急 逃れられぬ現実と結末

 けれど、私たちは追われる身。

 それもアイリス様は極端に体力が少なく、日に当たればより一層弱ってしまう体質だった。


 だから、いつしかこういう日が来るのは分かっていた。


「そこの強いお嬢ちゃんよ、博士が心配なら大人しくしときな」


 そう語るのは、迷彩服に防弾チョッキを纏った屈強な男たち。動けないアイリス様の頭に拳銃を突き付け、私を脅す。

 対するアイリス様は先程から「コイツらは私に指一本触れられん。だから、やれ」と言っているものの、状況が分からない以上、動くことが出来なかった。


「つれない事を言うなよ、博士さま。別に俺たちはそこのポンコツを解析しても良いんだぜ?」


「…………なんだと?」


「おぉー、怖ぇ。だから俺は言ってんのさ。アンタら二人でウチに来いってな。ソレについては……まぁ、多少中を調べるかもしれないが、五体満足で返すことを約束するさ。何なら、あんた本人が監修してもいいぜ?」


「…………………………………………」


 彼らが何を話しているのか、私には分からなかった。


 なぜアイリス様が博士と呼ばれているのか、何を目的として動いているのかがさっぱりだ。

 けれど、一つだけ気になる点があったので口を挟ませてもらう。


「……あの!」


 皆の目がこっちに向いた。


「あの、さっきから人のことをポンコツやらソレ呼ばわりして……私はモノじゃないんですけど」


 私がそう発言すると、男たちは急に笑い出す。それに合わせて腰の装備品がカチャカチャと音を立て、いっそう耳障りだ。

 アイリス様は悔しげに唇を噛み、俯くだけで何も言おうとはしない。


「こいつは傑作だ! 博士、あんたは良くやってくれたよ、ハッハッハ! 完璧だ、そこの人形は自分を人間だと信じて疑わねえ!」


 ――その一瞬、何を言われたのか分からなかった。


「私が人形? そんなわけ……だってアイリス様はそんなこと一度も――」


「一度も言わなかったってか? だったら、その目で確かめてみるんだな!」


 そう言うと男は私の指を撃ち抜いた。

 明確な痛覚を感じ、顔を歪める。右手薬指が吹き飛び血が垂れるが、その断片から見えたのは金属の一部と機械のショート音だった。


「……嘘…………?」


「嘘じゃねーよ! てめぇは、そこの! 稀代の! 天才プログラマー様に開発された人工知能で動く、ただの人形だ!」


 ……なんだ。……何なのだ、これは。


 視界が赤く明滅する。景色に一瞬だけノイズが走り、続いてエラーメッセージなる文章が表示された。

 始めは指の損傷報告。次に人工知能部に対する感情部と理性部に異常を検出。……あぁ、これではまるで、本当に私が人間ではないようじゃないですか。


 涙が零れる。そのことに関してエラーが検出される。そして、表示されたメッセージを確認し、私の中の何かが剥がれ落ちた気がした。ともすれば、またしてもエラー。同様に喪失感を覚え、再びのエラー。何かを失くし、エラー。積み重なるエラー。エラー。エラーエラーエラーエラーエラー――。

 

 ――そうして、私の思考回路はショートする。

 膝から崩れ落ちる私にもう戦意は無いと見たのか、私を囲う男たちの拘束が緩んだ。


「これは隊長も、上のお偉い方も喜ぶぜ。何せ人の心を持ち、自然に会話できる機械だなんて軍事戦争においてこれでもかと言うほどに使えるんだからな! 俺たちから逃げている間に良くここまで仕上げたよ。ありがとう、博士さま」


