猫ちゃんがやってきた

「なんだか騒がしいけど、どうしたの?」


 その日、千歳ちとせ基地への訓練飛行を終え戻ってくると、なぜか基地内がざわついていた。そのへんのドアを開けるたびに、全員がびくついている。


「まだ昼間だけど、お化けでも出た?」


 迎えに出ていた整備担当の空曹長が、目の前で恐る恐るドアを開けている様子に、あきれながら声をかけた。


「猫なんですよ」


 ドアの隙間から向こう側をのぞき込む。そして「よし」とつぶやき、ドアを全開にした。


「ネコマタなの?」

「違いますよ。生きている野良猫です。あ、三佐、早くこちらへ」

「……はいはい」


 手招きされたので建物内に入ると、その空曹長は素早くドアを閉めた。小牧こまき基地の敷地はかなり広い。知らないうちに野良猫や野良犬が迷い込んでも、不思議ではなかった。


「野良ちゃん、建物内に迷い込んだの?」


 建物から飛び出して、航空機に巻き込まれでもしたら大変。隊員達は、びくついてドアを開けているわけではなく、猫がいるかとうか慎重になっているというわけだ。


小牧こまきの野良ではなく、松島まつしまから来た野良猫なんですよ」

「え? どういうこと?」

「基地内でブルーを座布団がわりにするものだから、追い出されたみたいです」

「あらあら」


 なんでも、ブルーの鼻先に居座っているところを沖田おきた隊長につかまり、引き取り先を探すことになったらしい。


小松こまつ榎本えのもと司令が、御実家のほうで引き取ってくださるとのことでして」

「なるほど。で、輸送の途中なわけね」

「そういうことです」


 雄介さんの実家はお寺。敷地も広く、お義姉ねえさん達も猫好きだ。


「それで中継でうちに来たんですが、トイレの砂を入れ替えようとしたら、ゲージから逃げてしまって。いま、基地内で捜索中なんです」

「あらまあ、それは大変」


 基地内のどこに隠れているのやら。手のあいた隊員達が、エサや猫じゃらしを片手に捜索中とのことだった。


「私も捜索に加わったほうが良いのかしら?」

「そうしていただけると助かります」

「外に逃げ出してないと良いんだけれど」

「それが一番心配で」


 廊下の向こう側が騒がしくなった。どうやら見つかったらしい。


「あー、逃げたー!!」

「そっちに回り込め! 挟撃きょうげきだ!」

「あああ、素早すぎる!」

「なんでそこでビクつく! はやく確保しろ!」


 なにげに隊員達の声が殺気だっている。


「なんだか物騒なことになってない?」

「……なかなか苦戦しているようです」

「天下の航空自衛隊も、野良ちゃん相手だと形無しね」

「笑いごとではありませんよ」


 クスクス笑っていると、向こうの通路の角から、茶色い塊が飛び出した。そしてこちらに向かって突進してくる。


「あら、チャトラなのね、可愛い」

「あ、空曹長、三佐! 猫の確保、お願いします!」


 向こうから走ってくるのは、普段は航空管制をしている子達だ。


「三佐、そちら側の逃げ道をふさいでください。自分はこちら側を」

「急にそんなこと言われても、ちょっと困るわよ……?」


 空曹長に言われて移動する。思っていたより大きい子だ。私に捕まえられるだろうか。


「かつお節かなにか、おみやげに持ってこれば良かったわね」


 あいにくと今は手ぶらだ。立ち止まって身がまえる。すると猫は何故か私めがけて突進してきた。


「あら、ちょっと?」


 そしてジャンプすると私にしがみつく。


「……ナイスキャッチです、三佐」

「キャッチというか、飛び込んできたわよ、この子」


 プルプルと震えてながらしがみついている猫。落ちないように支えると、こっちを見てニャーニャーと鳴き始めた。


「あらまあ。よほど怖かったみたいね」


 見知らぬ場所で、おおぜいの人間達に追い掛け回されたのだ。怖くないわけがない。あまりの必死な顔に、少しばかりかわいそうになってきた。


「三佐、お手柄です」


 追いかけてきた管制隊の子が猫に手をのばすと、猫はすごい顔をしてシャーッと威嚇いかくする声をあげた。その声に隊員達が飛びあがる。それと同時に猫を抱いていた手が生温かくなった。見下ろせば、ポタポタと水が落ちている。


