった。


 ……よくも昨日はやってくれたわね。


 聞こえたのは、ぞっと冷たい怨念を孕んだ女の声。

 蚊が雪が降り積もった庭に飛んでいく。

 雪の中、白い和服をまとった黒髪の女が見えた気がした。

 雪女が蚊に化けていた、などという、ありえない発想が脳裏をかすめる。

 しかし、今はそれどころではない。感覚が麻痺するほどの寒さに、このままではまずいと本能が告げる。

 よく見れば、空は明るく、自宅以外に雪は降っていないようだった。

 逃げなきゃ。そう思って、菜摘は玄関に向かおうときびすを返した。

 と。


 ……どこへ行くの……?


 後ろから、優しい声。

 思わず両肩が震え上がったのは、恐怖のあまりか。菜摘を背後から抱きしめた女の冷たさのあまりか。


「た、たすけ……」


 必死に逃れようとするも、身体が凍り付いたように動かない。

 菜摘は叫ぼうと喉を震わせ――

 




 ……その日、ある町で女の遺体が自宅の庭で発見された。

 死因は凍死。

 真夏ではあり得ない死因に、人々は揃いに揃って首を傾げた。

 しかし、庭の地面は雨を吸い込んだようにびしょびしょに濡れていて、まるで雪が解けた後のようでもあった、と。



~FIN~

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オレたちが主人公になるためには!? ~他短編集(予定)~ 久遠悠 @alshert

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