掌と拳

 つづき 



 最近、保健室に来た子がいた。背の高い彼に名前を聞くと、しばらく学校に来ていなかった子だった。見ない子だったし、無口な様子に、あまり人に頼らない子なんだなと、ベッドに上げながら思った。

 上脱いでかしてねと言うと、素直に渡して来た。学ランを手放したその掌に傷を見た気がして、手、怪我したのと訊くと、彼は沈黙した。

「見てもいいかな」

 手を出すと、暫くしてぽすっと手が重なった。赤黒くなった四つの傷が並んでいる。思わず目を眇めた。

 爪の跡。

自分の爪が食い込むほど、この拳は握り込まれた。

 何と戦っているのか。

 並んだ傷にハイドロコロイド包帯を当てがい、カットする。傷に貼り付けて手で覆う。黙って処置を眺めていた彼が、そこで口を開いた。

「その白いの、なんていうんですか」

「創傷被覆材」

 彼の顔にはてなが浮かんだ。くすと笑って僕は続ける。

「ハイドロコロイド包帯。見て、もう透明」

 抑えていた手を退けると、それは張り付いて透明になっていた。傷が見えないよう、上から肌色のテープでぐるりと止める。包帯たちを戻す足で、テーブルに向かい、メモ用紙に包帯の商品名とおよその値段とを書き付ける。

「はい」

 受け取ると彼は暫しメモを見つめて、頭を下げた。

「怪我したらすぐ貼るといいんだよ。傷が乾燥する前に。家では自分で手当てするのかもしれない。でも学校で怪我したら、小さな傷でも構わないから取り敢えず、ここに来なさい」

 メモをズボンのポケットにしまいながら、彼は小さく頷いた。

 処置を終えたその掌を見つめる。

 ——戦っていたのか。

「…痛かったり、辛かったりしたら、いつでもおいで」

 言い置いて、立ち上がる。机に向かうと、先生、と背中に声がかかった。





 彼は三時限目から教室に行った。校庭を眺めながら、お兄さんの笑顔を反芻していた。

 爪が固く食い込むほど拳を握りしめるのも、子どもに掌を差し出すのも、同じ彼であった。

 掌の丁度真ん中あたりに、一文字に並んだ絆創膏。

 彼はおそらく自分で、自分でつけてしまった傷を覆ったのだろう。

 僕があのとき大人であったなら、彼が今、生徒として目の前にいたら。

 僕は黙って手当てをして、そして言うのだ。

「いつでもおいで」

 そうしたら彼も、話してくれただろうか。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

人宛思話 佳祐 @kskisaka

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る