第3話 網戸と窓枠
今年もまたこの憂鬱な時期がやってきた。
僕は網戸。白いナイロン製の網と、それを止める框、それから窓枠のレールを滑る障子が僕の全てだ。
「きれいになっておいで」
窓枠はそう言って僕を見送る。抗いようのない力によって、僕たちは離ればなれになる。
――まったくほんとにこの網戸!! なんて動きにくいの!
夏も同じ罵声を浴び続けた。冬になってまで罵られ、僕はますます縮こまる。
僕の障子はとにかく固かった。レールにかろうじて乗っているのが精一杯。窓枠は「大丈夫だよ、落ち着いて」といつも優しく言ってくれる。銀色のアルミにヘアラインの輝かしい窓枠。兄弟であるガラス戸も、同じく窓枠に障子を乗せているが、彼はどんな窓枠にもぴったりはまる。引く手あまたの兄に、僕はかねてから強い劣等感を抱いていた。
僕はいつもガラス戸が羨ましかった。透明で、外の景色が透けていて、汚れたってすぐに濡らした新聞紙で拭いてもらえる。
――網戸の掃除は大変なんだから! ふー、やっと外れた。やれやれよ。
それでも何とか窓枠から外される。
敷き延べた新聞紙の上に横たわって、上から掃除機をかけられる。
「んっ……いたっ……いたい……」
――やだ、この網戸真っ黒……きたなぁい。
自分でも気にしていることを、これ見よがしに言われて、僕は痛みと羞恥に泣きそうになってしまう。
「あっ……いやぁっ……つめたい……」
水をかけられて、更に、メラミンスポンジで両側から挟まれて擦り立てられる。
「あっ、あっ、あっ、あっ!」
リズミカルにこすり上げられると、みるみるうちに汚れが白いメラミンに移っていく。メラミンはぼろぼろになってうち捨てられる。
「あ―――――っ!」
最後にまたびしょびしょに濡らされて、僕は気を失いかける。
それだけではこの拷問は終わらない。いつもここからが一苦労だった。もといた窓枠に戻る、それだけが見悶えるくらい困難なのだ。
ただでさえ、滑りの悪い障子は、容易に窓枠にはまらない。
「窓枠……ただいま」
「きれいになったかい、ほら、おいで」
「うん」
僕はおそるおそる、窓枠の怜悧にそそり立ったレールの山の上に障子を載せる。くっと力を入れてみるが、やはりうまく入らない。
何度も繰り返しているうちに、焦りで汗が噴き出てきた。がつんがつんと力任せに繋がろうとしても、痛いばかりだ。窓枠も痛いだろう。彼の美しいアルミに傷がついているかもしれない。怖い。
「ふぇえ……やっぱり、やっぱり入らないよぅ……」
僕の耳に聞こえてくる、悪魔の誘惑。
――もうこの網戸、はめないで置いとこうかしら。
そうすればもう、この苦しみからは逃れられる。
網戸である苦しみ。
みんな僕が悪いという。網戸って何でこんなにすぐ外れて、はめようとしてもはまらないの、と僕を罵る。
閉めたつもりでも隙間があったりもする。僕がうまく閉まらないせいで、夏は、蚊が部屋に入ってくる。春には小バエが入ってくる。
網戸が悪い。網戸のせい。
それでも、ダニみたいな小さな虫は僕じゃ防げないんだから、虫除け剤を塗ってよ……!
いくら網戸だって、防げない虫もいるし、ゴキブリとかそれなりの大きさの害虫は、玄関の開け閉めの時に入ってきたりするんだから、そっちを注意してよ……!!
僕だけが悪いの!? そうじゃない、そうじゃないのに……。
「泣かないで、網戸……」
「やっぱり、クレ551を使うしか……ないのかな……」
僕がぽつりと零すと、窓枠は合わせるように吐息した。
「あれは、最後の手段に取っておこう。ありのままの君と僕で、つながりたいんだ。俺たち、ずっとそうやって、一年三百六十五日、つながってきたろう?」
「でも…! でも、その度に窓枠に無理させて!! 今もこんなにレールはそそり立ってるのに、僕の障子が固いせいで!!」
「ねえ、網戸。君の網に穴が空いてたって、いや、網がぼろぼろに破れてたって、俺のレールの上を滑るのは君しかいないんだ。障子が固い? そんなことあるもんか。ほら、もっと力を抜いて……俺の鼓動を感じて……考えないで……感じて!!」
「ま、窓枠――――――!!」
僕は再び、レールに障子をキスさせる。きしっという音。窓枠の冷たさ、堅さ、レールの確かさ。僕の鼓動と窓枠の鼓動が混じりあう。
どちらの鼓動を聴いているのかもわからない。そのうちに身体が自然に動いた。
「……このリズム……なんだね……!」
「そう、優しく……温かい……! 虫たちを殺すことなくさりげなく遠ざける、網戸、君の優しさそのもの…! 俺を……レールをその優しさで飲み込んで――!!」
何という恍惚であろうか。その瞬間、僕の障子と、彼のレールは軽やかにぴったりとはまった。
「僕たち……ひとつになってるんだね……」
「そうだよ、網戸」
「窓枠……! もう、僕の障子は君を離さない!!」
「嬉しいよ、網戸。もう、大掃除を……ううん、網戸であることを、怖がらないで――」
僕は窓枠のレールの上を滑りに滑った。
僕はもう大掃除は怖くない。何度外されても、僕たちはまた必ずひとつになれるってわかったから。
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