あの子はかごの中の小鳥

 自警団に身分証明手帳を見せ、簡潔な聞き取りを終えた私とオズワルドは、オリーヴィアをサーカス団の元へ送り届ける運びとなった。

 経路は図書館からハイル橋を渡り、時計塔の前を素通りして冒険者組合の前を通り、闘技場へ向かう大回りコース。本来なら最短コースを通りたいけど、それには市長邸の前を通らなければならない。それは絶対に無理だ。説明されなくても理由は分かる。

 ロイドは自警団に屋上で起きた事件を説明するのでその場に残った。

 お腹を蹴られてうずくまっていたけど、戦況はきちんと把握していたらしい。「こっちは俺に任せろ。終わったら俺も闘技場へ向かう」と言われたので心配はいらないようだ。

 応援に駆けつけたアルフィーユさんの協力の下、十人近くの雇い兵に護衛され野蛮な冒険者への襲撃に備え図書館を出発した。

 毛布と洗面器を持ったオズワルドと私はオリーヴィアの少し後ろを歩き、ユーリアはオリーヴィアの背中に騎乗し指で道を指し示すと、彼女は素直に従い歩いて行く。

 衝撃的な事件を体験したのに、ユーリアの様子は普段と変わらない。どうやら図太い神経の持ち主のようだ。しかし、しばらくはユーリアの様子を注意して観察しよう。大人の私でも堪えたからね。

「随分と懐いているようだね」

 斜め後ろから話しかけてきたのはアルフィーユさん。モンスターが見つかり、安心しているようだ。ずいぶんと声に元気があった。

「そうなんですよ。おかげで岩に潰されずにすみました」

 笑顔で答えると、アルフィーユさんは私の隣に並んで歩いた。

「実は君達から『少女がモンスターを匿っている』と聞いた時、すぐには信じられなかった。エクレアムースは臆病で、人に懐かないと聞いていたからね。目に映っているこの光景が信じられないよ」

「このエクレアムースは赤ちゃんの時にサーカスに拾われ、人間社会で育ったので人間に慣れているからだと思います」

「だとしても、その少女の行動は革命と言っても良いだろう」

 革命!?

 ユーリアが革命!? 誇張表現で驚かすのはお止めくださいませ、女神様。

「そんな! 大げさですよ!」

 手を横に振りユーリアの代わりに私が否定したけど、アルフィーユさんは真剣な面持ちで口を開いた。

「エクレアムースは大人しく刺激を与えなければ危害を加えないが、その身体能力はどんな超人的な力を持った人間でも一人では勝てないと言われている。一頭のエクレアムースを倒すには、戦いの熟練者が束になり、いや、それこそ軍隊を投入し緻密に計算された戦術を用いて多人数で挑み、やっと勝利の可能性が見えてくる。それほど強大な力を持ったモンスターだ。そして裏を返せば、今この少女は軍隊に匹敵する戦力を持っている事になる」

 オリーヴィアの戦う姿を見た後なので、アルフィーユさんの話には説得力があった。脳裏には鉄鎧の男を前足で踏みつけるオリーヴィアの姿。やつらはエクレアムースの能力や特性について無知だった。だから命を失った。皮肉な事にユーリアの持つモンスター知識の有意性を、奴らが命を張って証明してしまった。

「それであの少女はどのような経緯で、エクレアムースを手懐けたんだい? 良かったら教えてくれないか」

「聞きたいですか? すぐには信じられませんよ」

「?」

 私の意図が汲み取れずに、目をパチパチさせるアルフィーユさんを見て、イリアちゃんを思い出して笑いそうになった。


 それから闘技場に着くまで、ユーリアとオリーヴィアの話をアルフィーユさんに聞かせた。アルフィーユさんはユーリアの奇行に目を丸くし感嘆の息を漏らしていた。

 それにしても闘技場に着くまでの道のりは気持ちよかったな。道の真ん中を練り歩き、物珍しそうに見る町人や羨ましそうな冒険者の視線。オリーヴィアは私の知っている大人しい彼女だし、兵士のお陰で他の冒険者からの襲撃を気にしなくて良い。ただ、何も考えずに道の真ん中を堂々と歩けばよい。気分は世界を救った英雄だ。

 時計塔の前を通り時間を確認すると、すでに十時半を回っていた。

ありゃ! もうこんな時間なのか。時間を知るとなんだか急に疲れを感じ眠くなってきた。でも、もう少しで本日のお仕事はおしまい。そう思うと、少しだけ元気が湧いてくる。

 冒険者組合の前に着くとオズワルドが「僕は教会に行って、ユーリアの無事を報告してくるよ」と言い、凱旋パレードから抜けた。もったいないな。

 それからオズワルドと別れてすぐに闘技場へ着くと、大勢の人だかりが出迎えてくれた。出迎えたのは、オリーヴィアを保護したと朗報を聞いたサーカス団の人達だろう。

 やあ、諸君。出迎え、ご苦労。と上体を反らして言いたいけど我慢した。さすがにそれはやりすぎだろうからね。オリーヴィアを引き渡す前にユーリアを背中から降ろさないと。

「ほら、ユーリア。オリーの背中から降りなさい」

「オリー。降ろして下さい」

 ユーリアは後ろ手でオリーヴィアの背中を叩くと、彼女はその場で立ち止まり地面に伏せた。

 そしてユーリアはオリーヴィアに跨っていた体勢から、器用に半回転して後ろ向きの姿勢になり、ぴょんと跳ねて地面に着地した。とても上手に降りたけど、乗馬経験でもあるのかな?

