六の参 私の右手
【鬼ノ腕】を解放した《羅生紋》は有無を言わずに佇んでいた。
まさかまた暴走か? 虎鉄は構えを取りながら、訝しげにその様子を窺っていた。
だが、《舞秘女》の中にいる柚葉は、奏恵ならきっと大丈夫だと信じ続けていた。
果たして、その答えが出た。
漆黒に変化していた《羅生紋》の瞳が再び真紅の色を取り戻したのだ。
その色こそが、人類を守るために戦い続ける《羅生紋》の正義の証!
そして、彼らが闇に打ち勝ったことの証明である!
「行きますよ、《羅生紋》!」
『承知。忌々しき【修羅】の力、存分に使え!』
紅のガスの尾を引き、《羅生紋》は鉤爪を突き出して《斬月鬼》に掴みかかった。
《斬月鬼》もまた自身の鉤爪を振るってそれに対抗する。
【鬼ノ腕】同士がぶつかり合い、互いに弾き返す。そう認識した次の瞬間に両者は大地を蹴り跳躍した。
炎の翼がそれぞれを大空に飛ばさせる。そして怪しく渦巻く雷雲の下で両者はぶつかり合った。
「なぜ俺たちを裏切った、大狼!」
『吾は基より人類の味方だ! 真名の下、人々を平和へと導く使命があった!』
「それでも、お前は一度でも【修羅】として俺たちと肩を並べた! 【修羅】としてのお前の使命もあったはずじゃねえか!」
『ああ、あったさ。だからこそ吾は後悔などしないと決めた! 今ここで再び迷ってしまえば、それは人類に対しても、お前たち【修羅】に対しても、礼儀知らずの愚か者に堕ちてしまうからだ!』
「ふざけんじゃねえぞ、大狼ィィィーッ!」
『なんとでも言うがいい。吾は己の信じる正義を貫くのみだ!』
赤い閃光と青い閃光が大空という制限のない空間を縦横無尽に飛び回り、幾度となく衝突を繰り返す。常人の目に留まらぬ光速での戦闘だ。一体そこではどのような戦闘が繰り広げられているのか、柚葉には皆目見当もつかない。
「すごいな……」
もはや自分がここにいることが場違いに感じるような異次元のバトルに柚葉は見入っていた。
だが、赤い閃光――《羅生紋》が徐々に押され始めているようにも見えていた。それは段々と可視化されていき、二機が大きな地鳴りと共に再び地上に降り立つと、バランスを崩した《羅生紋》はガックリと膝を落としてしまった。
両者の性能は互角だ。ともすればこれは、【鬼ノ腕】に対する慣れの差だった。
「こいつでトドメだ、
隙は絶対に見逃さない。着地した直後に《斬月鬼》が跳び出す。邪気によって禍々しく輝く【鬼ノ腕】を構え、《羅生紋》にトドメを刺さんと振りかぶり、
「危ない!」
《羅生紋》の目の前で青色の破片が飛び散った。
何が起こったのか、理解できなかった。まるで時間が遅くなったような気がした。
《斬月鬼》の放った一撃は、《羅生紋》を庇うように躍り出た《舞秘女》の上半身を穿ち、粉砕した。
「ゆず、ちゃん……?」
残された下半身が静かに倒れる。奏恵はそれをただ茫然自失として眺めていた。だが、
――あたしは大丈夫! それよりも今のうちに攻撃を!
彼女の声がどこかからか聞こえて来て、奏恵はハッと我に還った。
確かに、大技を出した直後の《斬月鬼》は反動で動けなくなっている。だから、攻撃をするなら今を置いて他にない。
ギリッと唇を強く噛み締め、奏恵は《羅生紋》を駆動させた。炎の翼を噴かした勢いで加速し、巨大な鉤爪で敵をしっかりと掴み取った。
「うあああああああああああああああ!」
加速を続けた《羅生紋》は《斬月鬼》ごと空に飛んだ。雷雲を突き抜け、その上の夜空に出る。
そして、十分な高度まで到達した《羅生紋》は振り向きざまの回転の勢いを乗せて《斬月鬼》を雷雲目掛けて放り投げた。
だが、それで終わりではない。
《羅生紋》は地上に吸い寄せられて落ち往く《斬月鬼》をすぐに追った。鉤爪に集中させていた神力を解き放ち、《羅生紋》はその身を真っ赤に燃える紅蓮の炎の鳥へと変えたのだった。
「はあああああああああああ!」
巨大な爪は嘴となって《斬月鬼》の巨体を丸ごと呑み込む。
――もっとだ、もっと自分を燃やせ! もっと炎を上げろ!
