物語は終わらないっ☆

富升針清

私と僕

 僕は、何処にでもいるしがないサラリーマン。

 五年目の、何処にでもいる日常と言うタスクをこなす若手社員。

 終わらないノルマに嘆きながら仕事を流し、同僚たちの合わない話を聞きながら飯を流し込み、上司の再三の呼び出しに心痛めながらも頭を下げる僕は『普通の社会人』をやっている。

 僕は本当は、こんな下らない日常を送るべき人間ではないと言うのに……。

 実は、本当の僕と言う人間は『普通の社会人』ではない。

 実は、一、作家である。

 

――今日も仕事が終わり、挨拶もまばらにすぐさま電車に駆け込み僕は家路に着く。


 僕は、文章を書く事に誇りを持っている。


――移動中は今の流行りをSNSで確認。アニメやドラマ、受け手の声に耳を広げて。


 僕は、自分の書く話に自信がある。


――話題になっている話も読む。色々な方面から物事を捉え、今の自分に何が足りないかを考える。


 でも、実際は僕の話は誰も読んでくれなくて。

 

――電車を降りれば、駅内のコンビニで飯と酒を買い、またすぐ様家に向かって飛んで帰る。


 本を出したことすらない。


――一秒でも無駄には出来ない。社会人作家と言うものは。


 それでも、誰もいない画面の向こうに向かって、せっせと今日も僕は物語を描くのだ。

 

――小説の為に、僕には恋人もいなければ、仕事の後に遊ぶ時間だって持っていない。


 でも、いつかきっと、いつかきっと、この努力は報われる。

 

――ねぇ。それが、作家と言うものだろう?



 パソコンの前で買って来た弁当をつつきながら、僕は今日も投稿サイトを覗く。

 自分のページに飛べは、今日だって閲覧数は1。この数字は、きっと自分が付けたモノだろう。

 連載の数だけ増えた話数はついには50を超えててしまったなにも関わらず、評価もブックマークも未だ友人からしかない。

 それでも、一日一話必ず上げれば、いつか誰かが読んでくれる。きっと誰かの好きになる。そう信じて。

 僕は今日も夢中に、寝る間も惜しんで話を書き上げた。

 

 会社で評価なんかされなくてもいい。

 金の為に仕事に時間を捧げたくない。

 僕は、自分の話を書きたい。書き上げたい。そして、皆に読んで欲しい。

 悲しみの涙をためて欲しい。嫌悪感と憎悪に毛と言う毛を逆立てて欲しい。喜びをかみしめて欲しい。

 僕の話で、心揺さぶられて欲しいのだ。

 

――誰も読んでにないのに?


 それでも、僕の話につく閲覧数はどれも皆と比べて酷く少ない。

 一体、何が悪いんだろうか。

 話が楽しくないのか。

 告知が十分ではないのか。

 それとも、投稿時間が悪いのか。

 

――いやいや、もっと他にあるでしょ?


 もっともっと、他の理由……。

 僕は無意識に左手の甲を撫ぜる。

 幼い頃からの癖なのか、時折考え事をすると無意識に撫ぜてしまう。

 落ち着くわけではないのだが、手持ち無沙汰が解消されるのか、この癖は大人になった今も抜けないでいる。

 撫ぜていた左手の仲指が、親指の付け根に触れた時、僕は違和感に声を上げた。


「……あれ?」


 何と言うか、ポッコリと。そしてしっかり、触れた場所は膨らんでいた。

 しこりがそこに、あったのだ。

 

「おかしいな。いつからだ?」


 触れて圧してみるが、痛みはない。柔らかくない所を見ると膿などが溜まっているわけでもなさそうだ。

 かと言って、こんな場所に骨が飛び出すとも考えにくい。

 重い病気でなければいいが……。

 そんな心配をしながら医者に行く選択肢は現時点では露程ない。

 ただ、明日には少しでも無くなっている事を願って、その日はしこりを触りながら眠った。

 次の日、起きると、思わず苦笑が漏れる。

 

「あーぁ……」

 

 触り過ぎてしまったのだろう。

 件のしこりは、赤黒い色を帯びていた。

 こういう場合は気にしないのが一番だと、僕はまたいつもの様にスーツを纏う。


 しこりがあろうと、なかろうと、僕の日常は変わらないのだ。

 

 

 

