2章:街娘–2

【2.】

 パーシバルが騎士団長を誘って赴いたのは、昨日足を運んだばかりの城下街だった。

 あれから食堂の外でゼトが戻って来るのを待っていたパーシバルは、ふと、彼に了承を得られたのは良いが、何に付き合わせるかを言いそびれた事に気付き、それを悔やんでいた。

「しまったなぁ……誘いに乗ってくれたのが嬉しくて、忘れるなんて……」

 正直、彼が首を縦に振ってくれるとはあまり考えていなかった。

 と言うのも、ゼトは学問も武芸も優秀な実力を持つが、あまり社交的とは言えず、大抵単独でいる事が多いとよく耳にしていたからだ。「よく耳にしていた」と伝聞形式なのは、パーシバル自身、新任の騎士団長と接する場面が少なかったためである。何故半年以上も経っているのに機会が乏しかったのかと言うと、それにはきちんと理由があるのだが、パーシバルがゼトに弁明したのがそうであった。

 つまりパーシバルは断られる事を前提として、謂わば駄目元で––––––付け加えて言うならば、あの時この青年が食堂で騎士団長に出会したのは、狙ってやったことではなかった––––––ゼトを所用に誘ったのである。

 だから渋る様子もなく––––––若干の選択の迷いがあったようにも思えたが––––––「構いませんよ」と返事が返ってきた時、肝心な部分を伝えるのを失念したのだ。もっとも、直後に彼が食べかけていたパンを片付け始めた事に完全にペースを持って行かれたのが一番の原因なのだが。

 今更考えても仕方がない。あの時こうしていれば、と過去に思考を飛ばして完璧な成果を出しても、結果は変わらないのだ。

 一応、後を追うことも考えたのだが、先ほどのやり取りを思い出して、何となくそれはしない方がいいだろうなと思い至ってやめた。

 だからパーシバルは、ゼトが完全に外出用の装備で戻ってきた時、予定していた行き先を、胸の内でこっそりと変更した。

「パーシバル殿。遅くなって申し訳ありません」

 半ば駆け足になり掛けの早足で戻ってきたゼトに、彼は「やぁ、お帰り。忘れ物はないかい?」と笑顔で応じる。冗談で返そうかとも思ったが、「待ちくたびれたよ」なんて言ったら真に受けられてしまいそうだった。しかしそれでも足りないような気がしたので、「僕も確認するよ」と続けて言い、自身も懐を探る。

 実際問題として、己にも最低限の金銭が必要になるからだ。

(良かった、それなりには持ってた)

「特に」

 なんて思っていると、ゼトが短く答える。パーシバルが財布を見ている間に、身形を整えたようだ。それまで腕に掛かっていた外套が羽織られ、手に掴まれていた小物類が然るべき場所に収まっている。

 手際が良い男だ。

「さて。どこにご一緒すれば?」

「そうだね。城下に行こう」

「分かりました。徒歩ですか?」

「うん? ……うん、歩いて行こう」

 一瞬、何の事を聞かれたのか分からなかったが、それが何を意味しているのかをすぐ様悟ったパーシバルは、首を横に振る。

 気にはなったが、流石に時期尚早だと思った。



 エルバドル王国の城下街は、時計塔を備える庁舎の置かれた中央広場を軸にして整備された街道が伸びており、これが大通りとして機能しつつ活気を生み出している。

 通りには露店が立ち、店には焼きたてのパンやタルトを陳列させる店、瑞々しく艶やかな果実を並べる店、取り扱う装飾品の美しさ可憐さを強調する店と、様々な種類がある。各店の商品がそれは自慢げな輝きを放つこの露店は、ギルドによって管理されており、各店は出店して良い日が決められている。人通りの多い大通りに出店を許されている日に上手く物を売って自分の店を宣伝できれば繁盛に繋がる、というある種平等性を謳ったシステムだと言うわけだ。

 昨日はできたてのパンの匂いがかすかに漂い、装飾品の美しさをアピールする客引きの声が聞こえていたが、今日は別の店が並んでいる。宙に漂う臭気や飛び交う声を拾い上げて察するに、この日は果物や羊皮紙などが売られているようだ。

