人を喰ったような辞書

フロクロ

第1話

12月5日 火曜日 先負


教授が、図書館の倉庫で何やら興味深い代物を発見したらしく、どうやらそれは埃まみれの古色蒼然たる大型国語辞典のようだ。しかし表紙には書名もなく、編纂者もわからない。奥付もないのでどの時代ものか皆目見当がつかないが、100年前と言われても信じてしまう、そんな雰囲気を醸していた。

国語学が専門の無愛想な教授もいまや瞳は好奇に染まっており、彼のことだからしばらくはひとり象牙の塔に籠もるのだろう。まぁ、助手の仕事は減るからいいのだが。


12月16日 土曜日 友引


早朝、教授から声にならない声で電話が掛かってきて急いで研究室に向かってみると、彼は頭を抱え何やら呻いてた。喃語のようなうわ言を繰り返す様子はやや気味が悪かった。救急車を呼びすぐに搬送されたが、結局病名も原因もわからずじまい。何か精神を患ってしまったのは間違いないが、現状意思の疎通は困難だという。無事治るといいが……。

教授が戻るまで私も暇なので、件の辞書について少し研究してみようと思う。教授もかなりの手記を残しているようだし、彼が戻るまでに何か発見があるかもしれない。

p.s.

先程、国語辞典が眠っていた倉庫を改めて探ってみたら、衝撃的なレポートを発見した。どうやら、60年前にもこの辞書を研究していた博士が発狂し、その後著しい言語障害が残ったというのだ。この辞書には人を狂わす魔力があるのだろうか?そんな馬鹿げた話があるだろうか?俄然興味が湧いてきた。


12月18日 月曜日 大安


昨日から例の国語辞典を眺めているが、あまりの情報量に目を見張った。文字は小さく語釈は簡素だが、基本語から百科項目まで幅広い語が収められている。国語学の用語も多い。教授の手記にも語彙数に関する記述があったが、まさかここまでとは!

それにしても、「インターネット」なんて語まで載っているのには流石に仰天せざるを得ない。この辞書が60年以上前に作られたのは確実だが、その頃にインターネットなんて存在しただろうか?

この辞書は予言の書か何かなのだろうか?


12月22日 金曜日


私は、国語学を研究するからには、語彙力にそれなりの自身があった。しかし、この辞書にはまだまだ自分の知らない言葉が多くてとても刺激になる。ただ、中には誰が使ってるのかもわからない、存在するのか怪しい語もあるが……。

そういえば、この前書いた自分の日記を見返したら、自分でも知らない単語を使っていて驚いた。「語釈」とはどういう意味だ?例の辞書でひいてみると、ちゃんと載っていた。

「言葉の意味を説明したもの」だそうだ。なかなか使えるじゃないか。


12月27日 水曜日


先生の日記にこんなことが書かれていた。

「あの辞書を見ていると、なんだか頭がぼおっとして、とにかく、うまく言えないが、いやになる。疲れているのだろうか。」

私にはこの言葉がとてもよくわかる気がした。

実はちょうど私も今、そんな感じなのだ。たぶん疲れだろう。今日は早めに寝ることにする。


12月31日(日)


あの本をひさしぶりにひらいてみた。前見たときは半分くらい知っていたのに、今は知らない言葉ばかりだ。おかしいぞ。これはぜったいにおかしい。


1/4


わかった。わかったぞ。

うまく言えない。うまくことばが出ない。けれど、わかった。だれかに言わなきゃいけない。あの本はあぶない。

あれは、ぼくの、ひとの、ことばを

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