#3・全員




 ムゥは考える。


「五十年生教授ッ! 今回の『心臓消失状態での生存可能性』実験の被験者は、ぜひ僕に!」

「こればかりは譲れないわ……私よ! 教授、私の心臓を取り上げてください!」


 学院の青いローブを着た人々は、種族に関わらずどこかおかしい部分がある。それがローブを身に着けることでそうなるのか、そうだからローブを着ることになったのかは不明瞭だった。


「なにを言っておるんだ、わたしがやるに決まっているだろう。自分で体験しなければ正確な結果を出せないのだぞ!」


 教授とやらは、どう見てもただの人間種族だった。


「俺の記憶を持っていったダシスってヒトもよくないけど。ここまで自己実験に乗り気でも、それはそれでヤバいな」


 大声で議論を繰り広げながら学院に入っていく連中を横目に。

 学院の宿泊施設に――とは名ばかりの、美容健康疲労回復肩こり腰痛などのすべてに効果があるという触れ込みのガラス槽――寝かされていた所有者と合流して、出発した。


「体は楽になってる。けど心労がひどいことになってる」


 ムゥはまだ、カイラスディの工房でどのような機構を組み込んできたのかをオートに話していない。

 きょうは新規の客が見込めないとわかっていたのか、浮島のスフィンクス、ウティメナは最初から色を持った生身だった。


「おお、オート・ダミワードと自律型魔術法則観測機ではないか。出ていくのか」

「あと一日でも滞在してたら、大事なものがなくなるか付け足されてる気がするんですよ」


 オートの言い草が気に入ったのか、いつもの大笑いが朝の空気に響いた。ムゥは一歩進み出た。スフィンクスが興味深そうにそれを見ていた。


「ウティメナ。わたしは自律型魔術法則観測機です。そして同時に、ムゥ・チャンティという名前も所持しています」

「ほう。そのどちらで呼ばれたいと申す?」

「ムゥです。そして昨日受けていたあなたの問いかけへの答えも持ってきました」


 花壇の植物を揺らさない羽ばたきが起こった。身を起こしたウティメナはひどく大きい。そのたたずまいを見て、ヒトであれば威厳というものを感じ取るのだろうと思った。


「では問おうか。おぬしという機械は、果たしてヒトであるか?」

「いいえ。わたしはヒトに似ているだけで、モノです」

「あぁーはぁーはぁー! そうであるか!」


 ウティメナはひとつ頷いて、また香箱座りに戻った。正解とも誤答とも言わなかった。


「スフィンクスは、正解がない問いかけも行うのですか?」

「言ったであろう?」女の顔が喜色に染まる。手の込んだいたずらが成功した子供のように。「我は人生相談もやっておると……まあこれは機械の相談であるがな! あぁーはぁーはぁー!」

「……むぅ」

「おやおや、ムゥ・チャンティがむぅと膨れたぞ!」


 笑いすぎの涙が羽を伝って花壇に落とされる。

 ムゥは不満だった。ぷんぷん――まではいかないが。ちょっとだけ怒っていた。あまり論理的ではないひっかけ問題に見事にはまってしまった気分だった。しかし効果的な仕返しが思い浮かばなかったので、かたわらのオートの袖を引いた。


「なんとかやりかえしてください。所有者の男らしさを見せるところです」

「なんかさ。それって、小馬鹿にされた彼女に引っ張られて出てきて『オレのスケにえらい目合わせてくれたのぅ』って意気込むチンピラみたいだな」

「そんなことはどうでもいいのです。復讐です。それこそが唯一の正義なのです」

「マジかよ」オートが頭をかいた。やる気がないのは丸わかりだった。「んじゃウティメナさん。謎かけも募集してるんだよな?」

「うむ。これまでに解けなかった謎はない、そう断言しておこうぞ」


 梟の羽が自信満々に広げられる。


「朝は四本足、昼は二本足、夜になると三本足になるものはなんだ?」


 ムゥは思わずこけそうになった。出題者の種族が目の前にいる。


「ちょっと所有者。あとでお話がありますので」

「悪いな。どう考えてもこれ以上が思い浮かばなかったんだ」


 やる気がなさすぎだった。ウティメナが、あのきんきんする笑い声を高らかに響かせるので身構える――笑い声はない。

 女の顔が汗みずくになっていた。もどかしさと苛立たしさ、ふがいなさだけが顔に満ちて、すごい形相だった。嵐の先端を飛び続けているかのように汗が芝生に落ちていく。猫の体も毛が逆立っている。後ろ足でせわしなく体躯を掻きまわる。


