二限目 彼女が欲しい
全ての物事に予兆はあるのかと聞かれたら、
「彼女が欲しい」
――そんなものはない、と。
目の前には、真剣としか思えない顔で料理谷をじっと見つめる鈴木一郎がいる。その瞳には熱すら帯びていた。その情熱は別の奴に向けて欲しい。
料理谷は、うん、と一つうなずいてから手を挙げた。
「じゃ、そういうことで、解さ……」
「ちょっと待て!!」
そそくさと席から立ち上がろうとするなり、がっしと学ランをつかまれる。
料理谷は反射的に舌打ちした。
前回の反省を活かして早々に会議を終わらせて立ち去ろうとしたらこれだ。
料理谷は座ったままの鈴木を説得するような気持ちで。
「ちょっと待つも何もないだろ。鈴木は彼女が欲しい。わかった。以上」
「高校生ならカノジョの一人ぐらい欲しいだろ!? 主人公になるためには複数の女子から好かれるのも重要な要素だ!」
「その話まだ続いてたのか」
「ハーレムを構築できないで、男児たるもの不甲斐ないと思わないのか!」
言い回しが古風だな、などと思ったところで。
「じゃあクラスの女子に、適当に告白してみれば?」
「うわ!?」
反射的に声を上げたのは鈴木だった。
ひょいと鈴木の後ろ顔を出したのは見紛うなき長身のイケメン――ではなく、
さほど驚いた様子もなく、料理谷も雨宮を見る。
「びっくりした、颯太くん。いつからそこに?」
「ずっと斜め後ろで別のやつと話してたけど。……で、カノジョが欲しいなら告白してみれば?」
「えっ?」
鈴木がうろたえる。彼女が欲しいと言っていた張本人が。
イケメン――ではなく、雨宮がこともなげに続けた。
「もしかしたらOKしてくれるかもしれないじゃん」
「って、好きでもない相手に告白なんて不誠実なことできるわけがないだろ」
「別に最初から好きじゃなきゃいけないルールがあるわけでもないだろ。告白して好きになっていくー、なんてこともあるかもしれないじゃないか」
「……好きになれなかった場合は?」
「なんか違ったねってことで別れればいい」
「クズ宮は薄情だな」
「クズ宮って何!? 酷い中傷だね!?」
心外だと叫ぶ雨宮。
鈴木が両手を頭の後ろにやりながら、嘆息交じりに。
「つっても、好きでもない男から好かれても嬉しくないというのが、古今東西より女子の言い分だろ? ならフラれるだけじゃんか」
「そう言いつつも、いざ好きですって告白されたり褒めたりおだてたりすると、まんざらじゃないとこあるからころりと行くもんだよ?」
「さすがはおモテになられる
「っていうか、それは女子も男子も一緒なとこあるんじゃない? 滅べイケメン」
「君ら仲いいね!? っていうか翔ちゃんはとりあえず言ってみただけだよね!?」
「なぜバレたのか」
「バレないと思う方が不思議だよ……」
料理谷が真顔でしれっと言ってやれば、雨宮が呆れたように嘆息した。
気を取り直したように雨宮が言ってくる。
「俺から言わせれば、女にとっちゃプラスもマイナスも一緒だよ」
「……なんで」
鈴木が怪訝そうに問う。
雨宮がさらりと続けた。
「さあ。そういうもんでしょ。見分けがつかないんじゃない? 数学苦手だし」
「……なんか、雨宮の台詞って女子が聞いたら怒りそうなとこあるよな」
「ひどっ!」
率直な鈴木の感想。
料理谷が肯定も否定もせずにいれば、雨宮が弁明するように早口でまくし立ててきた。
「昨日まで好き好き言ってたと思ったら、掃き掃除用のホウキ持って殴りかかって来るんだよ!? ほら、
「過程が抜けててどっちが悪いとかそういうのはノーコメだけど、でも、颯太くんが何か怒らせるようなことしたんだろうなってことは信じてる」
「素敵な信頼ありがとう、翔ちゃん」
「どういたしまして」
「お前らも仲いいな」
鈴木がそう言う。
颯太くんと鈴木も仲いいと思うけどね、という台詞を料理谷は苦笑交じりに飲み込んだ。
と、雨宮が提案のつもりなのか人差し指を立てた。
「後は壁ドンして迫る」
「壁ドン……!?」
鈴木が即座に食いついてきた。心なしか目がキラキラと輝いている。
恐らく彼の頭の中には、自分が壁に手をついて女子に迫り、女子が胸をときめかせているようなシチュエーションが描かれているのだろう。一昔前のイラストが宙に見えたのは気のせいか。
なので――というわけでもないのだが――料理谷は早々にその夢を打ち砕いてやることにした。
「マジレスすると、ガチで怖がられたり、偉そうで腹立つという理由で蹴飛ばされるのが関の山」
「はい!?」
「現実は少女マンガの世界のように砂糖菓子でできていない」
「なにそれどこ情報!?」
「姉貴と幼馴染」
と、ひらりと、料理谷の視界の脇に、小さな手が舞うように揺れた。
