第158話 糸切り

 ――約三週間前。


 「お前に素手で使える剣を教えてやる」そう言ったリックが連れてきたのは、ダークエルフのメイド、リーネットであった。

「お前に今から学んでもらうのは、『身体操作』における奥義の一つだ。リーネット、手本を見せてやってくれ」

「はい」


 リーネットは近くに生えていた木の前に立つと、ゆっくりとその右手を上げた。

 そしてその手が一瞬完全に視界から消失するほどの速さで振り下ろされる。

 すると、木は根本からまるで刃物でも通ったかのように、斜めに切り裂かれその滑らかな切断面にしたがって倒れた。


「……」


 唖然とするアンジェリカ。何が恐ろしいかといえば、全く魔力を使っていなかったのである。つまり完全なる体術のみでやったことなのだ。


「本来は素手よりも何かモノを持ってやるのですが、だいたいこんなところです」


 そう言って一礼するリーネット。


「お前にはこれをやってもらう」

「いやいやいや」


 ブンブンと首を振るアンジェリカ。


「おかしいですわよ!! 何をどうしたら素手で木を切り倒して、しかもこんな滑らかな切断面になりますのよ!!」


 そう言ったアンジェリカに、リーネットが言う。


「可能です。現に私はできますし、リック様も多少切断面は荒くなりますが似たようなことができます。コツは「空気を感じて末端を軽く振り抜く」ですね。まあ、まずは言葉よりもやってみて感覚を掴むところから始めましょう」


 というやり取りの後、早速『糸切り』の練習が始まったわけだが、最初はいくらやっても、紙一枚綺麗に切断することができなった。リックはアンジェリカにこの技術の適正があるなどと言っていたが、とてもそんな気はしなかった。

 しかし、同時にこうも思った。確かにこれは使える、と。

 実際、打撃で斬撃を繰り出すことができれば、アンジェリカは騎士としての本来の戦いにかなり近い動きができるようになる。そうと決まればアンジェリカはその生来の負けん気でひたすらに鍛錬に取り組むだけであった。


   ■■


「さあ、いきますわよ!!」


 アンジェリカが再びギースに向けて走り出す。

 これも前回と同じく、身体強化を切っているため鍛えた常人程度の動きでしかない。

 しかし。

 その動きが地面を踏み抜く音と共に目にも留まらぬ速度で加速する。

 タイミングを合わせて右のストレートで迎撃しようとしていたギースの横を、あっという間にすり抜け、その突き出した腕に切り傷を刻んた。


「痛ってえなクソ。どうなってんだ」


 ギースはこれまでの余裕な態度とは一転して、明らかに苛立っていた。

 そう、完全な有効打になっているのである。


「どうですか? 天才さん。これがワタクシの積み上げてきたもですわ」

「ああん? 積み上げだと?」


 そう、それはアンジェリカが積み上げてきたものの集大成というべきものだった。

 『糸切り』の訓練を開始したアンジェリカだったが、当然最初は全く上手く行かなかった。というか、しばらく欠片も感覚を掴めなかった。だいたいなんだ「空気を感じて末端を軽く振り抜く」って、軽くやったら力が抜けて先端が速くならないだろうが。

 などと、思いつつも分からん分からんとウンウン唸りながら、続けていたがある日、やってられるかと憂さ晴らしに騎士団時代に愛用していた剣を持ち出して、久しぶりに思いっきり振り回してみることにした。

 『ヘラクトピア』に来てからの鍛錬と実践の成果か、格段に速くなっていた剣の振りに自ら惚れ惚れしつつ、ブンブンと風を切ると音をさせて振り回していたその時だった。

 雷が落ちたかのように気づいた。

 剣が上手く振れた時というのは、確かに先端が最高速に達した時に物凄く軽く感じるのである。そして、その時に全身は力を入れていないかと言うと、むしろ逆だった。上手く力を入れられていたのだ。

 考えてみれば、リーネットが言っていたのは「空気を感じて末端を軽く振り抜く」であり、体の力を抜けなどとは一言も言っていなかった。リーネットの動き自体が軽やかで力感がなさすぎて、そこに囚われてしまっていた。

 この言葉の意味は要するに「先端(素手なら手だが)に感じる空気抵抗がスピードを上げてもなるべく軽くなるように振り抜け」という意味だったのだ。

 そうと分かれば話は早かった。先端を速く振り抜くために、足や胴体の方は目一杯力を入れればいいのだ。リーネットのように軽やかに動くよりも、アンジェリカにはこっちのほうが体に合っていた。要は先端が加速すればいいのである。

 そのイメージは完全に大振りの剣を振り回す時と一緒だった。小さい頃も、騎士団に入ってからも繰り返してきた剣の素振りである。

 更に先端を加速するために、アンジェリカは一年ほど前から練習していた「魔力反転反射」という現象を利用することにした。これは、全身の魔力が欠乏した状態で膨大な魔力を流そうとすると、通常よりも大量の魔力が一気に放出されるという現象である。これを利用してアンジェリカの最も信頼する魔法である『瞬脚』を強化するのだ。

