月明かりの砂漠で

 どうしたんだい、私の小さな子猫ちゃん。そんなに泣いたりして、なにか怖い夢でも見たのかい?

 


 ──そうかい。あんたには不思議さんたちが見えるんだねぇ。私が産まれた東の国にも、そんな人たちがいたもんさ。私がお母様に連れられて砂漠を越えた事は知っているだろう?

 その時に会った、小さな魔女の話があるんだよ。

 そう、魔女。


 今のあんたと同じぐらいの背格好で、真っ黒い……ローブというのかね? 長い外套に身を包んだ女の子がね、かわいそうに砂漠で倒れていたのさ。私たちは怖い大人から逃げていたから、お母様は放っておけと言ったのだけれど、私はどうしても気になって、残り少ない水を分けた。少しずつ、少しだけね。

 お母様にはひどく叱られた。水は何よりも貴重だったし、今にして思えば、仕方の無いことだね。


 その夜はとても美しい満月だった。あんなに恐ろしい砂漠も、果てまでが銀色に浮き上がって見えたよ。夜中に私は目が覚めて、もう一度銀色の砂漠を見たくなったんだ。

 身を隠した砂の丘の、一番高いところまで昇って見回した。この広い広い世界を私だけが見ているような気がしてね。世界には私しかいないんだと。とても寂しくて、だけれどとても自由な気持ちになった。

 でも、それが良くなかったんだろうね。きっと追っ手の誰かが私を見つけたんだ。丘を降りてすぐ、人の気配がした。


 全身に硬く布を巻きつけ、ぼろぼろの外套をまとった砂漠の殺し屋さ。黒い三日月みたいな刀を抜いて、月明かりに目玉だけがぎょろぎょろ・・・・・・していたのを覚えているよ。

 私はお母様に駆け寄って慌てて起こしたけど、その時にはもう殺し屋はすぐそこまで来ていた。

 そいつは言ったのさ「選べ」って。


 私はもう、声もでないぐらい恐ろしくて、何を選ぶのかなんてその時はさっぱりわからずにいたら、ご丁寧に教えてくれた「家族が死ぬのを見るのは辛いだろう。どちらが先か選べ」って。

 答えられるものではなかったねぇ。二人ともただただ震えていたら、男は無言で刀を振り上げた。お母様が私におおいかぶさって、私は仰向けにころんで、見たんだ。

 月明かりで青くにじむ空に、小さな魔女が立っていたのさ。


 子どものような、大人のような、不思議な風貌をしていてね。でも、つややかに波打つ藍色の髪がとても美しかったよ。

 殺し屋はと言えば、刀を振り上げたきり、魔女を見上げ、よくわからない呻き声をあげていてね。


 月明かりの魔女、と彼女は名乗った。

 月明かりの魔女は水の借りを返しに来たと。


 空から降りてきた魔女は、動けずにいる殺し屋の顔を両手でむずと掴んでこう告げたのさ。

 『お前は戻る。途中で首を拾うだろう。そしてぬしから望みのものをもらうがよい。その後がどうなろうと知らぬ。だがぬしはお前に与えたものを取り返さんとするだろう。お前の脚、速かれば生き、遅かれば射抜き、魔女のいわいをその身にぬがよい』

 

 魔女が言うと、殺し屋はサバクトカゲのようにまろび走って去った。

 お母様は涙ながらに礼を言い、黒ずくめの小さな魔女は私の手に黒くつやつやした石の首飾りを握らせて言ったのさ。

『これは願いを叶える石だ。死にたくないというわたしの願いは叶えられた。次はお前の番だ。願いができたら石に望むといい。胸高鳴れば、いつか一つだけ叶えてくれる』

 

 そうして、魔女は去り、私たちは生きて砂漠を越えた。


 魔女というのはね、人には見えない、この世のことわりと心通わせる力をもつのだそうだよ。

 だから私の子猫ちゃん、小さな子猫ちゃん、これをあげよう。だからもう泣くのはおよし。それはあんたの才能なんだよ? あんたも月明かりの魔女のようにね、立派な魔法が使えるようになるかもしれないよ。空飛ぶ靴で、どこにでも行けるようになるかもしれないよ。

 だからもう、泣くのはおよし。


 明日は、あんたの好きなバクラウァを作ってあげようね。

 お父様もお母様も、きっとすぐに帰ってくるからね。


 だからもう、泣くのはおよし。

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アルル、遊びに行こうよ 帆多 丁 @T_Jota

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