 広場にはしばしば吟遊詩人が立ち救世の英雄譚や人々への愛を歌い、時折旅の楽士団が演奏を奏でる。これを見て、彼らを気に入った有力者が彼らに演奏を依頼するのだ。綺麗に整備されたそこを行き交う馬車の蹄の音がこれと相まって軽快な音楽を生み出し、街は王都にあるに相応しい賑わいを常に作り出していた。

 また通りの両端には、等間隔で柱が並ぶ。これは先端がフック状になっており、夕刻になると魔導騎士達によって炎魔法を施された角燈ランタンが掛けられて街に灯を点す。灯は人々が眠りに就く頃まで燃え続け、一時の間、街を闇から遠ざける。目映くとまでは行かずとも建物の輪郭を映し出せる程度の光を持つこの角燈は、街の外側から灯されていくため–––––消えて行くのも同じ方向からで––––––市民にを明確に自覚させる指数の一つとなっていた。同時に彼らはこれを「街灯まちあかり」と呼び、家や宿までの道標としたり、野盗を避ける為の目印したり、出入口にかんぬきをかける指標ともする。

 角燈は早朝になると夜勤の騎士が回収するため、日が高く登った今の時間は、ただ柱が立つだけで何もない。

 それでもきちんと街に溶け込み景観の一部となっているのだから、設計した者は腕が良い。

 綺麗に整えられた石畳を歩くと、一歩歩くごとに通行人の目を惹くようだ。すれ違う人々が皆、殆ど例外なく二人を二度見したり僅かに足を止める。

 しかし、声をかけてくる者はいなかった。視線は追ってくるのだが、そこから先がない。

 昨日の熱狂ぶりは、部隊長全員が騎士姿で揃っていたからと言うのが大きいようだ。

「やはり、我々が並ぶと目立つようですね」

「そうだねぇ。でも、きっと目を惹いているのは、君だと思うよ」

「私ですか?」

「うん」

 ゼトが小声で発した声にパーシバルが頷くと、彼は二度三度と瞬きをする。表情はあまり変わっていないものの視線が外れない所を見るに、理解には達していないらしい。

「こう見えて僕は、結構出歩いているんだ。だから、意外とみんな僕の事は見慣れているんだよ。昨日は仕事着を着ていたし、部隊長全員が揃うだけでなくそれぞれのパートナーも一緒にいたから、みんな興奮してあんな感じだったんだろうけど、僕一人だと案外静かなものさ」

「……」

「一方で今の君は、この国では『特別』な僕達の中でも、頭一つ分以上飛び抜けてだからね。加えて僕が推測するに、君はあまり頻繁にここに来ていないみたいだし。そうなると、昨日の今日とは言っても、一対一だと中々声を掛けづらいものだよ。みんな、君の人柄をまだよく知らないんだもの。未知へ対する初めの一歩は、思っている以上に勇気がいるものさ」

 パーシバルが歩きながらつらつらと説明すると、ゼトは再び押し黙った。何でもない事のようにさらりと並べられたそれの中に、パーシバルと言う存在の内側を垣間見たからである。また同時に、納得をしたからでもあった。

 騎士団長に就任する以前も就任してからの半年も、殆ど自主的に姿を現さなかったのなら、認知度が低いのは当然だ。まだよく知らない相手––––––それも、自分達よりも位の高い人間に対し、最初から気さくに話し掛けられる者はよほどの身の程知らずだろう。騎士は寛容である事も望まれるが、公私オン・オフの境目が厳格な者は少なからず存在する。そう言う相手は大抵、の時に干渉される事を嫌い、民達もまた、それを理解している。

 好奇と躊躇を綯い交ぜにした視線を受けるのは慣れているが、悪戯にその状況を放置し、民に不安を抱かせるような真似は無粋だろう。

 ここはこちらから声をかけるべきか。

 ゼトがそんな風に考えていた時だ。

「実を言うと––––––」

「き、騎士団長様!!」

 続けて何か言いかけたパーシバルと、意を決したらしい市民の声が重なった。

 若干裏返りながらも意思の込められた声に、先を越されたかとそちらを見ると、しかし先に応じたのはパーシバルだ。

「おっと。やぁ。彼に、何か用かな?」

「いえ、その……っ」

 パーシバルは気を利かせたつもりらしいが、どうも逆効果だったらしい。声の主である男は、その先の言葉に詰まって言い淀んでいた。中々に良い体格をした快活そうな顔立ちの男なのに、気弱な少年がそうするように目を泳がせてしまっている。

