成人男性を飼うことにした

小川草閉

第1話


 ポチを拾ったのはまだ寒い冬のことでした。

 あ、いえ、ポチは犬じゃないです。ポチは成人男性です。ほんとの名前も年もわかんないですけど、まあ、酒飲んでたんで成人してるんじゃないですかね。その日は青い空が綺麗で、私は仕事が終わったので家に帰ろうとしていました。で、歩いてるとですね、ゴミ捨て場があるじゃないですか。あるんですよ。私の住んでるアパートの前に。そのゴミ捨て場に、人間が転がってたんです。ほんとにゴミでも捨てたみたいにゴロっと転がってました。何かところどころ破けてるしあんまりゴミみたいだったから最初はマネキンかなにかかと思ってたんですけど、違いました。それはボロボロに痛めつけられた成人男性でした。それがポチです。


 ええ、びっくりしましたよ。そんなシチュエーションきょうび少女漫画でもありませんて。だからうっちゃられたその男がガサゴソ動き出した時、私は見なかったことにして逃げようと思いました。でもそうしませんでした。よく見るとその人、顔がよかったというか。いえ、目がよかったんですね。大きくて、陳腐な表現ですけど、正面から見ると吸い込まれそうでした。そこにちょうど青空が映っていて、綺麗でした。気づいたら聞いてましたよ。「あの、大丈夫ですか?」って。そしたら首を振るんです。「怪我してますよね」うんうん。「行くとこありますか?」いいえ。多少の問答のあと、なぜか私と彼は一緒に住むことになりました……まぁ、はい、ちょうど若いツバメが欲しかったんです。仕事に疲れた独身女と、行き場のない訳アリの男。よくある組み合わせじゃないですか。ええ、こんなのが私とポチの出会いです。


 それからはほどほどに楽しくやりました。ポチは何があったのかとか、自分の素性とかは一切喋りませんでした。なんだか面倒そうなので私も聞きたいとは思いませんでした。でも、結構いいやつでしたよ。愚痴も聞いてくれたし、家事もやってくれたし、それより何よりじっと黙り込んだ時の得体のしれない目がよかったなぁ。え?結局顔じゃないかって?まあそうですね。ははは。ときおり何かに極端に怯える素振りを見せる以外はよく出来たツバメでしたよ。


 ある日のことです。私が寝ていると、不意に誰かの気配がしました。目を開けるとポチが私に覆いかぶさっていました。ああ、まあそういうこともあるよな、でも最初は合意の上でがよかったな、と思って、手を出されるのを待ってたんですけど。あの、ポチの大きい目から、涙がスゥッと流れてきて、あとはびゃあびゃあと泣き出すじゃないですか。言っていることはよくわからなかったけれど、怖がっているのはわかりました。大の男がですよ。私はなんだか愛おしくなってしまって、ポチが泣き止むまで抱きしめてやりました。それからです。ポチと私が寝るようになったのは。


 それからいくらか経って、あれですよ、ちょうど都内でヤクザの銃撃戦があった日ですよ。ニュースにもなりましたよね。ポチはいなくなりました。その日は残業で、普段外に出たがらないポチが「迎えに行くよ」だなんて言ってくれて、帰りにご飯でも食べようかな、なんて考えてたんですけど。待てど暮らせどポチは来ませんでした。まあ、若いツバメですから。ふいっとどこかへ飛んでいくこともあるでしょう。でもその当時は悲しくて、べそべそ泣いたりもしました。


 その痛みも半分は薄れた頃です。あ、Twitterやってます?やってたらわかると思いますけど、一時期グロ画像を無差別に貼る迷惑アカウントがたくさん発生したじゃないですか。そんなアカウントのひとつのプロフィールにリンクが貼ってありましてね。よせばいいのにそれ踏んで、案の定そこは死体とかの写真がいっぱい乗ってる海外のサイトでした。うへえ、とか思って、でも下にスクロールしていくと、ひときわ無残な写真がありました。詳しくは言いませんけど、ここもあそこも潰れて引きちぎれちゃって、まあ確実に死んでるだろうな、みたいな。で、その死体は、残っている方の目でこちらを見ていました。


 ポチでした。


 見間違えるはずもありません。ポチの中でもいっとう綺麗な部位ですよ。私が一番好きだったところです。光を失ってがらんどうで、それでもなお吸い込まれそうになる目です。


 私はひとつの仮説を立てました。


 ヤクザの銃撃戦。なにかに怯える動作。ボロボロになってゴミ捨て場で倒れていた。この辺りから鑑みるに、ポチはヤクザの鉄砲玉で、なにかヘマをして追われるうちにあそこに倒れていたんじゃないかって。そしてあの日ヤクザに見つかって、落とし前ってやつをつけさせられたんじゃないかって。


 馬鹿な男ですよ。だったら私の心配なんかしないで家に閉じこもってたらよかったのに。そしたらあんなサイトのあんな写真になるハメになんかならなかった。ああ──本当に、馬鹿な男だ。


 で、それからのことです。夜になると、ずるりずるりと音がする。私はぽっかり目を覚まして思うんです。ああ、またポチが来た、って。

 戸を開けると、やっぱりポチがいるんです。潰れた体で、片方しかない目で私を見つめて何かを言うんです。何言ってるかわかんなかったんですけど、この前ははっきりと聞こえました。


 「好きだ」って。



 ねえ先生。私は馬鹿だからわかんないんですけど、もしかしたら人間って大部分が潰れても生きていられるんじゃないですか。ポチはまだ生きてるんじゃないですか? そうですよ、生きてなきゃ嘘ですよ。だってポチが毎晩私のところに通ってくるんです。だからお願いです先生、ポチを元の形にしてください。ポチの保険証はないけど、お金ならいくらでも出します、お願いします先生。この前ポチの下半身が取れちゃったんです。早くしないと手遅れになる。だって好きだって言われたの初めてなんだ。先生、これで終わりだなんてあんまりにもあんまりじゃないですか。お願いします。お願いします先生。


 わたし、あの人と結婚して、子供も産んで、家族になりたいんです。

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成人男性を飼うことにした 小川草閉 @callitnight

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