喜怒哀楽 後編
ナツは馬にまたがった。
もう見てられない。蓮は手で目を覆った。
だが、流れてきた音は想像と違った。
蓮はオルゴール調の曲を聞いた。
ゆっくりと目を覆っていた手を下ろし、その時ちょうど、上下にゆっくり振られながら裏に回って行ったナツを見た。
「つ、潰れてない……」
少しして、反対側から出てきた無表情のナツは蓮を見つけ、またグッドサインをして見せた。
蓮にとって、言葉通りの救いの手だ。
「だからなんなんだよ……そのグッドサインは……」
彼はそう言いながら、ほっと一息をついた。
「潰れるかと思った」
「人間はあんな、馬をかたどったプラスティックに乗って楽しさを感じていたのね」
「プラスティック言うな。ナツもそのうち分かるようになるさ」
「そうかしら」
この調子だと遊園地は難しいか、と蓮は唸った。
蓮と無表情のナツは歩いて、今度はジェットコースターの列に並んだ。
ナツは他の人が乗っているジェットコースターの流れる様子を見て言った。
「ジェットコースター……宙を舞う、壁と天井のない電車のことね」
「間違っちゃいない」
蓮は絡まったイヤホンのように曲がっているジェットコースターのコースを見上げてふと思った。
これ、楽しさより先に恐怖が芽生えてしまうのでないか? と。
「次の方どうぞー」
蓮とナツは、隣り合わせで席に座ると、金髪係員が二人の頭上から安全バーを下ろした。
その様子を見ていたナツが一言。
「これ、必要なの?」
金髪係員はその言葉に戸惑いながらもバーを下ろした。
「しゅ、出発しまーす。いってらっしゃいませー」
蓮の心臓はナツと初めて会った時以上に激しく鼓動している。
彼はジェットコースターに乗ったことはないが、昔聞いた話によると、とても怖いと聞いていた。
列車が上へ登る斜面に差し掛かり、彼らの体は後ろに寄る。
頂上に登りつめ、列車が水平に。
ナツは何も言わなかった。
急降下。
周りの景色が一瞬で変わっていく。
「うわああああああああああああっ!!」
内臓がふわりと浮き上がるのを感じながら蓮は、絶叫した。
ナツからは叫び声も何も聞こえないどころか、いるかどうかも分からないくらい気配が無い。
蓮は、下り坂が終わったところで最後の力を振り絞り、首を回してナツを見た。
瞬間、右にカーブして彼の後頭部が安全バーにぶつかった。
「いってえ!」
ナツは無表情でこちらを見ていた。
蓮がそう叫ぶと、荒ぶっている髪の毛以外は平然としているナツは口を動かし何か言ったように見えた。
が、前から吹き付ける風のせいで聞こえない。
「なんだってー?!」
口は動いているが、やはり聞こえなかった。
左に急カーブ。
ごつん、ナツの方を向いていた蓮の鼻が安全バーにぶつかり、その状況特有の鼻の匂いか味のようなものを感じた。
「痛っ!!」
あまりの痛みに蓮は目を閉じてしまったが、逆に恐怖度が増してきてしまった。
次はコークスクリューだった。
蓮の後頭部がまた安全バーにぶつかり、遠心力でそのまま動かせなかった。
「痛いっ!!」
彼は目をつぶったまま叫んだ。
その時、蓮は確かに聞いた。
「……ふふっ」
「えっ」
蓮は痛む頭を我慢して、目を開くと、その隣には、栗色の髪を荒ぶらせながら微妙に笑っているナツがいた。
目は、オレンジに近い茶色に染まっている。
ジェットコースターを降りた蓮は、ガッツポーズをした。
--ごすっ。
「いってえ!」
蓮の背中を、バットで殴られたような痛みが襲った。四つん這いになりながら彼は後ろを振り返ると、ナツが拳を振り切った瞬間を見た。目は赤く染まっている。
「あ、ごめんなさい。ガッツポーズがイラついたの」
「……また……かよ……」
