第159話 超天才
観客席に座るスネイプは大きなため息を付いた。
「はあ、あの気分屋め……」
まあ、ああなることも想定のうちに入ってはいた。
実はスネイプは初めから八百長でギースを負けさせようなどと思っていなかった。そもそも、負けろと言われて負けるのを許す性格でもない。スネイプが狙っていたのは『優勝予想』であった。
『優勝予想』はその名の通り誰が優勝するかを当てるものである。スネイプは『帝国』の西部にいるトラウトという本来存在しないはずの商人として、全財産をギースの優勝に賭けていた。この優勝予想は特別な計算式によって試合前、一回戦終了時、二回戦終了時、三回戦終了時と四回の賭け金をまとめてプールし配当するという仕組みで、当然試合前から賭けていたほうが配当が高いし、途中から参加してくる連中が外せばそれだけ配当も大きくなる。
要するに、ギースには「決勝までなるべく弱そうに戦ってくれ」。と指示してあったのである。実際に鈍重な動きを見せたおかげで、一回戦終了時点でオッズはかなり高かった。ちゃんと決勝まで手を抜いてくれれば本当はもっと稼げたのだが、まあ、結婚資金くらいは確保できるので良しとしよう。
「……なんだ、今の動きは」
隣に座るリックがそう呟いていた。
「ははは、西部リーグ全ての最速昇格記録を更新したリックさんでも見誤りますか。なにせ、ギースの動きは紛れもない運動不足の人間のものですからな。洗練された動きばかり見ている一流の戦闘者は、逆にギースの実力を読み取ることができない」
「確かにその通りです。ギースみたいな動きはあまりにも見慣れない」
「アレが、ギース・リザレクト。パワーもスタミナもスピードもタフネスも反射神経も戦闘中の思考速度も、全てが何一つ欠けること無く生まれながらに揃っている完璧な才能。それらを一切努力しない運動不足の素人の体に全て搭載した本物の天才、本物の化物です」
スネイプは思い出したように、ああと呟いて言う。
「そう言えば、リックさんは私が二十三歳で『拳闘士』を引退したと言った時、不思議そうな顔をしていましたね?」
「それが、何か?」
「アレが理由ですよ」
スネイプはリングの上で笑う弟を指差す。
「二十三歳のとき、私はギースに『現実』を教えられたのです」
■■■
スネイプ・リザレクトは竜人族の富豪、レイズ・リザレクトの息子として生まれた。
父親であるレイズは相当にあくどい商売で金を稼いでいた。
十代の頃、そのことに完全に嫌気が差した。ツケが周り商売敵に妻を殺されても、決してレイズがそのやり方を変えようとしないかったことがトドメだったように思う。
スネイプは家を飛び出し、母親の生まれた国である『ヘラクトピア』で『拳闘士』となった。派手さはないが、オーソドックスで丁寧な戦いで徐々に実力をつけ、小規模の大会だが優勝までするようになる。
そんな『拳闘士』として上り調子の二十三歳の時だった。
父のレイズから「一度実家に戻ってきてくれ、合って一度謝りたい」という手紙が来たのである。
何事かと訝しみながらも、実家に戻ったスネイプは心底驚いた。
レイズは再婚しており、すでに八歳となる息子がいると言うのである。
だが、一番驚いたのはレイズがすっかり付き物が落ちたかのように穏やかになっていたことだ。妻を失い息子に出ていかれ、なにか思うところがあったのかもしれない。再婚した相手がそれこそ穏やかでほんわかした底抜けに優しい女性だったのもよかったのだろう。
レイズから辛い思いをさせた事を深く謝罪され、今更ながら家族に優しくなった父親を複雑な心境で見る中、ついに、スネイプは腹違いの弟に出会うことになる。
まず、八歳と聞いて全く信じられなかった。この時点で身長は170cmを超え、竜人族では大男の類である。
そして開口一番。ギースはこう言った。
「お前、『拳闘士』なんだって? なんで意味ないことやってんの? 一生オヤジの金で暮せばよくね?」
金があり家族に優しくなった父に完全に甘やかされきって育った弟は、八歳にしてそんな事を言い放ったのだ。
スネイプは、そうかもしれないが自分は『拳闘士』に楽しさを感じてるし、この拳で叶えたい夢もある。と冷静に言ったが。
「お前の才能で『拳王』なれるわけねーじゃん。俺様の兄貴はゴミみたいに頭悪いんだな」
心底見下した声だった。
一瞬で頭に血が上り、スネイプはギースに殴りかかった。
そして、初の兄弟喧嘩。いや、喧嘩にすらならなかったか。
一方的にスネイプはギースに叩きのめされた。完膚なきまでに。
毎日クタクタになるまで必至に鍛えて戦って来た自分が、まともに外に出ることさえしない八歳の少年に手も足も出ずに負けたのだ。
「あーあー、惨め」
自分を見下ろしてそう言った弟の目を、スネイプは生涯忘れることはできないだろうと思っている。
