雨中
道半駒子
雨中
同級生が亡くなった。
何組の誰々とかいう男子生徒で、昨日帰宅途中に交通事故に遭ったらしい。
ここのところ連日雨が続いていた。俺は何となく落ち着かず、休み時間の度に廊下に出て、うろうろと歩き回っていた。
昼休み、例の生徒と同じクラスのやつが葬儀から戻ってきて、飯の後に色々な話を聞いた。事故は昨日の夕方七時半頃だったらしい。
「つーか誰だっけ? 俺顔知らない」
「あれってさ、棺桶の中とか見れんの」
友人たちの声。不謹慎にも程がある。無関係者の残酷な興味だ。
携帯電話を操作していたそいつは、唇の端を歪めて言った。
「こいつ、ホモ疑惑あったんだよ。中学のとき男と手つないでたって。ウリやってるって噂もあったし」
「マジか」
ちょっとしたネタにはなる話だった。それにしても昨日の夕方七時半といえば、俺がまだ帰りの電車に揺られている頃だ。かわいそうに。家族の悲哀は察して余りある。
「ほらこれ、文化祭の班で撮ったやつ」
示された携帯電話の画面には、やや青白いが端正な顔の少年が映っていた。
昨日俺は掃除当番に当たっていて、教室を出たのは最後だった。
戸締まりをして昇降口に向かうと、戸外に人影が見えた。雨を避けてか屋根の下に立っている。俺は傍をすり抜け、校門へと歩き出した。途端に雨粒が傘の上を騒がしく跳ねる。
――そこで。
今の人、まさか雨宿りしてるんじゃないだろうな。
いつもなら思いつきもしないことだった。だって今日の天気予報は一日中雨。傘を持って来ていないとしたら、よほどの間抜けである。
親が迎えに来るのを待っているのではないか。いや、でも。
周りに誰もいなかったせいかもしれない。思いついたのも気まぐれなら、引き返したのも気まぐれだった。昇降口に佇む生徒に声をかける。
「傘、ありますか」
彼は驚きに目を見開き、たっぷり五秒は俺を見つめた後、言いにくそうに口にした。
「あ、いや、誰かに持ってかれちゃったみたいで……」
青白い頰に朱がさす。納得した俺は自分の傘を少し持ち上げて見せた。
「……駅までだったら半分貸すけど」
彼が怪訝な顔をしたので、傘を差しかけてやった。瞬きを繰り返してまた俺を凝視する。女子みたいな反応をする男だな、と思った。
それから駅まで一つの傘を分け合って歩いた。激しい雨音の中、俺も彼も無言だった。別に話をするために声をかけたわけでもない。彼の方はずっと、雨にけぶる通学路の景色に目をやっていた。要するに俺から顔を背けていたわけだ。気持ちはわかる。男同士で相合傘なんて、知り合いに見つかればからかいの恰好のネタでしかない。
駅に着くと彼は素早く傘の下から離れた。俺がそれを畳むのを待って、何度も頭を下げる。
「ありがとう」
「別に、ついでだったし」
気恥ずかしさをしかめ面で誤魔化した。そのまま歩き去ろうとすると、呼び止められた。
「え」
「あの、えっと……」
かなり長いこと逡巡していたけれど、やっぱり何でもない、本当にありがとう、と一息に言って彼は構内へ走り去ってしまった。
内心首を傾げながら電車に乗り込む。
こちらの姿を見るのも遠慮する様子で目を伏せ、真っ赤な顔で言い淀む姿。鞄のストラップを握りしめ、唇が震えていた。
シャツの襟元から上ってくる湿った自分の体温を感じる。
まるで愛の告白でもするみたいだったな。そう思い至るとまさか、と口の中では言いつつ胸は勝手に高鳴り出した。異性であれ同性であれ、そんな経験は皆無だ。こういうことって本当にあるのか、マジか、と心臓がどんどん胸を叩くのを「いや何考えてんだ」と否定し……けれど思考は止まらない。
何だったのだろう。
彼の態度が、そして何が言いたかったのか、気になった。
また明日学校で会うかもしれない。今度こそ何か言ってくるかもしれない。
結局、その夜はなかなか寝つけなかった。
そして、今、俺はその写真を見ている。
頭を鈍器で殴られたような衝撃が走り、全身の筋肉が一瞬で硬直した。
どくん、と鼓動が大きくなる。
――彼だったのだ。
あれは、彼だったのだ。
昨日の夕方七時半、彼は死んだ。俺が電車に揺られている頃。
冷たい気配が急速に身体を這い上がってきて、俺の喉を締めつける。
突然目の前の視界が霞んで、俺の心は校舎を飛び出し、雨中を空高く舞い上がった。急ぎ斎場へ向かう。いや、もう火葬場だ。様々なフロアをすり抜け、箱の中で静かに眠る彼の元へ辿り着く。小さな窓を開けて、声を思い切り放り込んだ。
あんた、俺に何か伝えたかったんじゃないのか。何だったんだよ。言えよ。あんな風に躊躇うほど、大事なことじゃなかったのか。
――けれどそれすら、もう手遅れなのだ。
予鈴が鳴った。肩を小突かれ顔を上げる。
「どした? もしかして知ってんの」
苦しい。上手く息が吸えない。それでも俺はようやく言った。
「いや……全然知らない」
全然知らないのだ。
携帯電話を持ち主へ返す。
風が変わったのか、雨が廊下の窓を激しく叩く。歩き出す身体は重かった。
雨中 道半駒子 @comma05
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます