†


 体育館のような場所だった。ような、というのは床にテープも貼っていなければ天井に照明もなく、ついでに出入り口すらなかったからだ。ああ、こりゃ夢だなと一発でわかる。こんな建物があるわけがない。おれはそのど真ん中あたりにぼんやり立っていた。右手になにか握っている。見れば、それは剣だった。いや、剣だとなんとなく思っただけで、じっさいそれは剣らしいところなんてまるでないぶ厚い鉄の塊で、ナタだとか、むしろ斧に近いような代物だったのだけど。


「よお。棚田」


 顔を上げると、白野がいた。そりゃ当然だろう。だってこれは夢なんだから。


「始めようぜ。よーいドンはナシだ」


 白野はいかにも重そうに剣を振り上げた。両手で。俺はまだぼんやりしていた。だから左手を突き出したのは何かを考えてたわけじゃなく、ただの反射だった、つまりなにか速いものがつっこんでくるから手を出したっていうだけの。夢の中にしちゃおかしな話だった。いやな音がして、左手がおそろしく熱くなった。木の床にぼとっと落ちたのは、おれの親指だった。たぶん、てのひらが親指の付け根ごと。そのときはわからなかった。それどころじゃなかった。俺は悲鳴をあげた。


「へえ。やるじゃないか棚田」


 白野はにやにやと笑っていた。れいの、見覚えのない笑顔だった。おれはとにかく左の脇をしめて、手を握りしめるようにしていた。そうしたほうがいいと、昔聞いたような気がしたからだ。いたい。いたい。ぼたぼたと血が床に落ちて広がっている。痛いのに目が覚めない。ひどい夢だと思う余裕もなかった。ものすごく痛いと、なにもかもそれどころじゃなくなる。

 白野は剣をもう一度振りかぶった。俺は背中を向けて走った。背中にいやな熱さ、またしばらくして痛み。


「うわ。速いなあお前。さすがだよな。走ってるやつは違うよなあ」


 一気に息があがっていた。振り向くと、にやにやしたままの白野が来る。おれはとにかく声をあげた。


「なんでだよ! 一川のことかよ!」


 白野は吹き出した。


「違うよ。ああ、一川はどうでもいいんだ」


 でも、勝ったら告白はしとくかな。もったいないからな。剣が振り下ろされる。しゃにむに右手を振り上げた。重い感触と金属のぶつかるいやな音がして、それでおれは、まだ剣を握りしめたままだったのを思い出した。ランニングを何度やってもそうはならないほど、心臓がばくばく鳴っていた。白野が舌打ちしたのが聞こえた。


「しぶといなあ。棚田、いいから死んでくれよ」

「なんでだよ!」


 おれは剣を突き出して怒鳴った。片手で持つには重すぎる剣が震えている。震えているのは、どんどん血が流れてるおれのからだのほうかもしれなかったけど。


「じゃあなんでこんなことする!」

「なんでって、どうでもいいだろそんなの」


 白野はにやにや笑いながら、ゆっくり横に動いた。剣を振りかぶったまま。


「ここなら勝てるからだよ」


 何を言われてるのかさっぱりだった。白野のような誰かが、顔いっぱいにいやな笑いを浮かべてにじりよってくる。


「みんな死んだよ」


 殺される、と思った。白野がぶかっこうに走りだした。片手じゃ剣は振れないと思ってたんだろう。そりゃそうだ。おれは剣道部じゃないし、剣道部だって鉄の塊を片手で振り回すようなけいこはしてっこない。きっとこうやって、何人も殺してきたんだろう。殺して。殺して?

 でもきっと、あいつが連れ込んだのはご同輩の文化系ばっかだったんだろう。

 おれは、つかんだ剣をちからいっぱい投げつけた。白野に。ぎょっとした白野の左の肩口に、びっくりするほどきれいに剣が突き刺さった。白野が足をもつれさせ、もんどりうって倒れる。剣が床に転がった。おれは白野に飛びかかった。相手が白野だというのもわかっていなかったかもしれない。いまおもえば。これもいいわけなのかもしれないけど。

 飛びかかって、たおれた白野の上に乗って、おれは右手を白野の首にかけた。そのまま全体重を乗せた。白野がばたばた腕を振り回すのを血のふきだす左手でどうにかして、とにかくがむしゃらに体重をかけ続けた。白野の肩にささった剣がとんで、木の床にがらがら転がった。手のなかに、なんともいえないいやな感触があった。おれの夢だったはずなのに、あんなことは体験したこともないのに。

 動かなくなるまで、そのままにしていた。

 気づくと、白野は白目をむいていた。顔は青黒い。口元からはふくれあがった舌が突き出していた。舌の色も青黒い。

 ひどいにおいがした。


「おい」


 声をかけてみた。返事はない。

 揺さぶってみる。動かない。あたりまえだ。白野は、どう見たって死んでいた。

 こんなんでこれまで勝てたってことは。おれはどうでもいいことを考えていた。きっとこいつ、運動部を連れ込んだことはなかったんだな。現実感がなかった。当たり前だ、だってこれは夢なんだから。

