とある羊串屋台の朝

 グーニー・エールビカ=エトフォアの朝は早い。


 夜中まで酒場を切り盛りした夫と入れ替わるように起き出して、夜明け前から仕込みが始まる。

 そろそろ暖かくなってきた。羊串の季節ももう終わりだろう。店の前の通りに焼き台を出し、空き樽を並べる頃には日が昇る。

 随分と日の出も早くなったもんだよ。

 炭に火が回り、焼き台に羊串を追加したあたりで見慣れない客が来た。

 いや、見慣れてはいるのだ。この町の子だ。

 大きな青い瞳、そして大きな口。

 ぶかぶかのズボンの腰を無理やり紐で絞って、ズボン吊りで吊って、明らかに丈の会わないジャケットの袖を折って。

 まるで父親の服を勝手に着た子どもじゃないかね。

「あんた、うちの息子の──?」

「はい、ピファです! ヨルンさんとは楽隊で一緒でした。おはようございます!」

 大きな口がはきはき答える。声にも聞き覚えがある。せっかくの長くて明るい金髪は、帽子の中に押し込まれていた。もったいない。

「串だけなら銅三枚、銅五枚ならパンがつくんだがね、その格好はいったいどうしたんだい?」

 ひつじぐしの女将は尋ねずにはいられない。

「私、働き始めたんです、火薬工場で。スカートはダメだって言われたんですけど……大きさが合うのがなくて」

 はにかみながら娘が答えるのを聞いて女将は驚いた。

「へえ、あんたももうそんな年かい。スカート……てことは職人かね? あんたが? あそこの? 男だらけで大変だろ?」

 少女が、へへへ、と曖昧な笑みを浮かべる。

「怒られてばっかりです。ええとパンと串、ください」

「はいよ、銅五枚ね。焼きあがったら声かけるから、空いてる樽でちょっと待ってておくれ」

 銅貨を受け取って女将は、職人見習いの娘が樽テーブルにつくのを眺めた。樽一つ選ぶにも妙にまごついて、お尻に卵の殻がまだ残っているように映った。

 目抜き通りの人通りはまだ少ない。

 工場が始まるまでにはまだまだ時間があるだろうに、少女が来たのは随分と早い。他に客は、仕事を終えた新聞配りが一人いるだけだ。卵の殻が取れたばかりの新聞配りが、ちらちらと男装の少女に目をやっている。

 女将にも気持ちはわからないでもない。

 その少女はといえば、テーブルがわりの樽に肘をついて、そわそわと目抜き通りの向こうを見やっている。

 何を気にしているのかと女将は思ったけれど、焼き台の串をくるりと裏返したあたりでわかった。

 花火がはじけたようだった。

 目も口もいっぱいに開いて、走ってくる人影に手をふっている。

 ああ、アタシにもあんな頃があったねぇ。

 少女の視線の先に、猛烈な勢いで走ってくる細長い人影。

 ピピピピ、と聞こえた。

 この音、というか声にも聞き覚えがある。

 あー、そうかいそうかい。そういうことかい。

 やたらと背の高い少年が、猛烈な走る勢いを一瞬で殺して止まる。まるで魔法のようだった。魔法使いの所のお弟子さんだから、それも当たり前なのかもしれない。

 

 ──ピピ、ピファ、な、なんだか、ふっふ、ふ、ふしぎ。

 

 少年がつっかえつっかえ喋るのが聞こえてくる。顔にはニキビがたくさんあって、いまいち自信もなさそうなあの男の子の何がいいのかと思っていたが、化け物騒ぎの時に女の子を助けたと聞いた。

 化け物の目の前に立ちふさがって、女の子を逃がしたとかなんとか。

 まったくもって、人は見た目によらない。


 ──ふしぎって、何が?


 上目遣いに少女が聞き返している。あの樽の周りだけ華やいでいる。

 ああ、わかるねぇ。聞き返すだけでも楽しいよねぇ。でも早くお連れさんの分も注文しておくれよ。


 新聞配りはちらちら見るのをやめて、黙々と焼いた羊の肉を噛みしめている。やけにせっかちな咀嚼に哀愁めいたものが見え隠れする。

 ああ、わかるねぇ。そういうこともあるよねぇ。

「ごっさん」

 食べ終わった串を返す新聞配りの声は低く短い。

「お仕事おつかれさまだね。また来ておくれよ」

 女将は明るく声をかけ、受け取った串を使用済みの箱に放った。


 ようやく少年が注文しにくる。注文して、支払いをして、また戻るところまで、少女が樽からずっと目で追っている。


 ──私、一度やってみたかったんだ。

 ──な、なにを?

 ──ここで朝を食べてから仕事に行くの。オトナっぽくてかっこいいなって。


 それは嬉しいことを聞いた。

 早朝の束の間に逢い引きとはまた、微笑ましいというかなんというか。

 女将の中の乙女の部分が、こそこそと心をくすぐる。

「焼けたよ、お二人さん」

 もちろん、そんな事はおくびにも出さないのだ。

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