壮絶なる退屈

@TypicalJapanese

第1話

街に雨が降って来た。


朝から雲行きが怪しかったがとうとう降り出したかと太郎は思った。

希望的観測と言うのは往々にして外れるもの。

太郎は今日は問題無いだろうと考え

傘を持たないと言う選択をしたのだった。


「やべえ。本格的に降り出しちまったよ。」

太郎は小さく舌打ちをした。


このまま濡れ続けるわけにも行かず

駅近くにあるカフェに入る事にした。

そこは仕事から帰る道すがら

一日の仕事疲れを癒す為に入っていたところでもあった。


店内に入ると程々に混んでいる。

やはり自分と同じで傘を持たずに皆出ていたのだろうか

レジの前には何人か並んでいた。

しばらくするとレジ前が空いたのでそこに入ると

電子音らしき女性の声でメニューから品物を選択せよと促される。


自分が生まれた頃はまだここもどうにか人が働いていた事もあった様だけど

最近ではカフェなどで働く人を殆ど見かけない。

大体がAIやロボットにこういった仕事は任せるようになったからだ。


「こちらでよろしいでしょうか?よろしければ画面此方をご覧ください。」


ピンポンと言う音と共にコーヒー一杯150円の金額が生体認証によって支払われた。


一階の席は殆ど埋め尽くされていたので

太郎は2階の階段を上がっていくことにした。


かろうじて窓辺のカウンター席が空いていたので

そこに着くと一つ大きなため息を太郎はついた。


「さて明日からどうするかなあ。」

コーヒーに口をつけそんな事をボンヤリと考えた。


太郎は今日仕事を辞めてきたのだった。

別に仕事が嫌になったのではない。

会社の業績も順調だったけど工場内の機械化が進んで

太郎はそのまま余剰人員となった。

その為親会社が工場内で希望退職者を募り

今なら退職金を増額すると言う事だったので

彼は結局辞める選択をした。

なんでも残った人物は給料を半分近くまでカットされると言う話だったから

それはある意味仕方の無い選択だったとも言える。


ちなみに太郎の仕事先はとある食品工場だった。

なんでも10年ほど前は工場は人で溢れていたらしい。

ところが彼が就職した頃にはその人員は当初の人数の約半分となり

いよいよ現在責任者の工場長と製造ラインを担当するライン長3人。

機械のメンテナンス整備をする工員の2人の合計6人だけなってしまった。

この人数だけで一日2万6千食の弁当を作っている。


今のような工場機械化の出発点は異物混入の対策の為だったと聞いている。

工場では異物混入に徹底的な対策を施していた。

異物が混じらない様にX線照射器と金属探知機が導入されていて

異物が入っていてもすぐに検知できる様になっていた。

ところがどう対策を打っても異物として混入してしまう物があった。


それは働いている人達の髪の毛だった。


これだけはいくら心血注いで対策を施したところでも

まるでその対策をあざ笑うかの如く

髪の毛の混入が一向に減らないのだった。

当然消費者からのクレームは出る。

その結果工場と親会社が髪の毛の混入リスクを極限まで減らす為に導入したのが

工場内での完全自動化、機械化だったと言うわけだ。


当たり前であるが

製造工程で人が絡まなければ髪の毛の混入リスクは劇的に減る。

仮に弁当の中に髪の毛が入っていたとしても

製造工程に人が関わってなければ

混じりようが無いと言うわけだ。

もし混じったとしてもそれは元々の原料に混じっていたものか

それを購入したお客の物だと責任逃れが出来ると言う理屈だったらしい。


でも実際それは表向きの理由で本当のところは

盛り込みに必要な人員のアルバイトやパート達を合理的に辞めさせる事にあった。

実際製造原価の殆どのところが人件費となるからなのだが

ここを抑えることが出来るなら製品価格自体を大幅に下げる事ができるので

他社との競争の為それは会社的には仕方のない選択だった。


太郎はそのライン長と呼ばれる各製造ラインの責任者の補佐として働いていたのだが

いよいよ人員整理も最終段階となり

工場は最低限の人数しかいない場所となった。


しかし実際太郎が悩んだところで問題が解決されるわけではない。

何故なら今現在どこでも人が働いているところはほとんどない。

働き口自体がもう無いのだ。

つまり太郎は30歳を前にして定年となってしまったと言うことなのだ。


それは今まで殆ど無理と思われていた職種まで

ロボットやAIが働いているからなのである。

例えば昔ロボットでは不可能とまで言われた営業職の様な仕事まで

現在ではロボットが働く様になってきている。

それも安定した成績をあげてきていると言うことなので

もう営業職のような極めて人間臭い職業までも

人が関わる余地は無くなってしまったわけだ。


太郎は頬杖をついてぼんやり街を眺め

「明日から毎日どう過ごそうかなあ。」と小さく呟いた。


しかし生活は裕福ではないけどそれなりに出来る。

何故なら政府が3年前に導入したベーシックインカムという制度のおかげだからだ。


「ベーシックインカム(basic income)とは最低限所得保障の一種で、政府がすべての国民に対して最低限の生活を送るのに必要とされている額の現金を定期的に支給するという政策」(ウィキペディアより)


