終―日常

 あれから一週間が経過した。

 激闘の末に虎徹を滅却してからというもの、【修羅】絡みの事件は発生していない。未知の恐怖は次第に忘れられていき、疎開を計画していた人たちの大半も結局はこの町に留まることにしたようで、復興作業はあれど人々はいつも通りの日常に還っていった。

 賑やかな町だと大狼は思う。

 そもそも人の往来が激しいからそう感じるのかもしれない。仕事の為だけにこの町を訪れる人も少なくないだろう。

 それでも、大狼は人々の活気に満ちた営みが好きだった。喧嘩とか事故とかもあるが、静か過ぎるよりはいい。

 さて、大狼は今一人で駅前のデパートに来ていた。なぜ一人なのか、奏恵の護衛はいいのか、色々と疑問に思うだろうが、その答えは至極単純なものだ。


「今日一日は奏恵の勾玉から出ているように。また、あたしたちに構わないように」


 柚葉からそのようなお達しを受けたからだ。あれから定期的に連絡を取り合っている瞳子曰く、二人は今日の学校が終わった後に「でぇと」とやらに行くそうだ。要はそれの邪魔をするなと言うことなのだろうが、大狼はどうにも腑に落ちなかった。


(吾は二人の仲を邪魔することはしていないつもりなのだが)


 年頃の女の子の心情などわからない、柚葉曰くの「クソ真面目な使命野郎」らしい感想であった。

 《百目鬼》による襲撃があったそのデパートは今ではもう事件の陰を忘れていつも通りに営業をしている。

 ジュエリー店の店員は事件があった時とは代わっているし、警備員も新しく配属された人たちだ。彼らに軽く会釈をした大狼はエスカレーターに乗って上を目指した。

 実は、今日は事件のあった日よりも注目を浴びていない。銀色の髪やイケメンフェイスは相変わらずだが、今回は右腕を包帯で巻いていない。

 【鬼ノ腕】を失った大狼はあれから数日の時を掛けて左腕と同じ、ごく普通の人間の右腕を構築した。

 だから、今の彼に不審な点はほとんどない。あるとすればその時代錯誤な言動のみかもしれないが、それも黙っていればわからないだろう。

 話を戻そう。エスカレーターに乗った大狼は八階で降りた。そこにはフロアの約半分を陣取っている大きな書店がある。大狼の目的はここだった。

 大狼は人波をするすると抜けて「趣味・娯楽」コーナーの本棚の前に辿り着いた。前回買ったクロスワードパズルをすべて解いてしまったため、新しい物が欲しかったのだ。

 一冊のクロスワードパズルを手に取った大狼はレジには向かわなかった。せっかくだから他にどのような種類の本があるのか散策してみようと思ったのだ。

 ファッション雑誌、料理本、写真集、問題集、絵本、小説、漫画……個々人の需要に応じたバラエティに富んだ本がたくさんある。そしてそのどれもが色彩豊かで、表紙を眺めるだけでも愉快だった。


「あ、あの!」


 店内をふらふらと歩き回っていると、大狼は誰かに声を掛けられた。どこかで聞いたような気がする女性の声だった。

 振り返ると、そこには清楚な雰囲気を漂わせる女性がいた。どうにも緊張しているのか頬が強張っており、そわそわと落ち着かない様子であった。


「と、突然すみません……その、前の事件の時に強盗を追い払ってくれた人、ですよね? 私、あの時の店員です!」


 言われてようやく大狼は思い出した。どこかで見た顔、そして聞いた声だと思ったら、《百目鬼》に憑依されていた女性客の相手をしていた店員だったか。


「ああ、なん――キミか。あの時は災難だったな」


 汝、と言いかけて、柚葉に言葉遣いを注意されていたことを思い出した大狼は言い直した。キミ、もそれはそれで図々しい呼び方ではあるが。


「実は、あの事件のことは私もよく覚えていないんです……変ですよね、目の前で見ていて、しかも実際に襲われたはずなのに」


 女性は悲しそうにそう言った。神力に触れることのない人間は【修羅】のことを認識できなくなってしまう。彼女もその影響を受けていたがために、記憶が曖昧になっていた。


「でも、その、貴方が助けてくれたことだけは、はっきりと覚えていたんです! だから、その、お礼を言いたくて……本当に、ありがとうございました!」


 やや興奮気味に女性は頭を下げた。しかし大狼は冷静にそれを手で制した。


「いや、礼は要らぬ。わ……俺も当然のことをしたまでだ」

「でも、その、それだと、私の気が収まらないと言いますか……だから、今度、食事にでも行きませんか!」

「む?」


 突然の誘いに大狼は戸惑った。自分には使命があるのだから、関係のない人と関係を作るわけにはいかない……そう思っていたのだが、


「……ならば、喜んでお受けしよう」


 この間テレビで放映していたドラマで言っていたセリフを思い出してしまい、ついそれを口に出してしまったのだった。


「本当ですか! やった、ありがとうございます! あ、私の電話番号はこれでして……」


 なんだかよくわからないうちに話が進んでいるような気がするが、まあ、この女性が楽しそうならそれでいいか。

 こうして、大狼は知らず知らずのうちに女性との「でぇと」の約束を取り付けてしまったのだが、それが「でぇと」であることに気付くのは随分後になって柚葉にからかわれた時の話である。