「ねえ、ユーリア。お馬さ――」

「オリー、立つですよ」

 はい、聞こえていませんね。分かっていますとも。

 ユーリアはオリーヴィアの頭を優しく撫でると立ち上がった。やっぱりユーリアはオリーヴィアの扱い方を心得ているようだ。

 ユーリアを中心に右にオリーヴィア、左に私と並び、前を護衛していた兵士が道を空けると誰かが歩み寄ってきた。長身で肩幅が広く、おでこや目元のしわが目立つ男性。この人は知っている。サーカスの団長さんだ。そして、その後ろには猛獣使いのロジャーが控えている。

「この度はオリーを保護して頂き、誠に有難うございます」

 団長は何度もお礼を口にしてその度に頭を下げた。がっちりとした威圧的な体格とは裏腹に、ずいぶんと腰の低い人だ。私も団長に釣られて何度も頭を下げてしまう。

「オリーは私達の家族ですから、団員一同心配しておりました。それにオリーは大人しいとは言え、やはりモンスターですから市民に危害を加えていないだろうか。それはもう心配で、心配で、食事も喉を通りませんでした。それに――」

 よく耳にする話ですけど、歳を取ると話が長くそうです。分かっております。しかし団長さん。この話はいつまで続くんですか。

 そう思いながら笑顔を絶やさず適当に相槌を打っていると、ロジャーがユーリアに話し掛けて来た。団長の話に飽きてしまった私は聞き耳を立てる。

「ユーリアちゃんだったね。オリーを保護してくれて有難う。オリーを保護できるのは君しかいないと思っていたよ」

「ホントですか! 照れるです!」

 私は思った。やっぱりがユーリアが少しずれているんだ。この場面でロジャーが嘘を吐く必要があるのか。また『ホントですか!』と発言の真偽を確認する意味はあるのか。

 照れながら頭を掻くユーリアに「本当だとも」とロジャーは言った。

「それじゃあ、オリーをお家に帰してもいいかな?」

 やっぱり彼は紳士だ。例え小さな子供でも敬意を払う。保護してくれたユーリアにきちんと断り、オリーヴィアを連れ帰る。素晴らしい! なんと素晴らしい方だろう!

「はい! 今日はいっぱい遊んで楽しかったです! また遊びに来ます!」

「またおいで。それじゃあ、オリー。行こうか」

 ロジャーが首元を摩ろうと右手を伸ばすと、オリーヴィアはすっと体を後ろに引いた。

「?」

 ロジャー、一歩前進。

 オリーヴィア、一歩後退。

 どうやらオリーヴィアは帰るのを嫌がっているようだ。

「どうしたの? オリー」

 さらに一歩近づき右手を伸ばすと、オリーヴィアはまたしても一歩後退して首を横に振り、ユーリアの後ろに隠れた。ロジャーが回りこむと、今度は私の後ろに逃げ隠れ、頭で背中を押し前に出された。

 ロジャーの前に差し出された私。

 お前じゃない。そんな心の声が聞こえてきそうな、なんともばつの悪い沈黙のひと時。分かっております。でも今回は私のせいではございません。被害者です。せーの! 被害者!!

 それにしてもオリーヴィアは一体どうしたのか。戦闘時を除いて変わった様子は見られなかった。もちろん今もそうだ。まさかロジャーが嫌いになってしまったのか。それともロジャーの顔を忘れ、人見知りをしているのか。全員の頭上に輝く疑問符。

「もしかして、オリーはまだ遊びたいんじゃないですかね?」

 そう言いながらユーリアがオリーヴィアに近づくと逃げない。試しに私が近づいてみても逃げないけど、ロジャーや団長さんが近づくと逃げる。どうやらサーカスの関係者が近づくと逃げるようだ。

「ちょっと、待ってもらっていいですか?」

 団長とロジャーから少し離れて頭を働かせる。

 さあ、困った。困ったぞ。

 このままでは私もユーリアも兵士も帰れない。それにサーカスにオリーヴィアを帰さなければ、事件解決にはならず外出禁止令も解除できない。さらに賞金だってもらえない。

「どうかしたのか?」

 心配したアルフィーユさんが声を掛けて来たので、事細かく説明しているとオリーヴィアが近づいて来て、横から私の肩をコツコツと頭で軽く突っつく。

 なんだ? 遊んで欲しいのか?

 しかし忙しいので無視していると、強めにドン! と押され体のバランスを崩した。さっと数歩後退して私を見つめるオリーヴィア。このままやられっぱなしでは悔しいので、右足を強く踏み込んで音を鳴らし威嚇すると、ユーリアの側に逃げて遠目から私の様子を伺っている。これでしばらく邪魔は入らないだろう。……ん? それでどこまで話をしたっけ?

 オリーヴィアのせいで忘れてしまったので、アルフィーユさんに尋ね説明を再開すると今度は背後から小突かれた。またしてもバランスを崩し、アルフィーユさんの胸に飛び込んだ。香水の香りがほのかに鼻をかすめる。

「大丈夫か?」

 両肩をつかまれゆっくりと引き離し、凄く近い距離で目が合った。やべぇ!!

「大丈夫ですっ! すいません!」

 恥ずかしいので顔をそらした。なんかもう顔を合わせづらい。

 オリーヴィアめっ! …………よくやった!

 チラッ。アルフィーユさんを見る。しかし彼女は平常心のまま。意識しすぎた私が馬鹿みたいだ。

「話は大体分かった」

 そうそう、顎に手を当て、俯いて考えるその横顔。形の整った高い鼻が、美しく見えるんですよ。同姓でも思わず見とれてしまうな。

 わたしも女神の真似をして考え始めると、オズワルドとロイドがやって来た。なんとも間の悪い二人。仕方ない。

 二人に状況の説明をしていると「アルフィーユ様。少々よろしいでしょうか?」と部下に呼ばれて、アルフィーユさんは私達の輪から外れた。

「別れさせる方法は、明日考えようぜ。とにかく今日は、二人仲良く泊めてもらえばいい」

「しかし、泊めると言ってもどこに泊めるの? 施錠の無いテントだとオリーが逃げ出すかもしれないし、だからと言ってユーリアを檻に入れるのは気が引ける」

 ロイドとオズワルドが話し合っていると、遠目から団長さんが声を掛ける。

「闘技場はどうでしょうか? 施錠もできますし、舞台にテントを張れば良いかと……」

「ユーリアは大丈夫ですよ!」

 いつのまにか、ユーリアは私達の輪に入っていた。しかもユーリアの頭上にはオリーヴィアが顔を出している。

 どうやら彼女は私達の事を『ユーリアの友達だから、私の友達』と思っているようだ。オリーヴィアは女性ですからね。そんな可愛らしい一面も持ち合わせているよね。

…………ん? 待てよ? 女性? そう言えば……。


 その作戦しかなかったので実行に移す。仕方が無い、と何度も自分に言い聞かせた。

 昨晩に思い付いた『ユーリアとオリーヴィアを引き離す作戦』をオズワルドとロイド、さらにヘンリさんにも話して協力を要請した。ヘンリさんは「大丈夫です。何とかなりますよ」と後押してしてくれた。

 翌日の朝、イリアナポート教会に一人で出向いて、イリアちゃんとコロちゃんを迎えに行った。ヘンリさんからは「お昼にどうぞ」とピクニックバスケットを頂いた。

 イリアちゃんと手を繋いで、コロちゃんの話をした。コロちゃんの由来は『後ろ足で頭をかこうとすると失敗して転がる』からコロと名付けたそうだ。ちなみに名付け親はイリアちゃん。

