第5話 両親

 両親とは悪くない関係を築いてきた。勤務医の父と、看護婦の母。結婚自体は早かったが、なかなか子宝に恵まれなかったそうである。もう若いとは言い辛い年齢の時に私を授かり、両親も祖父母もたいそう喜んだという話を昔良く聞かされた。

「お父さん、なかなか運動会で活躍出来なくてごめんな」

「雪ちゃんたちの間で流行ってる服、お母さん良くわからなくて……ごめんね」

 両親は自分たちが高齢出産であり、周りの親達と年齢の差があることを気にしていたようであるが、私はそんなこと気にしたこともなかった。厄介な持病がある訳ではなく、経済的にも不自由していない。地方都市とは言え家は広く、食事も十分、洋服もそれなりの値段がするもので揃っていた。両親が高齢だったこともあり、甘やかされて育てられたのだろう。欲しいものは基本的に買ってもらえたし、やってみたいと思った習いごとは全て通わせてもらえていた。私の生活に過度に口を挟んでくる訳ではなく、大抵のことは望みどおりにしてくれる。そんな両親に不満などあるはずもなかった。


 両親の愛に100%応えられたわけではないと思うが、少なくとも目に余るような非行や落第をこれまでした覚えはない。常に学年トップの成績とまではいかなかったが、成績も優秀な方であったし、学校での素行が悪く両親が呼び出されるといったこともなかった。

「雪ちゃんはえらいわねえ。私たちの自慢の娘だわ」

「そんなことないよ。皆の方がもっとすごいよ」

「あらあら、そんなこと言っちゃって。ご褒美に何かお洋服でも買ってあげようかしら」

「わーい。お母さん、ありがとう!」

 まるで祖父母との会話のようであるが、こんな茶番のような会話が小学生くらいまでは幾度となく繰り返されていた。流石に中学校以降はここまで酷くはなかったが、両親に褒められこそすれ、叱られた記憶はほとんどない。学校で耳にしたり、ニュースで取り上げられるような大きな喧嘩をすることもない、穏やかな時間が赤川家には流れていた。


 学生時代は平穏無事な家庭であったが、高校を卒業した後は少し事情が変わってくる。いつまでも定職につかず、ぶらぶらとしている私に対し、当然のように両親から問いただされるようになるのである。

「雪ちゃん、そろそろちゃんとしたお仕事を探しても良い頃じゃない?」

「雪子、フリーターっていうのはいつまでも続けるもんじゃないんだぞ」

 そんなときは決まって、今忙しいとか、そのうちちゃんと考えると言い、会話を終わらせるようにして切り抜けてきた。そんな私の態度に諦め始めたのか、最近ではそのことが話題に上がることも少なくなっていた。両親も私が高校を卒業する年には仕事を引退していたが、貯金はたくさんあるはずである。暫く私がぶらぶらしていることくらい、金銭的には何の問題もないだろう。もしかしたらそのうち縁談でも持ってくるつもりだったのかもしれない。



 つい昨日のことである。夜中にふと目を覚ましてトイレに行こうとして廊下に出た所、リビングからほの暗い光が漏れていて、かすかに声が聞こえてきた。周りはしんと静まり返っており、意識せずとも声が耳に入ってしまう。盗み聞きをする趣味はないのだが、どうやら話題が私に関することのようで、ついつい足が止まり聞き耳を立ててしまう。


「あなた、いい加減逃げてばっかりいないであの子と向き合わないと。あの子にだって将来はあるのよ」

「もう今更どうしようもないだろう。このまま家でずっと暮らしていけば問題はないさ」

 一体何の話をしているのだろう。確かに私はフリーターであるが、その話だろうか。最近面と向かって私にその話題を振ることはなくなったと思っていたのだが、どうやら両親が2人きりになるとその話題が続いているらしい。フリーターと言えば確かに聞こえは良くないかもしれないが、なにも引き篭もりという訳でもない。まだまだ高校を卒業して二年ほどしか経っていないし、十分取り返しがつく年齢のはずだ。私の将来を悲観し過ぎていて悲しくなる一方で、裏を返せば私を見捨てず、真剣に私の将来のことを考えていてくれた事実に少し胸が温かくなる。いつまでも両親に頼り続けるわけにもいかないし、そろそろ将来を真面目に考える時が来たのかもしれない。

「今は私たちが生きているから良いものの、私たちが死んでしまったらあの子、どうなるか」

「遺産だってそれなりの額残せるだろうし、身の回りの世話くらい自分で出来る年齢だ。俺たちが死んだところで、あの子はあの子なりに生きていくだろうさ」

 父の言うことはもっともである。母は考えすぎだ。確かにフリーターの私にとって金銭面が痛手であることは事実であるが、それは両親の遺産で十分カバー可能だ。今は恋人もいないが、そのうち良い出会いがあって、トントン拍子に結婚なんていう話になるかもしれない。我ながら酷い考えだという自覚はあるものの、母が声を荒げてまで主張する意味は良くわからない。母は父の遺産を私に遺すつもりはなく、贅沢して全て食い潰してしまおうということなのだろうか。考えを巡らせているうちに、会話はヒートアップしていく。


「あの子は私たちの子よ! あの子が今のようになったのは私たちのせいなのよ! あなた、ちゃんと自覚はあるの!?」

「うるさい! 元はと言えばお前が悪いんだろうが! お前が育て方を間違ったばっかりにあんなことになっちまって!!」

 ついには怒号が飛び交うようになってしまった。どうしてこんなに両親は言い争っているのだろう。彼らにとって、フリーターというのはそんなに深刻な問題なのだろうか。荒げられる声と連動するように、床や家具が揺れる音が鳴り響く。これ以上お互いを罵りあう両親の声を聞きたくないと思う一方、会話の結末が気になるのもまた事実であり、私の足は凍りついたようにその場を動かない。

「もう嫌! 私、耐えられない。私、私……」

「そんなに嫌なら家を出て行けば良いだろう。俺達、いや、雪子を置いてな!」

「そんなこと出来るわけないじゃない! 出来ないって知ってて何でそんなこというのよ!」

「お前がどうしようもないこと言うからだろ!」


 私の中で何かがはじけた。

 努めて自然にリビングのドアを開ける。朝食を摂る為に部屋に入るときのように、大げさな音を立てずに、かと言って変に意識して音を殺すわけでもない。この部屋で繰り広げられていた口論なんてそ知らぬ風を装い、部屋へと入る。何もフリーターくらいで母は考えすぎだとは思ったが、とにかく喧嘩の原因は私である。私が原因で喧嘩をしているのならば、私が出て行って収めなければならない。

「雪ちゃん……」

「雪子……」

 時間が止まった。そして10分後、私は部屋に戻った。

 


 喧騒はなくなり、夜は静寂を取り戻す。赤川家の温かい家庭幻想は崩壊した。

 初めての経験だが、時間が経てばそのうち平穏な生活が帰ってくるだろう。

 ――2つのぬいぐるみが本日部屋に追加された。

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