自分がどれだけ必至に頑張っても何年時間をかけても絶対に超えられない天才がいる。しかも、そいつは自分の半分も、いや、一億分の一すら努力していないのだ。
駄目だ。もう、自分は自分の拳に『夢』を見られない。
そして、スネイプは『拳闘士』を引退した。
■■■
そして、今日この日。
かつて一人の『拳闘士』の心をへし折った暴力が一人の少女に襲いかかる。
ギースが地面を蹴った。
その瞬間、まるで地震でも起きたかというような轟音と共に、その巨体が恐るべき速度で動く。
「くっ!!」
苦し紛れに右の突きで迎撃しようとするアンジェリカ。
しかし。
「ざんね~ん」
ギースは驚くべき敏捷性を見せ、攻撃を避けながらアンジェリカの左側に回り込んだ。
先ほどとは全く動きが違う。巨大すぎる体躯を持ちながら、竜人族本来の武器である素早さを全く損なっていない。いや、竜人族の中でもこれほど速く敏捷に動けるものなど他にいないかもしれない。
そのままギースは左手でアンジェリカの横腹を殴り飛ばす。
アンジェリカの口から声にならない声が漏れた。
どう見ても素人が適当に軽く放ったとしか思えない一撃だったが、アンジェリカの体は4m近く宙を舞い20m以上吹っ飛んだ。
普段鍛えていない人間だったら間違いなく即死であるが、アンジェリカは奇跡的に意識を保っていた。
「ははは、そこ、お前が二発目に俺様殴ったところな。どうだ? 痛いか? 痛いだろ? まあ、俺様は全く痛くも痒くもなかったがなあ。いやー、貧弱な体で生まれちゃって残念だなあ。お父さんとお母さん何してくれちゃってのよ。この子こんなに可哀想じゃないかあ」
会場中に響き渡るこれでもかと見下しを込めたギースの声。
「……っ」
アンジェリカは吐血しながら床を転がった。兎にも角にも一度距離を取る。
「おうおう足掻くねえ。もう、俺様がお前よりも遥かにつええことくらい分かってるんだろ?」
確かに、ギースの言うとおりだ。悔しいが、目の前の男は正真正銘の天才で化物である。アンジェリカの兄、ラスター・ディルムットも天才と言われ、あまり熱心に努力する方ではないのに『千の魔法を持つ男』などと言われる強い人間である。しかし、そうはいっても実勢経験は積んでるし、努力の仕方がめちゃくちゃ雑で自分勝手なだけで、自分から興味を持って魔法を千個も覚えようとしたりしているわけである。
だが目の前の男はそれさえしない。なのにAランク最高レベルの兄ですら比べ物にならないほど圧倒的に強いのだ。
でも……それでも……。
朦朧とする意識の中でアンジェリカが思い出すのは、幼い日の光景。
父と母に教えられた社交マナーをなんとか詰め込み、初めて出向いた社交パーティ。すでに母親譲りの整った美貌を持っていたアンジェリカは、なんとパーティの主催者に声をかけられることになる。
三つ年上のブルイユ公爵家次男、ラインハルトである。十歳前後だというのに、上級貴族の男児然とした凛々しく優雅な立ち振舞いと言葉遣いでアンジェリカをダンスに誘ってきた。周囲の女性陣からは子供同士であるから微笑ましく、それでも羨ましいという視線が注がれた。
が、しかし。それがはっきり言ってアンジェリカには不愉快極まりなかった。ラインハルトの言葉の節々から感じるのは、俺がお前を選んでやる光栄に思うがいいというニュアンスだ。
相手が王子ならまだ分かる。身分が上であるのだからそういうものだろう。しかし、ラインハルトもアンジェリカも同じ公爵家の二人目の子供ではないか。男だからってそんな上から目線の態度をするやつとは、一秒だって一緒にいたくない。
だが、しかし。断れば断るほどラインハルトは更に強引に誘ってくる。ほら、本当は喜んでいるんだろう? 恥ずかしがらずにこの手を取っておしとやかに感謝の言葉をのべるがいい、と。
そして、ついに強引に手を取られたので、我慢ならなくなったアンジェリカはラインハルトをぶん殴った。
ピンタではない。腰の入った右フックである。
このことは大変な騒ぎとなった。しかも、アンジェリカだけが「わきまえていない」として、糾弾されることになったのだ。
アンジェリカは主張した。殴ったことは悪かった。だがわきまえていないというのは納得できない。自分は自分の意思で上から目線の男は嫌だと拒否しただけではないか。
周囲は言う、それがわきまえていないのだと。両親もアンジェリカを叱ることはなかったが、アンジェリカの意思を肯定することもなかった。
何だそれは。ふざけるな。
それ以降、アンジェリカは社交パーティには一切顔を出さず、貴族の女としての教養の勉強も拒否した。代わりに元々好きだった法学の勉強や剣の訓練に今まで以上に熱心に取り組むようになる。
そして、十四歳でかねてより入団を希望していた騎士団に入る。そこからは、自分の力と働きで実績を積み上げていった。ほら見るがいい、私は間違っていなかった。自分でこうすると決めた生き方で立派に生きていけるではないか。
……だから、だからこそ。
「はあ、なんで立ちがるかねえ。どうせ勝てねえのに」
「なんで立ち上がるか、ですって……? 決まってますわ」
アンジェリカは母や他の娘たちのように、男を立てる生き方を否定するわけではない。立派な生き方だと思う。ただ。そうひとえに。
「ワタクシが……こう生きたいと思った生き方をするためですわ!!」
アンジェリカは残った力を振り絞り『瞬脚』を発動する。
『瞬脚』は初めて覚えたアンジェリカの最も頼りとする魔法であった。自分の足で強く地面を蹴り、誰よりも速く駆け抜けるこの魔法がアンジェリカは好きだった。好きだったからこれまで磨き抜いてきた。最後の最後に己を託すのは、自分が最も積み上げ努力してきたものである。
アンジェリカは『瞬脚』を連続し、リングの上を縦横無尽に駆け回る。
加速、加速、加速、加速。
そして、再び、日に三度しか使えない魔法、その最後の一回をこの加速に上乗せする。
「『瞬脚・厘』!!」
が、その時。
「あーっと、こんな感じで魔力はこう配分して……」
ギースが地面を蹴った。
「ああこんなもんだな、『瞬脚・厘』」
ギースの巨体が加速し、一瞬でアンジェリカの背後に回り込んだ。
「そん……な」
アンジェリカの顔がついに絶望に染まる。
『瞬脚』精度としては雑だった、だがその速度は残酷なことにアンジェリカよりも遥かに速かった。これは必然である。なぜならギースは『強化魔法』など使わない時点で、アンジェリカの『瞬脚』よりも速く動ける肉体を生まれつき持っているのだから。
「そういや、お前さっきなんか言ってなかったか? 『少しは努力を積み重ねる大切さを理解できました?』だっけ?」
ギースはアンジェリカの服を掴むと、そのまま無造作に投げ飛ばした。
人間を投げたにもかかわらず、アンジェリカの体はほとんど地面と平行に滑空した。
恐ろしいまでの腕力。これまでは、スピードだけでなく力ですら全く本気を出していなかったのだ。
勢いそのままに、リングの壁に激突した。
「がっ……!!」
アンジェリカの全身から完全に力が抜ける。
「はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!! あー、わっかんねえ。わっかんねえわあ。お前が積み上げたものってさっきのしょうもない『強化魔法』か? あんなゴミ見せられて俺様は何を感じ取ればいいんだあ?」
愉快でたまらないと大笑いするギース。
「そう言えばよお。俺様は俺様なりに参加する理由があるって言ったろ?」
ギースは崩れ落ちたアンジェリカに向かって言う。
「俺様は『身の程わきまえず夢見ちゃってるゴミを踏み潰して楽しむため』に参加してるんだわ。おめえは最高に愉快だったぜえ!! これからは兄貴の孕み袋としてお幸せになあ。はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははああ!!!!!!!!!!!」
観客達は目の前で起こった悲惨な蹂躙劇に皆沈黙してしまっていた。
その静寂にただギースの笑い声が響き渡る。
その時だった。
「あん?」
アンジェリカは立ち上がった。
どう考えても立ち上がれるダメージではない。というか、死んでいたとしてもおかしくない状態だ。
だか、それでも。立ち上がるのだ。膝を折ったらもしかしたら楽なのかもしれないが、まだ心の天秤は後者に傾いているのだから。
その目に宿る光を見て、ギースは心底つまらなそうに吐き捨てる。
「興ざめだわ。死ねや」
ギースはその右手に魔力を込める。
すると、右手の爪がまるでドラゴンの爪のように肥大化し、巨大な槍のように形を変えた。体に特殊な魔力を流し、起源である古龍の体に自らの体を変形させる。竜人族特有の『強化魔法』である。
手にその『強化魔法』をかけ、槍とするのが竜人族の得意とする技の一つ、『』。小柄な竜人族が戦闘で多種族に遅れを取らないのは、スピードと一撃必殺の貫通力を持つこの技があるからである。
そう。小柄で非力な普通の竜人族でも必殺の威力が出る技なのだ。
それをギースが使えば、果たしてどうなるか?
ギースがアンジェリカに向かって駆け出した。
審判が試合終了の合図をかけようとするが間に合わない。
轟音と観客達の悲鳴が闘技場全体に響いた。
が。
ギースの右手はアンジェリカではなく、闘技場の鉄製の壁に深々と突き刺さっていた。
そしてついに、気力だけで立っていたアンジェリカの体が崩れ落ちる。
次の更新予定
2025年1月20日 13:00
新米オッサン冒険者、最強パーティに死ぬほど鍛えられて無敵になる。 岸馬きらく @kisima-kuranosuke
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