 なんかイリアちゃんの全てが可愛すぎて直視できない。

 闘技場に着いたので、まずは団長さんに挨拶をしよう。闘技場に隣接するテントに立ち寄り、近くにいる団員に声を掛けて団長さんを呼んでもらった。

 少し待たされて団長がやって来た。イリアちゃんを簡潔に紹介し、いよいよ裏口から闘技場へ入る。団長の後を追いながらイリアちゃんは不安そうな目で訊ねる。

「どこへ行くの?」

「この中にユーリアお姉ちゃんと鹿さんがいるのよ。ほら、この前見た、あの大きな鹿さん。そこでイリアちゃんとコロちゃんも一緒に遊ぶのよ」

「鹿さん。怖くない?」

「大丈夫だよ。鹿さんは優しいから、すぐに友達になれるよ」

「うん……」

 不安そうに私の手を握り締めるので、頭を撫でて「大丈夫だよ」ともう一度声を掛けた。

 昨晩は団長さんの提案を採用し、ユーリアとオリーヴィアを闘技場に泊まらせた。

さすがに二人っきりではなく団員も付き添っていたので、闘技場の施設を破壊するような無茶はやっていないだろう。餌をあげたりボールで遊んだり、一緒に添い寝とかだろう。

 舞台に通じる細く薄暗い通路を抜けると、光りと一緒に奇怪な光景が目に飛び込んできた。

 舞台の中央に伏せるオリーヴィアの前で四人の大人達がお尻をこちらに向けて、身体を丸め左右に揺らしている。

 大人達がお尻フリフリ。

 何をやっているんだ!? この人達は!! もしかして宗教? オリーヴィアを崇拝する新興宗教なのか。一風変わった光景に一同、口を開けたまま絶句した。

「違うです! こうです!」

 オリーヴィアの前に出て大人達と向かい合い、体を丸め左右に揺れるユーリア。

 さすが先生。大人達とは違い、羞恥心が無いので体の切れが違います。どうやら暴力事件の後遺症は無いようです。安心しました。いやいや、安心している場合ではない。

「な、何をやっているの? ユーリア」

「あっ! パティさん!」

 ユーリアの視界に入っていたので、今回はすぐに気付いてくれました。よかった。私が知るモンスター研究家は、夢中になると周りが見えなくなり、その度に私は涙を飲みました。

「みんなでオリーと仲良くなる練習です」

 どうやらユーリアとオリーヴィアが仲良くなった時の再現を試みているようだ。

 私達に気づいた大人達は、ばつが悪そうに立ち上がり、ロジャーから状況を説明してくれた。

 一言で言えば関係改善。

 今までの人間とモンスター、飼い主と玩具動物のような関係を取り払い、ユーリアのようにもっとオリーヴィアと仲良くなれないのか。オリーヴィアと長年一緒に暮らしている自分達にも出来るかもしれない。そう思ったそうだ。

 いい話じゃないか! だいの大人が体を丸めお尻をフリフリして馬鹿みたい! と思った自分が恥ずかしいよ。恥を捨てて、オリーヴィアと親交を深めようと努力するその姿勢。素晴らしいじゃないか! 私は感動したぁ!! まだまだ、世の中は捨てたもんじゃないな。

 しかし状況が理解できないイリアちゃんは、奇怪な光景を目の前にしてすっかり怯えてしまった。何度もあやして落着かせ、大人達に紹介するけど、人見知りの激しいイリアちゃんには酷な時間だったようだ。

「それじゃあ、後はお願いします」

 団長が団員達を引き連れ、裏口から去って行く。

 静まり返る闘技場の舞台には三人と一頭と一匹が取り残される。さてと、作戦開始! 舞台の隅に張ってある小さなテントの脇にピクニックバスケットを置いて、イリアちゃんに声を掛ける。

「イリアちゃん。オリーヴィアに挨拶しようか」

「あの鹿さん、オリーヴィアって言うの?」

「そうだよ。みんなはオリーって呼んでいるよ」

 イリアちゃんを連れてオリーヴィアの前に立つ。

「おはよう。オリー」

 イリアちゃんが小さく会釈すると、オリーヴィアも会釈で答えた。

 ただ何となく、イリアちゃんの真似をしたかもしれないし、会釈の意味を理解して頭を下げたかもしれない。

「凄い! 挨拶してくれたよ!」

 どちらかは分からないけど、イリアちゃんの好感度は急上昇したのは間違いない。

「それとイリアちゃん。コロちゃんも紹介してあげて」

「うん」

 抱いていたコロちゃんを降ろすとピョンピョンと跳ね回って、「ワンワン!」とオリーヴィアに向かって吠えると、顔を下げて感心を示した。

「オリー。コロだよ。仲良くしてね」

 コロちゃんが後ろ足で頭をかこうとすると、足が頭に届かずに名前の由来どおり、コロっと転がった。地面でジタバタしていると、オリーヴィアが口を使いコロちゃんを起こした。

 するとお礼を言うようにコロちゃんはオリーヴィアに向かって吠えた。嬉しそうにペロペロとコロちゃんを舌で舐めるオリーヴィア。コロちゃんはくすぐったそうに体をくねらせる。

 やっぱりそうだ。憶測は確信に変わる。

 エクレアムースの生態は知らないけど、彼女は女性なので母性があるのは間違いない。

 ここからは推測なので断言はできないけど、オリーヴィアはユーリアを娘と思い離れるのを嫌がった。四足になったユーリアはエクレアムースの子供と大きさが近いはずなので、エクレアムースの子供と勘違いしてオリーヴィアが過度の愛情を注いだ。

 もちろんそのお陰で、暴漢から守ってもらえた。しかし仲良くなりすぎた結果、オリーヴィアはユーリアから離れようとしない。離れたくない原因は、遊び足りないとユーリアは言っていたけど、私は違うと感じていた。

 彼女は寂しいんだ。自分と同じ仲間が欲しいんだ。

 私はそう考えて作戦を立案した。

『同じ四足の獣である子犬を見せたら、自分の赤ちゃんだと思い、愛でたりはしないだろうか』

 ユーリアへ注ぐ愛情を子犬へ向けさせ、二人を引き離す作戦を提案した。幸い、子犬の当てはすぐに思い付いたし飼い始めて日は浅い。他に良い案も浮ばないので、作戦実行となったけど……、懸念事項が一つ。