横を向けば、そこに立っていたのは、さらさらとした黒髪ストレートの小柄な女子だった。
「やっ、翔ちゃんたち、何をしているのかね?」
「
結月――フルネーム、
「電子辞書返しに来た。ありがと。ほんっと助かったよー」
ぱんっと両手を叩いて拝むような姿勢で感謝する結月に、料理谷は気にするなと軽く手を振ってやる。
と、結月は得意げに胸を張ってきた。
「やはり持つべきものは、幼馴染だな!」
「調子がいい」
苦笑交じりに素っ気なく言いながら、料理谷は電子辞書を机の引き出しにしまった。
「じゃ、わたしはこれで。そー君もまたねっ」
「ああ」
「じゃ、じゃーね……」
どこか引きつったような愛想笑いを浮かべながら、雨宮が結月に手を振る。どうやら苦手意識は完全に払しょくされていないらしい。
結月が教室から出て行ったところで、料理谷は、ちらり、と思い当たったように鈴木を見た。
案の定、鈴木は驚愕に目と口を開いたまま、恨めしそうな表情で料理谷を見ていた。そして、これ見よがしにわっと机に突っ伏す。
「幼馴染とかうらやましい! 主人公はお前か!」
「え? 幼馴染はざまぁされるものでしょ?」
「なにそれ怖い」
何か噛み合わないものを感じ、お互い沈黙。
鈴木はぱたぱたと結月が出て行った教室の扉を見ながら、ふにゃふにゃととろけるような笑みを浮かべている。
「でもかわいいなー。ゆづきちゃん…結月ちゃんかあ」
「言い方がおっさんみたいで気持ち悪い」
「辛辣!」
料理谷が切り捨てれば、打てば響くような反論が鈴木から返って来る。
鈴木が食い下がって来る。
「で、でも普通にかわいくね? 料理谷も幼馴染ならカノジョに…とか思ったりとか――」
その鈴木の言葉に。
「やめておけ」
「やめといた方がいいと思うよ」
なんとも言い難いような複雑な苦笑いの雨宮と真顔の料理谷が同時に言い放った。
困惑気味に鈴木が聞いてきた。
「幼馴染の料理谷はともかく、なんでそこで雨宮まで一緒になって……」
「颯太くん、付き合ったことあるから、結月と」
「は?」
目を白黒させる鈴木。
雨宮がふっと遠い目をした。かっこよく決めるように、すちゃと片手を挙げる。
「三日で別れた。最短記録」
「いや、颯太くん、それもう付き合ったとも言えないから。一週間とか一か月記念日とかやるカップルいるけど、そういうのって知り合っただけって言わない?」
「そうとも言う」
口々に言い合う二人に、割って入ったのは鈴木だ。
「いや! なんか妹みたいに可愛くて、あの子のどこに不満が!?」
「不満があったわけでもケンカしたわけでもないんだけどね……。別に性格は普通に良い子だよ」
「結月はなあ……」
悩ましげにうぅんと唸る二人。
ひとり置いてけぼりを食らったように鈴木が叫ぶ。
「なんなんだよ!」
「いや、こればっかりはゆづきちゃんの名誉とお前のために言えない」
やたらと真面目な顔で雨宮がうなずく。
深刻なものを感じ取ったのか、鈴木が小声で料理谷の方に身を乗り出してきた。
「えっ、過去がめちゃ重いとか? 実はメンヘラ?」
「それの方がまだよかったかなぁ……」
「鈴木の手には余るというか、幼馴染としては、結月と付き合ったら鈴木が可哀想だと同情するかな」
「それ俺がゆづきちゃんと付き合う時にも言ったよね、翔ちゃん」
「言った。むしろ颯太くんの方が鈴木より可哀想なことになるかなって思う」
「かわいそう? なにそれ」
「で、『ええ~? かわいいじゃん、ゆづきちゃん。あ、もしかして翔ちゃんったら嫉妬ぉ~?』みたいなことを言われたことを今でも覚えている」
「反省してます。おっしゃる通りでした」
平伏するように、雨宮が頭を下げる。
「待った! 付き合って同情される女子って何!?」
「友人として軽く気楽に付き合うんならおすすめだよ。でも普通の人がカノジョとか深く付き合うには向かないと思う。結月は」
「そ、それ言ったらお前幼馴染じゃんかよ」
「身内みたいなレベルになると、慣れというか感覚麻痺ってくるとこあるから、特に何も思わなくなる」
「は?」
「なるほど、翔ちゃんはそれで……」
意味がわからないと声を上げる鈴木に対し、しみじみと雨宮が納得した。
「お仲間でもあのレベルにまで行くと、相当無関心か許容範囲が広いか、同じぐらい狂ってないとって思う」
「くる……?」
「俺はゆづきちゃんのために狂えなかった……」
「僕としては颯太くんが道を踏み外さなくてよかったって思った。戻ってこれて良かったね、颯太くん」
「う、うぅ……翔ちゃん…っ」
嗚咽交じりの雨宮を生暖かい目で料理谷が見つめる。
こうして今日も収穫も何もない休み時間が過ぎていくのだった。
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