彼は手が届かない背中をさすろうとしながら立ち上がった。
「蓮」
「……もう謝んなくていいって」
「違う、ジェットコースターに乗っている時の事よ」
「そ、そうだ! あれは多分楽しみの感情だな! やったじゃん!」
「人間は、多分って言葉を多用するのね。蓮に限ったことではないけれど」
ナツは無表情で言った。
「…………」
「でも、感情がまた一つ増えたのは良いことだと思うの、多分」
「ほう……」
「だからもう一回ジェットコースター乗りましょ」
「無理」
蓮はその場から走り出したが、腕を掴まれ、親から引き剥がされる動物のように引きずられ、ジェットコースターと言う名の檻に入れられた。
そして安全バーと言う名の鍵がかけられた。
--その後、蓮とナツは6回ジェットコースターに乗った。コークスクリューのポイントに来て、今度は前を向いている蓮の頭が左右の安全バーにぶつかる度に、ナツの目はオレンジ色に近い茶色に染まって、微妙に微笑んだ。
「死にそうだ……」
隣に座ったナツは、蓮に納豆を渡した。
「……ありがとう」
どっから持って来たんだよ!
とツッコミを入れる気力も無かった。
「こういう時は水を渡すと好感度アップに良いってネットに書いてあったの。これはどういうことなの?」
「気を使うってことだ。次どこ行きたい?」
「お化け屋敷っていうのが気になっていたの……ってなぜ嫌そうなの?」
「怖いんだよ」
「怖い、ね。その感情が貰えるのなら行くわよ」
ナツは蓮を残して一人、お化け屋敷の方向へ歩き出した。
蓮はベンチで1人、納豆を口へ押し込み、すぐさま吐いた。
「そういえば……」
蓮はバッグから携帯を取り出して検索を始めた。
「感情、種類っと」
--感情には大まかに分けて6種類あった。
蓮は、喜怒哀楽の4種類を覚えさせればいいと思っていたようだが、それだけでは人間になるには足りなかった。
その6種類とは、喜び、悲しみ、怒り、驚き、嫌悪、恐怖だ。
そのうち怒り、嫌悪、楽しみは蓮の体を張った行動のおかげで達成できていた。
「蓮、早くして」
ナツがお化け屋敷の順番待ち列の前で蓮に手を招いている。無表情だが、楽しみにしているようだ。
「好奇心でも芽生えたんですかね……はいはい今行きますよ」
中に入ると、外のアトラクションの音や人の叫び声が全く聞こえなくなり、蓮は身震いしながら暗闇の中、先に入って行ったナツを探した。
「なんで先行っちゃうんだよ……」
この屋敷はやたらに涼しかった。外の気温とは20度近く違う。
小声で探した。
「……なーつー」
「何?」
後ろから声がした。
「わっれり!」
「なんて言ったの?」
「……びっくりさせるなよ! 驚いただけ! なんで後ろにいるんだよ」
蓮の言葉を無視し、ナツが進行方向を見て言った。
「奥に生体反応があるわ。生きているものがいるのにお化け、なんて言ってくれるわね」
「……それは多分スタッフだ」
「スタッフ? 本当にお化けがいるわけではないの?」
「当たり前……いや多分、な。ほら行くぞ」
蓮とナツはキンキンにクーラーが効いた部屋、暗闇の中を歩いた。
--グワァァァ!
「うわぁぁぁぁっ!」
出てきた包帯が全身に巻かれた人型のお化けに、蓮は少し後ろに飛んだ。
「…………」
ナツは固まっていて、何も言わなかった。暗闇で、蓮にはナツの表情が見えなかった。
「…………」
そう言うと、ナツは蓮をその場に残し、スタスタと奥へ進んで行った。
その様子を見た蓮は肩を落とした。
「お化け屋敷でもダメか……」
--ばたん。
ナツのいる方で何かが落ちるか叩かれたような音。
蓮が暗闇にも関わらず小走りで先へ進むと、前にナツがいた。
蓮はナツの肩をぽん、と優しく叩いた。
「ひゃっ!!」
ひゃ?