つまり2ヶ月に一度太郎には給付金の支給が有るのだ。

2ヶ月に一度14万円。

一月で約7万円の支給という事であったので

それで何とか生活をしているわけだ。

しかし一月7万円だけでは普通の生活は出来ない。

当然働きに出かけなくてはならないのだが

仕事自体が激減しているのでその隙間を埋める仕事でさえも少なくなってきている。


またこの制度のおかげで消費税が暴騰した。

ベーシックインカムという制度の導入で

財源の確保が急務となり

その時に25%まで一気に増税されたわけだ。

おかげで日本は未曾有の大不況となったのだが

職場の自動化、AI化により製品価格が下落して

海外輸出で活路を見つけることとなり

現在の日本経済は小康状態となっている。


かくして労働者は特権階級となり

労働者が新時代の貴族として君臨する事となった。

当然太郎も次の仕事を見つけないといけないのだが

一つの仕事に皆が殺到する事となるので

なんの取り柄もない太郎では次の仕事を見つける事自体が難しい事であった。


太郎は再び大きなため息をつく。


もっとも今の給付金でも太郎はなんとか生活出来なくもない。

贅沢という贅沢を全て捨て公団住宅に住み

ギリギリやっていくのなら出来なくも無い。

ただ一つどうやっても克服できない事が有った。

それは「壮絶な退屈」であった。


これはまだ20代の若者である太郎には残酷な仕打ちである。

仕事が嫌いで辞めたわけではない。

やり甲斐もあった。

そんな働き盛りの太郎に仕事が無くなると言うのは

耐え難い事であった。


以前工場に勤めていて定年退職をした男性と家近くの居酒屋でバッタリ会うこととなり

太郎はその男性にこう言った。


「毎日お休みみたいなもんなんでしょ?

羨ましいなあ。こっちは働き尽くめでいい事無しですよ。俺もゆっくり休みたいなあ。」と軽口を叩いた。


それを聞いた男性が苦々しくも笑いながら太郎にこう切り返した。


「太郎さあ。まだお前は若いから分かんないかもしれないけど、仕事が無いってのは辛いもんだぜ?勿論金が入らないと辛いというのもあるけど、それ以上に毎日時間が有り余っていて、これをどうする事も出来ない。今の世の中こんなジジイに仕事なんか無いしな。毎日地獄だよ。」


太郎はそんなもんですかね?と軽く笑っていた。

しかし今度は自分がそうなる番なのだ。

毎日有り余る暇を持て余す事になる。


そんな訳で近頃はボランティアなどの社会福祉活動の呼びかけが多くなってきている。

どうせ仕事が無いのならいっそ報酬の無いボランティアで

時間を潰そうと言う人が多かったのだ。


太郎は空を見上げながら考えた。

「結局ボランティアでもやるしか無いのかな?」


ぼんやりとそんな事を考えながら

雨音を何気なく聞いていた時

たまたま店に備え付けてあるメディアプレイヤーからのCMで

昔女優だったらしい見覚えのある妙齢の女性がにこやかに微笑みながらこう言った。


「皆さん自給自足の生活に戻りませんか?

自然に囲まれ人間が人間らしく生きる。

未来の生活設計手段として私達は有ります。」


太郎は最近話題の農業団体はこれかと思った。

なんでも田舎で自給自足の生活を送る事により

人間の尊厳を取り戻そうと言う事をスローガンに掲げた団体らしい。

聞くところによると給付金の受け取りを拒否して

基本自給自足で生活をするという事だそうだ。

一種の社会に対するドロップアウトだと思われる。


それをたまたま聞いた太郎は「そう言えばこの手が有ったな。これって素晴らしい事なのかな?。」と太郎は想像した。

まず何より働く事が出来る。

そして自分で自分の食べる分を生み出す事が出来る。

何より現代で土に塗れて生きる事がなんとも素晴らしい事の様にその瞬間思えたのだ。


もっとも農地を確保する必要はある。

自分が食べるだけの物と言ってもそれはそれで結構な量になるから。

その為の融資制度が国から出たと

この前テレビのニュースで言っていた。

国も給付金を減らす事が出来るのならそれを願わない事もないから

この運動を積極的に奨励しているらしい。


太郎は思った。

こんな生き方もあるのかなと。


太郎は冷めたコーヒーに口をつけフと思った。

でもこれってなんか原始共産主義みたいだよなと。


原始共産主義


「原始共産制の社会では、健全な身体を持つ全ての人間は食料の獲得に従事し、狩猟や収集により産み出されたものを全員が共有する。原始的な社会では産み出されたものは即座に消費されるため、余剰は産み出されず、衣服などの個人的な物品を除けば私有財産はほとんど存在しなかったであろう。」(ウィキペディアより)


皮肉なものだなと太郎は思った。

日本は未だかつて共産主義社会だった事は無い。


いやそうではないか。


有史以前太古の昔はそうだったのか。

自給自足で生活する事が当たり前の世界。

日本は社会構造が進化して結局一周回ってまた太古の昔に戻ろうとしている。

自分達が今までやってきた事は果たして進歩だったのか退歩だったのか。


結局人間を太古の昔に戻させようとするものは「壮絶な退屈」だったというわけだ。

それが今原始的な社会を取り戻すキッカケになるとは誰も考えてもいなかった事だろう。

当然太郎もそんな事考えてもいなかった。


なんとなく薄ぼんやりとそんな事を考えていたら

既にもう小一時間が過ぎている。

我に返ってそろそろ帰らなければと太郎は思い

窓から街を眺めると先ほどの雨は小降りになっていた。

そろそろ帰るかと思い席を立ちカップを片付け街に出た。


まだ少し雨は残っていたがこの感じならじきに雨は止むだろう。


結局どうにかやっていくしかないのだ。

太郎自身も自給自足の生活に入っていくのかもしれない。

他に仕事を見つけようとするのかもしれない。

結局最後はQue Sera, Sera。

神のみぞ知るところ。

なるようにしかならない。

でも願わくば最後の臨終の場面で

いい人生だったと一言いいたいなと思った。


太郎は小降りになった雨の中をまた駅に向かって走り出した。

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