第13話
1月と2月は少し違う。3月と4月も少し違う。4月と5月も少し違う。そんな風に世の中は少しずつ、だが確実に移り行く。11月と12月も少し違う。
あんまり顔も見たこともないようなオスゾンビがあっちの方から俺を見てペコペコしている。
1年中人の陰口ばかり叩いている通称『黒涙病』おばさんが俺の顔を見て御挨拶を下さる。
いってらっしゃい
とか。満面の笑みで。
気持ち悪い。
このメスゾンビのおばさん、とにもかくにも3度のメシより陰口が大好きという人で……俺のことも「道で会っても挨拶もしやしない。ダメな奴」とかボロクソに言っていたとか旧知の『ワンピース』オバサンから聞いたことがあるのだが……。
俺自身は何にも変わっていなくて、挨拶とかずっと苦手なのだけどね。気が弱いから。
「挨拶すら出来ないような奴がろくな人間になるわけがない」
というのは正論かも知れないけど、でも長い人類の歴史の中では挨拶とかは苦手だけど立派な仕事を成し遂げた人も結構たくさんいたのではないかとも思う。
なんというか、そういう人の欠点弱点ばかりを指摘して「あいつはダメだ」とか言うのは楽しいよね。無料で優越感が買える感じで。
でも実際には、人に優越する存在になるにはそれなりの仕事を成し遂げなければならないわけで、そういう無料の優越感というのはまるっきりガスに過ぎないもので……そういうガスばかり吸って喜んでいる人の方がもしかしたら本当にダメなのかも知れない。
よく分からないが、ひとつだけはっきりしているのは、ああいう陰口おばさんとは《とにもかくにも関り合いになりたくない》というその俺の心情だけである。
1年中人の陰口を叩き、自分の親の陰口を叩き、自分の配偶者の陰口を叩き、自分の子供の陰口を叩き、自分の友だちの陰口を叩いて優越感に浸っている……という行動に素敵なものを感じたわけである。
どうも
と俺は悲しいお愛想笑いを残して、おばさんから逃げた。
そそくさと。
我ながら情けない。
メスゾンビたちがチラホラと俺の方を見ている。
メスゾンビたち。
オスゾンビはほぼ全裸で過ごしているのだが、メスゾンビは服を着ているのでパッと判別出来るのである。オスメスでどうしてそういう習性の違いがあるのか、無論俺みたいな馬鹿には分からない。ただまあ色々な点でオスメスには性質の違いがあることはぼんやりと知ってはいるが……。
なんだか買い物帰り風な若奥さんゾンビが道の向こうから俺の方を見て澄ました笑顔を送って下さる。
知らないお姉さんゾンビが俺を見てモデルみたいに体をひねって俺に流し目を送って下さる。1人とか2人とか。
俺と同じくらいの年と思われる若いメスゾンビが2人で道端にしゃがんでおしゃべりをしていた。
姉妹なのか友だちなのかは知らない。その2人、俺を見かけるとちょっと指差して、顔を見合わせて、変な悲鳴を上げて、そうして顔を両手で覆ってしまった。そうして顔を覆いつつ、その指の隙間からこっちを見ているのである。
おいおい、それ全然意味分かんねーよ。
見慣れてるモノだから別にオトコのハダカとか珍しくないと思うのだが……。
もっと小さい10才ぐらいの子は、俺の顔を見るとその場でピョンピョン跳び跳ね始めた。
なにそれ、それ俺のジャンプの真似?
女の子はヒャーヒャー言って跳び跳ねるので、俺も負けじとピョンピョン跳ねた。2人してそんな猿みたいにキャーキャーやってる有様。もうまるっきりバカ丸出し!
あの20歳過ぎの『ワンピース』オバサンから巣に誘われた。
そう――「巣」に。
皓々とした満月の夜だった。
廃墟の中の民家の1室がオバサンの巣だった。
中に入って――俺は少しばかり驚いた。
その6畳ぐらいの部屋が服で埋まっているのである。
服、服、服。
いったい何着あるのか。
満月で昼間のように明るかったので細かい所まで良く見える。全部ピラピラとした女物だ。
なんだ、これは。
人間時代に本だかで読んだ知識だと思うが、男の服と女の服というのはそもそもその発生の起源が違うという話を聞いたことがある。
男の服というのは鎧が簡略化されたものであり、それに対して女の服というのは装飾品が広がって行ったものだとか。
下着1つ取っても、男の下着は単なる下着であるが、女の下着は過度に装飾的で明らかに鑑賞者の目を意識している、と。
男と女で服を取り替えた場合、そこに生じる違和感はただ単に身につけている物を替えただけでは済まないほどの大きなものだ。
なぜそれほどまでに巨大な違和感が発生するかと言えば、それは男と女の服が元々まるっきり「別物」であるからに他ならない、と。
そう言われてみると、なにゆえオスゾンビがほとんど全裸であるのか、その意味も分かる。なにしろゾンビの再生力はちょっとした怪我など無視出来るほどのものであり、身を守る「鎧」などは必要がないのである。
それに対して女の服は「装飾品」であるから、こうしてメスゾンビたちにも脈々と利用され続けているらしい。
それにしても。
どっからこんだけ集めて来たんだ、ババア?
うるさい!
自慢のコレクションが俺にちっとも理解されないので、オバサンはすっかり不機嫌になってしまった。まあ人間自分が大事にしているものを軽んじられた時ほど頭に来ることはないから無理もないかも知れないが。
帰って。
とオバサンは言い放った。きっちり俺から90度顔を横向けて、手だけで玄関の方を指差した。ええい、このババア、自分で誘っておいて帰ってだと?
分かった。
俺は自分のこめかみの辺りの神経がブチッと音を立てて切れたのが聞こえた。
帰る。
と言って部屋を出て行こうとした。立ち上がって背を見せた時、その俺の背中にオバサンが抱きついて来た。
ばか野郎、どうして本当に帰るんだよう。
俺たちはどっと崩れるように服の山に埋もれて……
それからのことは月だけが見ていた。
20歳過ぎのオバサンの体はむせ返るほどの匂いに満ち満ちる。
まるでオバサンの体そのものが満月であるかのように。
肌は汗ばんで、脂肪は厚く、乳房は柔らかで、尻の丸みが素晴らしかった。
内側から湧き上がって来る激しいもので俺もオバサンも泣いてしまって、その2人分の体液が混ざり合って、あの「巣」を形成している無数の洋服に染み込んで行った。
しっとりと……である。
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