エピローグ お友達
通報の内容は珍しく、そして嫌な予感のするものであった。俺が警察官として働くようになってから早10年、この町に勤務するようになって1ヶ月となるが、こういう依頼はロクなものじゃないことは身をもって経験していた。
「あの……こういう内容で警察に相談して良いものか良くわかっていないのですが」
「はいはい、とにかくお話を伺いましょう」
振り返ればその時交番に控えていたのが運のツキだった。朝は電車が遅れた挙句遅刻して署長に怒られるし、昼休みに携帯でメールを見たら週末の旅行のキャンセル連絡が来ていた。そしてこの通報である。とにかく今日一日はツイてない。まあ結局事件となったら現場に駆り出されることに違いないのだが、それでも自分が最初の窓口と言うのはやはり気が引ける。交番に尋ねてきた初老の男性は、何とも頼りない話し方をしながら説明を続ける。
「私の家の近所から異臭がしましてね。その、何ていうか生ゴミがどんどん腐っていく匂いと言うか何と言うか。とにかく、耐えられんのですわ」
「はあ……色々と考えられる可能性はありますが、まずは現場を見てみないことにはなんとも。そちらにはもう伺われたのですか」
「いえいえ、近所言うてもよそ様のお家ですし、勝手に上がる訳にもいかんでしょう」
勝手に上がる訳ではなく、普通に玄関口から挨拶がてら訪問してみたら良いだろうと思ったが、どうも話を聞く限りこの老人は最近引越してきたらしい。なんでも、引越しの際の挨拶で一度訪問したものの留守にしており、そのまま挨拶もロクに交わさないままずるずると日だけが過ぎてしまっていったそうだ。若者の間では近所付き合いが少なくなってきているようだが、どうやら若者だけでなく老人にもそれは当てはまるらしい。もっとも、目の前の老人に限った話である可能性ような気もするが。
兎にも角にもまずは現場にと言うことで、俺とその老人は真夏の厳しい太陽の下、町の外れにある民家に向かっていた。額から汗がだらだらと流れ落ち、途中からハンカチで汗を拭うのも諦めた。制服の下に着たランニングシャツが汗でへばりつき、気持ちが悪い。隣を見ると老人もこの暑さには参るらしく、息が荒く見るからに辛そうである。まさか歩いている途中で倒れやしないだろうなと別の心配をしているうちに、目的地にたどり着いた。
いざ建物を眺めてみると、少々古びてはいたが敷地は広く、作りもしっかりしていて立派なものである。多少手入れが雑なようにも見受けられるが、門をくぐると松の木の植えてある広い庭があり、玄関に至る道は立派な敷石続きとなっていた。少なくとも普通のサラリーマンではなかなか建てられないレベルであることは確かだ。勿論、一介の公務員である俺の安月給でも到底無理な話である。
さて、外見は立派ではあるものの、確かに家に近づくに連れてどんどんと匂いはきつくなっていった。家の玄関まで来た時には、思わず顔をしかめ、ポケットからハンカチを取り出して鼻を押さえないことには会話もままならないほどである。老人も同じ気持ちらしく、鼻に手ぬぐいを押し当てて息苦しそうに顔をしかめている。匂いに色が付くわけではないが、心なしか辺り一帯がうすいヘドロ色をしており、ねばねばと全身にまとわりついているように感じられた。
悪臭による通報は、大抵がゴミ屋敷案件か、孤独死や自殺の腐乱死体だ。ゴミ屋敷の場合には警察の出る幕はあまりない。当事者同士で話をつけてもらうしかないので、町役場の職人に引き渡して案件終了である。もっとも、何やかやで引渡しや説明の為に通わなくてはならないので、悪臭を何度も経験するという意味ではあまり良い話ではない。
後者の腐乱死体は何度経験しても嫌なものである。事後処理が面倒というのもあるが、とにかく何度経験してもあの現場は慣れるものではない。死に方にもよるが、自殺で良くある首吊りの場合、顔はガスでパンパンになって変色しきっており、仮に知り合いだとしても誰だか判別出来る自信はない。病死や突然死であっても全身を蛆や蝿がたかっており、液状化した死体が床に溶け込んでいるなんてこともザラだ。とにかく、こちらはこちらで嫌なことに変わりはない。
嫌な妄想を振り払い、チャイムへと手を伸ばす。何度か鳴らしてはみるものの反応はなく、それはドアを少々乱暴に叩いても同様であった。
「すみませーん、どなたかいらっしゃいませんか」
大声を張り上げるが、反応はない。ドアノブを確認すると、どうやら鍵は閉まっていないようである。一瞬迷ったが、また後日と言う訳にも行くまいと思い、そのままぐるりとノブを回して室内へと侵入する。背後を振り返ると老人が困惑した顔をしていたが、わざわざ望まない現場を見せることもないだろうと思い、玄関で待っているよう伝えた。