 おれは、あたりを見回した。出入り口のない体育館。


「おい!」


 とうとうおれはさけんだ。声はあまり響かなかった。背中が熱い。痛い。左手の感覚は、もうとっくになくなっている。

 おれは立ち上がった。白野は動かない。もう一度、声を張り上げた。


「おい、誰かいないのかよ!」


 返事はなかった。かわりに、床がばっくりと口を開けた。白野の真下の床が、すっと消えて無くなったように開いた。当然、白野はそのまま落ちていった。おれは覗きこんだ。ずっとまっくろな闇だけが広がっていた。


「なんなんだよ」


 やっぱり、誰も答えなかった。


「なんなんだよ!」


 もういちど声を張り上げた。

 それで目が覚めた。

 部屋は真っ暗だった。ひどく、寝汗をかいていた。


 †


「おはよう。棚田」


 おれは、どんな顔をしていいかわからなかった。白野はあたりまえだが白目をむいていないし、顔色はふつうだったし、もちろんべろを突き出してもいなかった。たぶんおれのほうが顔色は悪かったと思う。


「どうしたんだよ。ひでえ顔だぞお前」

「どうしたって……」


 まあ、そりゃそうだ。おれがどんな夢をみてても、白野は知ったことじゃない。

 納得して、なんだか不意に俺はおかしくなった。


「夢見たよ。お前が出てきた」

「はあ?」


 何言ってんだ、といわんばかりの様子だった。あれだけこだわって、こっちをつけ回してたってのに。


「喜ばないのか? ちゃんと効果あったじゃないか」

「効果って何のだよ」

「何っておまえ、一川のさ……」


 おれは、背筋がべとべとしてきたのを感じていた。


「一川が何だよ。なんだ、お前告白でもすんのか? おまじないか?」


 だったら応援するぜ。玉砕覚悟だろうけど。よく知っている白野の顔だった。本気で困った様子だった。なにかうそをついている様子はない。おれは左手をたしかめた。痛みはない。ちゃんとうごく。親指はちゃんとつながっている。


 †


 その夜、おれは化学室に忍びこんだ。薬品の置いてある準備室はカギがかかってるけど、実習室のほうは開けっ放しだっていうのは、誰でも知ってることだった。案の定開けっ放しの実習室の、奥の隅の実験台の引き出しを開ける。ラベルの剥がれた薬瓶が入っていた。たしかめると、黒いラムネがぎっしりつまっている。瓶の下にはチャック袋と、雑に切ったダガーマーク入りの紙切れと、切り離すまえの台紙らしい、ダガーマークが六個印刷されたB5のコピー用紙が何枚か入っていた。

 ここは化学室だけど、薬品は置いてない。つまりカギもかかってない場所に放置されてるこれは、くすりなんかじゃないってことだ。当たり前だ。くすりなんかじゃないし、ましてや魔法みたいなあやしい効果なんてあるわけがない。


 おれは白野を殺してなんかいない。


 黒いラムネの瓶を流しに捨てようとして、やめた。きっと詰まってしまうし、溶けてどこへ流れていくかわかったものじゃない。かといって、燃やすのもダメだ。どこかへ飛んでいってしまうかもしれない。ただの真っ黒いラムネだけど、それにしたって気味が悪かった。おれは実験室にあったアルミホイルで瓶をなんどもなんどもぐるぐる巻きにして、さらにゴミ袋を二重にしたうえから、ビニールテープを巻きつけた。

 カバンに突っ込んで自転車を漕いでいる間は、爆弾を背負っているような気分だった。ホームセンターで大きなシャベルを買って、背負ったまま自転車をこぐのは無理だったので、夜中にいつものランニングコースを走った。走って、河川敷の広場に穴を掘った。おれの身長より深いくらい掘って、そこに瓶を埋めた。埋め戻すのにはずいぶん時間がかかった。それからまたしばらく走って、川にシャベルを捨てた。ホームセンターの駐輪場まで引き返して自転車を拾って、家に帰りついたのは、とっくに十二時を過ぎていたと思う。当然朝練には遅刻して、おれは陸上部の裏切り者になった。


 †


 白衣女とは、二度と会うことはなかった。同じ学校でも、中途半端な片田舎なら、そういうことくらいはあるものだ。そういえば名前も聞いていない。

 一川は、まだ誰ともつきあっている様子はない。いいにおいもそのままで、あんな女子があんなままでいるあたり、この町がひどい田舎だっていう証明だと思う。

 白野は変わらない。いつも通りだ。あの夜の前までのしばらくの間のことだけが、それこそ悪い夢だったんじゃないかと思う。

 おれも、相変わらずだ。変わったことはひとつあり、朝と夕方に走るあいだに毎日、その場所を確認している。掘り返されている様子はない。

 それから、眠れなくなることがあった。馬鹿馬鹿しい話だとわかってはいる。それこそ薬でもやっているようなバカの妄想だって。それでもたまに、考えてしまうことがあるのだ。

 眠って、つぎに目が覚めたとき、おれはどうなるんだろうと。

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決闘剤ニ冠スル剣 里村 邦彦 @satmra

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