(さて、パーシバル殿が何か言いかけていたような気もするが…………)

 一瞬、どちらに目を向けるかと考えたが、民の緊張を解す事を優先するのが先だろう。つい先程まで取ろうとしていた行動はそちらだったのだし––––––そもそも彼は、パーシバルが言葉を発したかどうか、はっきりと耳にした訳ではなかった。

「落ち着きなさい。私はそこまで、干渉嫌いではない。貴方の話に耳を傾けられる寛容さは持っています」

「は、はい……!」

「一度、深呼吸なさい。ゆっくりで構いません。落ち着いた所で、要件を」

 努めて落ち着いた声で––––––と言ってもこの男の場合、平素が常に抑揚に乏しく日頃からそう聞こえるそれなのだが––––––ゼトは諭すような語調で男に言った。苛立ちや不満など、気を悪くした素振りを少しも感じさせない調子に安堵したのか、男の表情が幾分か柔らかくなる。それから彼は一つ息を吐き出すと、言った。

「騎士団長様! 宜しければ、うちの商品を見て行きませんか!?」

「ふむ。何を扱っている店なのか、聞いても?」

「うちの店は、果物を扱ってます。干した果物もありますし、栄養価の高いものも取り扱ってます。あ、保存食にも最適ですよ!」

「なるほど。……興味がある。是非、拝見させて頂こう」

「ほ、本当ですか!?」

「貴方に嘘を言ってどうすると言うのです」

 ゼトの返答に、男の顔に目に見えて喜色が滲んでいく。目がキラキラと輝く彼に、ゼトはさも当然の如く答えた。それから、彼に聞こえぬようパーシバルに小声で尋ねる。

「––––––宜しいですか? パーシバル殿?」

「うん。もちろん。僕も気になるし、この人のお店に、寄って行こう」

 騎士団長の問いに、魔導騎士隊長はにこりと笑って頷いた。喜楽が押し出された表情に、社交辞令や気遣いでない事を知る。

 男の喜色が更に色濃さを増した。

「……と、言う訳だ。店の商品を、見せてくれ」

「ありがとうございます!!」

 それこそ、ゼトが案内を促すと、ぱぁと顔が輝いて見える程に。更に、殆ど同じタイミングで、様子を伺っていた周囲の何人かから、「おぉ」と感嘆と安堵の吐息が漏れた。

 それ程の事なのだろうかと思いつつ男の背について行くと、微かに甘い香りが鼻腔を撫でた。見れば商品台の上に赤や青、黄色と言った色とりどりの果実が大なり小なり並んでおり、すぐ側には仕入れたてと思しき木箱が幾つか積まれている。男の言葉通り、様々な果物を商品として扱う店のようだ。

「へぇ。多彩な商品だね。思わず目移りしてしまう」

「……店主。この中で貴方が推す物は」

「あ、僕もそれ、知りたいかな」

「! おすすめですか? 個人的にはですね––––––!」

 てっきり商品選びは彼ら自身だけで行い、会計の時まで出番はないだろうと踏んでいた男は、両者のこの言葉に、歓喜を爆発させた。第一声をひっくり返しながら興奮に胸を躍らせ、己の店に並ぶ商品を端から端まで、つぶさに説明していく。

 それは半ば一方的な喋りであったが、騎士団長も魔導騎士隊長も、それを諌めたり止めたりすることはなかった。

 ゼトもパーシバルも、そこに並ぶ商品の実態は予備知識として既に持っていたからで、話に歩調を合わせるという労力を必要としなかったのだ。彼らは静かに聞くばかりでなく、時々––––––主にパーシバルの方がであるが––––––頷いたり合いの手を入れたりして男を先へ先へと促した。