 ◇ ◇ ◇


 大狼がデパートでよくわからないことに巻き込まれている一方、奏恵たちの通う学校では、


「突撃! 今日のクラスメイト!」


 クラスメイトの大槻あざみが録音機片手に奏恵に詰め寄ってきていたのだった。


「え、ええ? 突然なんですか?」


 何の前触れもなく始まったあざみの行動に、奏恵は戸惑いを隠せなかった。


「ん、わたしたち新聞部の新しいテーマよ。一日一人、クラスメイトの情報をバァーン!と掲示するの。空鵞さんはその第一号なのです! ってなわけで取材協力よろしく!」

「そ、そんなこと突然言われても困りますよ……」


 奏恵はぶんぶんと両手を振って明確な拒絶を示した。すると、あざみは「ちぇー」と頬を膨らませ、近くの椅子を引っ張り出して座った。


「じゃ、ここからはオフレコの世間話。それならいい?」

「ま、まあ、いいですけど」

「ありがと。じゃあ単刀直入に聞くけど……ぶっちゃけ柚葉さんとどこまで行ったん?」


 ぶっ!

 ちょうどペットボトルの緑茶を飲んでいた奏恵は盛大に噎せ返った。


「ど、どこまで、とは、どこまでですか?」

「いやほら、わたしが二人の仲を取り持った日からさ、それまで以上に距離近くなってない? あの後なにがあったの? ってか、絶対なにかあったでしょ?」

「え、えっと、その節は本当にありがとうございました、お陰様で私と新稲寺柚葉さんは元の関係に戻ることができ――」

「いや、元の関係以上でしょどう考えても」


 あざみのぐいぐいとした追及に奏恵の頭は混乱していた。

 まさか巨人に乗って戦っていたとは言えないし、それを省略したとして、愛を叫ばれたなどとは口を裂けても言えない。言ってはいけない。言った瞬間に噂が学校中に広まってしまう。そうしたら迷惑を被るのは柚葉だ。


「じゃあ、わかった。質問を変えよう」


 追及が止んだのを見て、奏恵はホッと胸を撫で下ろした。


「柚葉さんのこと好き?」

「はい、大好きです!」


 ――即答だった。

 クラス中が「おぉ~」とどよめく。それを聞いてようやく、奏恵は自分が本音を抑え切れなかったことに気付いた。


「あ、あぁー! ごめんなさい今の無し忘れてください~!」

「ちなみに空鵞さんの放課後のご予定は?」

「ゆずちゃんとデートです!」


 ――またもや即答だった。


「う、うぅ……穴があったら入りたい……」


 奏恵は耳まで顔を真っ赤にして突っ伏してしまった。


「ちなみに誰の――」

「あざみィィィーッ!」


 柚葉の怒号が廊下から教室の中にまで響いてきた。耳がキーッンと痛むほどの声量だった。どうやら人伝に噂を聞きつけて、急いで職員室から戻って来たらしい。彼女が教室に戻ってきた途端に、他のクラスメイトから拍手と下世話な口笛が起こった。


「おお、これはこれは柚葉さん! お噂はかねがね……ふえっへっへっへっ」

「なんだその笑い方は、気持ち悪いな……って、そうじゃなくて、カナに何をしたのよあんた!」

「いやいや、わたしはただ世間話をしていただけでございます故」


 いまいち胡散臭いあざみの言い分を不審がった柚葉は奏恵に視線を向けた。だが、


「見ないでゆずちゃん……恥ずかしい……」


 そう言うばかりで顔を上げようとしなかった。


「世間話がどうなったらここまで深刻な事態になるのよ!」

「さてーなんのことやらー」


 あくまでシラを切り通そうとするあざみの表情は見ていてムカつくものであった。正直なところ柚葉は今すぐにでもぶん殴りたかった。

 その気持ちをグッとこらえて、柚葉は奏恵の腕を引いて立ち上がらせた。顔の熱は少しだけ引いているようだったが、まだほんのり赤かった。


「こんなところにカナを一人にしておけるか! 逃げるよ、カナ!」

「え、逃げ、え、え?」


 そして困惑する奏恵を引っ張り、柚葉は教室を飛び出した。突発的な行動だったためどこへ行くかもわからない。まあ、時間が過ぎるまであの場を離れればいいだろう。


「お、逃避行か? がんばれー」

「結婚式には呼べよー」

「まあ、この後授業あるけどな」

「お幸せにー」

「こら新稲寺、廊下は走るな!」


 そんな下世話なヤジが、二人を見送る。


「うるせぇ!」


 それらに対して柚葉はそう言い放つのだった。

 