 それはイリアちゃんだ。

ユーリアとオリーヴィアの引き離し作戦の道具として、イリアちゃんが可愛がっている子犬を取り上げるのは心苦しい。でも実行しないといけない。このままでは、ユーリア以外のみんなが困る。だから、この作戦は感情に流されず、遂行しないといけない。

 しかしオリーヴィアの気持ちを、イリアちゃんにどのように説明すれば理解してくれるのか。彼女はまだ三歳。オリーヴィアの心情を理解できるのだろうか。また自分が可愛がっているコロちゃんを、オリーヴィアに取られ悲しんだりはしないだろうか? 力ずくで取り上げる真似はしたくないので、何とかイリアちゃんを説得したい。ユーリア捜索で疲れた体のまま寝ずに考えたけど、良い例えも言葉も浮ばず下準備無しで本番に臨む羽目になった。なんとかなるのか? 不安だけが募る。

「イリア。一緒にオリーにブラシをかけよう」

 ユーリアは手に大きなブラシを二つ持ち、一つをイリアちゃんに差し出した。

「うん。でもどうやるの?」

 ちょっと強引にブラシを押し付けられ、使い方が分からずイリアちゃんは小首を傾げた。ユーリアはイリアちゃんの手を引っ張って、伏せているオリーヴィアの横に立った。

「こうやるんだよ」

 両手でブラシを持ち、目一杯背伸びをして、上から下に向けてブラシを下ろし手本を見せるユーリア。ブラシと皮膚が擦れる音が微かに聞こえる。

「うん。やってみる」

 お手本通りに両手でブラシを持ち、目一杯背伸びをして、上から下に向けてブラシを下ろすイリアちゃん。二人の懸命な背中が健気すぎる。

 ブラシで気を良くしたオリーヴィアは、顔を地面に付けてくつろぐ体勢になる。

 コロちゃんの様子が気になったのでオリーヴィアの前に移動すると、コロちゃんはオリーヴィアの鼻に向かって体当たりをしているけど、ビクともせずコロコロと地面を転がるだけ。

 可愛すぎる。鼻に攻撃を受けているオリーヴィアは、耳をピクッと反応させるだけで目をつぶって動かない。するとかまってもらえないコロちゃんはオリーヴィアの前で、自分の尻尾を追いかけて、その場をクルクルと回り始めた。

 この可愛すぎる生き物は何なの!?

 興奮しすぎて呼吸の回数が増える。苦しい! 落着け! 落ち着くんだ! わたし!

 過呼吸に苦しむ私を差し置いて、二人はオリーヴィアの肋骨のブラシを終えて、ユーリアはテントに戻りボールを持ち出した。大きさはだいたい人の顔くらいである。

「オリー。ボールで遊ぶですよ」

 声を掛けるとオリーヴィアは立ち上がり、クルクルと回るコロちゃんもイリアちゃんの足元へ擦り寄ってきた。やっぱりコロちゃんはイリアちゃんに懐いているようだ。

「はい。イリア。ボールを投げると、オリーとコロが取って来るよ」

 ユーリアはボールをイリアちゃんに手渡した。イリアちゃんの顔がボールで隠れる。

「いくよ。取っておいで!」

 下手投げでボールを投げるイリアちゃん。ボールが放物線を描いて飛んでいくと、誰よりも早くコロちゃんが駆け出した。赤ちゃんとは思えない脚力。

 風だ!

 疾風だ!

 いや、あれはコロちゃんだ!! 

 ボールに向かって猪突猛進するコロちゃん。その後ろをオリーヴィアが追いかけるけど、ボールではなくコロちゃんを追いかけているように見えた。ボールに追い着くとコロちゃんはさらに前へ押し出し、ボールは転々と向こうへ転がっていく。あれはダメだ。コロちゃんが一人でボールの周りをコロコロしてこちらには戻ってこない。

 そう思ったのは私だけは無いようで、オリーヴィアはコロちゃんの反対側に回り込みボールを私達の方に向けて押し返すと、力負けしたコロちゃんはどうしようもなく、またしても地面をコロコロと転がる。どうしよう。こんなに可愛いコロちゃんをイリアちゃんから取り上げるのは気が引ける。目に涙を貯めて泣き出すイリアちゃんを想像すると……、私が泣きそうだ。

 いつまで経ってもボールがこっちに戻らないのでみんなで駆け寄る。吠えながら夢中でボールと戦うコロちゃん。その様子を見守るオリーヴィア。その眼差しには見覚えがあった。

 教会の裏庭で元気良く駆け回る子供達を見守る優しい眼差し。ヘンリさんだ。オリーヴィアとヘンリさんが重なって見えた。

 みんながボールで戯れる輪から外れ、少し遠くから見守る。

 イリアちゃんとユーリアは足でボールを蹴り、オリーも二人の真似をして前足で蹴り返し、コロちゃんは全身を使ってボールと戦う。昨日体験した怖い出来事がまるで嘘のようだ。目の前の広がる、ほんわかムードに若干困惑している自分がいた。

 しばらく遊んでいるとコロちゃんがお座りをして、ボールに興味を示さなくなり前足を舐め始めた。どうやら遊び疲れたようだ。そんなコロちゃんを見てオリーヴィアが近づき、口で優しくツンツンと突いて舌でペロペロと舐めた。こそばゆそうに体をくねらせるコロちゃん。少し早いけどお昼にしよう。テントの傍においてあるピクニックバスケットを開けて中身を確認する。水筒が三本。皿が四枚。パンが六個。

「二人とも、ちょっと休憩して水でも飲みなさい」

 ピクニックバスケットから中身を取り出し、床に並べながら二人に声を掛けた。イリアちゃんはコロちゃんをあやしながら抱き上げた。ユーリアはオリーヴィアの首元を叩いて「水を飲むですよ。オリー」と話し掛けて歩き出すとオリーヴィアがちゃんと付いて来る。

 水筒を開けて鼻を突っ込む。クンクン。これはミルクだ。ミルクを半分残し皿に移して床に置くと、イリアちゃんが胸に抱いたコロちゃんを下ろした。即座にミルクへ飛び付くコロちゃん。やっぱりお腹が空いていたようだ。オリーヴィアもミルクに近づいて来た。オリーもミルクが欲しいのかな? と思ったらコロちゃんがミルクを飲む姿を眺めているだけ。ユーリアが水の入った桶をオリーヴィアの前に置いても、すぐに口を付けようとはせずに、コロちゃんの様子を眺めていた。コロちゃんはオリーヴィアに任せてっと。