「ナツ、まさか--」
そう言い終わる前にナツが無言で走り出して暗闇へ消えて行ってしまった。
「まさか……」
蓮は冷静にトラップを潜り抜け続け、やっと出口にたどり着いた。
涼しすぎたお化け屋敷から出るとすぐに、大粒の汗が蓮の顔を流れた。
温度差が激しい。
空は既にオレンジ色に染まって、隣の林でひぐらしが鳴いていた。
いつ聴いても素晴らしい音色だ。
目に入る外の光が眩しいのか、目を細め、辺りを見回した。
お化け屋敷からかなり遠くにあるベンチに座っていたナツを見つけると、目を細めたまま走って行った。
ある程度近づいた所でナツに手を振った。
「なーつー! どうしたんだよ!」
蓮は近づいて気づいた。ナツの目の色が見たことない色になっている。
青色だ。
喜ぼうとしたが、そうもいかないようだ、ナツの様子がおかしい。
「ナツ……?」
「れ、蓮」
青色の目を光らせながら蓮を見つめ、小さい女の子のような弱々しい声。
「お化け屋敷に入ってから私の体が何か変なの」
蓮はナツの隣に座り、肩に手を置いた。
「ジェットコースターに乗りすぎたんじゃないか? 大丈夫か?」
「なんて言えばいいのかしら。ネットで拾った言葉を使うなら、マジ心がカオス……ね」
「いやわけ分からん」
「なんかこう、複雑な気持ちよ。色々な機能が萎縮している気がするの」
「多分、それが怖いっていう感情かな。それか1日でたくさんの感情を入手してしまったことによる一種の副作用もあるかも」
「また多分、って言った」
ナツはオレンジに近い茶色の目でふふ、と笑ったが、その色はすぐに青色に戻った。
「自分で言うのもなんだけど、随分人間っぽくなったな……」
「それが望みでしょう?」
「ん……うん、まあな」
蓮はひぐらしの鳴き声に哀愁を感じながら優しく言った。
「今日は帰るか?」
「そうね。まだまだ気になるものがあるけれど、一度この心のカオスを落ち着かせたいわ」
「カオス言うな」
2人は閉館のアナウンスに促されるままに、遊園地を後にして家へと帰って行った。
既に日が暮れて、あたりは黒く、道を街灯が照らしている。
「遅くなっちゃったな」
「片付けするのよね」
「……まだ覚えてたのか」
「蓮は、家族と遊園地に行ったことは無いの?」
「無いね、親は仕事ばっかりだったし」
「今はどこにいるの?」
「…………」
蓮にとって、親はそこまで大事な人たちだとは思っていなかった。
だが、失ってから気づくこともある。
親の大切さ、優しさ、温かさ。
蓮がそれを充分に知る前に、親はいなくなってしまった。
「蓮!」
「な、何」
「それはそうとして、私たちの家の前に2、3人くらい人がいるようだけど」
「え?」
蓮は目を凝らした。
蓮の目に、確かに映る。暗闇の中だが、時々街灯に照らされる、彼の家の前でウロウロしている背の高い人たち。
「空き巣か?」
街灯に照らされた1人が驚いて蓮を見た。
「わわっ、な、なんだね!」
長めのあご髭の生えた男だった。
「なんだ、はこっちのセリフだ! あんたらなんなんだ!」
蓮がその男見て最初に気づいたこと、それは男達が実験衣を着ていることだった。
周りの実験衣の人も蓮の周りに集まり始め、ナツは蓮の後ろに駆け寄った。
実験衣の1人が話し始める。
「暗くてよく分からん……君は蓮くんかな? そして後ろにいるのが……」
「俺に何の用です」
「とりあえず家の中に入らせていただいても?」
「は?」
「家の中に……」