「嘘だろおい」

「えっ……足が四本から二本になり三本……? それも朝昼夜ですばやく転じていくなど……昆虫に属するものにもおらん……この我が解けぬ謎があるなどと、冗談ではない、ないのだぞ……笑えん! そうだっ、そういう蜘蛛がおるのだっ、世界のどこかには! きっと!」

「その答えで、あなた自身が納得するのなら、正解ですよ?」


 冗談ではないようだった。二人は顔を見合わせた。オートがおずおずと手を挙げる。


「ああっと……ヒントを出そうか?」

「いらぬっ! 自分で考えるもん!」

「もん」「もん……」


 ムゥはうつむき、懊悩するスフィンクスの顔に近づいた。焦点が合っておらず、それが近づいたことにも気づいていない様子だった。

 その頬を撫でた。意外にもち肌だった。


「残念ですが、ウティメナ。あなたを除いたほとんどのヒトが、この答えを知っていますよ。教えてほしいですか? あーはーはー」


 今日いちでいい笑顔を作ることができた、その自信があった。


「あっ――。我は知恵ある獣……知恵とはいったい? ただの獣であるのか? 同族内でやった知恵比べ選手権でも決勝まで残ったというに……」

「ふぅ。勝利とは、いつだって虚無をともなっているものなのですね。ですが清々しくもあります」

「これで勝ったと思うでないわっ。つぎに相まみえるときには確実な答えを得ておくからのっ!」


 ウティメナが石になっていくのを見届けていると。不思議なことにオートがだいぶ遠ざかっていた。

 真の邪悪だ、と意味のわからない言葉が聞こえてきたが。自機のことではないので、ムゥはさっぱり気にしないことにした。







「ゆうべは……まあ、聞くまでもなさそうですね。お楽しみだったのでしょうから」

「やだ、そんな……サヴィったらもう」


 昨日男女を引き合わせた、晴れの見える広場だ。

 ははは、うふふと笑いあうノールスィーユとイディアのあいだには、昨日までは見えなかった関係が芽生えていた。眠れずにいた自分とは大違いだぞ、とサーマヴィーユはため息をついた。ついでに女の友情の儚さもしっかり思い知らされた。イディアは兄しか見ていない。

 ――わかっていたことだけれど。三人組っていうのはふたりとひとりに別れるものだぞ……。


「兄上はこれからどうするのですか?」


 彼女は、義理の姉になりそうなイディアを見ながらそう言った。森をずっと昔に抜け出したエルフに対して、しろがね森氏族は好ましい顔を見せることはないのだとわかっていた。


「朝のうちに父母と語らいを設けたが、我は琥珀けむりの居住区へゆく」

「そうですか……」


 琥珀けむり氏族は、イディアの出奔を機に大きく変わった一族だった。助け合いをし、お互いにできることをやって生きていく――律することをやめたかわりに、懐の深さを手に入れていた。エルフだけではなく、広い森の弱いもの、見捨てられたものも手厚く迎え入れられる。

 タルモー=スケィル大森林の掟の前提には自然なままの弱肉強食があるが、弱き存在が強くなることを拒絶するものではない。群れて強大な相手に襲われないようにすることも適応のひとつなのだ。もちろんその逆、強者がすべてを踏み荒らすことも肯定されるが。ノールスィーユが琥珀けむり氏族の居住区にいるならば、そのようなことは起こり得ないのだと信じることができた。


「しろがねの流麗剣も、あの居住区から去っていくのですね」


 兄もいなくなってしまえば、父母は二人きりで暮らすことになるのだ。父がそうしてきたように、兄も居住区を変えることを選んだ。

 そんなサヴィの内心を読んだのか、兄がからからと笑った。己こそは男として一皮むけたのだという自信がみなぎっていて、ちょっとだけうっとうしく思った。


「なぁに、案ずることはない。すぐに二人も三人も子を設けて、氏族の子として預けるのだからな。孫を抱けばまた生きがいも生まれるだろう。そしてそれは遠い日ではない」

「兄上……」

「いやですよ、もう。ノースったらそんな恥ずかしいことを、サヴィもいるのに……」

「イーデ。おまえは子が欲しくないのか――?」

「答えなんて、聞かなくてもわかっているのでしょう? いじわるなひと。少なくとも四人を――」


 サヴィは、自分という存在が、広大に過ぎる宇宙のただの塵のひとつでしかない――そんな残酷な真理を思い知らされた気分になった。碧の目がものすごい勢いで濁っていくのを自覚していた。