その熱は奏恵にも伝わってくる。汗が止まらない。だが、熱がっている場合でもない!
そ加速した炎の鳥は地上に向かって急降下した。
『
雷雲が裂ける。
隙間から紅の軌跡が一直線に地上へ墜落した。
その正体は炎の鳥だった。クレーターを築き上げた鳥はその中心に嘴を突き立てていた。
逃れることすら許されず、地面に叩き付けられた《斬月鬼》は炎の鳥によって圧し潰された。
【鬼ノ腕】によって限界を超越した神力の奔流が《斬月鬼》の全身を駆け巡る。
鉤爪を放した《羅生紋》は彼に背を向け、静かにその場から離れた。
間もなくして、背後で巨大な火柱が天を貫いた。
「ゆっくり休んでください、お母さん……」
その先にいるであろう母の魂に、奏恵は祈りを捧げるのだった。
これで戦いは終わった。
そう思い込んで、油断していたのは間違いないだろう。
『奏恵、後ろだ!』
その警告に従って振り向いた直後の事だった。
黄金色の猛虎が鋭い爪を振りかざして《羅生紋》の胴体を引き裂いたのだ。
「ギャハハハハ! 油断してんじゃねえぞ貴様らァ!」
それは間違いなく虎だった。だが、人間に限りなく近い姿をした二足歩行の虎だ。
全身を逆立った体毛が覆い、その上から軽い鎧を纏っている。鋭い牙が口から覗き、爛々と煌く金色の瞳は闇夜の中で獲物の姿を捉える。左腕は《斬月鬼》の【鬼ノ腕】と同じ姿をしていた。そして腰回りを覆う装甲には愛刀・阿修羅丸が提げられている。
これこそが虎鉄と呼ばれた【修羅】の本当の姿なのである。
『【餓機】が破壊される前に脱出していたのか!』
「ああその通りだ! 俺はまだまだ戦えるんだよォ!」
阿修羅丸を抜いた虎鉄は《羅生紋》に斬りかかった。《羅生紋》はその刃を寸でのところで躱し続けた。
だが、無限に刻まれた鮮血の弧はやがて軌道を描き、ついに《羅生紋》の【鬼ノ腕】を斬り飛ばした。
「なっ……!」
「最凶位の力を誇る【鬼ノ腕】と言えども、結局は武具のひとつに過ぎない。後先考えずに使い続ければ当然脆くなる!」
『まさか、最初からこれを狙って……ぐ、ぅぅっ……!』
肩ごと斬り落とされた【鬼ノ腕】を失ったことによって、それで賄っていた神力があっという間に失われていく。風船から空気が抜けるように、《羅生紋》は元来の姿に戻ってしまった。
「ギャハハハッ! 右腕も【鬼ノ腕】も失ったなァ! これで形勢逆転だぜオイ!」
大量の神力を失って動けない《羅生紋》を虎鉄は殴り、殴り、殴った。
奏恵は結界を展開してそれを防ごうとするが、神力の光はまばらになって淡く消えてしまう。
「ど、どうして、神力がうまく使えない!」
『右腕を失ったから安定しないんだ!』
「じゃ、じゃあ、右腕を造れば――」
『四肢の再構築にはかなりの時間を有する。少なくともこの戦闘中には無理だ!』
それでは、右腕も神力もない状態でこの強敵を倒さなければならないのか。
それはもはや、ただの無謀なのではないか……?