「い、いや、知らない人たちを家に入れるなんて無理ですから」
「これでいいかな」
男は慌てて、実験衣の腹の辺りからネームプレートを引っ張り出して蓮に見せた。
蓮は名前の上に書いてある所属場所に目を凝らした。
そこは、蓮の両親がいた研究所の名前だった。
「あんたら……」
「君の両親にはとてもお世話になったよ」
「先に言ってくれれば良かったのに」
「す、すまないね」
研究所の男達はほっとして、はははと笑った。
「と、とりあえず、中に入らせて貰ってもいいかな」
「どうぞ」
蓮は無表情のナツの手を引き、板の立てかけられたドアを開け、実験衣の人たちをリビングへ案内した。
「あの玄関……」
「なんでもないです来てください」
蓮がリビングの明かりをつけると、実験衣の男達は驚き、口を揃えて言った。
「ど、泥棒でも入ったのかね?」
「泥棒みたいな人たちに言われたくない。椅子が一個潰れてるくらいなんですか、気にしないでください」
「は、はあ」
蓮は実験衣の男達をリビングの椅子に座っているように促し、ナツがいる蓮の部屋へ向かった。
「ナツ」
ナツは部屋の明かりもつけずに本棚に並べられていた分厚い本を見つめていた。
「俺はちょっと下の人たちと話してくるから」
「分かった」
ナツは振り向かずに言い、本棚に並べてあった「気持ち」という絵本を手に取っていた。
蓮はリビングへ向かいながら考えた。なぜ彼らが来たのか。
「こんなもんしか出せませんが」
蓮は男達の前に納豆を出そうとした、だがそのテーブルの上はノートパソコンや何かの書類で溢れていた。
「な、なんですかこれ」
「あ、す、すまん、とりあえず、蓮君も座ってくれないか」
「納豆どうぞ」
「あ、ありがとう……? さて、今日ここに来たのはもちろん君に用があるからだ」
「なんの用なんですか、早く教えてください」
「焦らないでくれ、話とは君が作った友達のことだ」
やっぱり、と蓮は苛立たしくため息。
「ナツですか。渡しませんよ?」
あご髭の男はきょとんとした顔になり、周りの男達と顔合わせると笑い出した。その様子を見て蓮の機嫌はさらに悪くなる。
「何笑ってんですか」
「ち、違うんだ蓮君、私たちはそんなことをしに来たのではない。実は君の両親に頼まれていたことがあってね」
そう言ってあご髭の男はテーブルに置いてあったノートパソコンにかたかたと何か打ち込み、よし、とその画面を蓮に見せた。
「なんですか」
あご髭男が蓮と目を合わせて言った。
「まず最初に言っておくが、実は、研究所の中で、君のご両親の姿を見たことがあるのはここにいる3人だけだ」
「なんだって?」
「分かるかね、君の両親が研究所の所長室から出てきた所をほとんど見たことがないんだよ」
「ど、どうして」
「さあ。このビデオを観れば分かると思うんだが」
動画を再生するようだ。あご髭の男が再生ボタンを押した。
押した瞬間、画面に蓮の知っている2人の姿。
蓮の父親と母親だ。
「なっ……」
どうやら研究所の中でビデオカメラを使って撮影しているようだ。2人とも実験衣を着ている。
その後ろに、普通の10倍くらい大きい、黒いドラム缶のようなものがあるように見える。
蓮の母が話し始めた。
「これ、撮れてるのかしら」
「大丈夫だろ」
と、蓮の父。
「れんー? 母さんよー?」
優しく微笑みながら手を振っている。
「蓮、お前がこれを見ている、ということは俺たちは既に死んでいて、お前はアンドロイドを作ってしまった、ということだな?」