 いい歳をして、手をつなぐだけで嬉しそうにはにかむ二人を連れながら大森林をゆく。イディアが疲れてくると兄はすかさず抱きかかえていた。なんだそれは。なにも考えずにただ歩き続けていると、サーマヴィーユという存在が希釈されて森に溶け出していくようだった。

 一人分の重荷を抱えておきながら、ノールスィーユの歩みには変わったところがない。サヴィが森を出てからも鍛錬を欠かしていないことは明らかだった。

 口にこそ出さなかったが、婚姻の翌日という忙しい時にも関わらず、妹の見送りに森の外れまで来てくれることがありがたかった。


「相性がよかったみたいでなにより」

「実はわたしも、自分よりちょっとだけ年下で、そういう経験がなくて、でも見目麗しい殿方と添い遂げたいと思っていたの」

「ハォーアオッオ」

「そうだったのかー」


 行きとは違って余裕のあるイディアが、そんなことを言った。兄が鼻息を荒くした。


「ここまでだな」


 気が付けば森と草原とのあわいまで来ていた。兄とイディアは寄り添って立っていた。叔母と呼ばれる日は予想よりも近そうだった。


「サヴィ。あなたはまた街に?」

「当然だぞ。私ははぐれ者だ。それらしく生きる」


 イディアの声には、ここに居たらいいのにと、そんな思惑がにじんでいた。街暮らしの先達は、彼女がこれから味わうであろう苦労を見越しているようだった。義姉が兄を見る。このときばかりは、兄は身動きもせず、なにも言わなかった。言うべきことはすでに言ってある、そんな態度だった。


「それじゃあイーデ。兄上とうまくやってほしい」

「ええ……今度は琥珀けむりの居住区までいらしてね。きっと気に入ると思うから」


 ちいさく手が振られた。

 サヴィは草原をゆるやかに下っていく。夫婦となるであろう二人が見送っているのはわかっていた。

 ――帰ったらなにをしようか。

 帰ったら。そう、帰るのだ。故郷のないはぐれ者のための場所へと。

 森に入ることへの警句が書かれた看板を通り過ぎ、呆然と見送る薪割り少年のそばを通り、ガヴ中央十字通りへ出る。

 多様な形をした線車が道の中央を駆ける。往来がいつでも多い場所だ。

 長い耳を隠さないサヴィは、中途半端な注目を集めやすい。珍しくてつい目がいくが、それだけ――低温の興味だ。

 エルフであることを隠していたイディアにとっては、その関心が、心のひだを乾いた手で往復されるように感じたのだろう。

 一度や二度ではそう気にもならないが、何十回と繰り返されるうちに、心の精気を少しずつ奪われていることにようやく気が付く。それが理由で惑わしの魔術を学んだのかもしれなかった。


「あっ、しまった」


 いきなり足を止めたエルフに、奇妙なものを見る目が集まる。だがいまのサヴィにはそんなものを気にする余裕すらなかった。

 ――おみやげ忘れてる。

 街で買おうにも、赴く先が貨幣経済のない場所だ。財布を持っていない。

 もちろん、いまさら森に戻るのもかっこうがつかない。とはいえ浅いところの植物を持ち帰ったところで、待っているのは凶作平野……クベルナの「はんっ」という、ひとを馬鹿にしきった冷笑だ。