住人の返事がなく玄関に鍵もかかっていないということは、必然的にゴミ屋敷よりも孤独死や自殺の可能性が高い。家が立派であるにも関わらず手入れが行き届かないところから察するに、妻に先立たれた隠居老人と言った所だろうか。玄関から中へと進むにつれて一層匂いが強くなり、ハンカチなしでは呼吸もままならない。今日の晩メシのことを考えて憂鬱な気分になりながら散策を進めていく。外見通り家の中も広い間取りとなっているようだが、最初に目に付いたドアを開けると広いリビングがあった。電気はついていないものの、雑貨があちこちに散乱しており、生活感はある。玄関からここまで一切ゴミ袋を見かけなかったことから、最早ゴミ屋敷の線は切って良いだろう。匂いの強くなる場所を辿っていくと、リビングの先にも廊下があり、その先にいくつか寝室があるようだ。更にそちらに向かって歩いていくと、そのうちの一部屋が匂いの元になっていることがハンカチ越しからでもわかった。
一度ドアの前に立ち、深呼吸をした後ドアノブに手をかける。
(ドアをあけた瞬間、首吊り死体とご対面なんてのは勘弁してくれよ)
祈りながらドアを押し開ける。
まず目に入ったのは大きな本棚である。雑誌、小説、少女マンガ、教科書……雑多なジャンルの本が乱雑に放り込まれていた。特に不審な点は見当たらないが、ラインナップからして比較的若い女性が住んでいるのだろう。住んでいるのは老人とばかり思っていたので拍子抜けである。あるいは娘や孫の部屋だろうか。
続いて目線を左にそらす。暑い太陽光線が差し込み、部屋を照らしていた。塵や誇りに混じって、小蝿が飛び交っている姿も浮き彫りにする残酷な光線である。
最後に視線を右に寄せ、現場を視認しようとする。前にも左にも不審な点はないのだから、悲劇は向かって右手に存在するはずである。何れにせよ、いつかは見なければいけないのだ。外では老人も待ってるし、帰ってからも事後処理に追われるだろう。引き伸ばしても意味なんてないのだから、さっさと見てしまうに限る。俺は覚悟を決める――
仏さんは一人ではなかった。部屋の大きさには若干不釣合いなベッドにまるで住み着くかのように、それらは並べられていた。あまりに現実離れした光景に、俺は一瞬夢でも見ているのかと疑ったが、これは紛れもない現実だ。気絶しそうになるような光景を目にしつつも、何とか踏みとどまり警察官としての職務を遂行する。
小型犬の生首が一つ。首の断面はしっかりと布を当てて縫いとどめられている。白い毛並みはボロボロになり、茶色くくすんでいた。外見はボロボロではあったが、内部はしっかりと防腐処理が施されているようである。
若い男性の生首が一つ。どこか日本人離れをした雰囲気を感じる。こちらも犬と同様しっかりとした縫合処理と防腐処理が行われていた。
若い女性の生首が一つ。生首の状態から年齢を推測しろというのも難しい話であるが、目立った皺や肌のくすみもなく、まだ10代後半のように思えた。防腐処理についてはしっかりとなされているようだが、どうも縫合処理が外れてしまったらしい。目玉は飛び出ており、顔面下部の骨が首の切断面よりかなりはみ出ていた。何らかの原因により破裂したというところだろう。
女性のものと思われる生首が一つ。中身が腐っており、この世のものとは思えない状態となっていた。白髪交じりの頭髪が長く、顔が小柄であったことから中年から老齢の女性と見られるが、ことによっては男性かもしれない。胴体との切断面には何箇所か縫合の痕が見て取れる。
男性のものと思われる生首が一つ。女性のものと同様、中身は腐っており原型を留めていない。頭頂部の禿げ上がり具合から老齢の男性と判断したが、正確な判断は俺には下せない。
女性のものと思われる腐りかけの胴体が一つ。同じく腐りかけの女性の生首と対をなすものであると思われるが、確かな情報は何もない。
男性のものと思われる腐りかけの胴体が一つ。女性と同様の状態であることから、こちらも対を成す男性の生首の胴体と考えるのが妥当だろう。
一通り確認を終えたところで、ふと気配を感じて後ろを振り返る。そこにはいつの間にか若い女性がニコニコと微笑んでおり、楽しそうに口を開いた。
「これは珍しい。私のお友達に何か御用でしょうか」
ずっといっしょ M2A @m2a
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