隣で見ていたあご髭男が口を挟んだ。
「君のご両親に頼まれたんだ。俺たちが死んで、蓮君がアンドロイドを作ったらこれを見せてくれ。ってね」
「ど、どうして俺が作るってことを知ってたんだ」
「まあ見ていてくれ、私たちもこのビデオを観るのは初めてなんだ」
ビデオの中の蓮の父は、ため息をついて、母の肩に手を置いた。
「……これからする話はお前に信じてもらえるかどうか分からない」
「私たちは未来から来たのよ」
リビングの空気が凍りついた。
「な、なに言ってるんだ母さんは!」
「わ、分からない!」
あご髭の男はそう言って場を静まらせると、焦りを隠せないのか、髭をいじり始めた。
「ま、今蓮は驚いてるんだろうな。少し言い方が荒っぽかったから」
「ふふ、見てみたいわね……」
母は笑ったが、蓮にはどこか悲しそうに見えていた。
「未来から来た、と言っても語弊があるな」
蓮の父は、真剣な顔つきになった。蓮がこの顔を見るのは初めてだった。
「ま、いい。お前はアンドロイドを作ったんだな? 今更いうのも遅いが、まだ作っていないならこのビデオを観るのを今すぐやめなさい」
少しの沈黙。
「作ったんだな。まあ、こんな機会全く無かったから……よくやったぞ……息子として誇らしいよ」
「やったわね……蓮」
蓮の母は泣いているようだ。だが、その言葉とは裏腹に、彼にはその涙からは悲しみしか見えなかった。
「アンドロイドの設計図は俺たちの研究室から持って行ったんだろう。実はそれは、未来のお前から受け取った物なんだ」
「なっ……」
息が詰まりそうだった。
隣で、男の髭をいじる手が止まる。
「この後ろにあるドラム缶型タイムマシン。これをなんとか作って、未来へ行ってきたんだが、故障か何かで帰って来るべき時間がずれてしまって……俺たちにとってはほんの30分のことだったが、蓮たちにとっては……うん、とても長い時間だ」
「蓮が生まれてから4年間しか一緒に過ごせてなかったのね……」
「っ…………」
蓮は驚きが隠せなかった。高鳴る心臓に震える手。
「そうだな、理由か。なぜ未来のお前からそれを受け取ったのか、か」
「実は、実験でタイムマシンを使った時に、座標のミスで未来のあなたの目の前に飛んでしまったの」
「びっくりしたぞ。タイムマシンの扉を開けたら突然青年になった蓮が目の前にいたんだ。見た目的に20歳くらいだったから、今ここでビデオを撮っている時代からだと5、6年後だな」
「もちろん覚えてた、私たちが両親だってこと。あなた理解が早かったわ、今ここで行くってあなたに教えているからかしら? さっさと帰ろうとしたのだけど、頼み事があったの。その未来では、感情を覚えることのできるアンドロイドを開発したあなたのその設計図が世界から狙われていた。それでそのアンドロイドの設計図を燃やしてしまおうとしていたらしいのだけど、確実性を高めるために過去で燃やせないかってね」
「息子の頼みを断ることもできず、俺たちは過去にそれを持ち込んだ。それは間違いだった」
「そうね……」
「帰ろうとした時、タイムマシンの時間設定機能が故障して、蓮が設計図を取りに来る直前、この時設計図を落としてしまったのだが、それと今ここで撮影している俺たちにとっての昨日の2箇所に、ボールが跳ねるようにぽんぽんと2回帰って来た。つまり、設計図を燃やし損ねた」
蓮は2つ思った事があった。
あの時もう少し早く設計図を取りに行っていれば、もう一度父と母に会えたのか……?