 今日の閲覧数は3。

 自分の中では奇跡に違い数字だが、SNSではもうすぐ二千やら一万閲覧数だと仲間たちは騒いでいる。

 皆、凄い作品なんだろう。話が僕の三分の一にも満たないのに、こんなにも閲覧数が伸びるなんて、本当に凄い。

 50話を超えた作品が未だに閲覧数が二百も超えてないなんて……。

 ランキングにも乗った事がないなんて……。

 

――面白くないよりも……。

 

 僕はまた無意識に手の甲を、しこりを圧す。

 僕と彼らは何が違うのか。僕は帰りの電車の中で一人揺られながらSNSを静かに閉じた。

 日常は変わらない。

 それは、仕事でも、小説でも、同じ事だ。

 しこりに触れながら、僕は電車に揺られて行く。

 ガタンゴトンガタン、と。人と比べても何も変わらない事など、昔昔に知っていたと言うのに。

 

――才能がないんじゃない?

 

 今の僕の言葉に耳を傾けてくれる人はいるのだろうか?

 そう、SNSに問いかけてみたかった。



 

 しこりを見つけて三日目の朝。

 いつもの日常が少し変わった日の朝である。

 

「あれ?」


 やはり、腫れではないのか、小さくなる事もなくしこりはまだそこにあった。

 大きくは……、多分なっているであろうが、僕が驚いたのは、そこではない。

 

「顔みたいな痣になってる……」


 考える時間が増えたせいか、いつしか僕の癖は手の甲を撫ぜるのではなく、しこりに触れる事に変わっていた。

 そのせいで、どうやら痣になってしまった様だ。

 しまったな。これでは目立ってしまうと思ったが、学生時代ならいざ知らず痣が目立ったところで指摘する人間など誰もいない事を思い出した。

 態々隠す必要もないかと、しこりを撫ぜる。

 それにしても……。

 

「このしこりに出来た痣。まるで人の顔みたいだな」


 クスリと子供の様な事を僕は思って笑った。

 そこに嫌悪感も恐怖もなく。ただただ間抜けな顔した痣が面白かったのだ。

 

 次の日も次の日も、僕は会社に行き、現実でもウェブでも小説を書いては透明人間の様な日々を過ごしていた。

 

 そんなある日、僕はいつもの様に電車の中でSNSを見ていると、書籍化が決まったと皆がお祝いをしている所だった。

 口々に、皆がおめでとうと言い、コメントや拍手が僕のSNS画面を埋めて行く。

 それは僕もよく知る、ネット上の知人だった。

 僕と同じで、ウェブで小説を投稿している、知人だった。

 彼の小説は人気で、いつしか絶対に書籍化が決まると僕は思っていた。

 その時が来たんだと、僕は嬉しくなり画面にコメントを打ち込む。


『いつか、絶対に書籍化すると思っていたよ! おめでとう。これからも応援しているよ』


 僕は送信ボタンを押す。

 でも、彼からの返事はない。

 だって、彼は僕と違って何百人、何千人と言う『見てくれる人』が、いるのだ。

 僕はきっと、その中の、彼の中のファンの一人でしか、ないだろう。

 ガタンゴトンガタン。電車は揺れて、僕の心の中のコップが零れそうになる。

 目頭を押さえた所で、ガタンゴトンガタン。

 ガタンゴトンガタン。


 この日の閲覧数は0人だった。

 

 ガタンゴトンガタン。いつか、きっと、ガタンゴトンガタン。僕だって、ガタンゴトンガタン。

 家に帰って来たと言うのに、電車の音がこびり付いてる。

 妬んでも仕方がない。暴れても仕方がない。実力社会ってこう言う事じゃないか、ガタンゴトンガタン。

 でも、それは、アイツか実力があって、僕にはないと言うことか?

 

 ガタンゴトンガタン。

 ガタンゴトンガタン。

 ガタンゴトンガタン。

 

「あいつは、更新が遅い。文体だって可笑しい。漢字も間違えている。意味だって碌に調べていない。プロットだって書いてない。話だって、何処かで読んだ話ばかりだ。僕みたいに毎日毎日努力をしていない。読み手の事をこれっぽっちも考えていない。見て見ろよっ! あの文。会話文ばかりじゃないかっ! 一人称だって統一してない場所もあるっ! あんなもの、ただのフォロワーの数だっ! 友達の数だっ!! あれの何処が実力だっ!! 僕の方が……。僕の方が……っ!!」


 ガタンゴトンガタン。ガタンゴトンガタン。ガタンゴトンガタン。


「何で、僕の話は誰も読んでくれないんだ……」


 ガタンゴトンガタン。

 いつか、誰かが、毎日頑張っていたら見てくれる。

 ねぇ、いつか、誰かって、一体、いつ、誰が?