 私はピクニックバックから水筒を取り出して、コップに水を注いで二人に渡した。

「おかわり!」

 ユーリアはコップを差し出した。はやっ! 一気飲みでも早すぎるだろ。それに比べイリアちゃんは大きめのコップを両手で持って少しずつ飲んでいる。可愛い。イリアちゃんの行動は何をしても可愛い。

「ゆっくり飲みなさい。むせるわよ」

 コップを受け取り、もう一度水を注いでユーリアに渡した。それからピクニックバスケットからパンを取り出して二人に手渡した。口をパンパンに膨らませるユーリアと、小さくちぎってモグモグするイリアちゃん。水の飲み方やパンの食べ方にも性格がきちんと現れる。大雑把で豪快なユーリアと、お行儀良く小ぢんまりとまとまるイリアちゃん。面白いなと感心した。

 みんなで食事をして小休憩にしていると、おなかがいっぱいになったコロちゃんは立ったまま居眠りを始めた。ウトウト。見ていて危なっかしい。するとコロちゃんの様子に気付いたオリーヴィアが近づき、舌で舐めると眠気で身体の力が抜けていたコロちゃんは地べたに転がった。そしてそのまま眠りにつくコロちゃん。その傍らに伏せ、頭を地面に付けて目を閉じるオリーヴィア。その光景はまるで親子だ。

「コロとオリー、お昼寝しちゃったね」

 少し残念そうにイリアちゃんが言った。まだ遊び足りないようだ。

「よしっ! 二人の絵を描こう。イリアも書く?」

 テントに入ろうとする足を止めてユーリアは言った。

「うん!」

 元気良くイリアちゃんは頷いた。今がチャンスだ。

「イリアちゃん。お話があるの」

 不思議そうな顔でイリアちゃんは私を見つめた。

「ユーリアは絵を描いてもいいですか?」

「いいよ。すぐに終わるから」

「うぇーい!」

 あっ! 未解決単語の『うぇーい』だ。このような場面で使うのか。それでどんな意味なのかな? おっと、その前に、私にはやらないといけない仕事がある。

「お話って何?」

 純粋で輝く目を直視できない。鼻から息を吸い口から吐いて、体の奥に居座るモヤモヤを吐き出した。

「実はね、イリアちゃんにお願いがあるの」

「お願いってなぁに?」

 うっ! そんな無邪気な目で見られると、やっぱりつらい。でも頑張れ! わたし!

「オリーにコロちゃんの親になってもらおうと思うの。だから、コロちゃんをオリーに預けてもいいかな?」

「どうして?」と聞かれたらなんて答えよう。細かい説明は省いて『オリーにはコロちゃんが必要なの!』と情に訴えてみるか。それから『コロじゃなきゃダメなの?』って聞かれたらどうしよう。い、色が、毛の色が同じ茶色だから! でもその説明は苦しくないか? 

 不安と焦りで混乱し、頭はいつもより回転しても良い案は全く浮ばない。

「いいよ」

「へぇ?」

 今……、なんて言った? 雷攻撃の爆音で耳がおかしくなったのかな?

「いいよ。オリーにコロをあげるよ」

「本当にいいの?」

「うん。オリーならきっとコロを可愛がってくれるから」

 笑顔。迷いの無い笑顔。あっけない。まだ何も説明してないのに……。けれど二人の様子を見て、イリアちゃんは何かを感じ取ったのかもしれない。もしかしたら、ヘンリさんが事前にイリアちゃんと話し合いをしたのかもしれない。

「もうお話は終わり?」

「う、うん……」

「じゃあ、お絵かきしてくる」

 そう言ってイリアちゃんはユーリアの傍らへ座った。ユーリアはノートをちぎって鉛筆と一緒にイリアちゃんに手渡した。紙を地面に置いて一匹と一頭の絵を描く二人。

 このまま……、このまま、オリーヴィアが寝ている間に、ユーリアを連れて帰るのが得策かもしれない。コロちゃんをオリーヴィアに預けても、ユーリアから離れる保障はないから。

 しかしそれは出来ない。オリーヴィアが起きた時にユーリアが側にいないと、消えたと驚いて再びサーカスを抜け出し探しに行くかもしれない。そして何より、助けてもらった彼女に対して取る行動ではない。彼女のお陰で、今日と言う日が迎えられたのだ。だからオリーヴィアが起きるまで待とう。

 これで一つ目の課題をこなした。

 後は最後の課題『オリーヴィアからユーリアを引き離す』だけだ。この課題もあっさりとクリアーできればいいな。まだ時間はある。ロニンバズの神様に祈ってみようかな?

 二人はお絵かきに夢中になっている。少しなら目を離しても大丈夫だろう。

 私は胸に手を当て、ゆっくりと目を閉じた。


 お昼が過ぎた頃に親子が起きると、ロジャーと団長が様子を見に来た。

「さあ、オリー。沢山遊んだろ? もう帰ろう」

 ロジャーが声を掛けて慎重に足を踏み出す。

 全員が息を呑む。

 しかしオリーヴィアはユーリアの後ろに隠れた。作戦は失敗したのか。

「オリー。もう帰るです。また、明日遊ぶですよ」

 ユーリアはオリーの肋骨を叩き、ロジャーの元へ歩み寄り手を振って呼んだ。しかしユーリアの元へ駆け寄ったのは、自分を呼んだと勘違いしたコロちゃんだった。そしてコロちゃんはオリーヴィアに向かって一鳴きする。こっちに追いでよ、と呼んでいるようだ。

 しばらくオリーヴィアは反応を示さない。迷っているようにも、無言の抵抗にも見えた。

「ワンッ!」

 コロちゃんが、もう一度オリーヴィアに向かって吠えた。

「わんっ!」

 四足になってコロちゃんの真似をしながらユーリアも吠えた。

「ワ、ワン……」

 ロジャーさん……。貴方の判断は間違っておりません。その流れだと真似をするのは暗黙の了解ですけど、貴方は猛獣使いなのですから、わざわざ地面に手を付いてまで真似をしなくても良かったのでは? ほのかに赤面しながら、コロちゃんの真似をする姿は可愛いですけど。

