幕間 約束
〈白の塔〉にはいくつかの部屋があるが、その多くに扉はない。住人が一人しかいないのだ。扉など不要だ。
だが一部屋だけ、扉がある。──調合部屋だ。
塔の主人であり唯一の住人であるドロシーが、この部屋に昼夜を問わずこもることはさして珍しいことではない。
大昔に禁書となってしまった書物や、扱い方を間違えれば爆発する恐れのある液体など、実に様々なもので埋め尽くされた危険な部屋ではあるが、ドロシーはこの部屋をとても気に入っている。
その調合部屋に、自分以外の誰かが入るのはいつぶりだろう?
ドロシーは調合の手を止め、振り返った。
「相変わらず、物が多いな」
振り返った先、扉の前に立っていたのは、予想通りの人物──べリウス・ロウだった。腰に銀の細剣はなく、黒の上着も脱いだ状態。
それだけでも随分と印象が和らいで見えるのだから、不思議だ。
どこぞの貴公子に見えなくもない。
「何か用かな?
ノックもなしに、と思ったが、この男がノックを忘れるはずもない。作業に集中しすぎて、ノックの音が聞こえなかったのだろう。
ドロシーはそう納得することにして、前置きもなく用件を尋ねる。
「何故話した?」
「なんのことかな?」
「フィンレイに話しただろう。……俺が宿主ではない、と」
なんだ、そんなことか。
ドロシーは呆れ顔で、ロウを見つめ返す。
「あの少年は〈神の眼〉の持ち主だ。遅かれ早かれ、知られることになる。何故隠す必要がある?」
フィンが〈神の眼〉を使いこなせば、隠そうとしても隠せない。〈神の眼〉とは、デリカシーの欠片もなく、他者の秘密をあらわにしてしまうものだから。
「今デリカシーに欠けているのは、間違いなくお前だ。……秘匿された情報だというのに」
嫌味なほど整った顔に浮かぶのは、困惑にも似た感情。
それを見たドロシーは、あることに気づく。
「──なるほど。これは意外だ」
「何の話だ?」
ロウの眉間のしわが、深くなる。
それが面白い。
「いや、当然と言えなくもないのか」
「だから何の話だ」
「──君は未だ、あの少年を信用していないわけだ」
「………………」
予想外だったのか、不意打ちだったのか──恐らくは両方だろうが──ロウは目を見開き、固まってしまった。
それを見たドロシーは、満足そうににやりと笑う。
「心配せずとも、あの少年が誰彼構わず吹聴して回ることはない」
「今日会ったばかりなのに、何故言い切れる?」
「ただの勘だよ。不安だと言うのなら、釘を刺せばいい。必要ないと思うがね」
ロウの言った通り、ドロシーとフィンは今日会ったばかりだが、フィンの素直さと気の弱さくらい、初見で見抜ける。
あの少年は、それほどにわかりやすい。
「────まだ何か?」
中断した作業に戻ろうとしたドロシーではあったが、ロウが部屋から出ていこうとしないので、まだ話があるのだと察し、こちらから尋ねる。背は向けたまま。
「……知っての通り、評議会は一枚岩じゃない。今回の召喚で、様々な意見が飛び交った。結局は世界の意思に従う形になりはしたが……」
「回りくどい言い方は好きじゃない
「……──妨害が入る可能性がある」
なんだ、そんなことか。
ドロシーは別段、驚かなかった。
評議会の議員は只人族や妖精族、魔族や獣人族など様々な種族が務めているのだ。意見の衝突があって当然。
それは今回のように
「俺達は対象を発見したら、その場で送還することになっているが、送還を先延ばしにし、異世界の有用な情報や技術を得るべきだと主張する議員もいる。無論、その意見が通ることはなかったが……」
「その一派からの妨害を懸念している、というわけか」
「……ああ。それらの一派に加え、召喚者からの妨害も入る。これは確実だろう」
問題は次から次へと湧いて出る。
これ以上聞いたら、頭が痛くなりそうだ。
「……引き受けるべきではなかったな」
「後悔しても遅い」
「言ってみただけだ。まったく……飽きもせず厄介ごとを持ち込む男だよ、君は」
作業は終盤に差し掛かっているが、調合する気分じゃなくなった。気分転換もかねて、風呂にでも入ろう。
そう思い席を立つと、獣の咆哮が聞こえた。二人はほぼ同時に、窓の外、広がる闇に目を向ける。
〈白の塔〉は四方を〈氷原〉や〈火の谷〉に囲まれているが、位置的には〈魔の森〉に近い。
今聞こえた獣の咆哮は、十中八九、魔物だろう。
「……塔の外に出るのは、好きじゃない」
「知ってる。それでもお前は、俺と一緒に塔の外へ出るんだ。了承しただろ?」
「…………これもすべて、世界の意思、か」
世界樹から逃げるように世界の果てへ来て〈白の塔〉を建てたが、果てへ来ても世界樹から逃げることはできないらしい。
それを憎らしく思いつつ、ドロシーは一向に部屋を出ようとしないロウの横顔を睨むように見て、
「────べリウス」
名を呼んだ。
「なんだ?」
「吐いた唾は吞めぬと言う。気は乗らないが、応じてしまった以上、仕方がない。己の身を守るためにも最善を尽くすが──」
「助かる」
「……あの日の約束を、忘れるな」
「それは──」
ロウがハッとしてこちらを見るのと同時に、ドロシーはそっぽを向いてドアノブに手をかける。
千年も生きていると、多くのことを忘れてしまうもの。
いつの間にか誕生日を祝わなくなるし、親不幸にも両親の命日どころか、顔すらも忘れてしまう。
けど唯一、あの日の約束だけは忘れない。忘れちゃいけない。
「覚えてる。覚えてるよ────忘れるはずがないだろ」
それならいい。
ロウの答えに満足したドロシーはドアノブを回し、部屋を出た。
マグナ・マテル 大月 小町 @m05020210y
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