 お互い、市民を活気付かせるのもまた己の立場としての役割故と言う考えからだったが、思惑通り、初めは嬉々として弾んでいた男の声が、徐々に熱を帯びていく。

「––––––以上で、全部になります!」

 結局、並べられている全ての商品を喋り尽くした男は、そんな時期でもないのに、額にうっすらと汗すら滲ませていた。

「な、何か、気になる物はありますか!?」

 続けてその勢いのまま、息を弾ませながら男は身を乗り出して尋ねる。

 熱意を感じるには、充分だった。

「そうだな……では、これを二つと、こちらを小二杯で頂こう」

「僕はドライレッドベリーを小一杯欲しいな」

「はい! ただいま!!」

 注文を受けた男は店の中から小さな杯を取ってくると、それで乾燥した赤い木の実を掬い上げる。エルバドルでは、木の実などの一つ一つが小さい物や、スパイスなどの粉末状の物をはじめ、個人によって定量に差が生じる商品は、この杯で計量を行のが主流である。その昔エルバドルに腰を落ち着けた商人が始めた商法だと言うが、その店の信用性を高めるとして瞬く間にこの国全土に広がり、多くの街でギルドによって杯の規定が定められ、専門の職人もいる程だ。杯には小・中・大の三種類があり、ゼトとパーシバルが注文したのは一番少ない杯による計量になる。

「店主、これに入れてくれないか」

「僕はこれに」

「分かりました! こちらのリンゴ二つはどうしましょう?」

「そちらは、そのままでいい」

 ゼトとパーシバルはそれぞれ持っていた小さな革袋に購入した物を詰めてもらうと、最後にリンゴを受け取って、買った分の代金を支払った。

「確かに、受け取りました! ありがとうございます! 宜しければ、また来て下さい!」

「あぁ。機会があれば、また来よう」

 男の威勢の良い声に、首を縦に振る。

 それからゼトが彼の店に背を向けると、その瞬間、それが合図であったかのように周囲からわっと声があがった。

「騎士団長様!!」

「団長さん!!」

「是非私の店に!!」

「うちの店にも来て下さい!!」

「騎士団長様!!」

「騎士団長様!!」

 ゼトが男に店を案内させた時から周囲の者達がこちらの様子をずっと伺っていたのは感じていたが、揃って店を持つ者だったらしい。男が声を掛けた所、思いの外すんなりと応じた様子を見て、騎士団長が外見に反して友好的だった事を知りそれならば自分の店もと考えたようだ。

 それまで一度として受けた事のない熱烈なコールが右からも左からも聞こえてくる。

「わぁ……これは、すごいラブコールだね」

「……これ程盛り上がる事、なのでしょうか」

「みんな、きみの事を知りたいんだ。この国を守ってくれる、誉れ高い騎士の中でも、特に優れた騎士団長のお人柄をね」

「…………」

「どうする? みんなの要望に応えてあげるかい?」

「……いえ。応えたいのは山々ですが、それではパーシバル殿との先約が……」

「はは。僕は、どちらでもいいよ。こうしてきみと一緒に出掛けられるだけで、もう充分、目的は達成されているし」

 パーシバルの屈託のない顔を見せられたゼトは、そこで暫しの間黙考して返答の仕方を探した。双方共に不愉快にならないような答え方はあるものかと思案した結果、彼は己を呼ぶ民達に振り返ってこう言った。

「民達よ。貴方方の気持ちは、よく分かった。だが、済まない。今日一日で、私は諸君の店全てを回ることができない。しかしながら、私へ声を掛けてくれた事はとても嬉しい。その愉楽に謝意を示し、一つ、この場の皆に約束しよう。私はまた、近い内にここに来る。その時、私を見つけ、今日と同じように声を掛けてくれた者の店に、私は足を運ぼう」

 低くもよく通る凛とした声の透明度に、民達は聞き入り、またゼトの言葉が終わると同時に数十秒前よりも更に鮮やかな歓声をあげた。

「パーシバル殿、行きましょうか」

 間欠泉のような勢いにやや呑まれながら、ゼトはその場を去ろうとパーシバルを促す。強く輝く暖色の音域に息継ぎの仕方が分からず、そろそろ喉が詰まりそうだった。

「お見事。素晴らしい弁舌だったよ」

「恐れ入ります」

 魔導騎士隊長の称賛に、知らず早口になる。

 幾らか歩いて人混みを抜けて漸く、ゼトは落ち着くことができた。

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エルバドル王宮騎士譚 I ー新任騎士団長の受難ー 鮫と名の付く鱏 @Pumpkin_Shark

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