 ねぇ、ねぇ、ねぇ、ねぇ。

 ガタンゴトンガタン。ガタンゴトンガタン。ガタンゴトンガタン。ガタンゴトンガタン。ガタンゴトンガタン。ガタンゴトンガタン。

 

「君、何で小説なんか書いてるの?」


 僕の部屋で、僕以外の声がする。

 

「え?」


 僕以外がいない、僕の部屋で、僕以外の声がする。

 

「ねぇ、君は何で小説を書いてるの?」


 僕は、目を見張った。

 声の方へと視線を送れば、それは自分の右手の甲。親指の付け根。

 

「ねぇ、ねぇ、ねぇ」


 ガタン、ゴトン、ガタン。

 膨らんだしこりの上にある、誰かの顔をした痣が僕に向かって話掛けていたのだった。


「何で誰にも読まれにない小説を書いてるの?」


 もう一度、しこりの痣は僕に向かって問いかけた。

 

 

 

 次の日も次の日も次の日も、この日を境にしこりの痣は僕に話しかけて来た。

 どうやら夢ではないの様だ。

 

「ねぇ、ねぇ、ねぇ」


 しこりの痣は歌う様に、僕に声を掛けてくる。

 

「何で君は小説を書いてるの?」


 決まって話題は僕の小説についてだ。

 僕は言うと……。

 

「煩いな。お前には関係ないだろ?」


 しこりの痣の相手なんて御免とばかりに、言葉を返す。

 しかし、このしこりの痣、中々めげる事はないようで、何度も何度も問いかけた。

 何故小説を書いているか。それは僕自身、小説が好きだからだ。

 好きだから、書く。ゲームと同じ理論だ。好きだからやる。それ以下でも以上でもない。

 それ以上の事は、思ってしまえばただの邪になってしまう。

 

「ねぇ、ねぇ、ねぇ」


 今日も今日とて、しこりの痣は繰り返す。

 

 

 

 しこりの痣が喋りだして少し経った頃。

 僕が予てから力を注いだウェブ小説のコンテストの一次審査通過者発表が行われた。

 随分と前から何度も何度も構想を練り、プロットを何通りも作成し、下書き、清書、直しに3か月もの時間を有した作品で臨んだコンテスト。少しばかり、自信はあった。

 応募人数は二千作品。その中で、二百程の作品が一次審査を通過する事が出来る。

 僕の作品は、きっと……。

 



「ねぇ、ねぇ、ねぇ。君は何で小説を書いてるの?」

「……何でだろうね」

「今日は答えてくれるんだね」


 しこりの痣は楽しそうに言葉を返す。

 

「そうだね。自分でも、何で書いてるのかわからなくなってね……」

「君、悲しそうな顔をしているね」


 しこりの痣は、不思議そうに僕に問いかけた。

 不思議なのは、君の存在の方だと言うのに。

 でも、今の僕にはそんな事、どうでもよかった。

 自分の右手に、元気がないと言われる程、僕は酷く落ち込んでいるのかと自分の中だけで呟いた。

 

「悲しい事があっんだよ」

「なんだって? 誰かにいじめられたのかい?」

「いいや、違うよ」

「じゃあ、どうしたんだい?」

「何で僕は小説を書いているんだろうと思って、ね……」


 それは、ずっと、しこりの痣が僕に問いかけていたそのものだった。

 

「君は何で僕が小説を書いていたか知りたかったの?」

「だって、君はずっとずっと、ただ只管書いてたじゃないか。何で?」


 まるで、鳥は何で飛ぶの? 魚はどおして泳いでいるの? 花はどうして色を付けるの?

