OJT
藤田大腸
第1話
私、
しかしこの広告代理店はブラック企業の代名詞として悪名高い会社でもあり、辰巳さんもパワハラセクハラが当たり前の社風に耐えかねて退職。そして出身地である桃川市へと戻ってきて、地元にある我が社に採用されることになったのだ。
私は辰巳さんのOJT担当となった。簡単に言えば教育担当、ということだ。商業高校を出て新卒入社してから今年で五年目。一通りの仕事は一丁前にこなせて人に教えられるまでにはなっている。
最初辰巳さんを見た時の印象は正直、そんなに良くなかった。口調はおっとりして大人しいのだが、ごく悪く言えばニブそうで本当に有名広告代理店で営業職をやっていたのかと疑問に思うぐらいだった。だけどOJT計画表の三倍の速度でモリモリと仕事を覚えていく様を見て、私の目の方が腐っていたのだと思い知らされた。
さすがは輝かしい履歴を持っているだけはあるけれども、そのことを鼻にかけることはしない。それに私の方が年下にも関わらず常に敬語で接してくる。私が「タメ語でいいですよ」と言っても「ここでの社歴は遠山先輩が上ですから」と聞かず、ようやくつい最近になって「遠山先輩」呼びから「遠山さん」呼びに変えることができた程度だった。
辰巳さんの入社は私にとって刺激になった。彼女はあまり自分のことを語らない性格だけれど、仕事ぶりを見ていると自分も追い越されないように頑張らなきゃ、と発奮させられる。私だけでなく周りの同僚も同じだ。辰巳さんはまさしく会社に新しい風を吹かせる存在だった。
七月に入って、ようやく辰巳さんの歓迎会が開かれることになった。それまでいろいろと立て込んでいた案件があって余裕が無かったのだが、一段落して開催できる運びとなったのだ。場所は駅近くの居酒屋で。忘年会や接待で我が社がよく利用する店である。金曜日の夕方、部署にいる全員が定時で仕事を終えて居酒屋へと向かった。
幹事の挨拶もそこそこに、乾杯が始まった。最初は末席に座っていた辰巳さんは課長指示で「今日はあなたが主役なんだからこっちに座りなさい」と席替えをさせられ、上座でお接待を受けることになった。辰巳さんと話したがっていたであろう男性社員たちは哀れ、課長に捕まってしまった。このオッサンは酒が入るとマシンガントークが始まるから厄介なのだ。男性諸君に合掌。
部長の意識があっちに向いているこの機会に、ここぞとばかりに私は辰巳さんにビールを注いで話しかける。
「え、実家には戻らず一人暮らしを続けているんですか?」
「はい。大学に進学してからずっと東京で一人暮らしを続けてましたし、今更帰っても生活力が落ちそうで怖くて」
辰巳さんはふふふと笑う。お嬢様育ちではないとのことだが笑い方には品があった。
「この会社はどうです? あ、お酒の席なんで正直にぶっちゃけていいですよ。ちょうど課長が男連中に武勇伝自分語りモードに入ってる最中なんで聞こえやしませんし」
「稼ぎはだいぶ落ちちゃいましたねー。お給料は前職の初任給の方が高かったです」
「アハハ、ここは大手企業の子会社とはいえ、規模は中小企業と一緒ですからね」
「でも自由時間はかなり増えましたよ。今までは始発出勤終電帰宅が当たり前でしたから」
「うわー、むちゃくちゃだ。そんな生活続けてたら死んじゃいますよ!」
事実、辰巳さんの前職場は何度も過労死事件を起こして今も世間から糾弾されている。この前受けた能力開発研修でも悪い事例として講師が名前を挙げて晒したぐらいだ。辰巳さんがそんなブラック企業から逃げ出すことができて良かったなと心の底から思う。
「遠山さん、飲み物はいいですか?」
「あ」
私のグラスが空になっていたことに気がついた。ビールばかりなのも味気がないので、この辺で強い飲み物に切り替えることにする。私は呼び出しボタンを押して店員を呼んだ。
「すみません、カルーアミルクください」
「カルーアミルク?」
辰巳さんが聞いてきた。
「え、知らないんですか!? きついけどめちゃくちゃ甘いお酒ですよ」
一つ下の
「とにかく甘くて甘くて、男どもが女の子に飲ませてお持ち帰りを企む定番の酒なんですよ」
「そんな業の深いお酒があるなんて知りませんでした。私、日本酒と焼酎には詳しいのですが」
「おおう、なかなか渋い嗜好してますね……」
「私も試しに頼んでみましょう」
「おお? いっちゃいますか?」
「いっちゃいます」
というわけで、二人分のカルーアミルクが運ばれてきた。
「見た目がコーヒー牛乳みたいですね」
「ささ、飲んでみてください」
私と辰巳さんは同時にカルーアミルクに口をつけた。
「あ! 本当だ。結構甘いですねこれは」
そう言うなり、何と一気にゴクゴク飲み干してしまった。
「辰巳さん、大丈夫ですか? 後でボディブローのようにジワジワ効いてきますよ」
「前の職場で酒を嫌という程飲まされたので鍛えられてます。甘いのは苦手なんですがこれはなかなかの味ですね、うん」
辰巳さんが呼び出しボタンを押した。
「すみません、カルーアミルクください」
「あははっ! めっちゃ気に入ったみたいですね。よーし、私も付き合いましょう!」
私もカルーアミルクをググイッと空けて注文した。私とて社内では酒豪で通っている身。どれ程のものかお手並み拝見といこう。
「私、遠山さんがOJT担当で本当に良かったと思います。優しく丁寧にわかりやすく教えてくれますし」