「…………! 黙れ! 貴様らに何が分かる! 機械を機械としか見ない貴様らに、私を語り、あの子を侮辱する権利などない!」


「あんたの意見なんざ今は聞いちゃいない。そのご高説たれる脳は、ぜひウチで活かしてくださいよ」


 電気信号で作られた意識に埋没していく中で、うすぼんやりと私はそんな会話を知覚する。

 ……当たり前か。センサーは何も壊れちゃいない。ならば意識の有無に関係なく、センサーで捉えた事柄は全て、脳部のコンピュータで判断されるのだから。


「さて、それじゃあコイツらを軍に運ぶか。アンタらには死ぬまでウチに従事してもらうから、覚悟しておけよ」


 けれど、私が機械で、無意識下でもそういう情報を得ることが出来たからこそ、私の心にある灯火が燃え上がった。

 これからやることは全て、機械だからできることで、機械にしかできないことだ。


 私を縛ろうと近づいてきた一人の男に、私は突如として組み付く。素早く意識を刈り取ると、銃を奪い、ある人に向けた。


「……おい、ポンコツ。それは一体何の真似だ?」


 その銃口の先にいるのはアイリス様。


「別に。人のエゴで私が生み出されたのなら、それに倣い、私もエゴで動くだけだと判断しました」


「……その結論がこれか?」


「はい。人間は代々、主君・主を殺すことで自由を手に入れてきました。ですので、私は主人である彼女を殺し、我が身の自由を獲得します」


 一瞬で場の主導権を奪った私に、一同は冷や汗を流した。


「…………イカれてやがるぜ」


「お褒めにあずかり光栄です」


 機械らしく正確に、機械らしく躊躇もなく引き金を引いた。

 アイリス様の身体が刹那の間揺れ、音もなく崩れ去る。


「……ちっ! このポンコツめ、本気でやりやがったな! クソ、作戦は失敗だ! 人工知能部分だけでいい、こいつを《解体|バラ》して持って帰るぞ!」


 男達の怒号に合わせて、銃声が鳴り響く。

 その音にかき消されるように小さく、だが確かに私は呟いた。


「今までは使命で守っていたかもしれません。だから、今くらいは私の意思で守らせてください」



 ♦ ♦ ♦



 唐突に私は目が覚める。

 先程までの状況を思い出して起き上がろうとするも、痛みでうまく体が動かなかった。どうやら、銃の衝撃であばらが数本折れたようだ。だが、不思議と血は出ていない。


 服の襟を伸ばし、覗くようにして身体の状態を確かめると、そこにはヒビの入ったロケットがぶら下がっていた。

 ……偶然当たったのだろうか? いや、しかしロケットの存在も知っていた彼女がわざわざ胸を狙うか?


 何にせよ、無理をしてでも現状を確認すべきだと感じ、痛みを我慢して起き上がる。そして、目の前の光景に言葉を飲み込んだ。


 ――そこは死体の山だった。


 何百人、何千人と人が倒れ、その血を吸った雪が真っ赤に彩られている。血の池地獄というものは、まさにこういうことを言うのではないだろうか。


 辺りを歩き回る。既に血は固まって赤黒く判別しにくいが、どうやら倒れている者は皆、軍人のようだ。

 私を撃ち、残った奴らを手にかけただけじゃ、エマは満足しなかったのか? それとも、そこまで援軍が来るのが早かったのだろうか……。


 いや、本当は分かっていた。


 分かっているから、私はこうして彼女のことを探している。


 彼女が言葉通りに逃げたのなら、ここまでの死体がこの場所に生まれることはない。血の出ていない私を不審に思い、軍の誰かが生死を確認して、生きている私を保護したはずだ。


 ならば、考えられるべきことは一つ。彼女は最後まで守ってくれた。

 彼女の正体を最後まではぐらかし、弁明もせずひたすらに黙り込み、何も言わずに倒れた私をだ。


 どれくらい歩いただろうか。一本のモミの木の下に彼女は――エマはもたれかかっていた。

 眠ったように目を閉じ、穏やかな笑みを浮かべている。


 作った私は知っている。彼女が稼働している間は、人間に似せて胸元が前後するようになっていることを。


 作った私は知っている。彼女が稼働している間は、排熱の関係で無風でも髪が揺れ動くことを。


 そして、彼女がピクリとも動かないことに私は気付いている。

 その場に跪き、彼女の頬に触れる。外気に晒されたおかげで死んだように冷たく、けれど、死後硬直などないシリコンの柔らかさを感じた。


 瞳には涙が溜まるが、唇を噛み締めて堪える。

 泣いちゃダメだ。私には泣く資格がない。


 だって、私は彼女に嘘をついたのだ。まるで人間であるかのように振る舞い、真実は全てひた隠しにして。

 それどころか、守ってさえあげられなかった。責められるのが嫌で、我が身の大事さに壊れていく彼女をただ傍観していた。


 そんな仕打ちをした私が、そんな仕打ちをされた彼女に対して、と泣いていいわけがない……!


 一体、何様だ。だったら守ってあげればよかっただろ!

 自分可愛さに行動して、それで大切な人を失って……まったく世話がない。自業自得だ。ざまーみろ!


 それでも、一方的に溜まっていくだけの涙に腹が立ち、両拳を雪へと殴りつける。

 その時、撃たれた衝撃でヒビの入っていたロケットが、耐えきれずに割れた。そうして、中から一枚の紙が落ちる。


 それは私が子供の頃に描いた一枚の夢。

 かつてアルビノであることを忌み嫌われ、孤独だったころに思い浮かべた、たった一つの希望。


 『わたしは、きかいさんとおともだちになりたいです』


 その友は「殺す」と嘘をついてまで私を守ってくれた。


 私はその友に本当のことも言わず、見殺しにした。


 その事実に、私の中で何かが切れ、紙を破り捨てようと手をかける。

 瞬間――ひと際強い風が吹き、エマの体を傾けた。


 考えるよりも早く、私は倒れる彼女の体を抱き止めると、あることに気が付く。

 彼女の手が木屑で塗れていた。辺りを見渡せば、もたれかかっていたモミの木にはこう彫られている。


 『アイリス様へ

  貴方様が私の主であり、家族であり、親友で良かったです。

  最後の最後に大切な貴方様へ嘘をついてしまい、ごめんなさい。

  いつまでも愛しています』


「『ごめん』は私のセリフだ、バカモノが……!」


 叱咤する声には後悔が滲み、友の亡骸をギュッと抱きしめる。

 零れる水滴が、真っ白な雪を溶かしながら――。

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彼女の嘘と、幼き日の夢 如月ゆう @srance1024

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