 散々からかわれた二人は校内中を走り回った。最初は困惑していた奏恵も次第に楽しくなってきて、二人は次の授業が始まるまでずっと笑顔だった。

 だって、怪物を相手にしているわけでもない、命の危険もない、ただのおふざけの追いかけっこ。

 それはどうしようもないくらい楽しくて満たされる平和な日常なのだから。


 ◇ ◇ ◇


 ちょっとオシャレなレストランで晩御飯にした二人は暗い夜道を手を取り合って歩いていた。

 楽しい時間と言うのはあっという間で、気づけばもうすっかり暗くなっている。ぼんやりとした街灯と民家の灯りだけが頼りだったが、二人一緒だから心細さはまったくなかった。


「今日は楽しかったですね」

「そうだねー。まあ、学校では散々な目にあったけど……」

「あはは……あの後先生に怒られちゃいましたからね」

「ま、それも楽しかったけどね」


 その日の感想を共有して笑い合う。そんな当たり前の日常を過ごしたのはいつ以来だっただろうか。


「あのさ、カナ。実はあたし、カナにずっと秘密にしていたことがあるんだ」

「え、なんですか?」


 柚葉は奏恵の左手を握ったまま一歩前に踏み出すと、奏恵の方を振り向いて照れたようににぃっと笑った。


「実はあたし、カナのことは一目惚れだったんだ」

「え?」


 突然そんなことを言われて、奏恵は素っ頓狂な声を出してしまった。だが、その言葉の意味をよくよく考えて、そして理解すると、奏恵の顔は本日二度目の紅葉を迎えた。


「え、ええええええええ! だ、だって、初めて会ったのって、幼稚園の時ですよね?」

「うん。その時からあたし、カナのことが好きだったんだ」

「そ、それを今までずっと隠してきたんですか? なんで?」

「だって……もし拒絶されたらって思ったら、怖くてさ。だから――」


 柚葉は繋いだままの奏恵の左手に自分の左手を重ねて、優しく包み込んだ。


「今もあたしと手を繋いでくれていてありがとう」


 柚葉にしては珍しく繊細な笑顔だった。

 まるでこのまま街灯に溶けて消え行ってしまいそうで、だから奏恵は彼女に抱き着いた。


「わ、私だって……私だってゆずちゃんのことを、ずっと……!」


 街頭に照らされながら抱き合う二人は見つめ合った。心臓の鼓動が二重になって聞こえてくる。どっちの音かなんてわからない。

 二人の顔が吐息を感じられるほどに近づく。お互いに求めていることは同じ。それを察して、二人は目を閉じた。


 そして、


 そして、狙いすましたように奏恵のスマホが鳴った。


 途端に恥ずかしくなった二人は慌てて距離を離した。心臓がバクバクと激しく揺れている。顔が熱くなるのは今日で何度目なのかもうわからない。

 奏恵がスマホを取り出すと、画面には「瞳子さん」と表示されていた。ボタンを押してそれに応じると、真面目な彼女の声がスピーカーから聞こえてきた。


『デートの邪魔してごめんなさい。ですが、【修羅】の反応を感知しました。今から現場に向かってください』

「はい、わかりました。はい……はい、くれぐれも気をつけます。それでは」

「……【修羅】?」


 奏恵は頷く。すると、柚葉は頭を抱えて叫んだ。


「あぁー! なんなのよもう! せっかくいい雰囲気になったのにー!」


 それは奏恵も同感だった。まだ顔が熱い。もしかしたら明日は風邪を引いてしまうかもしれない。

 だが、それはそれとして【修羅】退治だ。気持ちを切り替えるために奏恵は自分の頬を叩いて気合を入れた。


「あ、そう言えば。大狼いないじゃん」

「大丈夫ですよ。……大狼さん!」

「うむ、吾を呼んだな?」


 奏恵が勾玉に向かってその名を読んだ瞬間に彼は目の前に出現した。

 いったいどのような原理が働いているのか、もはや考えるだけ無駄だと柚葉は諦めた。


「【修羅】が出たのだな」

「はい。行きましょう、みんなの笑顔を守るために!」

「応!」


 そうして、三人は通報のあった場所へ向かって走り出した。


 ◇ ◇ ◇


 この世には人ならざる悪意がある。


 それは人の良心を踏みにじり、貪り、最後には滅ぼしてしまう。


 少しでも心の隙間を見せれば餌食にされてしまうだろう。


 なんと理不尽なことであろうか。


 だが、この世にはその悪意に抗う戦士がいる。


 その戦士は誰かを大切に思う優しい心を胸に、今日も人々の笑顔を守るために戦っている。


 彼らこそが、平和な日常を陰で支えてくれる功労者なのだ。


 その名は――




 空鵞の巫女と羅殺の式機




                                       完

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空鵞の巫女と羅殺の式機 藤咲悠多 @zakira753

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