そしてタイムマシンがあるなら……
「あなたはこれを聞いて思ったでしょう? タイムマシンを上手く使ってその根源を潰して、何も起こらなかった事にすればいいって。けど、それは無理なの。実はあのタイムマシン、設計ミスで諸刃の剣になってしまったのよ」
蓮の母は俯き、ため息をついた。
「あのタイムマシンは中に入って使うんだが、その動力源はウランだ、最高だろ? 最新の注意を払って設計したんだが、残念な事に一度使うと、致死量の放射線シャワーで人の体に癌という時限爆弾を植え付ける、殺人兵器になってしまった」
「最悪よ、たった一度の実験で時限爆弾を植え付けられたなんて。やっぱり、時を超えるなんて禁忌を犯した罪なのかしらね。さっきトイレで、髪をまとめていたのだけど、ボサボサ抜けちゃってそれどころじゃなかったわ……」
「俺たちにもう寿命が無い。それをさっき知って、最期くらい家族で一緒にいようってことで、旅行に行く事にしたんだ。今からその準備をするところだ」
「私達おどおどしているのよ? こっちは5時間前ほどに会ったけれど、あなたにとっては10年ぶりで怒ってるんじゃないかって」
母はふふ、とまた悲しげに笑った。
その隣で突然、父が鼻を押さえた。
「どうしたの?!」
「す、すまん、鼻血が……」
母がカメラの方に寄ってくると、隣にあった、ティッシュを引き抜いて丸め、父に渡した。
父はありがとう、と受け取り咳払いをした。
「すまんな。さて、そろそろ俺たちはお前と旅行へ行く……が、その前に一つ頼みがある」
蓮の母はその言葉を聞いた瞬間、悲しげな顔をした。
--廊下で足音。
「蓮」
「わっ、ナツか」
ナツは無表情でそこに立っていた。右手にさっきの絵本を抱えている。
一時停止ボタンをクリックした。
「あれが……アンドロイド……」
男達は目を丸くした。
「どちら様なの?」
ナツの目は少し青みがかっていた。
「俺の親の研究所の研究員だ」
「何見てるの?」
「俺の親の遺言……かな」
「……見てもいい?」
「いいけど、もう終わるぞ」
蓮はナツの隣に立った。
再生ボタンをクリック。
「非常に言いにくいんだが……」
「本当にやらなきゃダメなのかしら?」
母が心配そうな顔をして父の肩に手を置く。
「ああ。蓮のためにも、今のうちに救うんだ」
「こんなの……あの子には辛すぎるわよ」
「……仕方ないだろう」
2人は俯いた。蓮には2人がどんな顔をしているかは想像ができたが、これから伝えられることは全く予想できなかった。
蓮の父は俯いたまま言った。
「お前が作ったアンドロイドとその設計図を、お前の手でこの歴史から葬り去るんだ」
「…………!」
あご髭の男達は、もう何も言わなかった。
「い……いきなりすぎる」
ナツは完全に青く染まった目を蓮に向けた。
「れ、蓮……私は……」
「……分かってる」
蓮は心を落ち着けようと深呼吸をしようとしたが無駄だった。心臓の鼓動が収まらない。
ビデオの中は、今の空気をお構いなしに続ける。
「もちろん嫌だろう。だが、これを達成しないとお前は将来、世界中から技術とその命を狙われることになる。必ずお前の手で葬らなければならない。誰も信用するな。それは未来の遺物だ。他のやつには絶対に渡してはいけない。渡した瞬間、世界が変わる、悪い意味でな。なぜそう分かるかって? こちとら、ただ何もせずに未来に行った訳ではないんだ……それはまあいいとして……陽子、もう我慢しなくていいんだぞ」
一瞬の沈黙の後、蓮の母が顔を上げた。
今まで見た事ないくらい悲しい顔をして泣いていた。
「……成功を祈ってるわよ…………私達はあなたを愛してるわ、蓮」
「じゃあな、蓮。納豆食えよ?」
画面が暗くなり、ビデオが終わったことを告げた。
「母さん……父さん……」
ナツはゆっくり後ずさり、手から絵本を落とした。その音に驚いたのか走って蓮の部屋に戻ってしまった。
