第6話 納豆と箸

 ここは、選ばれし納豆達が通う学び舎、聖フェルメント学園。


 登校してくる納豆達を、校門で出迎えるのが、生徒会、延いては生徒会長たる私の役目。

 高級納豆、最高級品質の大粒大豆。それが私。

 今朝もこのひととき、納豆達のざわめきを潮騒のように聴きながら、我知らず物思いに耽っていたところ、横から誰かにぶつかられ、私はよろめいた。

 ぶつかってきたのは、この秋から転入してきた一年生――コスズ――だった。


「大丈夫?」


 横から私を引き起こしたのは、生徒会副会長のエンレイだ。エンレイのしなやかな手と私の手が繋がれると、まわりの納豆達から感嘆のため息が漏れた。


「す、すみません、生徒会長!」


 コスズは泡を食って、私に土下座せんばかりの勢いで謝ってくる。

 やけに粒の小さい彼女のパッケージには『小粒』『国産』と大きく書かれている。

 私は大粒だから、彼女たちからすれば見上げるほど大きい。

 そのコスズの後ろで、私を睨み付けているのは、トヨ家の四姉妹だ。

 トヨコマチ、トヨハルカ、トヨホマレ、トヨムスメ、彼女達はまるで、コスズの親衛隊気取りだとすでに聞いていた私は、謝る彼女を一瞥して、ほこりを払った。


「お気になさらないで。もう始業の時間ね。あなた方も急いだ方がよろしいんじゃなくて」


 私とエンレイはさっとその場を後にした。廉価な小粒納豆たちをそこに残して。




 その日の放課後、私は生徒会室にひとり残っていた。

 他の生徒会メンバーの黒光たちも帰し、ほっと一息ついて、紅茶を淹れる。


「……コスズ……か……」


 朝のことを思い出して、私は唇を噛んだ。納豆達の殆どはタマフクラである。彼らの中で、コスズの小粒さは目を引いた。納豆小粒やスズマル達は、この選ばれし納豆たちが通う聖フェルメント学園にはふさわしくないのに、コスズはこの学園に在籍し、あまつさえ仲間に囲まれて楽しそうでさえある。


「あんたみたいなひきわり、目障りなのよ」


 そう一人ごちるとともに、私は思う。

 コスズは何も悪いことをしていない。ただの愚鈍な一納豆。それに私がいらつくのは――その理由は――。

 その時、生徒会室のドアが開いて、一人の箸が入ってくる。そのまま後ろ手に鍵をかけるのと、私が驚いて、闖入者の名を呼ぶのはほぼ同時だった。


「……大箸先生……」

「どうした、生徒会長。随分と浮かない顔をしている」

「別に……何でもありません」


 私は大箸から距離を取るために立ち上がったが、生徒会長のために用意されたマホガニーの机が邪魔をして逃げられず、あっという間に壁際まで押しやられてしまった。

 大箸は私を壁に押しつけるようにして、間近で囁いた。


「雪乃白姫」


 私は、その瞬間、渾身の力で大箸を突き飛ばしていた。


「そ、その名前で私を呼ばないで下さい!」

「なぜだ。雪乃白姫、生徒会長なんて無粋な呼び方より、よっぽどお前の名の方が美しい」


 雪乃白姫。私の名。その名は、まるで十字架のよう。

 大箸は青ざめた私に、その持ち手を歪めると、


「コスズのことが気になるんだろう。あいつはお前と違って、自分を偽っていない」

「何のことかわからないわ!」

「雪……」

「あんなひきわり納豆! 安さと栄養価の高さで大衆の食卓を彩ればいいのよ!」

「お前は本当に素直じゃ無いな」


 大箸は、私を床に引き倒し、強引に押さえ付けた。


「やめ……!」

「……コスズを味わった奴は、大勢いる。でも、お前を味わった奴は、誰もいない。お前は……庶民の食卓には、単価が高すぎる」

「いや!」


 びっと音を立てて、私の包装が破かれる。


「過剰包装もたまにはいいもんだな。一枚ずつ脱がせる楽しみがある」

「教師が……こんなことして、いいと思ってるの!?」

 

 必死で抵抗するが、大箸を止めることができない。

 私の包装が――高級感をいや増しにする麦わらが――大箸の手で取り除かれ――暴かれる――。


「教師、か。……今は、ただの、一人の箸だ」


 大箸は、徐に自身の箸袋を取り去った。

 私は悲鳴を上げた。大箸の箸自身は禍々しく太かった。

 ごくりと唾を飲むと、大箸は笑う。


「……私をどうする気……」


「もちろん、俺のこれで」

 大箸は太い箸先を指す。


「……ぐちゃぐちゃにしてやるよ」

「いやぁああ!」


 つぶ、と、むしろ静かに、ゆっくりと、大箸の自身が私の中に入ってくる。

 大箸は、ちょっとも躊躇せずに、強く、私を抉る。


「あっ、あ、あっ……」

「くっ……なんて粘りだ……いれたなりから、もってかれそうだぜっ!」


 ぐちゅぐちゅっ! じゅちゅ! ぶちゅぎゅちゅっ!


「いやぁっ! そんな太いのでかき混ぜないでぇーっ!」

「おら、音を上げるのは早いぜ!」


 大箸は私をかき混ぜながら、私を誉めそやす。皮の白さ、粒の大きさ、立ち上る芳香を……。

 私はすっかり糸を引いて、大箸は満足げに箸先で私をすくっては粘りを確かめる。ねっとりとした感触が箸先から波紋のように私を犯していく。にゅじゅっ……ぬぐっ……ちゅぷん……。


「もうとろとろだぜ……泡立って……」

「いやぁ……言わないでぇ……」

「まったく、いやらしいおまめちゃんだな……つまんでやるよ」


 ぬぷっ……にゅる……、とてらてらと泡に塗れて光る大豆を摘まみ上げられ、私は感電したように仰け反った。


「ひっ……ん……!」

「認めろよ、雪乃白姫……お前のうまさを……」


 大箸の目に浮かぶのは憐れみ? それとも……。

 私は涙をこぼしながら頭を振った。


「……許されないわ……! 私の……正体を知ったらみんな!」

「お前がカナダ産だって構わない!」


 雷よりも大きい衝撃を、何と表現すればいいだろう。

 大箸の強さが私の発芽を促すのでは無いかとさえ思った。すでに茹で蒸されたこの身でさえ、芽吹こうとするほどの力が、大箸の言葉には込められていた。

 雪乃白姫――私は、カナダ産……。

 納豆達は誰ひとり、私が外国産などと、つゆほども疑っていない。聖フェルメントの生徒会長は純国産の特級大豆納豆だと、一般納豆は信じている。

 私もできるなら、そうでありたかった。


「雪乃白姫……お前がカナダ産でも国産でも、農家に愛されて育った大豆であることを、忘れるな……」

「お、大箸…先生……」


 温かい涙が、頬を伝う。

 私の唇から、自然と言葉が漏れた。


「ナットウ……」


 大箸が、それに応える。


「キナーゼ……」


 ふんわりと泡立てられた私の意識は、ゆっくりと眠りに沈んでいった。




次回


 ――バカだな、国産だなんだって、気にしているのはお前だけだ。どの国産だってお百姓さんが大事に育てたことには変わらない。


 大箸の言葉が私の胸に灯した火が、煌々と私の行く手を照らし始める。


「君みたいな美納豆、巻かずにはいられない」


 酢飯と海苔、そして納豆。三人が織りなすトライアングルハードラブ!


 続かない。

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僕たちは擬人化している 千日紅 @sen2_k

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