「あら、猫ちゃん、おしっこもらしちゃったみたい。よっぽど怖かったみたいね、あなた達が」

「こっちは外に出たら大変と心配していたのに……」


 管制隊の子達は心外だとぼやいた。


「三佐、フライトスーツ、すぐに洗濯をしませんと」

「これ、においとれるのかしら? うちのコックピット、窓があけられないんだけど」

「熱湯で洗濯すればとれますよ。根拠は実家の猫です」


 管制隊の子の提案で、さっそく洗濯を頼むことにする。


「やれやれ。帰ってきて早々たいへんね。森田もりた一尉を呼んでくれる? 猫ちゃんのおしっこのにおいをさせたまま、基地司令のところに行くわけにはいかないから」

「了解です」



+++



『それは災難だったな』

「笑いごとじゃない。お蔭で洗濯物が乾くまで、私は猫ちゃんと一緒に監禁中なんだから」


 事の顛末てんまつを聞かされた雄介ゆうすけさんが、電話の向こうで笑っている。私の着ていたものはすべて洗濯中だ。そのせいで私は今、トレーナー姿で猫と一緒に待機中なのだ。


「ひなた、今ごろブーブーもんく言ってるわよ、きっと」

『しかたないな、緊急事態なんだから。それで猫は? どうしてるんだ?』

「私の膝で爆睡中。この子、本当に野良ちゃん? すごくふてぶてしいんだけど」

『チャトラは人懐っこいと言うから』

「それにしても、野良ちゃんらしからぬ態度よ、これ」


 寝ている野良猫をなでながらぼやいた。あまりのリラックスぶりにあきれてしまう。


『それで本当に良いのか?』

「だって、ひなたがつれてこいって言うんだもの。明日と明後日あさってが私の休みだから、どちらかで獣医さんにつれて行く」

『だいじょうぶなのか? ひなたにちゃんと世話ができるのか? こっちは受け入れの準備は完了しているんだが」


 自宅に電話して事情を話したら、ひなたが猫ちゃんをつれてこいと大騒ぎなのだ。まあ、最終的には雄介さんの実家に行くことになっているのだから、我が家でしばらく面倒を見ても良いかな?と思っているのだけれど、あの口ぶりからして我が家の猫にする気、満々だ。


「どちらにしろ、小松への定期便は明日以降だし、基地に置いておくわけにもいかなから、今日はつれて帰る」

『相手は生き物なんだ。飼うなら最後まで責任をもたないとダメだからな。わからないことがあったら、獣医か姉貴に聞けよ?』

「わかってる」

『やれやれ、我が家もとうとう猫友ねこともか』


 雄介さんが軽くため息をついた。


「なに?」

『きっとスマホの写真ホルダーが、猫の写真でいっぱいになる日も近いってことさ』

「ああ、なるほど。私もがんばって、スマホでうまく撮れるようにしなくちゃ」


 私がそう言うと、雄介さんはうめき声をあげる。


『俺に送ってくるのはかんべんしてくれよ?』

「雄介さん以外の誰に送るっていうの? ああ、悠太ゆうた颯太そうたにも送らないとね」

『やれやれ、大変なことになりそうだな』


 こんなことを言っているけれど、こっちに戻ってくる時には、猫ちゃんのおみやげをたくさん買ってきてくれるだろう。



 そんなわけで、我が家に猫ちゃんがやってきた。名前は松島基地からやってきたので「ブルー」と名づけられた。名づけ親はもちろん、ひなただ。

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貴方は翼を失くさない 鏡野ゆう @kagamino_you

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