第6話 自室

 新人歓迎会が終わる頃には、すっかり辺りは暗くなっていた。まだまだ夏本番には遠いというのに部屋は蒸し暑く、窓をあけることにする。どこからともなく風に乗って土の臭いが運ばれてきた。一息ついた私は部屋の明かりをつけて、あらためてベッドサイドの住人達の姿を眺めた。彼らの顔は大きさも形も様々であるが、どの顔も私のことを裏切らないし、私の全てを受け止めてくれてきた。

 思えば、私の半生には悲しいことが多過ぎたのではないだろうか。勿論、私よりも悲壮な人生を送っている人も大勢居るだろう。ただ、悲しみの尺度なんて人それぞれで、本人が主観で感じるのと、周りが客観的に判断するのとではそもそも土俵が違う。本人には本人なりの苦悩があり、また周りの人には思いつかないような考え方があるのだ。


 私はこのぬいぐるみ達が居て本当に良かったと思っている。彼らが居なければ私は悲しみをどこにぶつけていたか想像もつかない。あんなことにはなってしまったが、このぬいぐるみ遊びを教えてくれた母親にはとても感謝している。確かに私の人生は辛いことがたくさんあった。ただ、いつも彼らはその悲しみを受け止めてくれていた。このぬいぐるみ達は確かに嫌な思い出を背負っているが、それでも私の人生の系譜で、私を支えてくれている大切な仲間だ。初夏の夜、明るく静かな自室にて新しい住人を迎えた私は、彼らのかけがえのなさを再認識した。

 ――私は生きて行く。これからも彼らと一緒に。

 


 ――本当に?

 唐突に心に黒い渦が湧いてきた。ねっとりと練り上げられたそれは、粘液のごとく私の心を蝕んでくる。これまで徐々に積もってきた心のわだかまりが、時を経て熟れに熟れて私の中で一つの魔物と化していた。そしてその魔物は今か今かと私の心で暴れるのを待っていたに違いない。あっという間に心を満たし、容赦のない言葉を投げかけてくる。


「目の前にいる彼らは所詮空想の世界の友人達でしかない」

「結局は絵空ごとだ」

「ただの現実逃避をいつまで続けるつもりなのか」

 違う。彼らはお友達で、私の心を埋める存在で……

「お友達なら、何故喋ってくれないのか」

「何故、表情一つ変えてくれないのか」

 それは、彼らがぬいぐるみで、結局はモノでしかないから。動かないのは当たり前で、でも彼らは友達で……

「ペロは病死した」

「ユウキからは一切連絡が来ない」

「由里の作品はいつ入賞するのか」

「両親にいい加減見捨てられたな」

 違う……違わないけど、違う……

「いつまで逃げ続けるつもりなのか」

「いい加減現実と向き合ったらどうか」

 逃げてなんか……ない。私はぬいぐるみ達を抱きしめる。ぎゅっとぎゅっと、抱きしめる。

 認めよう。確かに現実は非常だ。そんなことはわかっている。だからといってそれに押しつぶされるわけにはいかない。どんなに辛くたって、耐えなければいけないのだ。でもそれはなにも一人で全てを抱えなければならないというわけではない。一人では確かに耐えられないかもしれない。だが、私には仲間がいる。大切なお友達がいる。だから私は耐えられる。

 より一層力をこめる。大切な仲間達を手放したくない。ずっとずっと一緒に生きていくのだ。



 その瞬間、鈍い音がした。明るい部屋の中に響き渡る残酷な音。音自体は一瞬だっただろう。だが、絶望の音はとても長い時間私の耳にこだましていた。いつまでも脳内に鳴り響く断末魔の叫び。呼び覚まされる悲しみの記憶。

 目の前のお友達が破裂していた。

 ――私の中で何かが壊れた。今度こそ私は、駄目かもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る