第四話 迫る、抉る、漆黒。

「わからないの、どうすべきか」


 しばらくの沈黙の後、私は長尾君に吐き出すように言った。五月になり、私はこの喫茶店に澄良君を呼んで、今後どうするかについて相談していた。彼はまっすぐに私の目を見て話を聞いてくれた。男にしては大きい目がぱっちりと開いているのに、不思議と圧力は感じなかった。私は続ける。


「ずっと気持ちが揺れててね。彼と一緒なら、幸せになれるんじゃないかとか、彼も望んでるんだからそれでいいんじゃないか、とも思ってるんだ、もちろん。でもね、私なんかが幸せになっていいわけがないの。私はあの時・・・彼が信じられなくて、拒んで、距離を置いたの。それに今もね、完全に信じることができてるわけじゃない。まだね、怖いの。そんな私が彼に幸せにしてもらうなんて、申し訳ないんだ」


「・・・そっか。」


 彼はゆっくり話してくれてる。私にリズムを合わせてくれているのだろうか。あるいはしっかり理解しようとしてくれているのだろうか。どちらにせよありがたかった。彼がこれまたゆっくりと話し始める。


「わかったよ。でもね上条、あいつはきっと、君が幸せになっちゃいけないなんてこと少しも思っちゃいない。あいつは、君に拒まれてからもずっと、君のことを気にかけてたんだよ。それに、あいつは時に苦しんでしまうくらい、君のことを愛してるんだ。どうか、信じてやることはできないかな」


 彼の透明な目が静かに、でも激しく私に訴えてくる。彼は続けた。


「ねえ、なんで君は仁人のこと信じられないの?」


 私はうつむいてしまった。また胸が痛む。自分で自分の心臓を握りつぶしてるような気分だ。


「あいつは6年間も君のことを想ってるのに。ずっと、ずっと苦しんできたのに。その思いや苦しみを、全部見過ごしちゃうの?それは・・・あんまりだよ」


 わかってる。わかってるよ。


「なんで・・・なんで愛されるのが怖いの」


「長尾君に、何が分かるの」


 ぽつりと、でもはっきりと私は言った。彼は驚いているようすで、そのまま黙ってしまった。私は少し声を大きくして言う。


「君は・・・誰かを二度と信じられなくなるような経験したことないんでしょ。どんな気持ちか想像できる?誰の言うことも信じられなくて、疑心暗鬼になって、そんなことしてる中で本当の友達なんてできるわけなくて。恋愛感情なんて性欲の美化としか考えられなくなって、誰かを好きになることも、誰かに好かれることもできなくなって」


 一言一句を絞り出すように、私は話した。視界が潤んでから初めて、自分が泣いてたことに気づいた。自分でもなんでかわかんなかったけど、きっと今まで目を背けてたことを直視したからなんだと思う。そっか、私、今までずっとつらかったんだ。


 彼はずっと黙って聞いていてくれた。優しい目はまた私の目を見ていた。今なら、どんなつらかったことでも言える気がした。ゆっくり深呼吸をして続ける。


「あのね、私、強姦の被害者になりかけたんだ」


 今から私は潜るんだ。思い出したくもない真っ黒な記憶の中に。

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しあわせの定義 HeavyCryer @HeavyCryer

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