第14話

 赤や黄色の木の葉が空に舞い地に積もる。

 艶冶にすら見えるその姿はしかし木の葉にとっての死である。新緑の頃からおよそ半年の命である。

 世の人のためには木陰を提供し、自らのためには光合成に身を尽くす。

 その誠実極まりない木の葉の一生こそ美といえるものだ。

 いつまでもグダグダとくたばらない生き物が醜であるのも世の理と思える。

 ゾンビのことを言っている。

 ①何の役にも立たない。

 ②人に迷惑ばかりかける。

 ③偉そうな顔をしたがる一方で、陰気に被害者ぶる。

 ④自己美化・自己弁護・自己正当化と関係のないあらゆる論理に興味がない。

 ⑤『共感』以外の知性は持ち合わせていない。

 やれやれ。

 我々は世界のお荷物だ。

 お荷物ならお荷物らしく、とことん嫌われてやるというのもいい。



 狩りの後で獲物を背中にしょいつつ、私はザクザクと枯葉を踏みしめて廃墟の中を歩く。

 今日の獲物は若い男である。

 というか獲物はほとんどいつも若い男である。

 老人は肉がまずいからだ。

 たとえ肉がうまくても女は狩らない。

 どうして?

 知らない。

 そういうゾンビ界の不文律がある。

 たぶん女を狩ってしまうと人間の絶対数が減ってしまうからだと思われる。

 だから獲物は常に男だ。

 今日の獲物は特に若くてまだ10代ではないかと見える。

 哀れだが……仕方がない。

 歩きながら私は『論語』の1節を口ずさむ。中学校で暗記させられたものだ。


 吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。


 私も数え年では十五だったはずだが、しかしいったい何をしているのやら。両手も口も血で濡らして、学に志すも何もあったものではない。


 子曰わく、巧言令色すくなし仁。


 今日はちょっと遠出をしてしまったので、獲物を背負って歩く距離も長くなってしまう。鼻唄でも歌っていないとやってられない。これも論語だ。言葉巧みな奴は信用ならねえと。うんうん、まさにそんな感じだな。小説家なんか口先だけのヘタレ野郎だよな、うん。


 一言にしてもって終身これを行うべきもの有りやと。子曰く、それ恕か。


 これも論語だ。まったく暗記させられたものというのは中々よく覚えているものだ。背にした獲物の重さにやや辟易しつつ、私は苦笑を漏らした。

 人が一生をかけて行うべきことを先生は「恕」であると言った。相手の身になって考えるということである。

 じつに尊い言葉ではないか。

 恕。

 しかし私は今頃になってこの言葉に疑問を感じている。

 きれいごとの臭いを感じている。

 恕。

 虫のいい、上から目線な「思いやり」?

 我々は本当に他人の身になって考えることなど出来るのだろうか?

 若者は老人の身になって考えることは出来るだろうか?

 男は女の身になって考えることは出来るだろうか?

 ホームレスは金持ちの身になって考えることは出来るだろうか?

 それは無理だ。

 せいぜい知った風な顔をするのが関の山だ。

 私はあなたを理解していますよという知ったかぶり。

 それはすなわち偽善であり、せいぜい誤解である。

 どうせ若者は老人の身の上など分からないのだから、若者として、若者の内に、若者でなければ出来ないことに意を尽くすべきではないのか。

 男は男として、女は女として、人間は人間として、ゾンビはゾンビとして、それぞれの身の上でなければ出来ないことに全力で生きるべきではないのか。

 そもそも他人の不幸に『共感』出来るなどと豪語する人は、その地上に溢れる不幸を『共感』することによって、どうして神経衰弱しないのか? どうしてそんな生き生きとした面をしていられるのか?

 だいたい他人の身になって考えよと言うが、我々はどこまで他人の身上について正確に知っているのだろう? 隣家のAさんの貯蓄額や友人のBさんの体験人数をあなたは知っているのか?

 誰もいない廃墟の森の中。穏やかな風が吹いていた。

 ぼんやりとした説明のしにくい存在の悲しみ。

 親のいない子供であること。子供のいない老人であること。

 そう――孤独。

 私はほとんど無意識的に誰かメスゾンビを探して、そういう自分の悲しさに苦笑する。

 歩く私の前をトンボが1羽横切った。その向こうに誰かがいた。

 白いセーラー服を着た少女。

 ボブにした黒髪がわずかに風になびいていた。一瞬メスゾンビかと見えたが……違う。

 その乙女は左手に日本刀を下げていた。

 ――ゾンビハンター。



 私はゆっくりと背にした獲物を大地に下ろした。セーラー服の乙女と私の間にはまだ10メートルほどの距離があった。

 意外――と言っていいのだろうか 、その乙女が言葉を発した。言葉を使うのはゾンビよりも人間の方がはるかに上手だから意外でも何でもないはずだが。


「ようやく会えました。『若い王』よ」

 

 乙女は私にそう言った。低く落ち着きのある声だった。

 私のことを王などと持ち上げている。おっと『巧言令色すくなし仁』である。気をつけなければならない。そうやって相手の気が緩んだ隙にその日本刀が火を噴くのであろう。剣呑剣呑。


「桁外れのモンスターだと聞いていたのですが、そんな風に見えなくて少し驚いています。あなたは変わったゾンビですね」


 驚いていますなどと言いつつ、この女ハンターの表情は冷静そのものだった。端正な顔立ちはまるで美少女アンドロイドである。それもただのアンドロイドではなく、百戦錬磨の戦闘アンドロイド。

 私は――かなり緊張していた。私の感覚が私自身に語っている。この女ハンターこそ私がこれまでに出会った中で最強クラスの「敵」であると。


「今日は戦いに来たのではありません。噂の『王様』をひとめ見ておきたかったものですから」


 乙女の固い表情がほんの少しだけ緩んだような気がした。また風が優しく吹いて、晩秋の廃墟の空気は穏やかだった。


「でもあなたは死ぬことになります。近い内に。私の父がここにやって来ます。あなたは必ず死ぬ」


 これはこれは、死を告げる者。まさかのヴァルキューレの乙女ではないか。私は首を振って、苦い笑みを漏らし、そうしてまた彼女を見つめた。乙女はそういう私の態度に人間臭いものを感じたのか、また微妙に表情を変えた。


「死を――恐れませんか、王よ?」

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14歳の朝、少年は死んだ。その瞬間から少年は語り始めた。 @ennoshin

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