 事前に身体強化を切っておくのはそれを利用するためである。とはいえ、これは通常自分には出せないほどの出力で魔力を放出する技術である。全身にある魔力の回路に大変な負担がかかるし、『強化魔法』として使うとなれば身体への負荷も尋常ではない。

 だが、今のアンジェリカの体はそれでへこたれるようなヤワなものではない。だてにこの一ヶ月、どこぞの変態たちに死ぬ思いで鍛えられていない。

 そうして、これまでの積み上げとリックのトレーニングとリーネットからの教えが噛み合い、アンジェリカの『糸切り』は完成した。


「はあっ!!」


 アンジェリカは気合とともに加速し、次々とギースを切り刻んでいく。

 実践でも手応えは十分だ。まだ連発は負荷がかかるが、そもそも、本来のアンジェリカは通り抜けざまに敵を斬りつける戦い方である。打撃と違い、いちいち自分の動きを止めて打つ必要がない。


「あー、クソ、うぜえうぜえうぜえ!!」


 ギースは苛立ちを全開にしてブツブツと呟くが、そうしたところでアンジェリカを捉えることはできない。


「少しは努力を積み重ねる大切さを理解できました?」

「ゴミが、調子に乗ってんじゃねえぞ!!」


 業を煮やした、ギースは腕を振り上げ思い切り地面を殴った。


「くっ!!」


 盛大に巻き上がる砂埃と瓦礫がアンジェリカの視界を覆う。

 その一瞬のスキを狙ってギースが蹴りを放つ。


(しまっ!!)


 目前まで迫るギースの丸太のような足。

 ここに来て、『魔力反転反射』が裏目に出た。予め魔力を体に流さない分、魔力を流そうとしてから実際に魔法が発動するまでの時間が、ほんの僅かだが長くなるのである。

 ここまで敵の攻撃が迫っていると『瞬脚』では間に合わない。そして躱そうにも、現在の身体能力は魔力を持たないよく鍛えられた一般人のそれである。到底躱しきれない。


(なら……もっと速く)


 更にその向こう側へ。日に三度しか使えない、あの技を。


「『瞬脚・厘』」


 『瞬脚』の上位魔法である。加速力は格段に上がるが、体への負担も格段に上がるというリスクの大きい技だ。それを『魔力反転反射』を使って利用するという荒業を敢行した。

 アンジェリカの体が今日一番の速度で加速する。

 本当に薄皮一枚、ほとんど相手の足が接触してからの発動だったが、蹴りよりも速く動ければ問題ない。

 ギースも流石に今の攻撃を躱されるとは思っていなかったらしく、目を見開いている。

 そして、猛スピードで離脱したアンジェリカは、ここでさらなる暴挙を試みる。

 離脱したスピードにブレーキをかけず、あえて一度身体強化を解く。


「限界を超えろ、ワタクシの足『瞬脚・厘』!!」


 『魔力反転反射』を利用した上位強化魔法の連続使用である。

 ミシミシと切り返そうとしたアンジェリカの両足が悲鳴をあげる。

 だが、行ける。その確信がある。

 ならば、ここで口にする言葉は決まっていた。


「根性おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」


 そう、いつの時代も困難にぶつかって行く時は、考え、作戦を練り、鍛え、練習し、最後の最後は根性である。

 アンジェリカの体が、凄まじい勢いでギースに向かって切り替えされる。

 先程の加速と同等かそれ以上の速度で、アンジェリカの『糸切り』がギースに炸裂する。

 ……その刹那に。


「ああ、やっぱ我慢の限界だわ」


 ギースの姿が一瞬にしてその場から消えた。


「……え?」


 アンジェリカが口からその呟きが漏れた次の瞬間。

 ゴウッ!!

 と、横合いから凄まじい衝撃がアンジェリカに襲いかかった。

 アンジェリカの体がリングの床を凄まじい勢いで転がる。


「い、一体何が……」


 内蔵をシェイクされ意識を失いかけたが、今が試合中であることを思い出しなんとか立ち上がる。

 見れば先程アンジェリカは吹っ飛ばされた場所で、ギースが足を蹴り上げていた。


「……」


 『闘技会』だけでなく騎士団の頃から実働部隊で活躍していたアンジェリカは、戦闘経験が豊富である。だから、客観的に見て自分の身に何が起きたか。そして、このリングの上で先程何が起きたかを理解してしまった。

 だが、脳が認めたくないと拒否してしまっている。

 そうだ。ギースが自分よりも速い動きで側面に回り込み、蹴りを放ったなど認められるわけがない。

 だって、ギースは生まれつきのパワーと体の頑丈さだけに頼った男で、それだけに任せて戦うしかできない相手なはずなのだから。


「……いやーわりーね兄貴。めんどくせー雑魚のフリは終いだ。こう、ここまで見事な獲物がいるとよお。もうたまらねえんだわ」


 当のギースは嗜虐的な笑いを浮かべながらブツブツとそう呟いていた。

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