 しかしこれが決め手になったようだ。負けを認めるように、目を伏せて三人の元へ歩み寄る。

 ロジャーが手を伸ばしても、彼女は逃げない。

「よしよし……」

 オリーヴィアに抱きついてロジャーは愛撫をする。

 そうか。オリーヴィアは彼のパートナーであり、娘でもある。彼女への愛ならユーリアにも引けを取らないはずだ。よかった。これで収まる場所に収まった。

「さあ、オリー。一緒に帰ろう。新しい家族も一緒だよ」

 足元で駆け回るコロちゃんを抱き上げ、イリアちゃんに近寄りしゃがみ込んだ。

「子犬の名前はなんて言うの?」

「コロだよ」

「ありがとう。大切にするよ」

 ロジャーは笑顔を見せて、イリアちゃんと拍手を交わす。そしてそのまま立ち上がり、イリアちゃんの隣に立つ私にも、お礼を口にして手を差し出した。

 真剣な表情で力強く握手をするロジャーと、小脇に抱えられ四足をジタバタさせるコロちゃんの姿が妙に面白かった。

 ロジャーはオリーヴィアの元へ歩み寄り、もう一度声を掛ける。

「さあ、帰ろうか。オリー」

 オリーヴィアの決意を確かめるように、足を一歩前に踏み出すロジャー。さっきの決意が気まぐれでない、と祈りながら。するとオリーヴィアも足を前に出した。

 ユーリアとイリアちゃんが声を掛けながら手を振ると、オリーヴィアは名残惜しそうに振り返った。しまった! このまま何もせずに見送るべきだ。ここで気が変わったらマズイ。

 しかしそんな心配は無用だった。立ち止まりはしたけど、すぐにロジャーを追従して舞台から去り行く。

 その後ろ姿は事件解決を象徴する、一枚の絵のようだった。


 何かもが眩しく輝いている。

 先導役の使用人がドアを開けて先に中へ入り、その後から部屋にお邪魔した。アルフィーユさんはもちろん、部屋を彩る道具や家具が光りを放ち、部屋を包むハーブティーの香り。

 もっと綺麗な格好で伺えばよかった、と後悔しても遅い。

 私とオズワルドはユーリア達をイリアナポート教会に送った後、事件解決の報告を兼ねてアルフィーユさんが住んでいるお宅にやって来た。

 女神は雇い兵として雇い主と同居し、他の雇い兵と協力して二十四時間護衛に当たっているそうだ。雇い主は前市長の肩書きを持つ議員と、病院の院長を勤める夫婦。そして娘は売れっ子の歌手。お金も人も集まるご家族のようだ。

 ご自宅は絵本で見たようなお城。白い壁面と青い傾斜のついた屋根。大きな窓やステンドガラス。そして装飾の施された豪華な玄関から入ると、真っ赤な絨毯や絵画。さらに広い敷地内を雇い兵が警備し、室内には使用人がいる。これをお城と言わないで、なんと呼べばよいのか。エイダさんの家も立派だけど、こちらは何かもが桁違いの豪華さ。お金持ちと言うより、権力者と呼ぶに相応しい。

「よく来たね」

 部屋の奥を陣取るライティングテーブルから立ちあがり、私達を出迎えてくれた。どうやらお仕事中だったようだ。

「先日のお礼に伺い……」

 オズワルドが感謝の言葉を述べようとすると「堅苦しい挨拶は無しにしよう。とにかく座ってくれ」と中央の机を指した。美しいバラのティーカップに、三人分のハーブティーが用意されている。頭をかいて戸惑うオズワルドの背中を叩く。

「とにかく、座ろうっか」

 オズワルドの長所は誠実で礼儀正しい人柄。

 しかし時として、その長所が短所になる。融通の利かない生真面目な性格。場面によってはもっと気楽に適当でいいと思うけど、それが出来ないのも彼らしさと言えるだろう。

 使用人から預けていた荷物を受け取り、アルフィーユさんの向かいに座る。前日の疲れが残っているので、体を労わりゆっくりと椅子に腰を下ろす。それから役目を終えた三人の使用人は一言掛けて退席しようとすると、オズワルドは律儀に立ち上がりお辞儀をした。

 わざわざ立ち上がり、お辞儀までした客人は初めてだったかもしれない。口を大きく開けて驚嘆した表情が物語っている。そして感謝の意を込めて、カーテシーを行うと部屋を後にした。

「君は礼儀正しいな」

「いいえ……」

 恥ずかしそうにティーカップに手を伸ばし、ハーブティーを飲んで落着くと、謝礼とキャンドルランタンを机の上に置いた。

「これはお礼とお借りしたランタンです」

「このランタンは誰から借りたんだい?」

「イヴァンさんです」

 オズワルドの代わりに私が答えると「イヴァンか……」と呟いた。

「そのランタンとイヴァンさんの助言が事件解決へと導いたんですよ」

 アドバイスの内容とユーリアを見つけた過程を話すと、アルフィーユさんは上機嫌な笑顔で耳を傾けていた。事件解決に部下の功績があったと聞けば、喜ばない上司はいない。

 それにしても誰もが見とれてしまう美しさと、少女のような無邪気で可愛らしい笑顔。両方を兼ね揃えるとか……卑怯です。私にも、ほんの少しだけ分けて下さい。

 その話題の人はギルドに出かけているらしい。会ってお礼を言いたかった。残念だ。

 そして最後に『オリーヴィアとユーリア引き離し作戦』についても話し、無事に事件は解決したと報告した。

「ところで、暴力事件に巻き込まれた彼は?」

「ロイドはお留守番です。もし伝言があれば、お伝えしますけど……」

「実は昨日発生した暴力事件の処分について、連絡があったので伝えておいてくれ」

 現場の痕跡からロイドの証言が全面的に認められ、私達に暴力を振るった六人の内、生き残った三人は刑罰が科せられ、土の魔法を使ったウィザードはさらに重い刑罰が下された。

 そして残りの三人は、やはり死亡が確認されたそうだ。

 急に現実に引き戻された。さっきまでは平和な光景を眺め、事件の傷も癒えてきたのに……。

 自分達で蒔いた種とは言え、なんだか気分は晴れない。次は自分かもしれない。ロイドの忠告が頭の中で反響する。

「詳しい話は、自警団に聞いて欲しいと彼に伝えてくれ」

 詳細については触れなかった。私の顔色を察して話さなかったのか? それとも本当に知らなかったのか? どちらせよ、胸を撫で下ろした自分がいた。

「ところで、二人とも夕食を食べていくかい? 昨日の話も詳しく聞きたいからね」

 私の気分を察し、アルフィーユさんは明るく振舞ってくれた。やったぜ!  金持ち様が食べるお食事だ。絶対においしいはずだ! 落ち込んでいる場合じゃないぜ!