勝算を感じられない事実に途方に暮れ、奏恵は勝利を諦めようとした。
その時だった。
「負けるな、カナ! あたしがついてる、だから負けるなァーッ!」
声が聞こえた。元気いっぱいに激励してくれる大切な人の声が。
突然のその声に、《羅生紋》も虎鉄も振り向いた。
少し離れた丘の上に柚葉が立っていたのだ。
「ゆずちゃん……」
奏恵の折れかけていた心に火がついた。
そうだ、まだやれることはある。
たった一筋の光が奏恵にははっきりと見えていた。
「大神さん――」
『――承知』
《羅生紋》は左手で腰の草薙羅殺を抜刀した。
そしてその刀を中段で構え、刃に神力を集中させる。結界とは違い集中させる場所が固定されているため、神力が分散することはなかった。
「その構えは羅殺月影斬か。だが、まさか片手でそれを放とうとするわけじゃねえだろうな?」
奏恵は何も答えない。静かに深呼吸をして、神力を集中させることに注力した。
その様子におどけるような表情をした虎鉄は同じように阿修羅丸を構え、邪気を刀身に集中させていく。
虎鉄の言う通り、羅殺月影斬は両手で構えないとほとんど命中しない。なぜなら、膨大な神力を帯びた刀が手の中で暴れてしまうため、両手で支える必要があるからである。故にこの大技は両手があって初めて完成するものと言えよう。
だが、今の《羅生紋》に右腕はない。再構築をすることも叶わない。それならばもはや左手だけで放つしかない……しかし、奏恵のやり方はそのどれでもなかった。
「造るんじゃない。当たり前のものがそこにある、ただそれだけのこと――」
神力はイメージを形にしてくれる。ならば、再構築とまでは行かずとも、共に剣を握ってくれる、独りぼっちの左手を支えてくれる、そんな右手ならば――
「私の手をいつも繋いでくれた右手。私を決して離さないと言ってくれた人の右手。それが、私にとっての当たり前の右手!」
奏恵のその願いに呼応した神力の光が《羅生紋》の右腕があった場所に集った。
その光は連なり、ある一つの物質を模る。
それは、《舞秘女》の右腕と瓜二つの物。
光の右手は左手と共に刀の柄をそっと握り、その支えとなる。
奏恵は何かを繋ぎ止めるかのように、自分の左手を柔く握った。そうするだけで、離れた所にいる柚葉の気配を近くに感じていた。
『行くぞ奏恵。必殺の剣を今ここに!』
今までも、これからも、ずっと隣で寄り添ってくれる柚葉がいるから、私はどんなことだってできる。
「はい!」
雷光の如き青白い光を纏って強く迸る刀を構え、《羅生紋》が跳び出す。
「阿修羅虎王斬!」
同時に、阿修羅丸の刀身に邪気のプラズマを迸らせた虎鉄も跳び出した。
「はあああああああああッ!」
『
そして、一閃。
二対の剣筋が重なり合った。
背中合わせの二人は、横凪ぎに刀を振るった体勢のまま動かなかった。
しかし、勝敗はすでに決していた。
虎鉄の腹が斬り裂かれ、ヘドロのような血液をだらだらと溢していた。
「……大狼よォ」
『なんだ』
「先に、地獄で待ってるぜ……!」
血反吐を吐きながら、虎鉄はにっこりと微笑んだ。
そして、神力の奔流に耐え切れなくなった肉体が一瞬の閃光の後に光の粒子となって爆ぜた。
まるで星が降ってきたようだ。夜空の下で明滅する光は美しく、そして儚かった。
奏恵の母親の仇、そして大狼の戦友だった《人虎》――虎鉄の最期だった。
《羅生紋》の右腕の代わりを務めた光は消え、そこに何も残さなかった。
丘の上に視線を移すと、そこに立っていた柚葉がぶんぶんと大はしゃぎで左手を振っていた。その無邪気な姿に、奏恵は微笑む。
奏恵は《羅生紋》をそこに向けて歩かせた。
そこにいる大切な人と一緒に家に帰るために。
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