「ナ、ナツ!」
彼は唇を噛み締め、拳でテーブルを思い切り叩き、机に突っ伏した。
「葬り去れ……だって? 無理だ……そんなの……!」
その後、あご髭の男達は荷物をまとめて帰っていった。
気づけば朝になっていた。
いつのまにか寝ていた蓮は背伸びをして周りを見回した。
蓮は何かに突き動かされるがままに、自分の部屋へと歩いた。
エアコンをつけるのを忘れていて、蓮のシャツが汗で張りついている。
扉を開けると、ナツは彼の椅子に座って机に向かい、絵本を読んでいた。
「ナツ……」
蓮はナツに近づき、そっと背中の肩甲骨を押し込んだ。
背中の扉が開く。
「すまない……ナツ……」
ナツはこちらを振り向かず、外を見て言った。
「楽しかったよ、たった2日だったけれどね」
「ごめん…………」
蓮の目には涙が溜まり、今にも泣き叫びそうだった。
「謝らなくていい。また……またいつか会いましょう? 蓮なら、安全になった時また私を作ればいいもの」
背中から見て肝臓の辺りに赤いボタンが付いている。強制シャットダウンボタンだ。
ボタンに手を乗せる。
「ナツがいなくなったら……俺はどうすればいいんだろう……」
「友達を作ればいいじゃない。物理的にじゃなくてね?」
ナツがどんな顔をして何色の目をしているのか、蓮は知らない。
「学校へ行くのよ。そうすれば自然に友達ができるって、インターネットに……書いて……あった……あれ、目から水が……何……これ……」
机に一滴、小さな湖を作った。
「涙だよ」
「そう……これが涙なのね……こんなにも……胸が締めつけられるような時に出るものだったのね……」
「ああ……」
--たった2日だったが、友達のいなかった蓮とっては最高の2日間だった。
行ったことのない遊園地にも友達と行くことが出来た。
有意義すぎる2日間を、彼は過ごしたのだ。
外でけたたましくアブラゼミが鳴き、それに続いて他のセミも鳴き始めた。
「この絵本いいわね」
「どんな話だったっけ……」
「ロボットが人との関わりを通じて感情を手に入れていく物語。まるで今の私たちみたい」
「その本の結末は……? ロボットは壊したのか?」
「ううん、ずっと友達として生きていきました、だって……蓮、どうしたの?」
「…………!」
「ねえ、蓮?」
--思い出した。
蓮はボタンに乗せていた手を離し、流れ出た涙を服の袖で乱雑に拭き取ると、机の上にあった携帯を勢いよく鷲掴みにして、検索画面を開き「気持ち」という絵本を調べ始めた。
「ちょっと、蓮?」
慌ただしく動いていた蓮の指が止まった。
「……これだ」
蓮は携帯の画面をナツへ向けた。
「安っぽい洋画」
絵本をベースにした映画。
「これが、俺がナツを作ることに決めた映画だ。結末はまだ観ていない」
蓮はそう言って鼻をすすった。
「こんなの観てどうするの?」
「分からない。とりあえず借りてこよう」
それから彼らは電車に乗った。ナツはつり革には掴まらなかった。
30分ほどで家に帰ってくると、冷房を入れて、DVDをセットし、2人でソファに深々と座り込む。
再生ボタンを押した。
蓮は半分くらい覚えていた。
ナツを作るきっかけになった映画だ。
「安っぽい映画ね」
「そこはほっといてやれ」
「あんな作りじゃロボットは動かないわよ」
「そこもほっといてやれ」
「何、このCGは」
「そこもほっといてやれ」
「俳優の演技下手に見えるのは気のせいなのかしら」
「そこもほっといてやれ」
「たかがアルミの箱みたいなのに、よく感情を教えられるわね」
「ナツが言うか」
「でも……本当に私たちみたいで面白いわね」
やがて、ロボットが全ての感情を手に入れ、物語はクライマックスへ近づく。
--10年後。
とあるニュース番組。
メガネをかけた司会者が、隣に座っている1人の男を紹介する。
