第6話 異端審問

まだ、夜も明けきらない暗い朝。教会の外が騒がしい。何人もの人間の足音が聞こえてくる。


 「──── ファルコ・F・イェイガーは居るか?」


 静寂を切り刻むような声が聞こえてくる。

 慌ててベッドから這い出し、ファルコの元に向かうとファルコは身支度を整え、まるでその時を待っていたかのように椅子に座っていた。


 「カールステン、よく聞きなさい。どんなに富を得ようが、どんなに人望を集めようが……それは一時の安らぎに過ぎない。そして“人間の敵は人間である”ということを忘れないで、生きて欲しい。頼れるのは己の力だけしかない。これから、どんなことが起こっても、力強く、前を向いて生きていて欲しい。それが、最後の願いじゃ……」


 そう、僕に向けて言葉を遺して部屋のドアを開けて教会の外へと出て行った。


 「逃げも、隠れもせん。この教会も貴様らにくれてやろう……じゃが、中に居る子供はこの教会とは無関係じゃ。入信もしておらん。子供の命だけは助けてやって欲しい」


 大勢の足音とともに、ファルコは朝露とともに消えて行った。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 悪夢の異端審問から、月日が流れた。

 最初のうちは月日の流れを数えていたが、最近はそれさえもしなくなった。腰から下げたナイフの重さが、体力を上回っていた。


 「 ──── そろそろ、休もう……」


 本来ならば冒険者しか入ることの許されていないダンジョンに潜り込み、魔石を狩って生活をしている。冒険者ギルドで魔石を換金すれば相当な金額で引き取られたであろうそれも、闇のルートで換金すれば価値は4分の1となる。だが、この街で金を手に入れるには己の身を危険に賭す方法以外に適当なものが見つからなかった。


 最初のうちは、自分の内部から湧き出てくる孤独と向き合うためにモンスターと向かい合い、そして屠していった。来る日も来る日もダンジョンへと潜り、モンスターを殺していく。モンスターの生命を奪うことで、己の満たされない欲求を埋めて居るような状態だった。モンスターと戦っている瞬間だけ「無」になることができる。


 生きて行くためなら、どんなことも厭わなかった。

 ダンジョンに入る前は、街のゴミ箱を漁り……食べられそうなものを見つけ、口にした。ナイフを持った理由は『他の者に食料を奪われないため』だった。食料を奪おうとする人間は、誰であっても傷つけた。

 顔や体はいつのまにか真っ黒になり、元の顔さえも忘れてしまうぐらいになった。体からは異様な臭いが漂っている。おそらく、以前の僕を知っている人間が居たとしても……それを今の僕から想像できる人間など一人もいない。


 普段の活動時間は夜だ。昼間ではこの姿では目立ちすぎる。だいたい、このボロボロの服のまま街を歩いて居ても、誰一人として近づいてこない。それどころか店の前に立てば石を投げられ、水を撒かれるのが目に見えている。生前のファルコは、まだファルコと認識され迫害を受けて居たのだが……今の僕は名前もなく、ただ迫害を受けている人間に成り下がった。今夜もまた夜の街をすり抜けて、ダンジョンへ潜ろう。ダンジョンの中では「自分の力さえあれば達成できる」夢があるように思える。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


  あれから野外音楽堂には近づいていない。そもそも、この汚い身なりで音楽堂のピアノを弾くことも憚られたし、何より元の世界に居た頃からピアノは嫌いだった。音楽が生活の糧になることは知っていたが、人々が言う『癒し』にはならないと思うからだ。音楽は受け取る方は癒しとなるかも知れないが、発信する方にとっては癒しにはならない。むしろ苦痛のタネであるとさえ思っていた。


 ライトナムの街が夕陽に照らされて行く。

 街の人々はそれぞれの家庭で夕食に向かって行く時間帯である。家を持たない……帰る場所さえない僕は、ただ薄暗くなって行く野外音楽堂の最後席から、ステージにあるピアノを眺めていた。頭の中で鳴り響くのは、幸せだった頃の“あの演奏”ばかりだった。ファルコの教会に少しでも役立とうと、足元に箱を置いて演奏をしていた日々。あの頃に何度も何度も弾いていたせいで、カバンの中にあった楽譜の曲は全て頭の中に入っていた。


 ──── 『 D 』


 不意に懐かしくなって、ピアノに触れてみた。

 人差し指1本で奏でる単音。それが夕陽に染まるライトナムの街に染み込んで行く。ボロボロになった心と体、そしてボロボロになった服も夕陽とピアノの音に染まっていく。


 思わず、覚えていた曲を弾いてみた。

 バッハの単調ではあるが、重厚な音が野外音楽堂のステージから鳴り響く。

 1音1音が光の粒になって、それが街へと染み出していく。

 夜へと向かっていく街の静寂の中に、静かに消えていくように…そっと。

 血に濡れ、汚泥に塗れ、人の心を失ったピアニストが奏でる“鎮魂歌”

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異世界の音 黒芯0.7mm @nekonoshin77

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