理不尽の蔓延る街
新成 成之
君に
「私ね、耳が聞こえなくなるの」
ミキは僕にそう言った。小学四年という幼い頭でも、事の重大さは理解できた。
ミキは僕の幼馴染みだ。年は僕より一つ上だけれども、おっとりした性格のせいか僕と同い年、あるいは年下にも思える女の子だ。セミロングの黒髪と大きな目が可愛いらしい、普通の女の子だ。けれども、彼女の病は、本人にも分からないところで彼女を蝕んでいた。
「でもね、直ぐにって訳じゃないの。後、何年かしたら徐々に聞こえなくなっちゃうんだって」
彼女の声は震えていた。元々大きな声で喋らない彼女が今日はいつにもまして、その声量は乏しかった。
僕はただ、分からなかった。彼女が音を聞こえなくなるのもそうだし、僕自身が何を言ってあげたらいいのか、その時の僕には分からなかった。何となく、悲しさだけは理解できた。
ある日、僕達は公園に遊びに来ていた。僕とミキともう一人の男の子友達と一緒に近くの公園に行ったのだ。遊んでいる時は色々な事が忘れられた。ミキ自身も無邪気に笑いながら、僕達三人はその日の時間を過ごした。
帰り時であった。僕と友達の二人が前に、ミキが後ろに、という並びで僕達は家に帰っていた。辺りはそんなには暗くなく、寧ろ少し明るい位の時間だった。彼と僕が二人で話していると、後方からバイクが近づいてくる音がした。その時僕は、自分でも分かる位顔が青くなった。直ぐ様ミキのところに駆け寄った。そして、バイクの方を見たが、バイクは手前の十字路で左折した。僕は即座に緊張の糸が切れた。自分でも分からない位僕は動揺していたのだ。
「どうしたの・・・」
ミキは僕より背が少し低いから、ちょうど見上げるような形で僕の顔を見つめた。僕は何故かミキに微笑んだ。
「変なの」
そう言ってミキはまた歩き出した。僕はなぜあの時あんなにも焦っていたのだろう。ミキはまだ大丈夫であったのに。
それから数年が過ぎ、僕達は少し大きくなった。これまで何もなかった。だから僕は安心していたんだ。この日までは。
ミキは突然僕にこう言った。
「私ね、引っ越すことにしたの。明日にはここ出るの。今まで言えなくてごねんね。でもね、言おうとしたんだよ。君を見るたび言わなくちゃ、言わないとってね。でもね、言えなかったの。怖かった。大事なものを失っちゃうんじゃないかって」
ミキは小さな声で僕に告げた。彼女の言っていたいつかは意外にも早く、僕達の前に訪れた。
ミキは遠い街に引っ越すと言った。そこには大きな病院があってそこでなら、この病と少しは闘えるかもしれないと、希望溢れる話のはずなのに、ミキは震えるような声で僕に言った。結局、僕は何もできなかった。ただただ、彼女が心配だった。けども、そんなことをしたって彼女が救われないこと位、頭では分かっていた。でも、そうするしかなかった。
気付くと、僕は自然と涙が出てきた。何の涙なのか分からない。悲しさなのか、悔しさなのか。そもそも、この涙に名前があるのか。分からない。でも一つ、僕はここにきて分かったことがあった。僕はそれを涙を流しながらミキに言った。
「ミキの事が好きだ」
本当なのかどうか、彼女は耳に手を当てている。
「ミキの事が好きなんだよ」
今度は彼女に届く声で伝えた。涙目で彼女を見ると、彼女もまた涙を流している。僕はミキを抱きしめた。ミキも僕を抱きしめてくれた。涙が止まらない。僕はミキを強く抱きしめる。僕は声出さずに堪えていた。ミキは吹っ切れたように声をあげて泣いた。僕達は道の真ん中で、抱きしめあって泣いた。
「なに書いてるの」
ミキは僕の背中越しに除き混む形で、僕に聞いてきた。
理不尽の蔓延る街 新成 成之 @viyon0613
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