「こちら、幼くして、感情を覚えられるアンドロイドの開発に成功した、四月一日 蓮さんです。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
「いやぁ……私にはとんでもない博打のように思えましたよあなたのあの行動は。勇気があるんですね」
「いえいえ、自分はただの臆病者ですよ」
「そうでしょうか? 普通は隠してしまう設計図を、世界中に公開したなんて、すごいことだと思いますがね」
そうですかね、と男は笑った。
「実は10年前に、親から一種の脅しを受けたんです。設計図をどうするか決めなさい、さもないと……といった感じで」
「は、はあ、し、しかし失礼ながらご両親は10年前には既に亡くなられているはずでは?」
「あ、あれ」
焦りからか、男の目が泳ぐ。
司会者は察したのか「それはそうとして」と男の顔を見て問いかける。
「世間では感情を覚えられるアンドロイドは危険だという声もありますが?」
「え? あ、そ、そうですね、いずれ昔の映画みたいに、悪い人達によってアンドロイドの反乱が起きたり、そのアンドロイド達に支配されてしまう時代が来てしまうかもしれません。ですが私は思ったのです。これは普段から思っていることかもしれません、ですが、とても、とても大事なことです。それは、未来が危ない、将来が危ないと心配をして今という時間を無駄にするより、幸せに生きられている今を1日1日大切に過ごした方がいい、ということです。例えば小学生と中学生と高校生にこれから訪れる夏休みです。18歳以下の諸君、夏休みは友達と、最高の思い出を作ってください」
司会者は一瞬戸惑った。
「せ、世間は来週から夏休みですね、そっ、それでは一旦CMに入ります」
「見た? 今の司会者の顔、何回見ても笑っちゃうよなー、ナツ?」
「そうね」
ナツは無表情で言った。
「いやもう、初めてのテレビで緊張しちゃって何言ったらいいか分からなかったよ」
「結構良いこと言っていたと思うわよ。ネットでは物議を醸しているけれど。幸せじゃない人はどうすれば? とか、悪役っぽい、とか」
「ひどいな」
「でもそれより、賛成や支持する声の方が多い。主に18歳以下みたいだけど」
「分かってくれる人もいるってことだな」
「ええ」
「そういえば、やっとしたと思ってた小屋の掃除も適当だったわね」
ナツの目が少し赤くなった。
「ま、まあ、忙しかったからな!」
「それもそうね、世界中回っていたんだものね」
「いや、でもあの作戦が大成功するとは思わなかったよな」
「そうね、映画の話をただ再現しただけなのに」
「また観る?」
「もう、何回目よ」
「じゃ、遊園地行く?」
「いいと思う」
「うわー、人多いな」
「土曜日だもの。最初何乗る?」
「ジェットコースターだな」
「そうしましょ」
並んでから乗るのに1時間かかってしまい、蓮はため息をついた。
「……やっと乗れる」
「そうね」
「前に来た時とは逆の位置か」
席が一番後ろだった。
「安全バーおろしますね」
清潔な見た目の係員がバーを下ろし、離れると、宙を舞う壁と天井の無い電車は動き出した。
ゆっくりと高度が上がっていき、それに比例して襲ってくる恐怖。
「やっぱり怖いな、お、頂上だっ……」
急降下。
「あああああああああああっ!!」
風で首が折れそうだったが、ナツの方を見る。
ナツもこちらを見ていた。
ナツの口が動き、無表情のまま何か言ったようだが、聞こえなかった。
右に急カーブ。
勢いよく蓮の鼻が安全バーにぶつかり、鼻が熱くなった。
その時、蓮は確かに見た。
あはははっ!
ナツはとびっきりの笑顔で笑ったのを。
Fin.
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