消えた『マンホールの蓋』のお話し

齋藤 龍彦

消えた『マンホールの蓋』のお話し

 マンホールの蓋に刻印されたアニメキャラ達が非道い目に遭っている。

 

 まず傷をつけられた。

 次に白い塗料を吹き付けられた。様々な色で綺麗に塗り分けられていたマンホールの蓋は真っ白く塗りつぶされた。



 ——ここにとあるアニメの聖地がある。わりと有名な方の聖地だろう。

 この聖地には、とあるアニメのアニメキャラ達が刻印されたマンホールの蓋が、メインキャラの数だけ9枚あった。この蓋は当該アニメのファンの寄付によってできた蓋で、きっとこの街に住んでいない人からも寄付が来たことだろう。

 なんとも素晴らしいプレゼントじゃないか。なんとも素適な話しじゃないか。

 だがそれが、台無しにされてしまった——


 設置から19日後、9枚のマンホールの蓋は全て消えてしまった——


 このマンホールの蓋の企画を最初に聞いたとき、嫌な予感がした。このマンホールの蓋は消えてしまうのではないか、朝になったらこの蓋は無くなっていて道の真ん中にぽっかりと穴が開いているのではないか、と。


 だがこの予感は外れた。

 このマンホールの蓋は他ならぬ設置した自治体自身によって取り外されることになってしまったのだ。

 これは防衛のための仕方のない措置だった。全ての原因はマンホールの蓋を攻撃した人間にある。

 その悪いことをした人物は個人的な予感に反し、全く反対の属性を持った人物であった。


 ファンなどではなく、むしろアンチ。


 この事件を『ファンの視点』で非難することは簡単だ。だけど、この手の犯人に言ってみても効くことはないだろう。

 だから『街の視点』で言うと決めた。



 いよいよ人口減少社会が到来した。

 特に地方は深刻だ。

 なんとか少しでも人を集めようと、どこもかしこも知恵を絞り策を考えている。


 その策の中のひとつがアニメを使っての地域振興。

 口で言うのは簡単だ。しかし現実は厳しい。

 まず『我が街を舞台に!』とアニメを誘致しようとしてみても舞台に選ばれるのも奇跡だ。

 運良く舞台に選ばれてもそのアニメの人気で事の成否が決まってしまう。ろくに人気が出なければその地方自治体がどんなに頑張っても空回りだ。


 マンホールの蓋にまでなってしまったこのアニメは希有な成功例だ。かくしてこの街は『聖地』だと広く認められるに到った。



 『聖地』、イスラム教でいうところの『メッカ』。サウジアラビアにあるこの街はこの先も聖地であり続けるだろう。

 しかしアニメの聖地はいつまで『聖地』なのだろう?

 『オワコン』ということばがある。とても嫌な響きのことばだ。

 だが熱というのは下がるし冷める。ブームは必ず終演する。

 だからといって『聖地』が二匹目の土壌を狙い改めて別のアニメを誘致することは難しい。最後まで残ったファンが抱くであろう『裏切られ感』は想像に難くないし、制作サイドも『便乗』『二番煎じ』『真似』だのなんだのと非難めいたことは言われたくはないだろう。造るなら今まで選ばれたことのない別の街を選ぶだろう。

 東京ならばともかく『或るアニメの聖地』として名を売った『地方の或る街』が別のアニメを誘致できるかといえばそれは不可能と言っていい。いったん聖地に選ばれれば、別の聖地にはなれない。二度目は無い。その街にとってそのアニメは唯一無二の存在なのだ。


 今でこそ、この街のそこかしこでキャラクター達を見かける。

 ラッピング電車、ラッピングバス、ラッピングタクシー、ラッピングお船。

 水族館とのコラボキャンペーンにコラボグッズ、そしてこの街の中各地に展開するアンテナショップ。

 しかし、残念ながらそれらはじきに消える。たぶん、長くて映画が終わってから半年といったところか。

 今現在のこの日々は記憶の中にしか残らない。


 『記憶に残ればいいじゃないか!』


 そう言う人がいるのかもしれない。だが記憶は薄れる。

 このアニメは登場キャラを全て入れ替えての第2シリーズだ。第3シリーズが始まればどうなるか——

 人が代われば記憶は無くなっていく。

 語り部などはきっといないだろう。数十年後の未来、土地の古老が、

「この街は昔アニメの聖地じゃった」と語る姿が全く想像できない。語り継ぐ者などいない。

 今でこそ、街のそこかしこでキャラクター達を見かける。

 ラッピング電車、ラッピングバス、ラッピングタクシー、ラッピングお船。

 水族館とのコラボキャンペーンにコラボグッズ、そしてこの街の中各地に展開するアンテナショップ。

 残念ながらそれらはじきに消える。


 『そういうものだ! アニメなど消耗品だ! 消費し尽くされれば終わる!』


 そう言う人がいるのかもしれない。それは否定しがたい真理ではあるがこの街にとってそのアニメは唯一無二の存在なのだ。次はもう無い。何もかも人の記憶も消えてしまったら聖地ではなくなってしまう。かつて聖地だったことすらじきに忘れ去られる。いつまでも聖地であり続けるのは困難だろう。しかしなんとか何かを残せないか、確かにこの街にそういう時があった、それを証明できる何かが残せないか、と考えるのは人情だ。



 マンホールの蓋にキャラクター達を刻印するというのは素晴らしいアイデアだった。

 マンホールだけに下が下水(たぶん)というのはキャラ達にとって少々気の毒だが、これはこの先ずいぶんと長い間街の中に残り続ける筈だった。

 これらのマンホールの蓋はかつてこの街でこういうことがあったという証明。街の歴史を形にして残す存在だった。

 とは言えアニメだけに人によって好悪の感情はあるだろう。

 しかし、『この街で起きたできごと』という街の歴史が気に食わないからといって無いことにしていいのか? それは確実にあったはずだろう。

 これはただのマンホールの蓋にあらず、これは碑だ。

 このアニメの熱風が確かにあの時この街に吹いていたという遺構になり得たものが、これらマンホールの蓋だったのだ。


 このマンホールの蓋に傷をつけ塗料をぶちまけた人間はこの街の未来、そしてこの街の歴史のことなど考えていない。


 ——さて、『街の視点』の話しはここまでとしよう。




 最後に少しだけ趣向を変えようと思う。ここからは〝もしも〟の話しだ。

 あのままマンホールの蓋に何事も起こらず、街中各地に設置されたままだとしてもマンホールの蓋は磨り減りいつかは交換されてしまう。その時再び同じ物が設置されるのかどうか。

 もし同じ物が設置されるとしたらこの街はずっとこの先も『聖地』のままである。だが時の流れには抗えず別のデザインのマンホールの蓋になってしまったら……


 このアニメキャラのマンホールの蓋に敵意を抱きがちな人間は、こう考えて蓋を眺めればよいのではないか、という提案である。



 マンホールの蓋が元の位置に戻ってくることを切に願う。


                                                                     (了)



——平成30年(2018年)10月2日、朝、追記


 昨日(10月1日)、『消えたマンホールの蓋』が「10月10日に戻ってくる」と決まったとのこと! しかも新デザイン増、枚数増で!

 ただ、『カラーマンホールの蓋』の再設置箇所は防犯カメラ設置箇所限定で、そのためか一部(3枚)は四ヶ月ごとに交換しながら取り付けられるそうで、まあ仕方ありません。

 二度とマンホールの蓋に危害を加えるような事件が起こらないよう、願わずにはいられません。

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