「せっかくのお誘いですが、仲間を差し置いて自分達だけご馳走を頂く訳に参りません。今回は遠慮させて頂きます。」

 えぇぇ!!!! 断る!?  こんなまたとない機会を、見送るのか!? 抗議だ! 全面抗議!!

「そうか……」

 なんだか嬉しそうに微笑するアルフィーユさん。真面目な彼に愚問をぶつけた私が野暮だった。そんな表情である。もう抗議しても無駄ですね。はいはい、しょんぼりです。

「パティ、そろそろ帰ろうか」

「ロイドクン、マッテルカラネー」

 ご馳走にありつけなかった、この虚しさを棒読みで表現します。きちんとオズワルドさんに伝わったでしょうか? もし伝わっていないのなら、今度は踊りも加えて、私の思いを伝えましょう。

 そんな冗談はさておき、帰りますか。

 退席しようと立ち上がると、アルフィーユさんに止められた。

「今度来る時は、事件解決の立役者も忘れずに連れて来てくれ」

「立役者?」

 反射的に飛び出すオウム返し。

「エクレアムースを手懐けたユーリアちゃんだよ」

 今回の主役をすっかり忘れていた。おっ! 忘れていた、で思い出した。肩掛け鞄から短剣を取り出して、机の上に置いた。

「これもお返し致します」

「それは君にあげた物だ」

「私には勿体無い一品です。それに賞金を頂けるので自分にあった武器を買おうかな、と思っていますので」

 短剣の値段が気になって使用する勇気も、扱える技術も持ち合わせていない。おまけに今後技術を習得する気も起きないだろう。なので、私が持っていても仮想暴漢退治しか使えない。

「そうか。それなら代わりに名刺をあげるよう。何かあったらまたおいで」

 アルフィーユさんは立ち上がってライティングテーブルへ歩み寄る。引き出しから名刺を取り出して、私達に差し出した。ロイドの分も合わせて三枚だ。お礼を言いながら名刺を頂く。

 案内役の使用人を待ち、一緒に部屋を出た後、ふと思った。

 今回の事件を解決した、真の立役者はアルフィーユさんかもしれない。彼女の善意が無ければ私達は出会わず、延いてはイヴァンさんとも出会えず、モンスター失踪事件の解決が長引きユーリアが危険な目にあったかもしれない。

 出会い。出会いか……。


 私は予言しよう。近い将来、このラクルア島に変災が来る……、そんな予感がする。

 前日、団長さんから、オリーヴィアを保護したお礼に夕食会へ招待された。ユーリアとイリアちゃんも一緒にどうぞ、と言われ私達三人の内、誰が行くかを話し合いで決める事にした。

 賛美とご馳走が待つ夕食会と、孤独に耐えて食べる不味い乾パン。どちらが良いかと言えば、十人いれば十人とも前者と答えるはずだ。ギルドから帰ってきた二人を加え、夕食会へ出発する寸前まで石組みかまどの前で押し問答が続くと思っていた。

 ところが予想に反して、ロイドがあっさりと引き下がった。

 理由は単純で、表彰はリーダーであるオズワルドが受けるべきであり、ユーリアとイリアちゃんも参加するので二人が懐いている私が行くべきで、消去法で自分が残ると言った。

 二人のお守りは分かるけど、表彰はオズワルドに拘らなくても良いのではないか。そう思ったけど、私は寸前で言葉を呑んだ。余計な発言だと、判断したからだ。

 しかしせっかく私が黙っていたのに、オズワルドがロイドに尋ねる。余計な事をして! と叫びたかったけど、ロイドは「これからお前は相当苦労するはずだ。今のうちに良い思いをしておけ」と私に視線を投げかけた。私は瞬時にその意図を汲み取った。

 私とロイドはこれからも衝突を繰り返すはずだ。その度にオズワルドが仲裁に入り、両方の言い分を聞き、問題の解決に頭を痛めるだろう。

 私はロイドを見つめ黙って頷いた。

 陽が傾き始めたので、おめかしをしてイリアナポート教会へ向かう。モンスター失踪事件以降、町に入る時に自警団に声を掛けられないか、ドキドキするけど何も言われなかった。

 今日も町は平和でホッとした。

 イリアナポート教会に着くと、子供の声に誘われて裏庭へ回った。沢山の子供達が裏庭を駆け回り、すぐにはユーリアとイリアちゃんを見つけだせなかった。ベンチにはヘンリさんが座っていたので、挨拶をしようと近づくと私達に気づいて向こうから挨拶をしてくれた。

「こんにちは。オズワルドさん。パティさん」

「こんにちは」

「こんにちは。ユーリアとイリアちゃんは、どちらにいますか?」

「庭で遊んでいますよ。ちょっと待っていて下さい。呼びますから」

 ベンチの肘掛けに手をかけてゆっくりと立ち上がり、ヘンリさんはユーリアとイリアちゃんの名前を呼ぶと、可愛らしい返事と共に二人がこちらへやって来た。

「パティさん! オリーですね?」

 キラキラと輝く目。遊ぶ気満々だ。いやいや、今日は食事会だから遊べないよ。

「今日はオリーとは遊ばないよ。サーカスの人にご挨拶するの」

「ちょっとだけならいいですよね?」

「そんな時間は無いよ。それより二人ともお出かけの準備をしてきなさい」

「はい」

「うん」

 宿舎に向かう二人の背中を見つめていると、気がついたら他の子供達に取り囲まれていた。

 みんな何か言いたそうな顔をしている。

「お姉ちゃん達、ユーリアとモンスターを見つけたの?」

「どんなモンスターだった?」

「凄いの?」

 四方から浴びせられる質問に戸惑っていると、「さあ、みんな。そろそろお夕飯だから、お手伝いをしてきなさい」とヘンリさんが助け舟を出してくれた。

 しかし子供達の質問に答えていないので、その場から退席するはずも無く質問攻めが続く。

 するとヘンリさんは咳払いを一つ。

「お手伝いしない子は、お夕飯抜きですよ」

 誰かが「やべぇ!」と宿舎に向けて走り出すと、他の子供達も釣られて追いかける。置いていかれると、夕食が食べられないと危機を感じたのだろう。さっきまで騒がしかった裏庭が嘘のように静かになった。

「少し、お話しませんか」

 そう言いながら、ヘンリさんはベンチに腰を下ろす。オズワルドに肩を叩かれて、私もベンチに座った。

「今日のお昼頃でしたかね。サーカスの方々がやって来ました。ユーリアには猛獣使いとしての才能があるので、ぜひ、うちに預けて欲しい。それは、もう目を血走らせ、嘆願されました」

 猛獣使いが何年もかけて手懐け構築した信頼関係を、ユーリアは数分で手懐け、たった一日で友達のような関係まで昇華させた。サーカスにとっては金の卵と呼ぶべき人材だろう。

 ヘンリさんの横顔から、次の言葉を推測する。

 ユーリアはサーカスに行ってしまうのか?

