第5話 野外音楽堂

──── それから半年の時間が過ぎた。


 あれからファルコの元には教会の本部から、毎日のように羊皮紙に書かれた上納金の支払督促が教会裁判所より届くようになった。支払いをするように求める使者も連日のように教会へ押しかけてきた。何より、一番の痛手だったのは教会の近くに別の教会が建てられ……異端信徒であるファルコの教会には行かないようにと住民にデマが流されたことだった。もともと日曜の礼拝も20人程度の集まりでしかなかった教会は、誰一人立ち寄らない場所に成り果てていた。もっとも、寄付金などは到底集まらない“貧乏教会”であったので、僕の暮らしに大きな変化があったわけではなかった。


 未就学の子供の労働は禁止されており、僕がファルコの代わりに働くこともできず……教会の財政はとことん逼迫していった。毎日の食事でさえも満足ではなかったのだが、日を追うごとに食事の回数も3回から2回となり、最終的には物を口にすることができない日が出るようになった。それでも畑を耕し、なんとか糊口をしのいでいるような状況だった。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 ライトナムの街の中央には広場があり、そこのステージにはピアノが置かれていた。野外音楽堂といえば聞こえはいいが、その建物はライトナム王国が周囲の国々に対して自らの力を誇示するためだけに作られた施設であり、音楽堂もピアノも人の目に触れる機会は数年に1度ぐらいらしい。


 「あの音楽堂で、ピアノを弾くことはできないかな?」


 「あそこは、誰もが使える公共の施設じゃから、使えんこともなかろう……」


 そんな会話をした翌日、僕は音楽堂へと向かいピアノを弾くことにした。足元には大きな箱を置き『寄付をお願いします』と書いておいた。

 僕は教会のピアノ少年から、物乞いの少年に変わっていた。


 誰も居ない野外音楽堂に流れる、ピアノの音。

 

 その音は色とりどりの丸い粒になり、音楽堂の外へと拡散していく。

 

 近くの市場へと買い物に来た客の耳に、優しく響いてくるピアノの音色。

 

 それは、くる日もくる日も繰り返される街の風景と一緒になっていった。


 バッハ、ベートーヴェン、ショパン……転移した時に女神から渡されたカバンに詰められていた楽譜を元に、様々な曲を演奏していた。街の風景となったピアノを聴きに来てくれる聴衆も増え、足元に置いてある箱にも銀貨や銅貨が貯まるようになっていた。朝起きてから農作業をし、農作業を終えた後の夕方の鐘が街に鳴り響くまでが演奏時間だ。少ないながらも、僕の稼いだお金で夕食が豪華になっていった。少なくとも日に3度の食事はできるようになった。それだけで十分にありがたかったし、何より教会本部からの異端信徒としての扱いで疲弊していたファルコに、少しの笑顔が戻った。本当にそれだけで、十分だと思っていた。


 毎日の演奏の様子をファルコに話す。

 ファルコは嬉しそうに、僕の話を聞いてくれた。頷きながら、目を細めながら聞いてくれていた。ピアノが誰かの役に立つなんて、ましてそれが生活につながっていくなんて元の世界では想像もしたことがなかった。あんなに嫌いだった音楽が、今の自分の生活を支えるものになっていた。世の中はとても皮肉な世界だと、改めて思った。


 ──── もうすぐ12歳になる。


 ファルコとの別れの日は刻々と近づいていた。


 もともと、あの“貧乏教会”に長居はできないと感じていたし、何より教会本部からの嫌がらせは日々増していた。僕個人に嫌がらせができないのは、こうしてピアノを弾くことで、ライトナムの街でちょっとした有名人となっていたためであり、それがなかったら今頃は何をされていたかわからない。


 あの日密かに決意した通り、僕は冒険者養成学校へと進学することになっていた。入学の手続きを済ませ、9月から冒険者養成学校の寮に入ることが決まっていた。入試などは存在せず、読み書きができて面接が通れば誰もが入学することができた。


 問題となったのは身元引き受け人だ。ファルコには教会本部からの異端信徒認定がなされ、すでに神父としての資格を失っていた。ファルコはその日以来、体調を崩し寝込む日が多くなっていた。食事や農作業は僕が代わりに行なっていたものの、ファルコの衰弱は日増しに強くなっていく。食事が喉を通らない日も何日も続いたりしていた。


 そんなある日、王宮からの使者が僕の元にやってきた。

 いつものように音楽堂のピアノの椅子に腰をかけ、演奏をしている最中であった。もちろん使者は奏者である僕に敬意を示し、演奏を中断することはなかったが多くの聴衆の中で赤い制服を着ている使者は目立っており、嫌でもその存在が僕の視界に入っていた。


 「ちょっと、よろしいか……」


 演奏を終えた僕に対し、威厳のある緊迫感で使者は近寄ってきた。使者は自らをクリス・S・イスマイルと名乗り、王宮からの使者であることを伝えた。どうやら王宮でピアノの演奏をして欲しいとの依頼であった。もし国王が僕の演奏を気に入れば、宮廷音楽家として雇ってもいいと話しているという。だが、王宮もまた教会本部と同じように腐敗した組織であると聞いている。そんな場所に、いくら政治とは直接関係がない音楽家であるとはいえ……入り込んでしまってはファルコの助言に反してしまう。そう思い、宮廷音楽家への誘いは断ることにした。


 「宮廷音楽家になるつもりはありませんので、お断りさせていただきます」


 宮仕えである使者にとって、この言葉は意外だったのか……宮廷からの使者はしばらくの間沈黙を保っていた。しかし、はっと閃いたかのように言葉を紡いでいく。


 「では、何か1つ願いを叶えましょう。それを条件に演奏をしてくれないだろうか」


 本当のことを言えば、すぐにでもファルコが陥っている状況を説明し救い出して欲しいと思っていた。しかしいくら王宮といえども、絶対的な権威である教会本部に逆らうことはできないと思い、演奏の条件は冒険者養成学校の入学に必要な身元引き受け人を探すというものになった。


 「明日、この場所でお待ちしております」


 そう僕に告げると、使者は踵を返し去っていった。


 教会へと戻り、ファルコに今日あった出来事を伝える。もちろん王宮からの使者が来て、明日の午後に王宮でピアノの演奏をすることも伝えた。ファルコに伝えなかったのは、この教会の現状から救い出して欲しいという願いをしなかったということだけだった。使者にも結局話をしなかったのだが、それ以上にそんな話をしてもファルコも難色を示すだろうと思ったからだった。


 「明日は王宮へと赴き、ピアノの演奏をしてきます。うまく行けば宮廷音楽家として招聘される可能性もあるし、最低でも冒険者養成学校の身元引き受け人を得ることができます」


 そう、ファルコに伝えた。

 明日に備え、今日は早めに就寝しようと心に決めベッドに潜った。

 

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