「いやいや、辰巳さんの頭が良いからですよー! さすが良い大学を出ただけありますねー!」
「だけど就職先がダメダメでしたね。ふふっ」
「私は大切に大切に辰巳さんを育ててあげますから! あ、店員さーんカルーアミルクくださーい!」
「辰巳さんってふんわりおっとりしてて良いですよね~」
「そう言われたのはじめてですよ。今まで『そんな軟弱な性格は我が社に向いてない』ってボロクソに言われてましたから」
「事務職だとそのぐらいが一番いいんです! あ、杉やん! ボタン押して!」
「わ、もう空になってるし! もしかしてまたカルーアミルクですか……?」
「何よ、文句あんの?」
「だって遠山先輩、普段よりめちゃくちゃペースが早いですよ。程々にしとかないと……」
「辰巳さんの歓迎会だから特別なの! さあ、早く押して!」
「へいへい、どうなっても知りませんからね」
「ふふっ」
「辰巳さん、笑うと可愛いですよね~……」
「遠山さんも可愛いですよ」
「あははは!」
「辰巳さん、恋人いるんですかあ?」
「大学に入学してから今までずっといませんよ」
「えーーっ!? なんで? 顔良いのにもったいない……」
「高校時代はクラスメートの子と付き合ってましたけど、その子以上の人が大学にはいませんでしたし。卒業した後は仕事しかなかったですからね」
「あれ、辰巳さんは確か女子校出だったはずじゃ……いや違ったっけ? まあいいや」
「遠山さんはいるんですか?」
「ううっ、三年前までいたんですけど相手から捨てられる形で別れてしまいました! あー、思い出すと腹が立ってくる……って歓迎会の場でやけ酒しちゃダメだ。まずは辰巳さんにいい人が見つかるよう祈りましょう! 杉やん! ボタン押せ!」
「は、はい」
「ふふっ」
「えへへへ~辰巳さん、まだまだいけるよね~?」
「遠山さん、もうそれ以上はやめたほうがいいんじゃないですか? ろれつが回ってませんよ」
「らいじょーぶれすよお。あー、辰巳さんが三人もいるー。三人ともお持ち帰りしてやろうかな~なんつてキャハハハ」
「あ、それ私の飲みかけ……」
「遠山さん、もうその辺でやめておきなさい。グダグダになってるじゃないか」
「あはっ、課長。お元気~? あはははは……」
「お、おい、遠山さん!」
「遠山先輩!」
「……」
口に何かウネウネした暖かいものが入ってくる。舌をからめるとメチャクチャ気持ちいい。ああ、全身がとろけそう。血液の全てがカルーアミルクになったみたいだあー……。
私の部屋ではない。ここは一体どこなんだ? そしてなぜ私は全裸でベッドにいる? あー、すごく頭が痛いし喉が痛くてカラカラする……。
「おはようございます、遠山さん」
耳の側で優しい声がする。振り返ると下着姿の辰巳さんがマグカップ片手にニッコリ微笑んでいた。
「んあ……おはようございます……………………!!!!!!!!!」
血の気がサーッと引いた。
「ま、ま、ま、まさかここって辰巳さんの……」
「ええ、私の家ですよ」
痛む頭で記憶を無くす寸前のところまで必死に思い出した。確かに私は冗談で持ち帰ろうかな、とは言った。だけど実際に、逆に持ち帰られてしまうとは……。
「その、いたしてはないですよね……?」
「ふふふ。良い鳴き声をしていましたよ」
「……………………うっ、嘘でしょ……?」
しかし現実は残酷である。胸のところに愛の証がつけられているのを見てしまった。
「うっ、うあああああ~~~!! そんなあ~~~~~……」
私は頭を抱えて唸った。同性の年上の後輩に喰われたという事実を二日酔いの頭が受け入れるはずがない。
「何でこんなことしたんですかあ……」
「だって可愛かったんですもん」
私は枕を抱え込んで顔をうずめた。喉がめちゃくちゃ痛い。どんだけ声を出してたんだ私。私が武士だったらこの場で腹を切るぐらい恥ずかしい……。
辰巳さんがホットコーヒーを啜った。
「それにしても、あんな無茶な飲み方をしたらダメですよ」
「辰巳さんだってカルーアミルク一気飲みしてたじゃないですかあ……」
「最初の一杯だけです。私がゆっくり二杯目を飲んでる間にあなたは五杯も空けたんですよ。しかも最後は私の飲みかけまで手を出して。『お酒はじっくり楽しむもの』略してOJT。このことをしっかりと覚えておいてください」
ゆっくりと、だけどはっきりとした口調でピシャリと言われた。
Osake ha Jikkuri Tanoshimumono.
私はベッドの上でOJTならぬ"orz"の体勢になった。
「はい、わかりました。反省します……とりあえず着替えたいのですが」
「あいにく、洗濯して乾かしている最中です。ご両親には私から連絡していますので安心してください。せっかく土曜日ですし、今日一日は私の部屋でゆっくりしましょう、ね?」
辰巳さんが私の額にキスを落とす。心臓がバクバクして血液の流量が多くなって、それに伴って頭痛も激しくなる。うん、これじゃ帰るのは無理だ。
「コーヒー淹れますから、シャワーをどうぞ」
「はーい……」
私はのっそりとベッドから降りた。もうすっかり辰巳さんのペースにはまっていた。これから先きっと、辰巳さんからもいろいろ教育されちゃうんだろうなあ。
OJT 藤田大腸 @fdaicyou
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