 それはそんな子供の様な純粋さを持つ問いかけだった。

 

「誰も読んでいなかったのに」

「そうだね」

「誰も君の話を見ないのに」

「その通りだ」

「君の話は透明人間の様に見向きもされないのに」

「ああ」

「どうして毎日、何の為に小説を書いていたの?」

「……読まれたかったのかなぁ」


 僕は彼の質問に初めて答えた気がした。

 

「読まれたかったんだよ。誰でもいい。物語を読んでいる自分と同じように。誰かに見て欲しかった。誰かに読んで、欲しかった。誰かに楽しんで欲しかったの、かな……」


 そして。

 

「認められたかった」


 ポツリと言葉が飛び出てくる。

 どしうても、どうしても。

 誰かに認められて……、いや。沢山の人に認められて、面白いって言われて。

 いつか自分が胸を高鳴らしていたあの本たちみたいに。皆の心の鐘を鳴らして見たかった。

 でも、僕は……。

 

「でも、どうやら、僕は才能がなかったみたいだ」


 なぞったディスプレイには自分の名前が出ていない、一次審査通過者発表の画面。

 こんなことすら、僕は出来ない。

 どれだけ力を振り絞った所で、僕の話は誰にも読まれない。

 

「毎日、書いてるのに……。毎日、頑張っているのに……。誰と何が何処が違うのかわからない。才能? センス? 友達の多さ? 僕はそんなもので負けてしまったの? 僕の話ではなく、そんな下らない事で? 何で……」

「ふむふむふむふむ。聞いている限りでは、それは嫉妬と言う奴だね?」

「ああ、嫉妬だとも! 一度や二度だけでじゃない。僕の何処が劣っているのか、何度だって考えてる。ずっと、ずっと、考えているのに、わからないっ! それって、僕が劣っていない証拠じゃないか!? なのに、何故、彼らだけっ! 彼らと僕は何が違うんだっ!! なぁっ! 今度は君が教えてくれよっ!!」


 そんな答えを持っている訳ないことを僕は知っているのに。

 抑えていた邪な気持ちが、まるで弾けた風船の様に外に飛び出てくる。

 僕一人じゃ、どう頑張っても抑えきれない。

 ましてや、相手は人ではない。

 どれだけ汚い事を思っても、ただの僕の独り言だろ。ねぇ、そうだろ?

 今まで必死で抑えて来た気持ちが止まらない。

 

「そうだな。一、しこりの意見だが聞いてくれるのならば答えよう。君に才能はないね。君の話は正直楽しくない」


 まさか自分のしこりでさえも、そんな事を思っているだなんて。

 

「文法だって、守ってない事も多い。誤字脱字もある。自分が思っている程、どれもこれも完璧ではないし、受け手にも小説にも君は真摯ではない。そして何より、わざわざウェブでタダでも読む様な話ではないと、この私は思うよ」

「知ったような様な口を……」

「聞かないでって? 何故? 私は読み手で、君は書き手。私の方が読者に近いと言うのに。何故読者の誰が君の背景を求めていると思うんだい? 知った様な口を叩くなは君の方だろ?」

「じゃあ、何かっ!? 僕が悪いのかっ!?」

「いや。君は悪くないよ」


 しこりの痣は、それこそ知った様な口で僕に言う。


「悪いのは、君の作品だよ」


 と。


「そんな事、どうしようもないじゃないか……」


 作品は勝手には産まれない。僕が書くから作品になる。僕が悪くなくても、僕の作品が悪いと言う事は、やはり僕が悪いと言う事じゃないか。

 何を作っても。

 

「君は悪いと思ってないんだろ? それならば、作品が悪い」

「じゃあ、僕の話は誰も一生、読んでくれないの……?」

「どうだろう? 時は流れ続けるものだから、もしかしたら君が死んだあと、何かの偶然が重なって、誰かが読むかもしれないよ」


 いつか、誰か。

 それは、そんなにも果てしない時間が必要な事なのか。

 僕は作家に向いてないの? でも、その為に何を犠牲にして来たの? 今、僕は何歳?

 いつか、誰か。

 五百年後に一人。

 それで、僕は嬉しいの? 純粋に、喜べるの? 僕がなりたかったものなの?

 

「ねぇ、ねぇ、ねぇ。君はどうして話を書いてるの?」


 誰かに読まれたら嬉しいな。

 少しでも、心揺さぶられたら嬉しいな。

 好きだと少しでも思ってくれたら嬉しいな。

 ねぇ、ねぇ、ねぇ、例えそれが一人でも?

 勿論っ! それが作家と言うものだろ!? 