 あの子の将来を考えれば危険な旅に出るよりも、猛獣使いの方が保護者として安心できる。

 唾を飲んだ。

「それでユーリアに『サーカスに入りますか?』と尋ねました。すると彼女はこう答えました。『世界中を旅して、色々なモンスターに逢いたい』と目を輝かせて言いました」

 しばらくヘンリさんは口を閉じ私達の言葉を待った。

 冒険者もサーカスも世界中を旅する。ユーリアの言う『世界中』はどっちを指したのか。私達? それともサーカス? まただ。またユーリアに翻弄される私。

 息を呑んだ。

「心配しなくても、ユーリアはパティさん達を選びましたよ」

 悪戯っぽく笑うヘンリ。どうやら遊ばれていたようだ。

「ところで、どうしてユーリアがモンスターに執着するのか、ご存知ですか?」

 私達は首を横に振った。

「実は私も知りませんでした。多くの子供は大きな物や強い物に憧れるので、あの子も類に漏れず、一種の稚拙美のようなものだと思っていました。ところが、ユーリアに訊ねると思いも寄らない答えが返ってきました。何だと思いますか?」

「う……、うぇー、い?」

「?」

 いやいや、それは無いだろ! 『うぇーい』って質問に対する答えではないでしょう。落着いて! 落着くのよ、私! 思い付きでしゃべるなってロイドにも注意されたし、ヘンリさんの顔色や雰囲気から察しても『うぇーい』ではないでしょう!

「お、思い付きません」

「私も検討がつきません」

 私達の答えを待ってから、ヘンリさんはゆっくりと口を開いた。

「あの子は『モンスターを知れば、きっと友達になれる!』と答えました」

 脳裏にはオリーヴィアがユーリアの顔を舐める風景が浮んだ。

「それからモンスターを観察したノートを見せてもらいました。そのノートには先日、町を騒がせたモンスターとユーリアが並んだ絵が描かれていました」

 グルグル巻きの太陽の下で、楽しそうに二人が並んだ絵。沢山の人達を心配させ、叱ってやろうと鼻息を荒らしてけど、観察日誌の端に書かれた意味不明な単語『うぇーい』で笑ってしまい、怒りが鎮火したあの絵。

「私も若い頃はウィザードとして旅をしていましたが、モンスターと仲良くなろうと思った事は微塵もありません。凶暴で残忍。人間とは共存できない未知なる存在。頭ごなしに決め付けていた私にとって、ユーリアの言葉と絵はとても衝撃的でした」

 沈黙は肯定。

「そしてやっと分かりました。あの子に眠る可能性と私がすべき事を」

 肘かけに手をついて、ゆっくりと立ち上がる。

「ユーリアをお願いします。あの子に広い世界を見せてあげて下さい」

 肘掛けを杖代わりにして体を支え、曲がった腰をさらに曲げた。

 その姿は見て――やっと分かった。

 私が村を出ると表明した時、猛反対した家族や村人、そして唯一賛成してくれたおばあちゃんの胸中だ。

 父とは毎晩のように口ゲンカになり、父と私を止められない母は泣き出す始末。兄弟や村人が毎日入れ替わりで、考えを改めるように私を訊ね説得する日々。オズワルドとロイドが同行すると言っても、若い娘が当ても無く村を出るのは危険だと唱え続けていた。

 その時の私は自分の決心がみんなに受け入れられず、存在を否定されたような思いを噛み締めていたし、恨みも募っていた。

 ところがおばあちゃんだけは『せっかく魔法が使えるのに、こんな辺鄙な村にいたらダメだ。もっと広い世界を見て、沢山の出会いと別れを経験してこい』と私の主張を前向きに捉え、背中を押してくれた。

 それからおばあちゃんは家族や村人を説得して回った。村の中でも発言権を持つおばあちゃんのお陰で、私はこうして村を出られ冒険者としての人生を歩んでいけたのだ。

 おばあちゃんの説得力が絶大だったかもしれない。しかしおばあちゃんの話を聞き入れ、賛成に手を上げずとも、反対の声をあげなくなったのは、みんなが私の可能性について認めていたからだろう。

 誰もがヘンリさんと同じように、危険から守りたい気持ちと私の可能性について揺れ動いた。

 いけない。少し涙腺にきた。どこか人目つかない場所に移動したい。

「体の不自由な貴方に代わり、僕達が命がけで彼女を守ります」

 さすがリーダー。涙ぐむ私とは違い、ビシッと決めるね。そう言えば、私達が旅立つ時も、見送りに来たおばあちゃんの激励に同じような言葉を返していたよね。

『男達は死んでも女を守りぬけ。そしてパティは二人を犠牲してでも帰って来い』

『はい! 命がけで守ります』とオズワルド。自分の命は大事にしようね。

『孫娘さんを売ってでも、生き残って帰ってくるぜ』と皮肉を言うロイド。

 その後、ロイドはおばあちゃんから杖で手痛い激励を受けていた。思い出したら笑いそうになる。さっきまでは泣きそうになっていたのに……。

「有難うございます」

 微笑を見せてヘンリさんはベンチに座り空を見上げた。私も誘われて空を見上げる。

 赤い空。

 故郷のおばあちゃんもこの空を見ているだろうか? また泣きそうだぜ。

 感慨に浸っていると、ナップサックを背負ったユーリアとイリアちゃんが戻ってきた。ナップサックにはきっとあの観察日誌が入っているはずだ。

「早く! 早くオリーに逢いに行きましょう!」

 スカートを引っ張るユーリア。彼女の頭はオリーヴィアでいっぱいのようだ。

「分かった! 分かったから、引っ張るな!」

 ユーリアの手を払い、ヘンリさんに挨拶をする。

「それじゃあ、行って来ます」

「はい、行ってらっしゃい。楽しんで来て下さいね」

 ヘンリさんが笑顔で手を振ると、二人も元気よく手を振って答え、私達は裏庭を後にした。

 教会の前に生えている木の上から、小鳥のさえずりが聞こえる。

 朗報はあの子の歌を聞いてから伝えよう。

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ユーリアのモンスター日誌 嘉数特急 @mayuladyz

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