 土産話だけを持って帰ることにした。その大部分が兄夫婦へのやっかみのようなものになりそうだったが。

 ――それでも。

 そうやって誰かのことを考えていられるならば、他人の視線などはそう気にならないものなのだと、サヴィは知っている。

 ミアタナンに一本だけそびえる封天樹、その木陰に入った。樹冠に平たい女神が腰を下ろしている。

 そして『ギフルア代行請負事務所』の看板を掲げた家の玄関先で、堂々と眠っている獅子。たてがみには蜂が止まっている。

 大きく息を吸い込んだ。


「こーらー、クベルナーっ! 留守番をしっかりしてないぞー!」







 学院から出るさいに、線のゼントヤがひとり立っていた。それが見送りだった。


「ここからそう遠くはない場所だよ」


 オートの頭の中にあるミアタナンの地図に書き加えがあった。かつての己が暮らしていた家がそこに建っているという。家族も。


「それでムゥは、カイラスディとなにをやってきたんだ?」

「わたしのことが気になるのですか?」


 いつもの感情に乏しい顔に、どこか大胆な色が漂っていた。彼が曖昧に頷くと、そうでしょうそのはずですと勝手に納得していた。


「魔術の打ち消し機構を組み込みました。詳しくは全員が揃ったときに解説します。簡潔に言うなら、これでオートが襲撃されても防衛することができます」

「……そんなに狙われることをするつもりはないんだが」

「二度あることはなんとやら、です。留守番をするだけはもういやです」

「ドリマンダに申し訳が立たない。お前はあの人の子供だろ」

「それより前に、わたしは道具であり、あなたの財産なのですよ。わたしの所有者」


 ムゥは、オートがどれだけ言っても所有者と呼ぶのをやめないでいた。その意味を彼ははじめて真剣に受け止めた。使われたがっているという意思を明確に示してくる道具。

 それでも、道具は決して強要することはない。決断をするのは己だった。そして責任の所在も。


「わたしを役立てますか?」

「必要に応じてな」


 足を止める。

 ゼントヤが示した場所は、本当に学院の近くだった。そこに住んでいたことすらまったく思い出せなかった。

 そこはミアタナンではごく普通の、いろあせた石造のアパートだ。

 間取りも簡単に想像がつく。部屋はひとつだけで、寝室と食堂と居間を兼ねている。炊事場や水場、トイレは共同だ。

 ふたりで一軒家を使っていたチャンティ夫妻はそれなりに裕福な部類なのだ。

 ――二人の兄。末の息子。健在な両親――。

 それが、学長にして最上級生である人物から教えてもらった、オートが以前の名前だったころの生活だ。

 ありふれた話だった。

 街を見回せばどこにでも転がっていそうな、人間種族だけの家庭だ。


「オート、ここなのですか」

「らしいな。俺のことなのに、自分より詳しいのがいるってのも変な話ではあるけど」


 しばらくそのまま見つめていた。どのような微細な変化も見逃さないつもりではあったが、なにも起こりはしなかった。近づいてみる。カーテンが閉め切られていて、中の様子はうかがい知れない。

 自分の過去を知りたい、という気持ちではなかった。

 オートの中にあったのは、他人の過去を覗き見する奇妙な背徳感だけだ。そしてそれも、他人の家をこっそりと探るための強い動機になりはしない。

 結局、三十秒ほどでやめた。コソ泥に間違われるのがいやだったのだ。いいのですかという視線をムゥがよこす。背中を軽く叩いてうながした。


「別にさ……いまのほうがいい暮らしをしてるからってわけじゃないんだ。ただあそこに生きていた人間と俺とは、もう別人なんだ」

「わかっています。でも、ありがとうございます」


 どういう意味を持ったお礼なのか、すぐにわかった。どういたしましてと言えるほどに厚顔ではないオートは、奉仕機械の頭を軽く撫でて返事とした。


「さっきの話だけどさ」

「はい」

「しょっちゅう危ないことをするつもりはないさ。だけど、俺ひとりでやれることなんてたかが知れてる。だからその時には……頼むな」

「はいっ」


 子供のように、ムゥが駆けだした。オートは最後に一度だけ、かつての家を振り返った。自分でも不思議なほどその暮らしに魅力を感じてはいなかった。

 ムゥが早く来てくださいと手を振っている。その後ろに封天樹が見えた。




 二人が封天樹のふもとまで来ると。

 獅子の背中に乗ってあくびをするクベルナ、それをやめさせようと奮闘するサヴィ。それらに挟まれて、居心地悪そうに顔を伏せている女神のしもべの姿があった。オートたちが帰ってきていちばん喜んでいたのは獅々だ。そそくさと裏庭に逃げていった。


「オートとムゥか。うん、おかえりでただいまだぞ。それはともかくこの空洞平野ときたら、まったくもう! 玄関先にこんなでかい猫を置くから、誰も来客がなかった!」

「あら。あんたたちも戻ってきたの。ほら見なさいな、このしもべもしっかりと留守番をしたっていうのに、この百年樹娘ったらぎゃあすか言ってくるだけで! ……あと、その……おかえり」

「すっかり仲良しだな、お前ら」

「……家の中が荒らされていないことを祈ります」


 祈る、という言葉にすかさずクベルナが反応する。


「祈るのならあたしにそうしなさい」

「はぁ……」「そーだな」「すごいぞー」

「あんたたちときたら! はい、お土産とやらを献上しなさいなっ」

「ほら、幻影肉。食べると肉の味がするってさ。栄養はこれっぽちもないけど」


 ああだこうだと言い合いながら、四人は家に入っていく。

 やがて日が暮れて明かりが灯り、それも消えてまた朝が来る。

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ミアタナン 青山八百 @aymn

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