 そう胸を張って答えなきゃいけない。そう答えれない奴は、作家じゃない、傲慢な嫌な奴。そんな奴の近くには誰も寄らないし近づかない。誰もそんな奴の書いた作品なんて読まなくなる。だから僕は……。


――でもさ、それって今の君とどう違うの?


 僕は、無意識にしこりを撫ぜる。

 

「自信があったんだよ。誰よりも面白いって。だから、書いてた。沢山の人に読んで欲しかったから書いてた。でも、もう駄目だ。意味なんてないんだ」


 僕は項垂れた。

 ただ、ただ。項垂れた。

 人生最悪の日に、ただただ。

 項垂れる事しか出来なかった。

 

「そうか。君の話は楽しかったのに、残念だね」

「え」


 僕は顔を上げる。

 今、何て?

 

「君の話、私は楽しかったのにって言ったんだよ」

「でも、君は、僕の話はわざわざウェブでタダでも読む様な話ではないって!」

「そうだよ。そう思う。それも心の底から。でも、これが本なら話は別さ。一冊用意されてみろよ。後半の追い上げ、話の加速、練り上げられた話が生きてきて、絡まる伏線が、一本に。最高に楽しいよ」

「でも、誤字も文章も」

「そんなものなど気にならないぐらい楽しいのさ、私はと言っただろ? 私はとても楽しかった。万人の意見じゃないさ」


 僕は今、手の甲に出来たしこりの痣に、小説を褒められている。

 欲しくて欲しくて仕方がなかった言葉を、自分に言い聞かせるように紡いだ言葉を。

 しこりの痣なんかに。

 

「私はこの感想を君に伝えたくて、こうやって出て来たのさ。君が筆を折る前に伝えられてよかった」


 そう、しこりは言うのだ。

 僕に。

 僕のしこりだと言うのに。

 

「私はこれで消えよう。こんな楽しい小説を、君は毎日何で苦痛な顔をして書くのか聞きたかった好奇心も満たせれた。邪魔をして悪かったね。ありがとう」

「ちょっと、ちょっと待ってくれ!」


 僕はしこりの痣に向かって大きく叫んだ。

 

「君は自分が受け手の立場だと言っていた! どうかお願いだ。僕の作品にアドバイスをくれないか? 僕の作品が悪だと言うのならば、君の正義で直してやって欲しい。どうか、お願いしたい。僕には小説が全てなんだっ!」


 プロでもない。本を出してもいない。

 底辺の底辺。比べる人すら周りには誰もいない。

 でも、筆は折れない。ずっと、ずっと。それこそ人生を捨ててまで、僕は小説に賭けて生きて来た。

 ここで途中下車なんて、出来るはずがないだろう。

 

「……君はそれでいいのかい?」

「勿論だ。もう、僕はどうしていいかわからない。ただ、遮二無二に走って来たが、本当に走って来ただけなんだ。どうか、お願いだ。僕に力を貸してくれないか」

「それは構わない。しかし、もう一度聞く、本当に君はそれでいいのかい?」

「ああ。僕は、小説家になりたいのだ。誰かが読まなければ、それは物語ではない。僕は物語を紡ぐ作家になりたいんだっ」


 僕は力強く言うと、しこりの痣は小さく分かったと言った。

 その日から、僕は今まで書き続けていた小説を捨て、しこりの痣が言う様な小説を只管書き上げた。

 そして、その結果は目を見張るようなものだった。

 

 閲覧数が一日に三桁もついた。

 初めてコメントを貰った。

 レビューを書いてくれる人が続いた。

 毎日メールが来た。通知が来た。

 僕が僕の話を書いていたら知らなかった機能ばかりが目まぐるしく表示されては書き消されて行く。

 

 ランキングに名前が載った。

 SNSのフォロワーが開く度に増えて行く。

 僕が何かを呟けは、誰かが何かをしてくれる。

 夢の様な日々だった。

 

 だって、毎日更新する必要がないんだ。更新しなくても誰かがいつでも読んでくれるから。

 誰かを妬む必要なんかないんだ。

 誰かと比べる必要なんてないんだ。

 SNSでただのファンとして流される事もないんだ。

 

 何て楽園なんだろう。何て素晴らしい結果なんだろう。

 僕は勝ち組だ。皆が僕を認めたんだ。


 そんなある日、僕は一通のメールを受け取った。

 それは、僕の書いた話を書籍化したいと言うものだった。

 僕は飛び跳ね、喜び、すぐさま返事を返した。

 

「ねぇ、君は本当にいいのかい?」


 僕はしこりの痣の問いかけには答えない。

 だって、僕はもう話を書かなくても誰もが僕を知っている、見てくれているのだから。

 僕は漸く、作家としてのスタートラインに立ったのだ。

 これで漸く……。

 すると、またメールの届く音がする。差出人は先ほどの出版社からだ。

 原稿料の話だろうか? 僕がメールを開けて内容を確認すると、そこには……。


「本にする為に、続きを書け……?」


 本にする為に、今書いている話の続きを書けと言う旨だった。

 人気が出てからは、僕は更新をまったくしていない。どうやら、それだけでは本の枚数が足りない様だ。

 仕方がない。気は乗らないが……。

 

「書けよ」


 僕はしこりの痣に言った。しかし、今度はしこりの痣が僕の言葉に答えない。

 僕はイライラしながらしこりの痣を音が出る程叩いたが、何も答えない。

 

「ちっ。もういいっ!!」

 

 僕は仕方がなく、埃の被ったパソコンへ向かう。

 小説ぐらい、誰が書いても同じだ。皆内容なんて読んでない。

 誰が書いたのかが重要なのだ。

 僕は指を走らせ送信ボタンを押した。きっと、誰も何も気づかないのだ。

 それが世界ってものだろ? 僕の時だってそうだった。

 

 しかし、世界はいつだって僕に優しくはない。

 そう、今だって。

 

『一気に話がおもしろくなくなった』

『質が下がった所の話じゃない』

『偽物では?』

『評価取り消します』

『二度と読まないです』

 

 ネットの声は大きくて、何処に僕が居ても聞こえてくる。

 そのせいで、書籍化を打診してきた出版社が手を引きたいとも言ってきた。

 何で僕だけ!?

 何で僕の時だけっ!!

 僕の話を読まなかった奴らが、一話だけを読んで、否定してっ!

 一体、何様だと言うのかっ!!

 

「こいつらっ!」


 ディスプレイに向かって腕を振り上げたその時だ。


「だから言っただろ。君に才能はないね。君の話は正直楽しくないって」


 しこりの痣の声が僕の手を止める。

 

「ねぇ、ねぇ、ねぇ。君は何で小説を書いているの?」


 ガタンゴトンガタン。

 降りられない電車の音が、聞こえてくる。

 

「ねぇ、ねぇ、ねぇ。誰も読んでいなかったのに」


 ガタンゴトンガタン。ガタンゴトンガタン。ガタンゴトンガタン。


「ねぇ、ねぇ、ねぇ。誰も君の話を見ないのに」


 ガタンゴトンガタン。ガタンゴトンガタン。ガタンゴトンガタン。


「ねぇ、ねぇ、ねぇ。君の話は透明人間の様に見向きもされないのに」


 ガタンゴトンガタン。ガタンゴトンガタン。ガタンゴトンガタン。


「ねぇ、ねぇ、ねぇ。どうして君は小説を書けると勘違いしてしまったの?」


 ガタンゴトンガタン。ガタンゴトンガタン。ガタンゴトンガタン。

 ガタンゴトンガタン。

 ガタンゴトン。

 ガタン。

 

「ねぇ、ねぇ、ねぇ。小説を書けない君の席はそこでいいの?」


 僕話を唯一読んでくれたらしこりの痣が、そう問いかけた。

 途中下車が出来ない電車に乗っていると言うのに。

 ここに僕の席はない。

 ゴトン。

 ガタンっ。

 

 

 

 

 

「一時はどうなる事かと思いましたが、まさかあれが伏線になるとは……。御見それしました」

「いえ、そんな、ただ持てる力を全て出し切り書いていただけですので」

 

 作者が謙虚に首を振るう。

 

「一時は本当に書籍化の話を無かった事にするべきじゃないかと社内で声も上がっていた所でしてね。それでも、貴方の才能を信じてよかった。ネットでも大丈夫絶賛でしたよ。皆が喜びながら騙されたと言っていまた。まだ見本の状態ですが、どうぞ。貴方の本ですよ」

 

 念願だっただろうと、担当者が漸く出来た本を手に作者に渡せば、その本を撫ぜるように触って作者は笑った。

 

「ええ。『私』も嬉しいです」


 作者はそう、笑って、左手のしこりの痣を軽く押したのだった。

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